頭が痛い。どうしてこんな事態になってしまったのか。

そもそも事の始まりは何だったかーーそうだ、結婚式の本格的な準備に着手しようとして、菜乃花さんの花嫁衣装はどうしようかと考えていたんだった。
それで水流井から連絡があって、ぜひこちらで白無垢や黒紋付羽織袴(くろもんつきはおりばかま)を用意させてほしいと言ってきた。菜乃花さんの意見を先に聞くべきじゃないのかと思ったが、カタログや生地を見るだけ見てみるかと呉服店へ赴いたのだ。
そこで、水流井の奥方に出会って個室に通されてーーだめだ、ここから先がどうしても思い出せない。

どうして私が水流井の奥方と“そういう仲”になっているんだ? 逢引をあの時から重ねていた? 冗談も大概にしてほしい。
しかし証拠写真が存在する。上半身が素っ裸の私と水流井の奥方が写っているやつだ。私は眠っているようだが、顔色が悪い。対して奥方はあどけなく笑っているが、両目に異様な光が宿りなんとも不気味だ。

私は写真を裏返すと、水流井からの手紙を読み返した。オフィスで仕事以外の案件に手を出すなど言語道断だが、緊急事態だ。もうすぐ両親も到着する。三人で対策を練らねって、真相を解明しなければならない。

どこから手をつけるかと考えていると、焦ったようなノックの音がして、両親が血相を変えて社長室に飛び込んできた。

「睦月!」
「睦月! 何があったんだ!?」
「落ち着いてくれ」
「これが落ち着いてーー…そうだな、まずは状況把握だ」

父は深呼吸して来客用のソファに座った。遅れて母も続く。
私は写真と、水流井からの手紙を見せた。二人の顔が見る見るうちに青ざめてゆく。

「睦月、まさかとは思うけど…」
「母さん、あり得ないから安心してくれ」
「…水流井 恵子さんだったか。何というか、聞いていた話と違うな」
「父さん、何か知っているのか?」
「知っているというか、一度会ったことがあるんだよ」

父の話では、二人が結婚した直後に会ったのだという。結婚披露のパーティーだったらしく、そこで二言、三言だけ会話したそうだ。

「ひどく大人しそうな人だったよ。ほとんど周りの人に任せっきりというか…自分の意思があまり感じられなかったね」
「じゃあ、この手紙に書いてあるような行動は起こさないタイプ?」
「正反対だね」
「…買収計画がバレたとか?」

二人は「え?」と私の顔を見た。

「こっちの計画がバレて、それを止めるためにこんな手段を取った…とか」
「いや、それはー」
「従業員はある程度こちらに取りこんでいるし、買収まで後一歩のところまで来ていたのを知って、捨て身の反撃に出た可能性はあるんじゃないか? これで慰謝料を引き出して、その後もちびちび集れるようにすれば水流井は安泰…そう考えたとか」
「写真まで偽造して?」
「あー、その、写真なんだが…騙されて酒を飲まされた時にやられた」

母は手で目元を覆い、深いため息を吐いた。父は手紙を見ながら顎に手を当てている。しばらくの間、沈黙が続いた。

「水流井の奥方の実家へ、探りを入れてみましょう」

私は意を決して提案してみた。一か八かだが、手をこまねいているのは性分に合わない。「奥方の疑いを晴らすため」と協力を取り付ければ、解決の糸口になるのではないか。

「それなら、秋永さんにも協力してもらえないか聞いてみよう」
「菜乃花さんに迷惑がかからないようにしないと」

両親が首肯(しゅこう)して各々が動こうということで、その場は解散になった。
菜乃花さんとはこれから会えなくなるが、ちょっとの辛抱だ。ここは耐えよう。
私は覚悟を決め、指示を出すため部下を呼びつけた。


「では、私に惚れてあんな真似をしたと?」

部下からの報告に私は頭を抱えたくなった。

奥方の実家は渋い顔をしていたが、「水流井を買収し、実家には手を出させないようにする」と約束してどうにか協力を取り付けた。
本人から事情を聞くのは苦労したが、部下が辛抱強く調べると、どうも彼女の中では私と恋仲ということになっているらしい。

「何がどうしたらそうなる…」
「その…先方が言うには、お互い一目惚れですぐ“そういう仲”になり、駆け落ちの約束までしたそうです」
「…駆け落ち」
「あの…それで伝言なのですが、『早く私を迎えに来て、あいつから救って』だそうです」
「…」

この伝言に対し、「ふざけるな、私が愛しているのは菜乃花さんだけだ」と激情のままに返すのは簡単だが悪手だ。ここは一芝居うったほうが良いだろう。

「彼女にこう返してくれーー」

私は即興劇でも作っているような気分で、即座に彼女への返事を考え部下に伝えた。

「逃げるよりはありのままを話して清算してから生きていこう。過去に怯えて暮らすよりは、まっさらな気持ちで一緒になろう。ーーだから貴女も、隠していることがあるなら、どうか全て話してほしい」

この他にも、私が酒に弱いとどこで知ったのか、どうして写真を撮ったのかを教えてくれるよう伝えた。思ってもいない、「愛してるからもう少し待ってくれ」なんて言葉を添えて。
部下は一礼すると、急ぎ足で社長室を出ていった。そのまま伝えに行くよう指示を出したたので、しばらく戻ってこない。
菜乃花さんの姿を脳裏に浮かべる。嘘とは言え別の女性に「愛してる」と言ってしまったことを詫びた。

彼女の妄想に合わせた作戦が効を奏し、「あれは酒を飲ませ無理に脱がせ写真を撮ったものだ」と自白を引き出した。ここからは実に速かった。

まずこちらを非難する水流井を黙らせ、名誉毀損で訴えてもよいと脅した。そこからとんとん拍子で買収の話が進み、概ねこちらの計画通りの運びとなった。

後は菜乃花さんと園島さんだ。買収がひと段落したら連絡しようかと思っていた矢先、秋永さんから連絡が入った。

「奥様が逃げました!」