さっき女神が出てきた大きなガラスがついたドアでは無い、正面から見て右端にある木製のドアを開け、


「どうぞ」


と促せば、そこは木のぬくもりを感じる落ち着いた薄茶色の玄関で、彼女は朱音に薔薇が一輪描かれたシックなスリッパに履き替えさせ、目の前にある鈍い金色のドアノブを回し中に入った。

そこは思ったよりも広い部屋で、奥の窓は大きく裏庭の緑が見える。

部屋の真ん中には大きな長方形のテーブルと椅子があり、ここは洋館でも右端の部屋なのか、右側の壁の真ん中にはシックなタイルで周囲を覆った暖炉。

至る所に観葉植物や花が飾られ、そろそろ夕方という割に部屋の中は優しげな光で満たされていた。


『良い香り。それになんだかこの部屋、凄く透き通ってる』


朱音は少しくんくんと部屋の空気を吸い、そんな不思議な印象を抱いた。


「ここに座って下さい」


朱音の手を優しく取り、部屋の隅にある身体全体を包む混むような黒の革張りの大きな椅子に座らせると、女神は怪我をしたところに真っ白なハンカチを当てた。

思わず朱音はぎょっとする。白のハンカチなんて当てたら血が染みついて下手したら落ちなくなってしまう。


「救急箱取ってきますから、押さえていて下さいね。

それと申し訳ないのですが、ストッキングを脱いでおいて下さい。

隣の箱に入れておいて頂ければ」


朱音がハンカチをどかそうとしたら、朱音の手を取って自分の代わりにハンカチを押さえさせると、ふわりと笑みを浮かべ彼女は高さのあるラタンの間仕切りを椅子の回りにおいて出て行った。


朱音はまだ自分の状況が理解できず、椅子に座りハンカチを傷に当てながらぼーっとする。

自分の不注意で怪我をしてしまっただけなのに、女神のように美しい人が見知らぬ自分にこんなにも優しくしてくれている。

捨てる神あれば拾う女神あり。なるほど、世の中捨てたものじゃない。

感動に浸りそうになりながら、ストッキングのことを思い出し慌てて脱いで隣の小さなゴミ箱らしき箱に入れると、ガチャリと音がして誰かが入ってきた。


「そちらに入っても良いですか?」


「はい」


そう答えると間仕切りが開き、女神は木製の救急箱を持って朱音の足の前に正座した。

脱脂綿に消毒液をつけ、少ししみますから、と言うと、優しく傷口に当てる。

消毒液からもたらされるじんじんとした痛みに朱音が顔をしかめると、女神が申し訳なさそうに見上げた。


「ごめんなさい、もう少し我慢して下さいね」


「いえ、こちらこそすみません」


朱音からすれば何一つ彼女のせいではないのに、彼女はとても申し訳なさそうに怪我の手当をしている。


『まつげ長いなぁ。肌なんて凄くきめが細かい。

一応化粧してるよね?素材が良いとこんなに違うんだ。

大抵の男性はイチコロだろうなぁ、こんなに美しい人』


自分の足に女神が手当てをしてくれている様子を見ながら、彼女の瞳の色に気が付いた。

深い灰色なのだが、彼女が動くたびにその瞳は少し光って見える。

それも灰色では無い、何か他の色に。


『まるでラブラドライトみたい』


あのロンドンの王子様にもらった石は少し不思議な光を放つが、目の前にいる女神の瞳はそれを彷彿とさせた。

その石は普通に見れば灰色なのに、動かすと周りの光をまるで全て味方につけたかのように美しい上品な深い青へと変化する。

深いグレーの色が、上品で美しいブルーに変化するのを見るのが朱音は大好きだ。

まるで普通の人が美しい人に変わるのか、それともそれを隠して普通の人のように振る舞っているかのような、そんな二面性があるようにも思えるあのラブラドライトは、とても魅力的な石なのだ。

ふと朱音が間仕切りが開けられた部屋を見回すと、不思議な物が色々とあることに気がつく。

不思議な花や美しいアメジストの大きな原石、大きなテーブルの上には何か不思議な物が並んでいて、アロマがたかれているのか、何かの機械から水がコポコポと音を立てている。

この部屋がただの部屋では無いことがわかっても、ここで何をしているかはわからなかった。


「気になりますか?」


すぐ側から声がして朱音は慌ててそちらを向けば、見上げるように女神が微笑んでいる。


「ここは私の仕事場なんです」


少し部屋の方に目線を向けた後、女神は朱音を見る。


「どんなお仕事をされているんですか?」


「占いと、カウンセリングのようなものですね」


朱音が困惑したような顔をしたせいか、女神は少し笑い、


「そんなことを言われると怪しく思うのは無理も無いことです」


「いえ、私占い大好きです!」


朱音が慌ててそう言うと、女神はきょとんとしたあと、くすっと笑った。

可愛い。くすっと笑うと美しさに可愛らしさまで追加されるなんてずるい。

こんな美しい存在と生で対峙したことの無い朱音のとしては、新たな発見ばかりだ。


「簡単でよければ占いましょうか?」


朱音がそんなことを思っているとは知らず、女神は声をかける。


「良いんですか?!あ、えっとお値段は」


思わず反射的に言ってしまったが、チェーン店のような占いでもそれなりにするのに、こういう個人のとこでやっているのはとても高額な場合が多い。

慌てて朱音が遠慮がちに質問すれば、女神は心配させないように優しく微笑む。


「もちろん無料です。こちらがご迷惑おかけしたのですから。

あぁ、ご挨拶が遅れてしまいました」


女神は未だに朱音を見上げながら、艶やかな唇が動く。


「私の名前は、吉野冬子(とうこ)と申します。

おそらく外国人と思われていますが、イギリス人と日本人のハーフなんですよ。

お名前を伺っても?」


「こちらこそご挨拶が遅れて失礼しました。

相良朱音と言います。

治療して頂きありがとうございました」


「いえ、こちらがご迷惑をおかけしたのですから。

では朱音さん、もし足が大丈夫でしたらあちらに移動しましょうか」


冬子はそう言うと、部屋の真ん中あたりにあるテーブルに視線を向けた。