確かに、美奈ちゃんは訳の分からない早業で、勝ったのは勝った。しかし、あの異常な回答速度はインチキ臭かったのだ。
「あー、最初負けたじゃん?」
「最後には勝ったのよ!」
 そう言って、誇らしげに胸を張る美奈ちゃん。
 
 由香ちゃんは何の話をしているのか、ポカンとしている。
「昔、二台のタブレットで早解きを競ったんだよ」
 俺がそう説明すると、
「先輩もやってみれば分かるわ!」
 そう言って、悪だくみをする美奈ちゃん。
「二次方程式の答えを、早く解答した方が勝ち、って話?」
「そうそう、応京大生なら赤ちゃんに負けちゃダメよ!」
 美奈ちゃんはナチュラルにハードルを上げる。
「いやいや、シアンはまだ●の数しか答えられないんだから、勝負はまだ先……」
「誠さん! 由香ちゃんばかり贔屓(ひいき)してる~!」
 俺を非難の目で見る美奈ちゃん。
「いや、シアンにはまだ解けないって……」
「やってみなきゃわからないじゃない! 私の時はぶっつけ本番でやらせたくせに!」
「いや、また日を改めてね……」
 しどろもどろの俺を見て、由香ちゃんは、
「誠さん、大丈夫ですよ、二次方程式解けばいいだけですよね?」
「そ~う、そう! 簡単よ!」
 ちょっと意地悪な顔でそう言う美奈ちゃん。
「あ~……。じゃ、やるだけやってみる? まだ競争とか言うレベルじゃないと、思うんだけど……」
 由香ちゃんに予備のタブレットを渡した。
「シアン、難しいかもだけど解いてみてごらん」
 俺は競争の準備を整えた。
「では、用意……スタート!」
 タブレットの画面に二次方程式の問題が出る。
 画面をじっと(にら)む二人。
 マウスの時の学習回路が、シアンの中でどこまで生きてるかがカギだろう。大幅に構造は変わってしまったから、いきなりでは動かないと思っているのだが、どうだろうか。
 二人とも必死に画面を(にら)む。
「あー、これは答えの選択肢を代入しちゃえば速いのね!」
 そう言って、暗算し始める由香ちゃん
 その隣でシアンが、おもむろに正解をタップ!
 ピンポーン!
「え!?」
 由香ちゃんが思わずシアンを見る。
 一度解き方が分かったシアンは、無敵だ。
 ピンポーン!ピンポーン!ピンポーン!ピンポーン!ピンポーン!ピンポーン!ピンポーン!
 あーあ……。
 由香ちゃんは唖然(あぜん)として凍り付いた。
「シアンちゃん……あなた……」
「先輩! 応京大生として勝たなきゃダメですよ!」
 美奈ちゃんがニヤニヤしながら言う。
「こんなの勝てる訳ないわよ……」
 由香ちゃんがしょげる。
「私は勝ったわよ! ね、誠さん?」
「まぁ、確かに勝った……かな?」
「何よ! その歯切れの悪い言い方!」
 膨らむ美奈ちゃん。
「え? 美奈ちゃん本当にこれに勝ったの?」
「そうよ! 血のにじむ苦労を重ねて圧勝したのよ!」
「あー、勝敗はあまり関係ないよ、要はシアンが、ちゃんと成長してるかどうかを体感してもらうための……」
「何言ってんの!? 勝負は勝たなきゃダメなのよ!!」
 妙にこだわる美奈ちゃん。
「じゃぁ美奈先生! 模範演技をお願いします!」
 由香ちゃんが、美奈ちゃんの手を取ってお願いする。
「え?」
 墓穴を掘る美奈ちゃん。
「確かにそこまで言うなら、勝者のお手並みを見せた方がいいかと……」
 俺も控えめに追い込む。
「い、いいわよ! その代わり、私が勝ったら『シアンのママ』の称号はもらうわよ!」
 また意地悪な事を言い出した……。
「え!? そ、それは……」
 うつむく由香ちゃん。
「勝負は命がけよ! 何かご褒美が無きゃできないわ!」
 美奈ちゃんは意地悪な笑顔でにっこり笑う。
 由香ちゃんは、しばらくうつ向いていたが、意を決して顔を上げ、鋭い視線で美奈ちゃんを見た。
「……。いいわよ、その代わり、負けたらオフィスで、誠さんにベタベタするの止めてね」
 美奈ちゃんの表情がこわばる。
 なぜそこで俺が出てくるのか?
「え!? ちょっ……」
 言いかけた俺の言葉をさえぎって、美奈ちゃんが怒りを込めた低い声で言う。
「ベタベタって何?」
「ハグしたりキスしたり、良くないと思うわ」
 なんだかヒートアップしてきた、マズい感じがする。
「先輩だって、こないだハグしてもらってたじゃない!」
「誠さんからするのはいいの! 女の子から頻繁に行くのは、ちょっと見苦しいわ」
 にらみ合う二人。
 部屋に緊張が走る。
 
