俺は美しい入り江、川平(かびら)湾に向けて高度を落としていく。徐々に大きくなっていく白い砂浜にエメラルド色の海……。俺は船尾から先に下ろし、静かに着水した。

 カヌーは初めて本来の目的通り、海面を滑走し、透明な水をかき分けながら熱帯魚の楽園を進んだ。

 潮風がサーっと吹いて、ドロシーの銀髪を揺らし、南国の陽の光を受けてキラキラと輝いた。

「うわぁ……まるで宙に浮いてるみたいね……」

 澄んだ水は存在感がまるでなく、カヌーは空中を浮いているように進んでいく。



 俺は真っ白な砂浜にザザッと乗り上げると、ドロシーに言った。

「到着! お疲れ様! 気を付けて降りてね」

 ドロシーは恐る恐る真っ白な砂浜に降り立ち、海を眺めながら大きく両手を広げ、最高の笑顔で言った。

「うふふ、すごいいところに来ちゃった!」



 俺はカヌーを引っ張っり上げて木陰に置くと、防寒着を脱ぎながら言った。

「はい、泳ぐからドロシーも脱いで脱いで!」

「はーい!」

 ドロシーはこっちを見てうれしそうに笑った。



 軽装になったドロシーは白い砂浜を元気に走って、海に入っていく。

「キャ――――!」

 うれしそうな歓声を上げながらジャバジャバと浅瀬を走るドロシー。

 俺はそんなドロシーを見ながら心が癒されていくのを感じていた。



「はい、じゃぁ潜るよ」

 俺はそう言って自分とドロシーに、頭の周りを覆うシールドを展開した。こうしておくと水中でもよく見えるし、会話もできるのだ。

 俺はドロシーの手を取って、どんどんと沖に歩く。

 胸の深さくらいまで来たところで、

「さぁ、潜ってごらん」

 と、声をかけた。

「え~、怖いわ」

 と、怖気(おじけ)づくドロシー。

「じゃぁ、肩の所つかまってて」

 そう言って肩に手をかけさせる。

「こうかしら……? え? まさか!」

 俺は一気に頭から海へを突っ込んだ。一緒に海中に連れていかれるドロシー。

「キャ――――!!」

 ドロシーは怖がって目を閉じてしまう。

 俺は水中で言った。

「大丈夫だって、目を開けてごらん」

 恐る恐る目を開けるドロシー……。

 そこは熱帯魚たちの楽園だった。

 コバルトブルーの小魚が群れ、真っ赤な小魚たちが目の前を横切っていく……。

「え!? すごい! すごーい!」

「さ、沖へ行くよ」

 俺はドロシーの手をつかみ、魔法を使って沖へと引っ張っていく。

 サンゴ(しょう)の林が現れ、そこにはさらに多くの熱帯魚たちが群れていた。白黒しま模様のスズメダイや芸術的な長いヒレをたくさん伸ばすミノカサゴ、ワクワクが止まらない風景が続いていく。

 透明度は40メートルはあるだろうか、どこまでも澄みとおる海はまるで空を飛んでいるような錯覚すら覚える。太陽の光は海面でゆらゆらと揺れ、まるで演出された照明のようにキラキラとサンゴ礁を彩った。

「なんて素敵なのかしら……」

 ドロシーがウットリとしながら言う。

 俺はそんなドロシーを見ながら、心の傷が少しでも癒されるように祈った。



 さらに沖に行くと、大きなサンゴ礁が徐々に姿を現す。その特徴的な形は忘れもしない俺の思い出のスポットだった。

 俺はそのサンゴ礁につかまると言った。

「ここでちょっと待ってみよう」

「え? 何を?」

「それは……お楽しみ!」

 しばらく俺は辺りの様子を見回し続けた。

 ドロシーはサンゴ礁にウミウシを見つけ、

「あら! かわいい!」

 と、喜んでいる。



 ほどなくして、遠くの方で影が動いた。

「ドロシー、来たぞ!」

 それは徐々に近づいてきて姿をあらわにした。巨大なヒレで飛ぶように羽ばたきながらやってきたのはマンタだった。体長は5メートルくらいあるだろうか、その雄大な姿は感動すら覚える。

