気が付くと、俺は真っ暗な所で宙に浮いていた。
『あれ? 俺は何をしていたんだっけ?』
 頭の奥がモヤモヤする。どうも思考が定まらない。
 暗闇をボーっと見ていると、光の点や光の雲がゆっくりと動いている様子が浮かび上がってきた。
『あれは……何だろう? ここは……どこ?』
 しばらくボーっと見ていると、目が慣れてきて全貌が明らかになってきた。それは天の川がドーンと斜めに走る壮大な星空だった。
『え?』
 驚いていると、ゆっくりとした身体の回転に合わせて巨大な円弧が視界に入ってきた。
 俺は思わず円弧の方を見る。
 すると、そこには黄土色の巨大な惑星と、それを囲む巨大な()が圧倒的な存在感を放っていた。土星(サターン)だ。
『おぉぉ……』
 眼下にどこまでも広がる広大な環、それは無数の筋を伴って美しい円弧を描きながら巨大な惑星を囲んでいた。
 土星(サターン)の表面には赤や黄色、青色の筋が走り、それらが繊細なグラデーションを演出しながら魅惑的な色彩のオーケストラを奏でる。さらにそこに環の影が無数の筋を描き、その美しさに凄みを与えていた。
 まさにアート、こんな巨大なアートは見た事が無い。俺はその荘厳な(たたず)まいに気圧され、しばらく息をのんだまま茫然(ぼうぜん)としていた。
 太陽系の中では木星に次いで二番目に大きな惑星、土星(サターン)。大きさは地球の九倍もある。そして、その環もまた、地球の十倍くらいの幅を持って広がっている。ただ、環の厚みは極めて薄く、十メートルくらいしかない。
 俺はしばらくその威容を誇るアートに見入っていた。
『これは凄いな……』
 そう言って、声が出ていない事に気が付いた。ここは宇宙空間で空気が無いのだから当たり前だ。でも、なぜ俺は平気なのだろう?
 不思議に思って自分の身体のステータスを見てみると、気圧差無効、体温自動調整、酸素濃度自動調整など、すでに宇宙で平気なように設定がされていた。この設定が無いと土星に転移するなり爆死してしまうので、ちゃんと考えられているようだ。
 と、ここで、バルディックと戦闘中だったことを思い出した。彼の事だからすぐに追いかけてくるだろう。俺は急いで土星(サターン)の環の中へと跳ぶ。土星(サターン)はガスの惑星で身を隠せるところが無いから、環の方が好都合だった。
 環は遠くから見ると板の様だが、実際は氷の塊が点々と浮いているだけのスカスカな空間だ。氷のサイズは環の場所によって異なるようで、小石サイズから自動車サイズまである。
 俺は自動車サイズの氷がぽつぽつと浮かぶところを選び、大きめの氷の裏に隠れた。
 そこはまるで氷河の中みたいだった。弱い日差しが氷の塊を照らし、鮮やかな水色にほんのりと光る。とても癒される。
 俺は、真空中ではあるが大きく深呼吸し、深層心理に潜って天王星(ウラヌス)へのルートのハッキングに着手した。
 まずは土星(サターン)のシステムに入り、その構造を見ていく。構造そのものはどこの星でも似たようなものだ。
 しかし……いくら探しても管理機構が見つからない。管理機構がないシステムなどあり得ないが、これだけ探しても無いとなると意図的に隠ぺいしているとしか考えられない。そして、そういう隠ぺいは天王星人(ウラニアン)にしかできない。つまり、俺は天王星人(ウラニアン)に拒否されているらしい。
天王星人(ウラニアン)! お前もか!』
 俺は怒りで氷をガンと叩く。
 要は天王星人(ウラニアン)も差別主義者って事だ。俺が差別撤廃する事を気に食わないのだろう。だからこんな嫌がらせを仕掛けてくる。
『上等だ! お前ら絶対土下座させてやる!』
 俺は漂ってきた小さな氷塊を手に取ると、強化した握力でバシュッと握りつぶした。
 しかし……状況は最悪である。天王星(ウラヌス)へ行けないという事は、ここ土星(サターン)でバルディックと闘わねばならないという事。ここは奴のホームだ、とても勝てる気がしない。
 創導師(グランドリーダー)の力というのは運命を操る力、直接戦闘力を高めてくれるわけでもない面倒な力だ。なるべく戦闘を回避しながら、明るい未来を引き寄せるしかない。しかし……どうやって?
 俺は土星(サターン)のシステムに入り、戦闘に使えそうなライブラリを漁って攻撃スクリプトをいろいろ書いてみるが……、こんな一般向けライブラリを幾ら組み合わせても、戦闘力は土星(サターン)の王であるバルディックには遠く及ばないだろう。
『なんてこった……』
 このままだと殺されてしまう。俺は不安と絶望で心臓が苦しくなった。
 しかし、諦めたらそこで試合終了である。
 俺は目を瞑り、チマチマと攻撃スクリプトの開発に入った。当てたらセキュリティをハックして爆発するようなスクリプトである。こんなのが通用するとは思えないが、今は何でもできる事をやっていくしかないのだ。