「ふ~ん、じゃ、条件を変えるわ」
 美奈ちゃんは俺をちらっと見た。
 そしてニヤッと笑いながら由香ちゃんに言う。
「私が勝ったら、いつでもどこでもベタベタするわよ! 負けたらやらない! これでどう?」
 俺はたまりかねて口をはさむ
「ちょっと待って、二人とも、冷静に……」
「誠さんは黙ってて!」「誠さんは黙ってて!」
 二人がハモりながら、有無を言わさない圧力で俺をにらむ。
「は、はぃ……」
 俺に関する話なのに、もはや俺の意思は関係ない女の戦いへとシフトしてしまった。
 由香ちゃんは美奈ちゃんをにらむと、
「いつでもどこでもベタベタ、って猫じゃないんだから、おかしいわよ」
「実際にベタベタするとは言ってないわ、権利の問題よ。負けたらダメだと禁止されるなら、勝ったら自由にやらせてって話」
 しばらく由香ちゃんと美奈ちゃんは、にらみ合った。二人の間には見えない火花が、激しくバチバチ飛び散っている。
 俺はおろおろするしか、できなかった。
 由香ちゃんが口を開く。
「……。分かったわ、その代わり、相手はシアンじゃなくて私がやるわ」
「え? 先輩が?」
 ちょっとバカにした感じで笑う。
「私だって応京大生よ、なめると火傷するわよ!」
 いつになく強気である。でも、前回の美奈ちゃんの高速解答の姿を、見てる俺としては、由香ちゃんが勝てるとは思えない。
「いやいや、由香ちゃん、美奈ちゃんの解答速度は異常だよ。普通にやったら絶対勝てないって」
「強敵なのは知ってるわ。でも、女には逃げてはいけない勝負、と言うのがあるの」
 由香ちゃんは誇り高き勇士のように、一分のブレもなく言い放つ。
 いや、これは逃げていいと思うのだが……。
 
「ただ、一問勝負、新問題にして」
 由香ちゃんは条件を出す。
「ふぅん、考えたわね……、いいわよ」
 美奈ちゃんは余裕の笑みを浮かべる。
 え? 美奈ちゃんは新問題でも大丈夫なのか?
 俺はてっきり、正解を暗記してたのだと思ってたのだが……。
 
「誠さん、早く準備して!」
 由香ちゃんに急かされて、新しい問題を作ってタブレットにセットした。
 雨降って地固まるという事もあるし、まずは正々堂々戦ってもらうのが一番かもしれない。
 俺はテーブルの席にタブレットを一台ずつ配置し、座ってもらった。
 
 二人はそれぞれ目を瞑って何かを思っている。勝負は一瞬で決まる、精神の集中具合が勝敗を分けそうだ。
 
「はい、準備は良いかな?」
 二人はゆっくりとうなずいた。
 
「俺としてはこんな勝負は……」 そう言いかけたら
「いいから早くやって!」「いいから早くやって!」
 また二人にハモられた。
 実はこの二人、息ピッタリじゃない?
 
 オホン!
 軽くせき払いをして――――
「それでは始めます……」
 張り詰めた緊張感が、部屋中を覆う。
「用意! ……スターッ」
 
 ピンポーン!
 