「キャ――――!」

 いきなりやってきた巨体にビビるドロシー。

「大丈夫、人は襲わないから」

 優雅に遊泳するマンタは俺たちの前でいきなり急上昇し、真っ白なお腹を見せて一回転してくれる。

「うわぁ! すごぉい!」

 巨体の優雅な舞にドロシーも思わず見入ってしまう。

 ただ、俺はその舞を見ながら気分は暗く沈んだ。このスポットは前世で俺が遊泳していてたまたま見つけたマンタ・スポットなのだ。広大な海の中でマンタに会うのはとても難しい。でも、なぜか、このスポットにはマンタが立ち寄るのだ。そして、地球で見つけたこのスポットがこの世界でも存在しているということは、この世界が単なる地球のコピーではないということも意味していた。地形をコピーし、サンゴ礁をコピーすることはできても、マンタの詳細な生態まで調べてコピーするようなことは現実的ではない。

 俺はこの世界は地球をコピーして作ったのかと思っていたのだが、ここまで同一であるならば、同時期に全く同じように作られたと考えた方が自然だ。であるならば、地球も仮想現実空間であり、リアルな世界ではなかったということになる。そして、この世界で魔法が使えるということは地球でも使えるということかもしれない。俺の知らない所で日本でも魔法使いが暗躍していたのかも……。

 しかし……。こんな精緻な仮想現実空間を作れるコンピューターシステムなど理論的には作れない。一体どうなっているのか……。



 もう一頭マンタが現れて、二頭は仲睦まじくお互いを回り合い、そして一緒に沖へと消えていった。

 俺は消えていったマンタの方をいつまでも眺め、不可解なこの世界の在り方に頭を悩ませていた。













3-7. 吸いつくようなデータの手触り



「そろそろランチにしよう」

 俺はそう言って、ドロシーの手を取って陸へと戻る。

 海から上がると、真っ白な砂浜に空に太陽が照りつけ、潮風が気持ち良く吹いてくる。



「海はどうだった?」

 俺はカヌーへと歩きながら聞く。

「まるで別世界ね! こんな所があるなんて知らなかったわ!」

 にこやかに笑うドロシー。

 俺は木陰に小さな折りたたみ椅子を二つ並べ、湯を沸かしてコーヒーを入れ、サンドイッチを分け合った。

 ザザーンという静かな波の音、ピュゥと吹く潮風……。ドロシーはサンドイッチを頬張(ほおば)りながら幸せそうに海を眺める。

 俺はコーヒーを飲みながら、いったいこの世界はどうなっているのか一生懸命考えていた。

 仮想現実空間であるなら誰かが何らかの目的で作ったはずだが……、なぜこれほどまでに精緻で壮大な世界を作ったのか全く見当もつかない。地球を作り、この世界を作り、地球では科学文明が発達し、この世界では魔法が発達した。一体何が目的なのだろう?

 そもそも、こんな世界を動かせるコンピューターなんて作れないんだから、仮想現実空間だということ自体間違っているのかもしれないが……、ではプランクトンが個体識別され管理されていたのは何だったのか?

 俺が眉間(みけん)にしわを寄せながら考えていると、ドロシーが俺の顔を覗き込んで言った。

「どうしたの? 何かあった?」

 俺はドロシーの肩を抱き、背中に顔をうずめると、

「何でもない、ちょっと疲れちゃった」

 そう言って、ドロシーの体温を感じた。

 ドロシーは肩に置いた俺の手に手を重ねると、

「ユータばかりゴメンね、少し休んだ方がいいわ……」

 と、言った。



      ◇



 よく考えたら地球で生きていた俺の魂が、この世界でも普通に身体を得て暮らせているということは、地球もこの世界も同質だという証拠なんだよな……。では、魂とは何なのだろう……。

