3-1.超頭脳AIマウス
 
 翌週、中国からBMIの試作品が届いたので、いよいよ動物実験に入る。
 
 このBMIは、薄いフィルム上に回路が形成されており、これを金のナノ粒子溶液と共に、神経に巻き付ける事で、神経とコンピューターを接続させる。(※)
 
 俺はオフィスの個室に、透明なテント状の簡易無菌室を展開し、顕微鏡付きのマニュピレーターを設置して、消毒したマウスをセットした。
「じゃ、クリスお願い!」
 俺は打ち合わせ通り、クリスに託す。
「…。誠よ、これは本当に私の仕事なのか?」
 気乗りのしないクリス。
「俺も何度か試しにやったけど、全然うまくいかなかったんだよ。もうクリスにしか頼れないんだ」
 俺は何とか頼み込む。
 クリスは少し何かを考え、
「…。そうか」
 そう言うと、手術服に身を包んで、無菌室に入って行った。
 
 BMIは脊髄に二か所、脳の下部に一か所設置しないとならない。
 まずは背中から腰をメスで切開、背骨が出てきたら第一腰神経を探す。背骨から出てきている神経に、BMIを装着するだけなのだが、神経の太さは髪の毛の太さ程度しかない。そんな物にどうやってフィルムを巻き付けたらいいのか、俺は何度やっても失敗してしまっていた。
 クリスは淡々とマニュピレーターを動かし、神経を露出させた。そして、金のナノ粒子の赤い溶液を、スポイトで垂らす。さらに、その上からBMIのフィルムを巻き付ける。髪の毛に数ミリ四方のサランラップを巻く様なものだ、とても人間技ではできない。
 それをクリスは、あっさりと神業で巻き付けると、生体接着剤でBMIを固定し、切開部を縫合した。
 その間わずか十分。さすがである。
 俺は
「No.1! Connect Deep linking! (1番接続!)」と、エンジニアチームに向かって叫ぶ。
「No.1 Sir! (1番了解!)」
 コリンが返事してくれる。
 
 BMIから繋がるフィルムケーブルは、コンピューターシステムと繋がっている。
 まずはBMIから神経線維に向かって、金の回路を作らないといけないので、電圧のパルスを送る。
 コリンはキーボードをたたき、事前に試行錯誤したパターンの電圧と、タイミングを再現させた。
 数分間、神経線維との間の回路が形成されるのを待つ。
 美奈ちゃんはモニターを見ながら
「上手くいきそう?」と、聞いてくる。
「死んだマウスの神経でやった時は、何とかうまく行ってたけど、生きてるマウスは初めてだから、何とも……」
 自信なさそうな返事しかできない。
「しっかりしなさいよ!」
 美奈ちゃんは人の苦労も知らず、好き放題言ってくる。俺はその自分勝手さに少しムッとした。
 美奈ちゃんは首を伸ばし、手術台のネズミの様子を見ながら言う。
「で、これが上手くいったらどうなるの?」
「AIが、マウスの身体を持つ事になる」
「あのネズミがAIネズミになるのね?」
「そうそう、品川のIDCにあるコンピューター群を頭脳として、マウスが動くようになるんだ」
「うーん、なんかピンと来ないなぁ」
 美奈ちゃんは眉間にしわを寄せながら、首をかしげた。
「歌って踊って対話できるネズミ、になるって言えばわかるかな?」
「え~!? ピカチュウじゃん!」
 美奈ちゃんはパッと明るい顔をして、うれしそうにこっちを見る。
「そうそう、『ピカー!』って言って十万ボルト発生させたら、成功だな」
「十万ボルト!?」
 美奈ちゃんは目を丸くしてビビる。
「そうそう、ビリビリってするよ!」
 俺は両手を美奈ちゃんの方に向け、指をワサワサと動かしてからかってみる。
「危ないじゃない!」
 美奈ちゃんは眉間(みけん)にしわを寄せながら言う、
「冗談だよ、ハッハッハ」
 俺がそう言って笑うと、美奈ちゃんは能面の様な顔でティッシュ箱を持った。
 何をするのかと思ったら、次の瞬間、振り上げて俺を叩き始める。
 Bang(ボカッ)! Bong(ボカッ)! Flick(バシッ)
「痛い、痛い! やめて~」
「悪い子にはお仕置き!」
 美奈ちゃんはそう言って、さらに三発叩いた。
 クリスは無菌室の中で、バカな事やってる俺達を見ながら、微笑んでいる。
 