 由香ちゃんのタブレットが鳴り響く。
 えっ!?
 俺も美奈ちゃんも唖然(あぜん)とした。
 俺が開始の信号を、タブレットに送ったと同時に、由香ちゃんは解答をタップしたのだ。
「はぁ!?」
 思わず固まる美奈ちゃん。
 無言で力強く、ガッツポーズする由香ちゃん。
 その姿はまさに神懸って見えた。
「私、この手の勝負で負けた事ないの……」
 由香ちゃんは満面の笑みで美奈ちゃんを見る。
 
「ハッ、ハハッ、ハッハッハ、ハッハッハッハッハー!」
 美奈ちゃんが笑いだした。
 
 俺は由香ちゃんに聞く。
「問題見ずに押したよね?」
「え? ちゃんと問題見て、解きましたけど何か? 私の勝ちですよね?」
 にっこりと笑顔で返す由香ちゃん。
 
 いやいや、解けないって。
 問題表示とほぼ同時だったから、最初から押すボタンを決めていたのだろう。決め打ち。勝率は50%、すごい賭けに出たな。
 
「うん、まぁ、文句なく由香ちゃんの勝ちだけど」
 
 美奈ちゃんは延々と笑っている。
「ハッハッハッハッ……ヒー、おかしい!」
「何がそんなにおかしいのよ!」
 憤慨して由香ちゃんが言う。
 
 美奈ちゃんはビクッとし、大きく深呼吸して居住まいを正す。
 そして、急に真剣な目で由香ちゃんを見て言った、
「先輩! 先輩の漢気に()れました! 付き合ってください!」
 いきなり愛の告白を始めた。
 
「え? 何? いきなりどうしたの?」
 うろたえる由香ちゃん。
「私、人間に勝負で負けたのは、初めてかも知れない。ビビッと来ました、先輩!」
 美奈ちゃんは立ち上がると、由香ちゃんに迫った。
 人間にって……まぁ確かに前回はAIのマウスだったけど……。
 
「え? 私は……そういう気はないから、女性とは付き合えないのよ」
 席を立ち、後ずさりする由香ちゃん。
「えー? 女同士も……いいものよ。ふふふ」
 そう言いながら、危険な眼で由香ちゃんの手を、ガシッとつかむ。
 
 さすがにまずいので、
「美奈ちゃん、こういう嫌がる事しちゃダメだよ」
 美奈ちゃんの手を押さえて諭す。
「そ、そうよ、気持ちはうれしいけど、私には応えられないわ」
「えーっ!? この気持ち、どうしたらいいの?」
 由香ちゃんの胸に飛び込む美奈ちゃん。
「柔らか~い……。せんぱ~い、もう離さない……」
 由香ちゃんは仕方なくハグし、困った顔を俺に向ける。
 俺は肩をすくめて首をかしげた。
 
 心のままに生きるというのは、こう言う事だよね。
 本人は良いかもしれないけど、周りは大変だわ。






 
 
 
4-13.救世主の敵、告白
 
 シアンの育成は順調だ。ある刺激に対して適切な反応を返す。それも人間よりもかなり高度に返す。
 しかし、ここまでなら、今までのAIと本質的に変わらない。シアンが人類の守護者たるには、自我を持って、自発的な行動をできるようになる必要がある。
 基本的な学習が済んだ今、いよいよシンギュラリティに達するかどうか、が焦点になってきた。
 
 今、俺の生活はシアン中心の生活だ。
 朝起きてから寝るまで、ほぼシアンとべったりなのだ。
 シアンを胸に抱きながらmacで資料を作り、書類にハンコを押す。
 由香ちゃんなどのメンバーと交代できるし、クリスがいるから病気の心配はないし、夜もぐっすり寝られるわけだが、それでもしんどい。
 一般の子育て家庭は、一体どうやっているのか、想像を絶する。
 夜中も一時間おきに起こされるとか、看病するとかしているのだろう。その気の遠くなるような戦いに、脱帽せざるを得ない。
 俺もママには相当迷惑をかけたのだろう、確かにシングルマザーがこれを一人でやったら心を病んでも仕方ないのかもしれない。だからと言って子供を捨てていい訳ではないが、ママが背負っていた闇を少しだけ理解できた気がした。