 分からないことだらけだ。

「この世界って何なのだろう?」

 俺は独り言のようにつぶやいた。

「あら、そんなことで悩んでるの? ここはコンピューターによって作られた仮想現実空間よ」

 ドロシーがうれしそうに答え、俺は仰天する。

「え!? ドロシーなんでそんなこと知ってるの?」

「なんだっていいじゃない。私が真実を知ってたら都合でも悪いの?」

 いたずらっ子のように笑うドロシー。

「いや、そんなことないけど……、でも、コンピューターではこんなに広大な世界はシミュレーションしきれないよ」

「それは厳密に全てをシミュレーションしようとなんてするからよ」

「え……? どういうこと?」

「ユータが超高精細なMMORPGを作るとして、分子のシミュレーションなんてするかしら?」

「え? そんなのする訳ないじゃん。見てくれが整っていればいいだけなんだから、見える範囲の物だけを適当に合成(レンダリング)して……、て、ここもそうなの!?」

「ははは、分かってるじゃない」

 ドロシーはニヤリと笑う。

「いやいや、だって顕微鏡で観察したら微細な世界は幾らでも見えるよね……って、それも見た時だけ合成(レンダリング)すればいいのか……、え? 本当に?」

「だって、そうやってこの世界は出来てるのよ。それで違和感あったかしら?」

「いや……全然気づかなかった……」

 するとドロシーは俺の手をシャツのすき間から自分の豊満な胸へと導いた。

「どう? これがデータの生み出す世界よ」

 絹のようにすべすべでしっとりと柔らかく、手になじむ感触が俺の手のひらいっぱいに広がった。

「これが……データ……?」

「そう、データの生み出す世界も悪くないでしょ? キャハッ!」

 俺は無心に気持ちのいい手触りを一生懸命追っていた。

「データの手触り……」

 これがデータ? こんな繊細で優美な手触りをシミュレーションのデータで表現なんてできるのだろうか?

 俺は一心不乱に指を動かした……。



 バシッ!

 いきなり誰かに頭を叩かれた。

「ちょっとどこ触ってんのよ! エッチ!」

 目を開けると真っ赤になったドロシーが怒っている。



「え?」

 気が付くと俺はドロシーにひざ枕をされて寝ていた。そして手はドロシーのふとももをもみもみしていた。

「あ、ごめん!」

 俺は急いで起き上がると平謝りに謝った。

「こ、こういうのは恋人同士でやるものよ!」

 ドロシーが赤くなって目をそらしたまま怒る。

「いや、その通り、夢を見ていたんだ、ごめんなさい」

 平謝りに謝る俺。

 一体あの夢の中のドロシーは何だったのだろうか?

 妙にリアルで的を射ていて……それでメチャクチャなことをしてくれた。

「もう! 責任取ってもらわなくちゃだわ」

 ジト目で俺を見るドロシー。

「せ、責任!?」

「冗談よ……、でも、どんな夢見たらこんなエッチなこと……するのかしら?」

 ドロシーは怖い目をして俺の目をジッとのぞき込む。

 俺は気圧されながら聞いた。

「コ、コンピューターって知ってる?」

「ん? カンピョウ……なら知ってるけど……」

「計算する機械のことなんだけどね、それがこの世界を作ってるって話をしていたんだ」

 ドロシーは(まゆ)をひそめながら俺を見ると、

「何言ってるのか全然わかんないわ」

 と、言って肩をすくめた。

 やはり知る訳もないか……。と、なると、あの夢は何だったんだろう……?