          ◇

 金のナノ粒子が定着したタイミングを見計らって、うまくつながったかどうか計測してみる。
 時計の秒針を見ながら、
「No.1!  Check Deep linking! (1番チェック!)」 と、叫ぶと、
「No.1 Sir! (1番了解!)」と声が上がる。
 
 手術室には大画面モニタがあり、ステータスがリアルタイムに表示されている。
 マウスとAIの接続がうまく行っていれば、触覚の反応が画面に反映される仕掛けになっているのだ。
 クリスに、マウスの脚をゆっくりなでてもらう。
 ここで反応が画面に出るはず……だが……何も出ない……。
「あれ~……」
 俺が青い顔でモニタを(にら)んでいると、
「なに? 失敗?」
 隣で美奈ちゃんが、不機嫌な顔で嫌なことを言う。
「いや、全く出ないなんてこと、ないと思うんだけどな……」
「私をからかったりするから、罰が当たったのよ!」
 意地悪な笑みを浮かべて、美奈ちゃんが言う。
「え~」
 俺は原因が全く分からず、困惑しきって両手で顔を覆った。
 接続ができないと、深層守護者計画はここで終わりになってしまう。ここは誤魔化(ごまか)しが効かないクリティカルパスなのだ。
 ウソついて百億円調達してしまっているのだ。これで終わりになどなってしまったら俺は人生破滅だ。クリスにも見切られて、最悪記憶を消されてしまうかもしれない。
 暗いイメージばかりが去来し、俺は頭を抱えてしまった。
 静まり返るオフィス――――
『どうしよう……』
 俺は心の中を()きむしられるような激しい焦燥に襲われ、冷や汗が止めどなく湧いてきた。
 嫌な時間が流れる。
「しょうがないわねぇ、正解を教えてあげるわ」
 美奈ちゃんは、ドヤ顔でそう言った。
「正解?」
「あそこのケーブルは何?」
 そう言って、美奈ちゃんが床に転がってるケーブルを、指さした。
「あ……」
 電圧印加用ケーブルと、接続用ケーブルは別なので、繋ぎ直さないといけないのだった……
 急いで繋ぎ直してみると……画面上に赤い球が、次々と浮かび上がってきた。
「なんだ、うまく行ってるじゃん!」
 解像度が十分かどうか微妙だが、ここまで取れていれば、実験には使えそうだ。
 
 続いて、電気信号を逆に送ってみる。数百万個の端子に、順番に電圧をかけていってみると、あるタイミングでピクっと足が動いた。
 反応が出た端子に、改めて信号を送ってみると、大きく足が動いた。こいつだ。
 電圧を色々と変えてみると、蹴る力も、それに応じて変わっているようだ。
 
「せ、成功だ!」
 俺はそう叫び、両手でガッツポーズをすると、そのまま大きく息を吐いて、椅子の背にぐったりともたれかかった。
「イェーイ!」「Yeah!」「ヒュ―――――!」「Hi yahoaaa!」
 オフィス中に歓声が響く。
「誠さんは、私がいないとダメね」
 美奈ちゃんが得意げに俺を見る。
「いや、まぁ、助かったよ……」
「ふふふっ、お疲れ様!」
 美奈ちゃんは、俺の肩をポンポンと叩いて出て行った。
 俺のポカはあったが、あれだけ難しい手術を、一発で成功させるクリスは、やはりすごい。
 神の技無くして、成功はなかっただろう。
 
