超高級ホテルの、広大なボールルームで、俺はフラッシュを浴びていた――――
 田中修司社長、俺、そしてマーカスが手を重ねて、沢山の記者のカメラの砲列の前で、無限にシャッターが切られている。株式会社Deep Childと太陽興産の、資本業務提携の記者会見を開いたのだ。
 AIの第一人者、マーカスが来日するだけでもニュースになるのに、そのマーカスの会社に、ただの貿易会社が百億円投資するというのだから、みんなビックリだ。
 記者から質問が飛ぶ
「田中社長、なぜ貿易会社がAIに投資するんですか?」
「君は馬鹿かね? 時代はAIだよ。どんな業界であれ、AIを制した物が勝利する時代に『貿易会社だからAI投資しない』なんて判断は無い。Deep Childさんの所のAIは凄い、このAIを使えば貿易事業も大きく飛躍できるし、AIそのものでも莫大(ばくだい)な利益が考えられる。こんないい話やる以外ないだろう」
 親父さんがこう断言すると、記者も黙ってしまった。正論だからな。
 続いて俺に質問。
「神崎社長、マーカスという大物を、どうやって連れてこれたんですか?」
「彼は日本のアニメが大好きで、彼にとって日本は聖地らしいんですよね。聖地で仕事できるなら良い、と思ったんじゃないでしょうか? また、我々は潤沢な資金で、彼の活動を全面的にバックアップしますから、彼としては、言う事ないんじゃないでしょうか?」
 俺は無理に作った営業スマイルで、淡々と答える。
 マーカスにも質問が飛ぶ
「Why did you join Deep Child? (なぜDeep Childに? )」
「ワタシ、ニホンゴチョットデキル!」
「あ、それでは、Deep Childに入った理由を教えてください」
「Deep Childサイコウ! ニホン サイコウネ!」
 そう言ってニカっと笑い、腕を組んで筋肉を誇示した。
「……。ありがとうございました……」
 マーカスは、分かっててわざとはぐらかしてるようだ……。
 
 AIの第一人者、マーカスの会社に出資を決めたニュースは、マーケットでは好感され、株価はストップ高に達した。この日だけで百億円、時価総額は増えてしまったのだ。まさにWin-Winな関係である。
 俺の思い付きがどんどんと多くの人を巻き込んで、ついに天文学的な金が轟音(ごうおん)を立てながら社会を回り始めた。
 しかし……、親父さんに見せたスマホでのプレゼンも、事業計画も、会社の目的も、全部ウソ、正真正銘の詐欺なのだ。バレたら牢屋(ろうや)行き、下手したら損を被った投資家に刺されるだろう。それだけ危険な橋を今日、渡ってしまったのだ。
 だが、全て覚悟の上だ。人類を救うため、俺は全ての罪を背負ってやる。俺は、時おり心の底から湧き上がって喉元までやってくる漆黒の恐怖に必死に蓋をして、心のバランスを奪われぬよう我慢する。そして、キリキリと痛む胃をさすりながら笑顔を崩さず、何とか一日を乗り切ったのだった。

            ◇
 
 その翌日、AIチップのエンジニア、マーティンと、マーカスの友人二人、コリン(Colin)とデビッド(David)が日本にやってきた。これでついに神のチームは全員がそろう事となった。
 
