2-1.ワタシ AIチョットデキル
 翌日の昼過ぎ、ファミレスに集まって作戦会議である。
 
「え~、それでは取締役会を始めます……。修一郎、スマホ止めろ! クビにすっぞ!」
「はいはい、社長! わかったよ!」
 学生気分で困る……と、思ったら、修一郎と美奈ちゃんは大学生だったのを思い出した。
 先が思いやられる。
 一時間くらい、ああだ、こうだとみんな好き勝手意見を言っていたが、最終的には何とかまとまった。
 
 社名: 株式会社Deep Child (ディープ・チャイルド)
 オフィス: 田町のデザイナーズメゾネットマンション
 最初の資本金: 一千万円
 発起人の出資割合: 誠:60%、美奈:20%、修一郎:20%
 役員報酬: 誠:70万、残り三人:50万円
 
 という形でAIベンチャーの設立が決まった。
 会社名は、ディープラーニングというAI技術を使って守護者を作るから、そのままディープな子供、Deep Childとした。
 登記は、知り合いの行政書士さんにお願いするので、来週の取締役会には印鑑証明と実印を持ってくる事、それまでに出資金を振り込む事、を決めて取締役会は終了した。
 
「う~ん、自分達の会社ができるなんて、ドキドキするねっ!」
 美奈ちゃんは、はしゃいでいる。
「もう引き返せないぞ。覚悟は決めてね」
 とは、言ったものの、俺も会社作るなんて初めてなので、内心は穏やかじゃない。クリスに見放されない限り、きっと大丈夫だとは思うのだが……。
「僕は将来、パパの会社継ぐから、違和感ないけどね!」
 修一郎は生意気である。
 
「…。誠よ、会社も準備出来て、金も用意できた。次はどうするんだ?」
 クリスが聞いてくる。
「いよいよAIの開発だね。五人くらいの、エンジニアチームを作ろうと思う。世界中から天才集めて、最高のチームにするんだ」
「…。天才たちのあてはあるのか?」
「う~ん、エンジニアネットワークで、昨日からいろいろ声をかけてはいるんだけど、まだ反応はないんだよね……」
「…。では私の方でも探すが、いいか?」
 クリスは微笑みながらそう言った。
「もちろん! クリスが探してくれるなら、間違いないね!」
「…。西海岸かな……」
 そう言いながら、クリスは目を瞑った。
 どうやら、最初から外国人を引っ張ってくるつもりのようだ……。
 AIの研究の中心地はアメリカ西海岸。優秀な人を採ろうと思ったらそこから採る以外ない。人類の未来を切り開く仕事なのだ、もう英語使うのは覚悟するしかない。

               ◇
 
 
「Hello, Nice to meet you!(こんにちは!)」
 PCの画面の中で、筋肉ムキムキな白人が右手を上げて微笑んでいる。よく見ると、アニメのTシャツを着ている。セーラームーンの青いキャラクター……のようだ。確か……セーラーマーキュリー?
 面接だというのにアニメTシャツとは、改めて西海岸の奔放さに圧倒される。
「な、 Nice to meet you……(こんにちは)」
 英語は久しぶりだ。冷や汗がたらりと流れる。
 彼はマーカス・エリソン(Marcus Ellison)、AI業界では誰もが知る大物だ。先日彼が叩き出したAI競技のスコアは、ダントツの一位で、業界の話題をさらっていた。そんな大物をクリスが口説いてくれて、面接に至ったのだ。
 
「ワタシ、ニホンゴチョットデキル!」
 マーカスはそう言って得意げにニカッと笑った。
 なんと、日本語が話せるらしい。
「それなら、日本語で話しても大丈夫ですね?」
「チョット トイウノハ a little デスネ! HAHAHA!」
 うーん、笑いのツボが分からない……。
 なるべく、ゆっくりと話してみる。
「当社に、ジョインしてくれるのは、間違いありませんか?」
「ダイジョブダイジョブ! ワタシ AIチョットデキル!」
 そう言って、マーカスはボディビルダーのように、上腕二頭筋をグッと膨らませて、にっこりと笑った。
 うーん、本当に大丈夫なんだろうか……。
 
 冷や汗かきながら条件面など色々詰めて、彼の入社が決まった。条件は、フルフレックスで年俸は三千万、住居も会社持ち。彼のスキルを考えると、ずいぶん安い感じがする。多分、今の会社では一億円近くもらっているはずだ。
 また、彼の知り合いも、一緒に連れてきてくれるらしい。とても助かる。
 
