マウスとAI間の接続チェックが終わったら、次は基本動作の実装(インプリメント)。しかし、生体は仮想現実空間のロボットシアンと違って、何から何まで難しい。
 まず、水を飲ませる事すらできない。
 水を飲むというのは、実は極めて難しい事なのだ。
 水に口を近づけて、舌を出し、舌で水をくみ、それを勢いよく口の中に移動し、唇を閉じて、気管を締め、喉を動かし、食道に水をポンプのように送り出す。
 それぞれ一つ一つが、極めて精密な制御をおこなわないと、失敗してしまう難題だ。
 いくらロボットシアンで鍛え上げたAIでも、自動でそれらを学習するには試行回数が足りない。
 仮想現実上では何億回でも試行錯誤ができるが、生体の場合は試行する度に負担がかかるから、気軽には試せないのだ。
 エンジニアチームが、全精力をかけて一日中トライしたが、目途が付かず一旦ペンディングになった。
 人類史上誰も成功したことが無いレベルの挑戦なのだから、仕方がない。
 俺はねぎらうため、疲れ切ったメンバーたちを食事に誘った。
 
          ◇

 近所の、ちょっと汚いけど味は美味い中華屋に移動して、ハイボールで乾杯。
「Hey Guys! You did good today. Let's drink! (お疲れ様、飲むぞ!)」
「Cheers……」「Cheers……」「Cheers……」
 なんかみんな疲れてて、おざなりな乾杯だ。
 
 棒棒鶏をつつきながら、マーカスに聞いた。
「Do you think it can be solved?(解決できるかな?)」
「ワレワレハ カミノ チーム! フカノウ ナシ!」
 そう言って疲れた表情を押し殺し、腕組んで上腕二頭筋を膨らまし、ニカっと笑った。
 成功を疑わない彼の姿勢が少しまぶしく見えた。
「そりゃそうだよね、最後にはきっとうまくいく」
「そうそう、元気出して!」
 横から、美奈ちゃんがそう言って、にっこりと笑う。
「Oh! ミナチャン! ワタシ ガンバル!」
 途端に目の色が変わるマーカス。
 可愛い子に応援されると、男は無限のエネルギーが湧いてくる。
 単純で滑稽ではあるが これが人間と言う物なのだろう。女の子は偉大な魔法使いなのだ。
 そういえば、クリスに彼女を紹介してもらう話が、途中で止まっていたことを思い出した。
 
「クリス! 彼女を紹介してもらう話だけど……」
「…。まだ欲しいのか?」
「欲しい欲しい、今すぐ欲しい!」
 酔っぱらって調子づいてる俺をチラッと見て、クリスは言った。
「…。ガッつくとうまくいかない」
「あー、そうだね。でも、とりあえず候補と会うくらいは……」
 クリスは、エビチリをつつきながら言った。
「…。どういう娘がいい?」
「うーん、優しくて、俺をたててくれて……、可愛くて、自己主張が激しくない娘?」
 クリスは俺を一瞥(いちべつ)すると、
「…。該当者0名!」
「え―――――! なんで!?」
「…。そんな都合の良い、奴隷みたいな娘は、現代ではファンタジーだ」
 クリスは油淋鶏(ユーリンチー)の皿に手を伸ばしながら、冷たく言った。
 