「夢の中でドロシーがそう言ってたんだよ」

「ふぅん、その私、変な奴ね」

 ドロシーはそう言って笑うと、コーヒーを飲んだ。

「ごめんね」

「もういいわ。二度としないでね。……、もしくは……」

「もしくは?」

 俺が聞き返すと、

「なんでもない」

 そう言って真っ赤になってうつむく。

 俺は首をかしげながらコーヒーを飲む。

 そして、海を眺めながら、「もしくは……?」と、小声でつぶやいた。



 それにしても、夢の中のドロシーは非常に興味深いことを言っていた。確かに『見た目だけちゃんとしてればいい』というのであれば必要な計算量は劇的に減らせる。現実解だ。その方法であればこの世界がコンピューターで作られた仮想現実空間であることに違和感はない。もちろん、そう簡単には作れないものの、地球のIT技術が発達して百年後……いや、千年後……安全を見て一万年後だったら作れてしまうだろう。

 と、なると、誰かが地球とこの世界を作り、日本で生まれた俺はこちらの世界に転生されたということになるのだろう。しかし、なぜこんな壮大なシミュレーションなどやっているのだろうか。謎は尽きない。あのヴィーナという先輩に似た女神様にもう一度会って聞いてみたいと思った。

 先輩は白く透き通る肌で整った目鼻立ち……、琥珀(こはく)色の瞳がきれいなサークルの人気者……というか、姫だった。サークルのみんなから『美奈ちゃん』って呼ばれていた。

 ただ、あのダンスの上手い姫がこの世界の根幹に関わっている、なんてことはあるのだろうか……? どう見てもただの女子大生だったけどなぁ……。美奈先輩は今、何をやっているのだろう……。

 ん? 『美奈』?

 俺は何かが引っかかった。

 『美奈』……、『美奈』……、音読みだと……『ビナ』!?

 そのままじゃないか! やっぱり彼女がヴィーナ、この世界の根底に関わる女神様だったのだ。

 確かにあの美しさは神がかっているなぁとは思っていたのだ。でもまさか本当に女神様だったとは……。俺は何としてでももう一度先輩に会わねばと思った。









3-8. 神代真龍の逆鱗



 食後にもう一度海を遊泳し、サンゴ礁と熱帯魚を満喫した後、俺たちは帰路についた。帰りは偏西風に乗るので行きよりはスピードが出る。

 鹿児島が見えてきた頃、ドロシーが叫んだ。

「あれ? 何かが飛んでるわよ」

 見るとポツポツと浮かぶ雲の間を、巨大な何かが羽を広げて飛んでいるのが見えた。

 鑑定をしてみると……。





レヴィア レア度:---

神代真龍 レベル:???





「やばい! ドラゴンだ!」

 俺は真っ青になった。

 レア度もレベルも表示されないというのは、そういう概念を超越した存在、この世界の根幹にかかわる存在ということだ。ヌチ・ギと同じクラスだろう、俺では到底勝ち目がない。逃げるしかない。