 クリスの力は本当に偉大だ。

               ◇

 そう言えば、クリスの正体を探るために『ワインを友達に調べてもらう』と言っていた教授から、全然連絡が無い……。さすがに結果が出てる頃だと思うので、電話をかけてみた――――
「こんにちは、誠ですけど」
「あ、誠君? どうしたの?」
「そろそろ、ワインの分析結果が出たかなぁと思って、電話したんですが……」
「ワイン? 何のこと?」
「あれ? BBQの時に出た、神のワインがオカシイから『調べてみる』って言ってたじゃないですか」
「え? 神のワイン? 知らないよそんなの。ワインなんて飲んだっけ?」
 大変だ……、ワインの事がない事になってる……
 俺は顔面蒼白(そうはく)になり、固まってしまった……
「誠く~ん?」
「ご、ごめんなさい、勘違いでした。またBBQ誘ってください!」
 俺はそう言うのが精いっぱいだった。
「ん? あぁ、またね~!」
 俺は切れた電話を呆然(ぼうぜん)と見ながら立ち尽くした。
 教授の記憶が消されてる……クリスがやったのだろう。
 俺が教授と一緒にクリスの正体を探ろうとしたことも、バレているに違いない。
 いつ、俺の記憶が消されてもおかしくないのか……。
 調子に乗って、会社作ってエンジニアまで呼んでしまったが、俺はまな板の上のコイなのだ。人類のために動いているうちは問題なくても、役立たずだと思われたら最後、俺も記憶を消されて放りだされてしまうに違いない。
 今はただ、ひたすらに人類に尽くすしかない……か……。
 最初からそのつもりではあるが、教授の記憶があっさりと消されているのを目の当たりにすると、さすがに内心穏やかではいられなかった。

           ◇
 
 田町駅から徒歩六分、住宅地エリアに立つ、デザイナーズ・メゾネット・マンション、ここが契約予定の株式会社Deep Childの本店所在地だ。
 玄関を開けると……ヒノキの爽やかな香りがする。
 洋室とクローゼットのドアを通り過ぎて廊下の突き当り、重厚な木製のドアを開けると……陽射しが降り注ぐ、吹き抜けの広大なリビングが広がっている。
「うわぁ、最高じゃないこれ!」
 美奈ちゃんは広々としたリビングで、両手を広げて上機嫌だ。
「ここが我々Deep Childの城ですよ、姫!」
 俺はにこやかに紹介する。
「素敵~!」
 美奈ちゃんはくるり、くるりと回りながら、広い室内を堪能している。
「あの上は何になるの?」
 階段を上がった、上の部屋を指す。
「あそこは仮眠室とか実験室だね。」
 メゾネットタイプだから、二フロアがくっついていて、リビングの階段で上のフロアに行けるのだ。
「ふぅん、なんか贅沢(ぜいたく)~! で、私の席はどこになるの?」
 ニコニコしながら、首をかしげて聞いてくる。
「今なら、どこでも好きに選べますよ、姫」
「う~ん、じゃぁこの窓際がいいな!」
 美奈ちゃんはスタタタと走り、窓際で両手を上げた。
「じゃぁそこね」
 タブレットの間取り管理ソフトに机と椅子を配置し、『姫』とタイプした。
 
「僕はどこ?」
 修一郎もうれしそうに聞いてくる。
「お前はフリーアドレスだな。この辺にでかいテーブル置くから、来たら好きな所に座りなさい」
「えー、何? ちょっとそれ差別じゃない?」
「わかったよ、じゃ、ここ、トイレの前」
「えー!」
 不満顔の修一郎。
「仕方ないな、じゃぁマーカスの隣でいいよ。ちゃんと英語で仲良くしてよ」
「え、英語かぁ……」
「天下の応京大生が、英語でビビる訳ないよな?」
「も、もちろん……そうだけど……。あ、俺やっぱりトイレの前がいいな、良くトイレ行くし!」
 ビビってやがる。情けない。まぁ人の事は言えないが……。
 
「…。私はフリーアドレスでいい」
 クリスは控えめにそう言ったが、神様に席が無いというのはちょっとマズい。
「あー、クリスは俺の隣にお願い。すぐに相談できる所に居て欲しい」
「…。そうか? まあ社長に任せるよ」
「じゃぁ、俺とクリスはここね!」
 俺はタブレット上で机や椅子、パーティションを並べ、数を数えた。
 それからプリンタやネット機器、冷蔵庫に電子レンジ、必要そうなものを全部リストアップし、適当にネットで発注しておいた。
 一週間もすれば、オフィスとして稼働できるようになるだろう。
 