「うーん、じゃ、全部の条件に合わなくていいから、近い娘をお願い!」
 美奈ちゃんが紹興酒片手にやってくる。
「なに? 誠さんまだ諦めてないの?」
「諦めたらそこで試合終了ですよ!」
 ハイボールがいい感じに回ってきている。
 美奈ちゃんが肩をすくめた。
 目を瞑って思案していたクリスが、口を開いた。
「…。美奈ちゃん、同じサークルの由香ちゃんなんかどうかな?」
「え~? 由香先輩? 誠さんにはもったいないわよ!」
 美奈ちゃんは酷い事を言う。
「ちょ、ちょっと、もったいないってどういう事だよ!?」
「誠さんの彼女にする位なら私が取っちゃうわ! 先輩の胸に飛び込むと天国のような心地なんだから……」
 そう言って美奈ちゃんはウットリとして、紹興酒をキュッと(あお)った。
 天国のような胸? 俺はゴクリと生唾を飲んだ。
 それを見た美奈ちゃんは、
「ダメ! こんな野獣に先輩は紹介できないわ!」
 そう言って腕を組んで、汚い物を見るような目で俺を見た。
「え~…… そしたら美奈ちゃん他の人紹介してよ!」
「誠さんには私がいるじゃない」
 そう言ってニヤリと笑う美奈ちゃん。
「え? 彼女に……なってくれるの?」
「なる訳ないじゃない。私のそばにいていいわって事よ」
 そう言ってうれしそうに笑った。
 俺はゲンナリとした表情で、
「そんな権利いいから由香さん紹介してよ」
「『そんな権利』とは何よ! 光栄なのよ!」
「光栄だけじゃねぇ……」
「なによ!」
 しばらく口論していたら、見かねたクリスが口を開いた。
「…。美奈ちゃん、誠にもチャンスをあげてくれませんか?」
 クリスにそう言われると、美奈ちゃんも無碍(むげ)にはできない。
 美奈ちゃんはしばらくジト目で俺を(にら)み、大きく息を吐いて言った。
「分かったわ、しょうがないわねぇ」
 そして、スマホを取り出すと電話を掛けた。
「はーい、先輩! 元気してる? うん……そうそう。で、今暇? いやいやそういう意味じゃないって。ちょっと出てこない? ……。そうそう、今。おごるからさ。うん、地図送っとくから。うん、待ってるね」
 先輩にため口っていいのだろうか? とは思ったが、サークルによってはそんなものかもしれない。
「来るって?」
 俺がドキドキしながら聞くと、
「飲み会に呼んだだけだからね。仲を取り持ったりはしないわよ」
 そう言って冷たい目で俺を見た。
「ありがとう! ありがとう! 悪いねぇ」
 俺はこみ上げてくるワクワクとした思いを、隠そうともせず伝える。
 すると美奈ちゃんは(しゃく)に障ったのか、
「イーッだ!」
 と言って向こうに行ってしまった。まるで子供みたいだ。
 美奈ちゃんはさておき、ついに彼女候補がやってくる!
 心臓がドキドキするのが聞こえてくる。人生のチャンス到来だ。
 どんな娘かな……
 可愛いといいな……
 あ、可愛いを第一優先条件にしておけば、よかったかな……
 そんな落ち着きのない様子の俺を見て、クリスは微笑んでいる。

        ◇

 ハイボールを景気よく空けていると、可愛い子がキョロキョロしながら店に入ってきた。どうやら彼女が由香ちゃんの様だ。
「こんばんわぁ……」
 しっとりとした黒髪に、透明感のある肌で、パッチリとしたブラウンの瞳にドキッとする。テラコッタカラーのクロップパンツに、クリームカラーのカットソー、それにクリーム色のカーディガンを着ている。
 豊満な感じの胸につい目が行ってしまうが……そういうエロい態度はまずいと思い直し、首をブンブンと振って邪念を払った。
 
「はーい、先輩! 座って座って! ビールでいい?」
 美奈ちゃんが椅子を引いて座面をパシパシ叩き、笑顔で迎える。
「うん……」
 辺りをキョロキョロ見回し、ちょっと緊張しているようだ。