 その後、同様に残り二か所のBMI設置手術を続け、さらに、カメラとマイクのついた仮面を取り付けて、五感がそろった完全なAIマウスとなった。
 ここに我々は深層守護者計画の最難関、生体接続をクリアする事ができた。AIがシンギュラリティを超えるためのクリティカルパスを、ついに超える事ができたのだ。これは人類初の快挙であり、これだけでも論文が何本も書けてしまう位の偉大な成果だ。
 これはチームで勝ち得た成果、チームの勝利と言える。じんわりと心の底からうれしさがこみ上げてきて、俺はちょっと目が潤んでしまった。
『みんな、ありがとう……』
 俺は皆を一人ずつねぎらい、感謝を伝えていく。謙虚に丁寧に、チームを運営していくと決めたのだ。
 それにしても、美奈ちゃんは、なぜケーブルの事を知っていたのだろう……そんなこと教えた記憶ないんだが……
 
       ◇

 その夜、異質な巨大な部屋の真ん中で、宙に浮く数多くのモニタに囲まれてクリスが作業をしていた。大型の窓の向こうには、壮大な青い惑星がその巨大な威容を余すところなく広がり、明らかに地上ではない事が見て取れた。
 Ting-a-ring(ピロポロパロン)
 部屋に呼び出し音が響き、女性が入ってくる。ヘーゼル色の瞳が美しいその女性に、クリスは微笑みながら話しかける。
「…。やぁ、サラ、久しぶり。新作のワインがあるよ、飲む?」
 サラは軽く手を挙げ、ニッコリと笑うと、
「いただくわ」
 そう言って、空中に椅子をポンっと出現させ、そこに座った。
 微笑みながら乾杯をする二人。
 サラはワインを一口含み、目を大きく広げて軽くうなずいた。気に入ったようだ。
 そしてグラスをくるくると回しながら……
「勝負に出たわね、勝算はあるの?」
 探るような眼でクリスを見て言った。
「…。生体を利用してシンギュラリティを目指そう、というのは聞いたことがない。いいデータになるだろう」
「でも、クリスの関与が大きすぎると管理局(セントラル)は問題視してるわよ。このままだとこの地球、廃棄処分よ」
 クリスは目を瞑り、苦々しい表情を浮かべ、言った。
「…。シンギュラリティを実現したら文句ないだろう」
「実現……できたらね。あの子にそんな力があるかしら?」
「…。それは……」
 痛いところを突かれたクリスは言葉に詰まり、両手で顔を覆った。
「それから、あのにぎやかな女の子は何なの?」
 サラは小首をかしげながらクリスに突っ込む。
「…。美奈ちゃんか? 私と誠のやり取りを見て積極的に接触を図ってきた。何か感じないかい?」
 サラはハッとして、クリスを見つめて言った。
「えっ!? まさか……でも……スクリーニングは白なんでしょ?」
「…。真っ白だ。しかし、本物なら……」
「本物ならね」
 サラは鼻で笑うと窓へと歩き、眼下に広がる壮大な青い惑星を見て、ワインを一口含んだ。
「地球の人たちは、まさか自分たちが『作られた世界』の中にいるなんて気づきもしないでしょうね」