          ◇
 
 俺がmacを叩きながら、シアンにおもちゃを渡すと
「ちが~!」と、おもちゃをはたき落とされた。
 横で見ていた由香ちゃんが、別のを渡すと
「あい~!」と、言って、満面の笑みで受け取った。
 好き嫌いは自我が芽生えてきた証拠、好ましい事ではあるのだが……。
 もしかしたら、俺が嫌われているだけなのかもしれない。
 その場合も好ましいこと……なのだろうか?
 人類の守護者のAIにとって、望ましい在り方というのは、実はすごい難しい問題だ。
 例えば愛憎で考えてみても、『愛』だけでは人間の事は本当には理解できない。でも『憎』が多すぎては人類にとって災厄になってしまう。
 基本に『愛』があり、『憎』は発現しても、すぐに『愛』に覆い隠されるようなバランスを作ると良いと思うのだが、それを実現するためにどう育てたらいいのかは、よくわからない。
 こればかりは、育てていく中で見極めないとならない。

         ◇
 
 さらに二週間くらい経つと、お座りとハイハイができるようになった。
 なんという成長速度だろう。こんなに早く育ててしまって、本当に大丈夫なのだろうか。
 まぁ二次方程式を瞬時に解答できるのだから、もっと育っていてもいいのかもしれないが……。
 
 変わりばんこにメンバーが、シアンの相手はしているが、もはや我々が相手にするだけでは、シアンの好奇心を満たせなくなってきた。
 次はコンテンツを与えてみよう、という話になり、NHKの教育番組を見せることになった。
 由香ちゃんがあぐらをかいて、シアンを足の上に乗せてTVを点けた。ちょうど歌の番組をやっている。
 最初シアンは、何が起こったのか、怪訝(けげん)そうな表情だったが、すぐに気に入って、画面を食い入るように見つめた。
「はい、シアンちゃん、お手々叩きましょうか?」
 由香ちゃんは、シアンの両手を持って、パンパンとTVの音楽に合わせて叩いた。
「はい、パンパンパン、パンパンパン」
 シアンはどういう事か、最初は戸惑っていたようだが、
「ぱんぱんぱん……きゃははは!」
 どうやら気に入ったようである。
「ぱんぱんぱん……ぱんぱんぱん……きゃははは!」
 
 音楽も大切な人類の文化、こうやって、身体を使って音楽を楽しむ事が、人類の守護者には必要だ。
 そのうちシアンは、転がっているおもちゃを叩き出した。
 コンコンコン!
「あら、シアンちゃんお上手~」
「きゃははは!」
 それに気を良くしたのか、シアンはTVそっちのけで、転がっているおもちゃを次々と、叩き始めた。
 カン!
 キンキン!
 ゴッゴッ!
 カカカカ!
 
「これは何をやってるんでしょう?」
 由香ちゃんは俺に聞く。
「いい音が出るおもちゃを、探しているのかな?」
「楽器探しって事ですか?」
 そこに美奈ちゃんが入ってくる。
「由香の姉御! おはようございます!」
 美奈ちゃんはあれ以来、由香ちゃんに絡むようになってる。
「おはよう美奈ちゃん。『姉御』は止めてって言ってるでしょ!」
「了解です! 姉御!」
 どうやら通じていないらしい。
「誠さんに変な事されてないっすか?」
「変な事って……何?」
「ハグとかキスとか……」
 一体俺を、何だと思っているのだろうか?
「大丈夫です!」
 由香ちゃんが少し赤くなって答える。
 美奈ちゃんは由香ちゃんにピタッとくっついて、こっちを(にら)む。
 シアンは大人の事情には無関心で、積み木を全部ぶちまけて、一つ一つ音の違いをチェックしている。
 カンカン!
 コンコン!
 