 そして、今日はキックオフミーティング。
 いよいよ開発が始まる。
 
 俺は会議室に集まった皆の前に立ち、一人一人顔を見る。皆、ジッと俺の事を見つめている……。俺は大きく息を吸った。
 オフィスはシーンと静まり返り、バクバクと心臓の鼓動が聞こえてくる。いよいよ人生をかけた、人類の未来をかけたプロジェクトがスタートする。
 失敗は許されない。詐欺で集めた百億円に、人体実験。失敗は人生の破滅を意味するのだ。
 彼らには最後まで走り切ってもらわねばならない。それにはこの挨拶が肝になる。
 俺は大きく息を吸うと、最高の笑顔で大きな声を出した。
「Hey Guys! Thank you for your joining us! (来てくれてありがとう! )」
「Yeah!」「Yeah!」「Yeah!」
 俺の気合を感じてくれたのか、みんな随分テンションが高い。
 俺は調子に乗って、つたない英語で誠心誠意、夢を語った。
 すると、マーカスがスクっと立ちあがり、
「Hey guys! Let's pump it up!(ヤルゾ―――――!! )」
「Yeah―――――!!」「Yeah―――――!!」「Yeah―――――!!」
 全員総立ちである。
 さすがマーカス、頼りになる。能力ある人を集めただけでは成果は出ない。それぞれがやる気になって前向きになれる環境を、どう提供できるかがマネジメントの肝である。
 これなら、出だしは上出来だろう。
 
 続いて、具体的な進め方について、俺はホワイトボードに手書きで図を書きなぐりながら、ボディランゲージ交えて説明していった。
 
 AIの学習に、無脳症の赤ちゃんを使うといっても、いきなりは無理だ。まずは仮想現実空間を作り、その中でAIに単純なロボットを動かさせて、学習させる。
 それがうまく行ったら、次はAIマウスを作って学習。AIをマウスの身体に接続し、AIが自由にマウスの身体を動かし、現実世界を感じ、世界観を学習してもらう。
 それもうまく行ったら、最後に無脳症の赤ちゃんを使わせてもらう。
 
 結構道のりは遠い。
 
  
 また、AIの構成については図を元にみんなに説明し、センサーから得たデータを、ディープラーニングの組み合わせで、どうやって『理解』にまで導くのかを解説した。(※)
 
「Oh! マコトサン! Smashing!「事象認識」ガ Loopシテル ココ イイデス!」
 マーカスは、俺のプランを気に入ってくれて、他のメンバーにどこが良いのかを、情熱的に説明してくれた。
 ただ、問題点も次々と指摘されてしまう。やはり鉄腕アトムの様なAIは、そう簡単には作れないことが痛いほど良く分かる。
 
 最終的には、最初からパーフェクトな物は作れないので、一歩一歩やって解決して行こう、という事でまとまった。
 
 マーカスは各認識モジュールの開発、マーティンはAIチップを使った実装、コリンとデビッドは、仮想現実空間とロボットの実装を、担当する事になった。
 それぞれ相当に重い仕事であり、一般のエンジニアでは逃げ出したくなるレベルだ。だが、トップエンジニアの彼らにとっては、楽しい遊びみたいな物なのだろう、皆キラキラした瞳で、これからのプランを語ってくれた。
 俺の役割はチームマネジメントになって、研究開発の最前線からは離れてしまう。ちょっと寂しくはあるが、俺のチームが、俺の構想で人類救済を目指すのだから、文句などない。
 俺のチームで、世界中の人を笑顔にするのだ!
 頼むぞ、エンジニアチーム!