 俺はフローリングの床に大の字になって寝た。
 レースのスクリーン越しに、太陽がキラキラと光の粒子を放つ――――
 俺はここに、神様と天才と百億円を集めた。人類を救う守護者を生み、育てるために。
 放っておくと人類は衰退して消え去るしかないが、我々の子供はきっとそんな人類を救ってくれる。
 もちろん、AIの暴走リスクは常にあるが、俺達が心を込めて育てた子供なら、きっと温かく人類を支えてくれるだろう。
 それが僕らの戦略であり、深層守護者『シアン』に託す想いなのだ……。

       ◇

「誠さん! そんな所で寝てたら踏むわよ!」
 寝てる俺をゲシゲシと美奈ちゃんが蹴ってくる。
「うわ! 何すんだよ!」
 俺の感傷は一顧だにされず、蹴られて隅に追いやられる。社長とは一体……。
「いい? 見てて!」
 そう言って、ニコッと笑うと、美奈ちゃんはステップを踏み始めた。
 
 軽く跳んで、右に左にステップを繰り返し、腕をクロスから伸ばし、戻す。
 
 静かな部屋にトン、タタン、トン、タタン、という美奈ちゃんのステップ音が響く。
 そして、髪をぐるっと回すと、思い切り胸を反らし、指先は大きく弧を描く――――
 それはまるで空間を切り取る絵筆のように、オフィスに聖なるアートの世界を形作った。
 トン、タタン、トン、タタン、
 軽快なステップで、足先はフローリングの床を打楽器のように叩き、心地よいリズムがオフィス全体にこだまする。
 トトトン、トン、タタン、
 クリスは『人生はステージ』だと言う。なるほど、美奈ちゃんはこうやってステージ上で輝くのだ。
 美奈ちゃんはクルリ、クルリと回って、鳥が羽ばたくように両手を大きく開く……
 俺はその神聖なまでに美しい、指先の軌跡に心奪われた。
 トン、タタン、トン、タタン、
 陽射しの中で舞う美奈ちゃんは、影とデュエットするように光の粒子を身に(まと)いながら空間を支配した。
 タタタン、トン……、トン……、トン……
 最後、美奈ちゃんは、しゃがんで手を伸ばし、片手で顔を覆い……、静かに止まった。
 パチパチパチパチ
 俺たちは熱を込めた拍手で称える。
 まだ、舞いのリズムが、指先の表情が、余韻として心に響き、俺は頬が火照るのを感じていた。
 美奈ちゃんは息づかい荒く、水のペットボトルを取ると、ゴクゴクと飲んだ。
「美奈ちゃん、良かったよ」
 俺が声をかけると、
「新たに入居する時は、神様に貢物(みつぎもの)がいるのよ」
 と、さも当然のように話す。
 地鎮祭みたいな物なのだろうけど、ずいぶん古風な考え方だ。
「あ、じゃ、今の舞いは神様への奉納なんだ」
「まぁ、挨拶みたいなもんよ、祭りの始まり」
 そう言いながら美奈ちゃんはハンドタオルで汗を拭いた。
「もしかして、神様の事見えてるの?」
 俺がそう聞くと、美奈ちゃんは眉をひそめ
「……。見える訳ないじゃない。バカなの?」
 あきれた顔して罵倒した。
 バカ呼ばわりされてしまった……。
「あ、でも、見てる神様(・・)はいるわよ」
 そう言ってニヤッと笑うと、また水を飲んだ。
 確かに美奈ちゃんの舞いで、オフィスに何かのスイッチが入ったのが感じられる。それが何なのか分からないが、特別なステージとしての品格が備わった印象を受ける。美奈ちゃんの言葉通りなら観客は神様だが……それは確かめようもない。
 それにしても、オフィスを見に来ただけなのに、感動のステージに心奪われてしまった。かなり年下の女の子に圧倒され、俺はアイデンティティが揺らぐ思いがする。
 美奈ちゃんは当たり前のように、人生というステージで美しく輝いている。では、俺はどうだろうか? 誰かに感動を届けたことなんて、一回でもあっただろうか? 俺は思い返すが……、仕事で、技術で、いろいろな人と会ってきたが、彼らに感動を届けられた手ごたえなど一度もない。
 俺は少し考え込んでしまった。必死には生きてきたが、地味でパッとしない人生だった。人生というステージに上りながら、このまま輝かないまま一生を終える……そんな生き方は嫌だ。
 俺は大きく深呼吸をし、さっきより明るく見えるオフィスを見回し、決意を新たにした。
『俺は輝くぞ!』
 そう、このオフィスで俺は輝いてやるのだ。
 美奈ちゃんの舞いは俺の魂に火をつけた。
 美奈ちゃんにより清められたオフィスで、Deep Childはいよいよスタートする。人類の命運を乗せて――――