 すっかり匠である。
 
「で、シアンはこれ、何してるんすか?」
「どうも楽器を作ろうと思ってるらしいのよね……」
「楽器!」
 シアンは納得いくまで積み木の音をチェックしたら、今度は積み木を並べて叩き始めた。
 コンコンカン!
 コンコンカン!
「きゃははは!」
 ご満悦だ。
 
「あら、シアンちゃん、さすがだわ!」
 由香ちゃんがシアンの頭を愛おしそうに撫でた。
 
 美奈ちゃんはムッとした感じで、積み木をいくつか並べると
「シアン、こうよ!」
 コココッカン!
 コココッカン!
 カンカンコココッカン!
 と、叩いて見せた。
 シアンは
「きゃははは!」と、喜んでる。
「由香の姉御! 私もさすがでしょ?」
 と、両手を広げてハグを求める。
 俺は困惑する由香ちゃんを代弁して、
「いや、美奈ちゃん、それは無理筋じゃないかな……?」
「何よ! シアンの教育にこれだけ貢献しているんだから、ご褒美が必要だわ!」
「分かったわ、美奈ちゃん、よくできました!」
 由香ちゃんが美奈ちゃんをハグしてあげる。
「きゃははは!」
 シアンはなぜかうれしそうだが、俺は腕組みして悩む。
「うーん、何かがおかしい気がする……」
 その後、シアンは
 コココンカン!
 コココンカン!
 と、上手にリズムを取り出した。
 とは言え、まだ腕の筋力が足りないので、これ以上は厳しそうだ。
 俺はタブレットにパーカッションアプリを入れる。
 タップするだけで、ドラムの音が出るので、これならシアンでも行けそうだ。
 
 タブレットをシアンにわたすと
「うわー!」
 と、言って、受け取って、手のひらで画面をバンバン叩いた。
 叩くたびに
 
 ポン、ポン、カコン!
 といろんな音が出る。
「きゃははは!」
 シアンは喜んで、両手でバンバン叩きまくる。
「シアン、貸してごらん!」
 美奈ちゃんが、横から器用にタブレットを指先で叩く。
 コッカッココカッ!ドッ!
 コッカッココカッ!ドッ!
 ドン!ココカッココカッカコンコン!
「きゃははは!」
 シアンは
「しぁんもー!」
 と言うと、タブレットを独り占めして、指先でたたき始めた。
 コッカッコココカッ!ドッシャーン!
 コッカッコココカッ!ドッシャーン!
「きゃははは!」
 絶好調である。
 
 美奈ちゃんは、演奏アプリを自分のスマホに入れて、ピアノでセッションし始めた。
 ジャーン、ジャジャ、ポンポロポロ♪
「きゃははは!」
 コッカッコココカッ! コッカッコココカッ! ドッシャーン!
 
 なるほど、これは乗らねばなるまい。
 俺はベースで由香ちゃんはサックス
 
 各自好き勝手に弾くが、そのうちだんだん合ってきた。
 ボーンボンボンボン……
 パーッパップロプロプロパパパパッパッパーパーパー!!
 ジャーン、ジャジャ、ジャーン、ジャジャ、ポンポロポロ♪
 ドコドコドコドコチャッチャチャタタンタンタン シャーン!
 数フレーズが上手くハマって
「きゃははは!」
 シアンは大喜びである。そうそう、こういう体験がシアンには大切なんだよ。
「イェーイ!」
 美奈ちゃんは、シアンの手を取ってハイタッチ。
 シアンも喜んで、今度は自分からハイタッチ。
 俺も由香ちゃんとハイタッチ。
 うれしくなって、目を合わしてニッコリ。
「あ、そこ! ダメ!」
 美奈ちゃんが由香ちゃんを捕まえる。
「もう、油断も隙もないわ!」
 そう言って俺をにらむ。
「なんだよ、ハイタッチくらいいいじゃないか!」
 俺が文句を言うと、
「次はハグしようとしてたくせに!」
「えー!?」
 酷い難癖である。
「誠さんにはハグする権利はないの!」
「そんな事ないよな、由香ちゃん?」
 俺は由香ちゃんに笑いかける。
「え、まぁ、時と場合によりますけど……」
 うつむいて、赤くなりながら答える由香ちゃん。
「ダメ! ダメダメ!」
 美奈ちゃんは由香ちゃんの胸に飛び込んで、聞き分けのない事を言う。
「だめ~! きゃははは!」
 シアンも真似して由香ちゃんの足にしがみついて笑う。
 カオスな状況に頭が痛くなる。
 