             ◇
 
 さて、まずはシステム環境整備、という事で、俺とマーティンはタクシーに乗って、品川のコンピューター設置施設(IDC)に行く。
 マーティンは、白い肌に赤い毛がもじゃっとした、スマートなイケメン。グレーのパーカーを羽織り、いかにもハッカーと言う風情だ。
 IDCに入ると……寒い。サーバーは熱に弱いので、冷房が常にガンガンにかかっているのだ。図書館の本棚のように整列されて、ずらーっと並ぶサーバーラック群からは、ゴウンゴウンという、冷却ファンのノイズが流れ出してくる。
 ここにあるサーバーの一つ一つが、スマホアプリだったり、Webページだったりを世界に向けて発信している……つまりここは、インターネットの工場、ともいえる場所なのだ。今回はここに棚(ラック)を二本借りて、AIチップのサーバー群を設置する。
 AIチップは、従来の処理装置(GPU)の、十倍くらいの処理速度を誇っている。2ラックだけでも20ラック分のパワーがある、という訳だ。
 このパワーは、エンジニアにとっては垂涎(すいぜん)ものである。
 倉庫に届いていたサーバーの段ボールの山を、一つずつ開梱(かいこん)して、運んで、設置して、配線してを繰り返す。単調でしんどい力仕事だ。でも、大切な力仕事。俺はマーティンと一緒に心を込めて、かじかむ手で作業を繰り返した。
 結局午後いっぱいかかってしまった。
 最後に、マーティンがキーボードを叩いて動作確認に入った。
 カタ、カタカタカタ……ターン
 カタカタカタ、ターン
「Perfect!(完璧!)」
 マーティンはニヤッと笑うと、再度キーボードをターン!と叩く。
 すると、サーバーのLED群が一斉に緑色に明滅を始めた――――
 まるで命を込められたかのように、数億円の電子頭脳は今、輝きを放ち始めたのだ。
 キラキラッ、パッパッパッパ、パパッパパッ
 LEDはそれぞれのリズムでデジタルなシグナルを紡ぐ。
 そして、そのシグナル群が複雑に絡み合って高度な思索になっていく……
 この輝きの一つ一つが、深層守護者シアンの思索となり、人類を支える基礎になるのだ。
「Yeah!」「Yahoo!」
 俺たちはハイタッチをしてプロジェクトの開始を祝った。
 シアンが完成したら、ここは人類の聖地として崇められるだろう。人類初のシンギュラリティ実現の地として、品川の寒くてうるさいIDCが世界遺産となり、記念碑なんかも建てられてしまうかも……などと妄想も捗ってしまう。
 そう、俺たちがこの光の瞬きを紡ぎ、人類の歴史を作っていくのだ。
 俺たちはキラキラ明滅するLEDの緑の煌めきを、いつまでもウットリしながら見つめていた。

           ◇
 
 オフィスに戻ると、ピンと張った心地よい緊張感の中、皆真剣にキーボードを叩いている。
 いい雰囲気だ。
『頑張ってくれよ~』
 俺はついニヤッとしてしまう。
 今、俺ができるのは……環境整備……くらいかな?
 
 まずは、買ったばかりのオーディオセットで、スローなジャズを流す。(ゆが)みのない、すっきりとしたベースの低音に伸びのある高音のサックスが、部屋を満たす。
 気持ちいい、お洒落(しゃれ)な空間の出来上がり。
 次は……珈琲かな?
 珈琲豆を冷凍庫から出してきて、ミルで丁寧に粗()きをしてみる。ふわぁと少し焦げたような、珈琲の香りが立ち上る。
 おぉ……いいね……
 実は珈琲は、飲む時よりもこの瞬間の方が好きだ。この瞬間のために、珈琲を入れているようなものだ。脳髄を揺るがす官能的な香り……。これだから珈琲は止められない。
 香りに引き寄せられて、美奈ちゃんがやってくる。
「誠さん、珈琲入れるの? 美奈にもちょうだい!」
 ニコニコしながらせがんでくる。
「はいはい、ちょっと待っててね!」
 ミル()く腕にも力が入る。
 すると、クリスが現れて、珈琲豆をつまんでポリポリ食べはじめた。
「えっ!? 珈琲豆って食べて大丈夫なの!?」
 俺が驚いていると、
「…。スマトラ島のマンデリンだね。いい豆だ」
 と、ニコニコしている。
 それを見てた美奈ちゃんも
「私も~!」
 と言って、珈琲豆を食べ始めた。
「え~!? ちょっと! 今入れるから待ってて!!」
 すると、マーカス達も集まってきて
「Oh! Japanese style!(日本式だ!)」
 と言って、次々と珈琲豆を食べ始めた。
 いかん! 日本文化が誤解されている!
「NO! NO! It's Chris style!(違う! クリス式だよ!)」
「オー! オイシイ ネー!」
 マーカスは、無駄に上腕二頭筋を膨らまして喜んでいる。
 マーティン達もみんな喜んで、次々と珈琲豆をつまんでいる。
「……、本当に美味いの?」
 俺も恐る恐る、豆を一粒つまんで食べてみた。
 ポリポリっと爽快な歯ざわりである。
 