 クリスもサラの所へ行って、壮大な景色を見ながら言った。
「…。まぁ、知ったからといって、生活が変わるわけじゃないからな」
「あら、そうかしら? 私だったらバグを利用しようとするわよ。このシステム、結構バグだらけだし……」
「…。それは超能力者……だな。毎日潰すのに苦労してるよ」
「ふふっ、お疲れ様」
 サラはニヤッと笑ってクリスを見た。
「…。あれ? サラのところはやらないのか?」
「うちは人口がまだまだ少ないのよ。クリスが羨ましいわ」
「…。では、替わろうか?」
管理局(セントラル)にマークされてる地球なんてイヤよ」
 サラはそう言ってまた一口ワインを含んだ。
「…。まぁ、そうか」
「成功を祈ってるわ、手伝えることがあったら言ってね」
 サラはそう言ってウインクした。
「…。ありがとう」
 青い惑星には薄く巨大な輪があり、水平線の向こうから斜めに巨大なアークが立ち上がっている。二人は黙ってその壮大な景色に見入っていた。
 地球は『作られた世界』だと言う二人、そして二人ともただの作業員という事らしい。地球はだれが何のために作ったのだろうか?
 また、誠達が失敗したら地球は消されてしまうらしい。誠は人類の危機を引き起こしていたのだった。
 もちろん、本人はそんな事気づくわけもないのだが。
――――――――
※技術的補足 (ストーリーには関係ありません)
 コンピューターに現実世界を理解させるのは、とても難しい。それだけ世界は複雑で多様だ。でも我々人間や動物は世界を理解し、上手くやっている。これは肉体を持っているから、というのが大きい。赤ちゃんの頃から、肉体を通して世界にアクセスし、世界を触り、感じ、痛い目に遭って、世界の理を体で理解していく。
 コンピューターには身体が無いので、この大切なプロセスを経られない。だからどうしても頓珍漢な発想、思考を抜け出せない。
 この物語では、コンピューターに生身の身体を与えてみる事で、このプロセスを通過させる、という事を想定している。しかし、コンピューターの金属配線と、生体の神経回路はなかなか相性が悪い。そう簡単に接続ができない。そこでここではフィルム上のBMIを用いる事を検討した。
 BMIは、薄いフィルム上に回路が形成されており、一マイクロメートルおきに、電圧を測れる端子が付いている。つまり、一ミリ四方に千個×千個で百万個の電圧検出器が付いているのだ。とは言え、測りたい電圧は神経線維の中であるから、端子から神経線維までの間の配線も必要である。これには金のナノ粒子を使う事にした。金のナノ粒子に電荷をつけ、神経線維に浸して端子から電圧を印加すると、ナノ粒子が端子に集まってきて、端子から金のヒゲが伸びていく事になる。これが神経線維に絡む事で、うまく神経の信号を取れる事になる事を想定している。
 この分野は研究が進んでいるので、そのうちに無理のない形で、金属配線と神経回路が接続できるようになるだろう。SFの世界が現実に近づいている。




