「あの」

 帰る間際、旅館のロビーまで来たところで、まだ険悪ムードが完全には消えていない両親たちに私の婚約者が声をかける。


「花詠とふたりで話をさせてください。俺たちの今後について」


 彼はにこりともせず、温かみの感じられない口調でそう言った。

 癖のない黒髪に涼しげな二重の瞳、口達者な薄めの唇。すべてのパーツが整っているが、氷の彫刻のように美しく冷たい雰囲気を放つ。

 彼、石動悦斗(えつと)は、昔から周囲の人を惹きつける魅力を持っていた。

 父は石動家との関わりを断つために私と彼を引き離そうとしていたが、婚約者となった今は反論する理由もないだろう。渋々といった様子で小さく頷く。


「……ああ、わかった」
「悦斗、花詠ちゃんに優しくするんだぞ」


 お父様に声をかけられ、彼は若干うざったそうな顔をして私を一瞥した。凛とした綺麗な瞳と目が合うと、反射的にドキリとする。

 私も挑戦的な視線を返して、おとなしく彼についていこうとすると、「花詠……」と母が眉を下げて呼び止めた。

 ずっと距離を置いていた私たちがいきなり結婚するのだから、やっぱり心配なのだろう。私は安心させるように微笑む。


「大丈夫。もう決めたことだから」


 力強く言い切り、踵を返す。私も彼との結婚に異論はないのだから。