       ◇

 一通り開発が終わり、シールドを張って珈琲で一休みしていると、その時がやってきた。
『小僧! そこにお前が隠れていることは分かってるんだ、出てこい!』
 急に思念波が飛んでくる。バルディックだ。
 俺はそーっと氷塊の陰から辺りを見回す。
 すると、遠くの方で環の上に何か巨大な物が動いている。
 何だろうと思って、そちらの方にビジョンを向け拡大させて、俺は唖然(あぜん)とした。
 それは巨大な戦艦、それもこの巨大な砲塔は見た事がある……間違いない、戦艦大和だ。子供の頃に同級生が自慢しているのを遠くから眺め、目に焼き付けていた史上最大の46センチ主砲三基九門が天の川をバックにいぶし銀の威容を誇っていた。
『小僧! もう逃げられんぞ!』
 バルディックの(いや)らしい声が脳に響く。
 戦艦大和は壮大な土星(サターン)の環の上で、氷塊をガンガン弾き飛ばしながら疾走している。その世界最大の戦艦の、天を衝く艦橋、その後ろの巨大な煙突、俺はその精悍(せいかん)ないで立ちに思わずくぎ付けになった。一度も活躍する事なく海の藻屑(くず)と消えていった世界最強の伝説の戦艦、それが今目の前で生き生きと疾走している。子供の頃、欲しくてたまらなかったプラモデル、その本物が今、目の前にあるのだ。敵の登場だというのに、俺は思わず胸がじーんと熱くなって、思わず涙が出そうになった。
 俺がボーッと見とれていると、主砲が動き出しこちらを向いた。まさかと思っていると、なんと主砲が火を噴いた。俺は急いで数キロ程上に跳ぶ。砲弾は俺が居たあたりに次々と着弾し、氷塊が派手にはじけ飛び、環には大穴が開いた。
『本当に撃ちやがった……狂ってる……』
 俺が唖然(あぜん)としていると、
Pow(パン)
 衝撃波が頬を打った。この距離でこの威力、とんでもない破壊力だ……。
 すると、いきなり大和が消えた。嫌な予感がして後ろを向くと、すぐ後ろにそれはいた。
 25ミリ三連装機銃など数十門の砲塔がこちらに狙いを定めて動いてる。すさまじい迫力に、恐ろしいを通り越して呆気に取られてしまった。
『観念しろ、小僧!』
 バルディックの吠える声に合わせ、それらは俺に向けて一斉に火を噴いた。
 俺は逃げながらすかさず何重にもシールドを張ったが、砲弾はシールドを軽々と貫通し、俺の身体をかすめていく。やはりバルディックの攻撃は土星(サターン)のシステムでも特別扱いになっているようだ。見た目はクラシックな兵器でも中身は土星(サターン)最強の破壊力だ。
 俺はジグザグに逃げながら、必死に策を練る。
 試しにイマジナリーで大和を捉えようとしたが、逆に攻勢防御がかかってしまって危なかった。と、なると……物理攻撃しかないが、そんなもの効くのだろうか?
 俺は環にあった自動車サイズの氷塊を捕捉すると、設定上限の秒速千キロで大和にぶつけてみた。
 一瞬で吹っ飛んできた氷塊は大和の左舷前方に着弾、核爆弾レベルの大爆発を起こした。激しい閃光は土星(サターン)の環を眩しく照らし、熱線が俺を貫く。直後、衝撃波が俺を吹き飛ばす。想像以上のエネルギーにむしろ自分が焼き殺されるところだった。
『はっはっは! 無駄無駄無駄! 大和に物理攻撃など効かんよ!』
 響くバルディックの罵声(ばせい)……。俺がこんなにダメージを負っているのに、大和は無傷だった。そして何もなかったかのように機銃掃射を続けてくる。残念ながら予想通り、俺の攻撃スキルでは全く勝負にならない事が判明してしまった。
 もう逃げ続ける以外仕方ない、俺は土星(サターン)の裏側に跳び、そして高速にかつ、ジグザグにランダムに移動しながら策を練る。
 大和は追いかけて来て機銃を乱射してくるが、広大な宇宙空間ではそう簡単には当たらない。それでも、バルディックは俺をいたぶるつもりなのか、焦る事も無く淡々と機銃を乱射し続ける。
 俺はその間にも必死に土星(サターン)のシステムをハックし、解決策を探す。少なくともまず防御を何とかしないと、いつかは殺されてしまう。俺は必死に防御系のスキルを探した。隠しステータスの中に『物理攻撃無効』があるのを確認したが、厳重なセキュリティがかかっていてどうしても有効にできない。じっくりと時間をかければ何とかなるとは思うが、弾を避けながらできるような作業じゃない。
 と、その時、25ミリ弾が俺をかすめる。
 少しずれていたら死んでいた……。思わず冷や汗が流れる。
 と、この時、ふとアイディアが浮かんだ。
 もしかしたら……。
 俺は弾を追いかけて捕まえる。
 そして、弾のステータスを見ながら観察すると、この弾の周囲には案の定『物理攻撃無効』のステータスがついていた。俺はそれを確認すると、弾を丁寧に解体し、ゆっくりと弾を引き延ばし、人が入れる巨大シャボン玉のように薄く大きく広げた。
 このシャボン玉はどんなに薄くても『物理攻撃無効』がかかっているので外から叩くとカンカンと堅く、内側からだと布のように柔らかだった。
 そこで、俺はこのシャボン玉の中に入り、シャボン玉を収縮させて体表に密着させる。髪型が若干不自然にはなったが、これで一応『物理攻撃無効』状態は実現できた。
 実際、その後何発か弾が当たったがビクともしなかった。