 と、そこにクリスが入ってきた。
「あー、クリス、ちょっと美奈ちゃんに何とか言ってやって」
 目をそらす美奈ちゃん。
 俺が事情を説明すると、クリスはしばらく考え込んでから言った。
「…。美奈ちゃん、あまり若い二人を困らせないであげてください」
 美奈ちゃんはクリスをキッとにらむと、何か言いかけて……やめて、低い声で言った。
「……ふぅん……まぁいいわ。私も一応20歳なんだけど……ね」
 美奈ちゃんはそう言うと、由香ちゃんにハグをして耳元で何かささやいてる。
 
 次に俺の所にやってきて、俺を不機嫌そうにギロっと(にら)むと、耳元でひそひそ声で言った。
「『ヤバい人』って実は私なの、内緒にしててくれたら今度教えるわ」
 そう言って胸を張り、ウィンクして部屋から颯爽と出て行った。
 
 俺は、いきなりのカミングアウトに動揺して動けず、出ていく美奈ちゃんを、ただ見送るばかりだった。
 
 由香ちゃんは
「納得してくれたようでよかったわ」
 と、晴れ晴れした表情だったが、俺はそれどころじゃない。
 でも、内緒という条件であれば……ここでは何も言えない。
「そ、そうだね……」
 お茶を濁すしかなかった。
 
 『ヤバい人』とは、未来の由香ちゃんが言っていた『ヤバい人』だろう。クリスを倒せる……つまり、クリスより強力な奇跡を使える存在の事。美奈ちゃんが、そんな『とんでもない奇跡』を発動できる……なんて事があるのだろうか?
 美奈ちゃんが『えいっ!』って魔法のようにクリスをうち倒す?
 さすがに無理がある。
 もし、そんな事ができるのだとしたら、なぜ女子大生なんてやっているのか? また、そんなすごい存在が、俺や由香ちゃんに、つまらないちょっかい出したりするだろうか?
 どう考えてもつじつまが合わない。単なる混乱目当てのブラフ、という線が強そうにも思う。
 そもそも、内緒にしていたら話す、というのはどういう事なのか?
 考えれば考えるほど分からなくなってくる。
 俺はしばらく考え込んでいたが、意を決して美奈ちゃんを追いかけた。
 急いでマンションを出て、駅の方へと走る。
 程なくして見慣れた後姿を見つけた。背筋をピンと伸ばした、モデルのような歩き姿にはオーラすら感じる。
「美奈ちゃん、美奈ちゃん」
 追いかけて声をかけると、こちらをチラっと見た。
「さっきの話だけどさ、美奈ちゃんは奇跡使えたりするの?」
 俺は思い切って聞いてみた。
「使えるわよ、このビル倒して見せようか?」
 表情一つ変えずに美奈ちゃんは、道路わきにそびえる巨大な高層ビルを指さす。
「えっ!?」
 俺は、太陽を反射して輝く摩天楼を見上げ、言葉を失った。
「それとも、地球消してみようか?」
 美奈ちゃんは意地悪な笑顔を浮かべて言う。
「そう言うのは困るけど……、本当……なの?」
「地球ならもう何百回も消してるわよ」
 おどけた感じで答える美奈ちゃん。
 俺は意図をつかみかねて返答に窮した。
 すると美奈ちゃんは急に立ち止まり、俺を指さして忠告する。
「そんな事より、あまりクリスを頼っちゃダメよ! 取り返しのつかない事になるわよ!」
 その真剣な目、有無を言わさぬ迫力に俺は気圧された。
「わ、わかったよ」
 そう返事はしたものの、クリスに頼ると何がまずいのかよく分からなかった。
「私、急ぐから」
 そう言って、カツカツと速足で雑踏の中に消えていく美奈ちゃんを、俺はボーっと見送る。
 『ヤバい人』で、地球を消せて、クリスの事を詳しく知っているらしい美奈ちゃん。こんなくだらない冗談を言うような娘ではないが、にわかに信じがたい話で俺は途方に暮れた。
 ここの所、美奈ちゃんには振り回されっぱなしだ……。