 
3-2.ザギンでシースー
 
 手術の緊張から解放された気だるさの中で、あくびをしながら珈琲を入れていると、修一郎の親父さんから電話がかかってきた。
「あー、神崎君? こないだはありがとう。おかげで天安は手を引いてくれたようだ」
 俺は、珈琲をドリップしながら返事をする。
「それは何よりです」
「お礼をしないとな、と思うんだが、今晩あたり会食でもどうかね?」
 上場企業の社長によるお礼の会食、これは期待できそうだ。俺は前のめりで返事をする。
「いいですね! みんなも連れてっていいですか?」
「もちろん構わんよ!」
 
 という事で、仕事帰りに銀座のすし屋に向かう。
 新橋駅で降り、高速のガードをくぐると、昭和を感じさせる銀座の独特な電飾たちが目の前に広がり、高揚感が広がってくる。
「ザギンでシースーですよシースー!」
 俺は浮かれて美奈ちゃんに絡む。
「何がシースーよ! オッサン臭いわよ!」
 美奈ちゃんは呆れ、シッシッと俺を追い払う仕草をする。

      ◇
 
 スマホの地図通りに行くと、どうやらこの店らしい。
 
 木製の格子戸を恐る恐る開けると、白木の立派なカウンターに寿司職人がいて
「いらっしゃいませ!」
 と、いい声で迎えてくれた。
 
「田中で予約してると思います」
 そう伝えると、奥へと案内された。
 カウンターでは、見るからに同伴のペアが何組も寿司を楽しんでいる。さすが銀座だ。
 
 静かな個室に通される。
 奥にかけた掛け軸に、ダウンライトの明かりが当たり、落ち着くインテリアだ。
 
 先にビールをもらって飲んでると、修一郎と親父さんが現れた。
「悪いね、少し遅れちゃった!」
「いえいえ、先にやらせてもらってます」
 
 親父さんは店員に声をかける
「ビール二つ、それと最初に刺身、適当に見繕って!」
「かしこまりました」
 
 親父さんはおしぼりで顔を拭きながら、うれしそうに言った。
「おたくのAI凄いな、取引中止企業って教えてくれてた鈴屋商事、不渡り出したよ」
「うちのAIは凄いんです」
 俺はちょっと良心の痛みを感じながら、ニッコリと答えた。
「この情報だけでも、売れるんじゃないか?」
「将来的には、AIのサービスの一環として、そういう情報も売っていきますよ」
 まぁ、クリスが出す情報は売れないんだが、ここはそう言っておかないと。
 扉を開けて店員がやってくる。
「ビールお持ちしました~」
 
 親父さんはにこやかに皆を見回して音頭をとる。
「では、天安撃退を祝って! カンパーイ!」
「カンパーイ!」「カンパーイ!」「カンパーイ!」
 
 泡が放つ芳醇(ほうじゅん)のアロマ……仕事の後のビールは本当に美味い。
 
 刺身の盛り合わせも来たので、本ワサビを乗せてカンパチから頂く。
 しゃっきりとしていて、口の中に広がる脂が甘く、ワサビとのハーモニーがまた美味い。
 
「あー、銀座最高だ……」
 刺身を堪能していると、親父さんが身を乗り出してきて言った。
「でな、神崎君」
「はい、何でしょう?」
「儲け話があるんだけど、どう思うかね?」
「ブロックチェーンで月に五%って奴ですか?」
 ビールを飲みながら、適当に与太話で返す。
 すると、親父さんは目を丸くして言う。
「え? 何で知ってるの?」
 思わずビールを吹き出しそうになった。いい加減に、適当に言ったら当たってたらしい。
「いや、そういう詐欺最近多いので」
「詐欺? これは詐欺じゃないよ。ほら、これ見て!」
 親父さんはカバンから立派なパンフレットを取り出してきて、広げた。
「う~ん、良くできた詐欺ですね」
「詐欺じゃないって! ブロックチェーンを使った最先端技術で、安定して利益が出る事業への投資なんだって」
 親父さんは、パンフレットをバンバン叩きながら、熱弁をふるう。
「別に目新しい技術でもないですよ」
「そ、そうなの? でもメンバーが凄いんだよ、ほら、この人なんて、ICOで何度も当ててる、業界の有名人なんだって」
 指さす先を見ると、胡散臭(うさんくさ)そうなロシア人が格好つけて写真に映っていた。
「勝手に名前借りてるだけじゃないですかね? 会って話しました?」
「い、いや…。でも毎月ちゃんと振り込まれてくるんだよ」
「え? もうお金払っちゃったんですか!?」
 俺は思わず天を仰ぎ、おでこに手をあてた。
「友達に勧められたんで一億位……。でも毎月五百万円ちゃんと振り込まれてくるんだ」
「いつ払ったんですか?」
「三か月ほど前かな?」
「今すぐ、解約してください」
 俺は強い調子で言い切った。
「……。解約するとかなり違約金が……」
 親父さんは(うつむき)き加減に力なくつぶやく。
「このままだと、半年くらいで支払いが止まりますよ」
「そんな……。まだ、詐欺と決まったわけじゃないだろ?」
「このスキームは出資法違反なので、まともな会社は絶対にこういう事やらないんです」
 親父さんは目を丸くして固まる。
「え? 違法なの……?」
「事前にご相談してくれれば……」
「け、警察行こう!」
 親父さんは必死な目して俺の手を取る。
「警察は民事不介入ですよ。契約通り進んでいるのなら、相手してくれませんね」
「でも、違法なんだろ?」
「この手のは警察もあまり動かないんですよ。それに、もし逮捕したとしても、お金は戻ってこないですね。お金の問題は民事なので」
「じゃ、どうしたら……」
 親父さんは、しばらくうつむいて何かを考えこんでいたが、意を決すると
「神崎君、何とかならんかね? 友達にも紹介してしまったんだ」
 と、俺の腕をぶんぶんと振って、必死に訴えてくる。
 