 ビールが来たところで乾杯。
「由香です……。お招きありがとうございます……。かんぱい」
「カンパーイ!」「Cheers!」「カンパーイ!」「Cheers!」「Cheers!」「Cheers!」
 可愛い女の子の登場に、盛り上がる野郎ども。やはり女の子は偉大な魔法使いなのだ。
 それにしても彼女、なんだか懐かしい感じがする。初対面だと思うんだが……。
 うーん……。
 少し悩んだが、とりあえず声をかけてみる。
「俺は社長の神崎誠、俺たちはAIベンチャーのメンバーなんだ、今日は懇親会。楽しんでいってね!」
「私が参加しちゃって、大丈夫なんですか?」
 由香ちゃんは恐縮した感じで小さな声で言う。
「みんな大喜びだから大丈夫!」
 美奈ちゃんも
「うち、女の子少ないから、先輩来てくれて良かった」
 と、温かく歓迎する。
「そ、そうなの?」
「最近元気ないなーって思ってたから、気晴らしにも丁度いいでしょ?」
「え? そんな、出てた?」
 由香ちゃんは両手で口を隠すしぐさをする。
「先輩、デリケートだからね。今日はたくさん飲んで楽しんで!」
「ありがとう……」
 折角なので何か話題を振ろう。
「由香さんは、お休みの日は、何しているんですか?」
 すると由香ちゃんはうつむきながら答える。
「今は就活で、いっぱいいっぱいなんです」
「あ、三年生なの?」
「それが……。四年で無い内定なんです……」
 どよんとした雰囲気を漂わせ、由香ちゃんはうなだれる。
 ヤバい事を聞いてしまった。この時期内定ないのは辛いな……。
「余計な事聞いちゃったね、ゴメン」
「面接で次々落とされると……自分が否定されているようで、心が折れそうになるんです……」
 なんだか重い話題になってしまった……まずい、なんとかしないと……
「面接なんかで、由香ちゃんの良さは分からないよ。単に運が無かっただけだよ」
 必死にフォローする俺。
「そうなんですかね……。でも一つも受からないと、運だけとも思えなくて……」
「うーん」
 こういう時に、どういう言葉をかけてあげたらいいか、良く分からない。
 この辺りが、人付き合いから逃げてきた俺の限界だ。
「クリス、迷える子羊に、アドバイスをお願いします」
 クリスに丸投げである。情けない。
 横で聞いていたクリスは、由香ちゃんに優しく微笑みかけると、
「…。辛い中よく頑張りましたね。由香ちゃんは偉いですね」
 優しくゆっくりそう言って、ねぎらった。
 由香ちゃんはそれを聞くと下を向き、涙をポロリとこぼした。
 そしてハンカチを出すと、涙を拭きながら言った。
「すみません、泣いたりしちゃって……。でも、今は絶望しか感じられないんです」
「…。お気持ちは良く分かります。人生は苦しい物です」
「早く楽になりたいです」
「…。楽になってもいいんですよ」
「えっ? それはどういう意味……ですか?」
 怪訝(けげん)そうな顔でクリスを見る。
「…。そもそも就活なんてしなくても死にません。やめてもいいんですよ?」
「いや、さすがにそれは……」
 ドン引きの由香ちゃん。
「…。では、入れる中小企業に行きましょう」
「それもちょっと……」
「…。応京大生としてのプライドがあるんですよね」
「……。」
 黙ってしまった。
 クリスの容赦ない正論に俺はヒヤヒヤする。どうするつもりなのだろうか?
「…。つまり、プライドが由香さんを苦しめているんです」
「友達はみんな超大手、マスコミ、広告代理店に行ってるんです! 私だけそんな……」
 由香ちゃんは核心を突かれ、冷静ではいられなくなったようだ。
「…。超大手に行くと幸せになれますか?」
「幸せ? 受かればうれしいと思うけど……幸せかどうかは入ってからの話ですし……」
「…。良い事を教えてあげましょう。中小企業に入った人と超大手に入った人の幸せ度には、変わりがありません」
「えっ?」
 驚き固まる由香ちゃん。
「…。超大手に行く意味は、見栄以外あまりないのです」
「いや、でも、給料とか、福利厚生とか、仕事の規模とか、全然違いますよ!」
 必死に主張する由香ちゃん。
「…。それらと幸せには関係が無いのです」
「そんな……」
「…。幸せとは会社の規模が作る物ではないのです。よく考えてみてください」
「いや、でも……」
 由香ちゃんは(うつむ)いて考えこんでしまった。