         ◇

 しばらく逃げ回っていたが、バルディックは淡々と俺を攻撃し続ける。接近戦にして一気に勝負を決めに来るかと思ったが、なぜか距離を詰めてこない。
 ここで俺は気が付いた、バルディックもこちらを警戒しているのだ。創導師(グランドリーダー)の力は、俺ですら把握しきれない不思議かつ最強な力だ。そんな得体のしれない力の持ち主とは距離を取りながら、淡々と殺した方がいいと思うのは当然だ。
 で、あれば……
 俺は大きく息を吐くと覚悟を決め、戦艦大和の前方甲板に向け転移をした。

        ◇

 甲板の上では疑似重力があるらしく、普通に立つことができた。
 降り立ってみると、改めてその世界最大の戦艦の圧倒的な存在感に、俺は心を奪われた。
 目の前に(そび)える巨大な主砲、そしてその後ろの厳つい艦橋、昔憧れた戦艦大和に俺は今立っているのだ。敵地に来たのに、俺は胸が熱くなった。男の子なら誰もが憧れる伝説の世界最強の戦艦、そこに今、立っているのだ。
 甲板は上質な台湾ヒノキ製で、緩やかなカーブを描きながら排水しやすい構造になっている。エンジニア達の職人魂がひしひしと感じられる、まさに芸術品ともいうべき(たたず)まいに思わず身震いするほどだった。
 また、主砲の前には巨大なウインチがいくつも並び、本物そっくりな出来に思わず感心してしまう。
 主砲を観察しようとしたら、背中に何かが当たった。振り向くとバルディックが銃を片手にムッとした表情で立っていた。どうも撃たれていたらしい。
 バルディックは真っ白で金ボタンの詰襟、帝国海軍の軍服に身を包み、背筋をビシッと伸ばして俺を見下すようにしながら言った。
『小僧、どうやってそのスキルを手に入れた?』
 俺は試しに思念波で返してみる。
『あなたにできる事は私にもできる。それより、この大和は何なんですか?』
 伝わったようで、バルディックはニヤッと笑って答える。
『何って、戦艦大和は私が作ったのだよ』
 あまりにも意外な返事に、俺は戸惑いを隠せなかった。