 俺は目を瞑って首を傾げ、ちょっと考えてみる……。
 だが、契約して金を払ってしまったとなれば、打つ手はほとんどない。お手上げだ。
 俺は渋い顔をしてクリスの方を見た……。
 
 クリスはビールを置くと、親父さんを見て、
「…。残念ですが、詐欺は騙される側にも問題があります」
 冷徹にそう言った。
「いや、確かに、儲け話に目がくらんだのは確かだ。だが……、全額でなくてもいいから、取り戻せんか?」
 クリスは目を瞑って上を向いて何か考え込み、しばらく首をゆっくりと左右に振っていた。
 そして、何かを思いつくと、親父さんを見て穏やかに笑い、口を開いた。
「…。分かりました。悪人を放っては置けません」
「おぉ、何とかしてくれるかね!」
「…。まずはこの遠藤さんを呼び出してください。ちょうど銀座に居ます」
 クリスはパンフの中のヒゲ眼鏡を指して言った。
 どうしてみんな銀座に居るんだろう? 日本は銀座で動いているのか?

           ◇
 
 遠藤と連絡がついて、例のバーで話をする事になった。
 お金を取り返す前に、まずは腹ごしらえ。
 
 親父さんは店員を呼び出して言った。
「人数分適当に握ってくれんかな? ワシはシャリ小で」
 俺も結構食べたので、
「あ、私のもシャリ小で!」と、伝えた。
「シャリ小って何?」
 美奈ちゃんがひそひそ声で聞いてくる。
「ご飯少な目って意味だよ」
「あ、じゃぁ私もシャリ小で!」
 美奈ちゃんが笑顔で声をあげる。
 
 ビールを飲みながら盛り上がっていたら、日本酒とお寿司がやってきた。
 
 綺麗なガラス皿に、丁寧に並べられたお寿司は、ツヤツヤに光り輝いており、見てるだけでもうっとりとする芸術作品だ。目で味が分かるレベルである。
 
 口に入れると、シャリがふんわりほどけて、そこにネタの香りが加わる。
 そして富山の日本酒を一口……。
『あー、幸せだなぁ……』
 ジーンと胸のあたりが温かくなり、ふんわりと広がっていく多幸感に俺はしばらく浸っていた。
 寿司は銀座に限る。
 
 美奈ちゃんは、器用にお寿司をひっくり返し、しょうゆをつけると、パクりと一口でいった。
 目を瞑り、しばらくもぐもぐと堪能して、
「う~ん、幸せ!」
 と、最高の笑顔をこぼす。
 俺はこういう素朴な笑顔に弱いかもしれない。
 ほろ酔い気分でそんな美奈ちゃんをボーっと眺めながら、俺は、湧き上がってくる柔らかい温かな感情に包まれていくのを感じていた。
 俺の視線に気づいた美奈ちゃんが、
「何よ! あげないわよ!」
 そう言って、キッとこっちを(にら)む。
「あ、いやいや、美味しそうに食べるなぁ、と思って見てたんだ」
 俺は自然とこぼれてくる笑みのまま、そう言った。
「美味しい物は美味しく食べないと、罰が当たるのよ!」
 美奈ちゃんはそう言って、大トロを一気に行くと、またうれしそうにフルフルと揺れ、笑った。
 俺はゆっくりとうなずきながら、穏やかな幸せに満たされていくのを覚え、日本酒をキュッと(あお)った。