「……あれ? ……美味い」
 上質なエスプレッソを飲んだ時の様な、濃厚な珈琲の旨味が、ガツンとダイレクトに入ってくる。悪くない……というか、こっちの方が正解のように思える。
「なんだ、すごく美味いじゃないか!」
 調子に乗って、みんなで結構な量の珈琲豆を、食べてしまった。
 でも、なぜ、普通は珈琲豆を食べないのか、すぐに理由が分かった。珈琲豆の破片が、いつまでも口の中に残って気持ち悪いのだ。
「うぇぇ~」
 美奈ちゃんは渋い顔して、ちょっと舌を出してる。
 やっぱりこれからは普通に入れよう。


――――――――
※補足 (ストーリーには関係ない技術的補足です)
 今の人工知能は、ディープラーニングがメインだが、ディープラーニングはパターン認識しかできない。つまり、「似たような物」を探すのは凄い得意で、人間を凌駕(りょうが)しているが、逆に言うと似たような物を探す事しかできない。囲碁や将棋が強いのも、単に優位になった過去のパターンを、膨大に学習してるからなだけに過ぎない。
 例えば、サッカーのシュートシーンを見せた時に、ディープラーニングはこのシーンはサッカーのシーンとは判断してくれるものの、なぜFWがボールを蹴っているのか、なぜキーパーは止めようとしているのかは、全く認識できない。
 さすがにこれを『知能』とは呼べない。
 そこで、誠はディープラーニングのモジュールを複数組み合わせ、各モジュール内では『単に似たものを探す事』しかしていないにもかかわらず、全体では事象を理解できる様な情報処理システムを考案した。
 具体的には図1における「要素抽出」、「意図認識」、「シーン認識」、「事象認識」が似たものを探すディープラーニングモジュールになっている。ここではサッカーのシュートシーンの画像をそれぞれの要素に分解して過去の似たようなケースと比較して、例えば「サッカーボール」、「キーパー」、「FWの選手」、「ボールを蹴る選手」と言ったようなありとあらゆる切り取り方でシーンの要素を抽出する。
 抽出した要素は「シーン認識」モジュールで似たような要素で構成されるシーンを沢山洗い出してくる。例えば「サッカー」、「喧嘩」、「祭り」などである。
 さらに「意図認識」モジュールではシーンと要素の組み合わせを用いて過去のデータからどういう意図のアクションに似ているかを洗いだしてくる。
 これら複数の要素、シーン、意図がそれぞれ妥当なレベルにマッチするまで事象認識モジュールは何度も照合を続ける。
 その結果、最終的に一番妥当性が高い解、「サッカー」のシーンにおいて「キーパーがセーブしようとしている」、「FWの選手がシュートしている」
が選ばれる。
 これができれば広い意味で知能と呼んで構わないだろう。
 理解が終わったら次に行動である。図二に簡単な流れ図を書いた。行動には意欲が必要だ。つまり人間であれば情動であったり責務であったり何らかの世界に対する意欲が重要になる。誠のシステムでは理解内容が自分、および自分が所属するコミュニティにおいてどういう価値があるのかを評価し、その評価内容から可能性のある行動を全部洗いだす。
 続いてそれぞれの行動について、行った場合どういう影響があるのかを評価する。そして最終的にコストとリスクとうれしさについて評価し、最終案を選択する。この例では「応援」する事を選択した。
 ただ、人間は常に学習しながら動いている。つまり推論しながらも同時に新たに学んでいる。だから学習プロセスを同時に動かす仕組みを別途組み込まないといけない。また、現実世界では常に新しいイベントがとめどなく発生している。だから時系列処理が必要になる。つまり、どこからどこまでの空間、時間を一つのシーンとするのか? それが時間的に前後や空間的に近隣のシーンとどれだけ関係しているのか? も評価対象にしなくてはならない。
 これらは簡単な問題ではないが、膨大なコンピューターパワーでいつかは実装できてしまう日がやってくる。そしてそれがシンギュラリティなのだ。