 今までの苦労を思えば反論したいと思うものの、いい言葉が見つからないようだ。
 クリスはそんな由香ちゃんを温かく見つめ、言った。
「…。もし、超大手にこだわらない、という事であれば、うちの社長に相談してみてください。時価総額二千億円の会社に、ねじ込んでくれますよ」
 ブッ!
 思わずハイボールを吹き出してしまった。
 クリスのお手並み拝見と思っていたら、俺に丸投げし返された。
 由香ちゃんが乗り出してきた。
「社長さん! そんな事できるんですか!」
「え? 俺? 俺が太陽興産にねじ込むって事?」
「…。誠ならできるでしょう」
 クリスは微笑みながら断言する。
「いや、親父さんがなんというかな……」
「太陽興産全然OKです! ぜひぜひ!」
 由香ちゃんは瞳を潤ませながら、必死に訴えかけてくる。
「うーん、ま、聞くだけ聞いてみるか」
 可愛い女の子に頼まれると断れない。俺はスマホを出して親父さんにかけてみる。
「お世話になっております、神崎です。夜分遅くに失礼いたします。……はい、はい、で、一つご相談がありましてですね、優秀な応京大生が、御社への就職希望してる訳なんですが、受け入れとかできますかね?」
 由香ちゃんは手を合わせて、必死に俺に祈っている。
 俺に祈られても困るのだが。
「あー、そうですよね……。え? インターン? うちで? え? うちの会社でですか?……私が判断ですか? え? 私の判断でいいんですか? はい、はい、分かりました。はい」
 由香ちゃんは身を乗り出して聞く
「ど、どうなりました!?」
「それが……うちでインターンして、戦力になるようだったら、太陽興産で受け入れてもいいって」
「え? 社長さんの会社でインターンするんですか?」
 不安げな由香ちゃん。
「由香ちゃんはAI分かる?」
「いや……文系なので……」
「うーん、じゃ美奈ちゃんの手伝いかな? 総務経理」
「あ、簿記なら三級持ってますよ!」
 軽く手を叩いてキラキラする目で俺を見る。
「じゃ、経理でしばらくやってみる?」
「ぜひぜひ!」
 そう言って由香ちゃんは初めて笑顔を見せた。
 その柔らかく温かい笑顔に、俺もつい微笑んでしまう。
 今、総務経理は美奈ちゃん一人だが、大学と掛け持ちだから結構大変である。由香ちゃんが活躍してくれればそれは助かるはずだ。
「おーい、美奈ちゃん!」
 俺が呼ぶと、マーカス達と楽しそうに話してた美奈ちゃんが、こっちを向く。
「由香ちゃんを、総務経理のインターンに採っていいかな?」
「え? 何?」
 そう言いながら、美奈ちゃんはうれしそうに紹興酒を持ってやってきた。
「先輩入社するの? やったー! じゃ、私の秘書ね!」
「秘書じゃなくて、経理とかの手伝いだよ」
「ウェルカム、せんぱーい!」
 そう言って由香ちゃんの胸に飛び込んだ。
「きゃぁ!」
 驚く由香ちゃん。
「美奈ちゃん飲みすぎ!」
 美奈ちゃんを引きはがす俺。
「幸せ~」
 美奈ちゃんはすっかり酔った顔をして、俺にもたれかかった。
 漂ってくる甘い香りに、俺はちょっとドキドキしながら聞く。
「水でも貰おうか?」
 すると、耳元で
「インターンに手を出したら犯罪よ、分かってるわね?」
 そう(ささや)いて、ニヤッと笑った。
 
「え? あ……」
 絶句する俺。社長がインターンを彼女にする事は、セクハラでアウトだったことを思い出した。何のために由香ちゃんを呼んだのか、分からなくなってしまった。
 美奈ちゃんは、愕然(がくぜん)とする俺を見て、うれしそうにみんなに向かって叫んだ
「由香ちゃんの入社を祝して、カンパーイ!」
「Cheers!」「カンパーイ!」「Cheers!」「カンパーイ!」「Cheers!」
 盛り上がる男たち。
 俺も力なくグラスを合わせながら、ぬか喜びしてた自分を呪った。
 こうなる事はクリスも予想していたはず……、なぜ……。
 結局のところ、神様を都合よく使おう、という発想が間違っていたのだ。
 俺は紹興酒のグラスを取って一気に空けた。
 やがて、キューっと回ってくる酔いに任せ、ゆらゆらと首を動かした。
 あぁ……またお預けだ……。
 楽しそうに談笑する美奈ちゃんと由香ちゃんを見ながら、ままならない人生を憂えた。
 俺は店員を見つけ、大声で叫ぶ。
「紹興酒お替り! ボトルで!」