 俺は急いでかじを切り、全力でカヌーを加速した……。

「きゃぁ!」

 ドロシーが俺にしがみつく。

 直後、いきなり暗くなった。

「え!?」

 上を向くと、なんと巨大なドラゴンが飛んでいた。巨大なウロコに覆われた前足の鋭いカギ爪がにぎにぎと獲物を狙うように不気味に動くのが目前に見える。

 さっきまで何キロも離れた所を飛んでいたドラゴンがもう追いついたのだ。

 逃げられない、これがドラゴンか……。俺は観念せざるを得なかった。

「いやぁぁぁ!」

 ドロシーは叫び、俺にしがみついてくる。

 やがてドラゴンは横にやってきて、3メートルはあろうかと言う巨大な(いか)つい顔を俺の真横に寄せ、ばかでかい真紅の燃えるような眼玉でこちらをにらんだ。

「ひぃぃぃ!」

 あまりの恐ろしさにドロシーは失神してしまった。



「おい小僧! 誰の許しを得て飛んでいるのじゃ?」

 頭に直接ドラゴンの言葉が飛んでくる。

「す、すみません。まさかドラゴン様の縄張りとは知らず、ご無礼をいたしました……」

 俺は必死に謝る。

 ドラゴンは口を開いて鋭い牙を光らせると、

「ついて来るのじゃ! 逃げようとしたら殺す!」

 そう言って西の方へと旋回した。

 俺も渋々ついていく……。この感覚は……そうだ、スピード違反して白バイにつかまった時の感覚に似ている。やっちまった……。



 ドラゴンは宮崎の霧島の火山に近づくと高度を下げていった。どこへ行くのかと思ったら噴火口の中へと入っていく。ちょっとビビっていると、噴火口の内側の崖に巨大な洞窟がポッカリと開いた。ドラゴンはそのまま滑るように洞窟へと入っていく。俺も渋々後を追う。



 洞窟の中は神殿のようになっており、大理石でできた白く広大なホールがあった。周囲の壁には精緻な彫刻が施されており、たくさんの魔法の照明が美しく彩っている。なるほどドラゴンの居城にふさわしい荘厳な(たたず)まいだった。

 これからどんな話になるのだろうか……、俺は胃がキュッと痛くなりながらカヌーを止めた。まだ気を失っているドロシーにそっと俺の上着をかぶせ、トボトボとドラゴンの元へと歩いた。

 ドラゴンは全長30メートルはあろうかと言う巨体で、全身は厳ついウロコで(おお)われ、まさに生物の頂点であった。そして高い所で真紅の目を光らせ、俺をにらんでいる。



「素晴らしいお住まいですね!」

 俺は何とかヨイショから切り出す。

「ほほう、おぬしにこの良さが分かるか」

「周りの彫刻が実に見事です」

「これは過去にあった出来事を記録した物じゃ。およそ四千年前から記録されておる」

「え? 四千年前からこちらにお住まいですか?」

「ま、そうなるかのう」

 俺は大きく深呼吸をすると、

「この度はご無礼をいたしまして、申し訳ありませんでした」

 と言って、深々と頭を下げた。

「お前、いきなり轟音上げながらぶっ飛んでいくとは、失礼じゃろ?」

「まさかドラゴン様のお住まいがあるなど、知らなかったものですから……」

「知らなければ許されるわけでもなかろう!」

 ドラゴンの罵声が神殿中に響き渡り、ビリビリと体が振動する。マズい、極めてマズい……。

 返す言葉もなく悩んでいると……、

「……んん? お主、ヴィーナ様の縁者か?」

 そう言いながら首を下げてきて、俺のすぐそばで大きな目をギョロリと動かした。

 冷や汗が流れてくる。

「あ、ヴィーナ様にこちらの世界へと転生させてもらいました」

「ほう、そうかそうか……、まぁヴィーナ様の縁者となれば……無碍(むげ)にもできんか……」

 そう言って、また首を高い所に戻すドラゴン。

「ヴィーナ様は確か日本で大学生をやられていましたよね?」

「ヴィーナ様はいろいろやられるお方でなぁ、確かに大学生をやっていたのう。その時代のご学友……という訳じゃな……」

「はい、一緒に楽しく過ごさせてもらいました」

 俺は引きつった笑いを浮かべる。

「ほう、うらやましいのう……。(われ)も大学生とやらになるかのう……」

「え!?」

 こんな恐ろしげな巨体が『大学生をやりたい』というギャップに俺はつい驚いてしまった。

「なんじゃ? 何か文句でもあるのか?」

 ドラゴンはギョロリと真紅の目を向けてにらむ。

「い、いや、大学生は人間でないと難しいかな……と」

「何じゃそんなことか」

 そう言うとドラゴンは『ボン!』と煙に包まれ……、中から金髪でおカッパの可愛い少女が現れた。見た目中学生くらいだが、何も着ていない。ふくらみはじめた綺麗な胸を隠す気もなく、胸を張っている。

「え? もしかして……レヴィア……様……ですか?」

「そうじゃ、可愛いじゃろ?」

 そう言ってニッコリと笑う。いわゆる人化の術という奴のようだ。

「あの……服を……着ていただけませんか? ちょっと、目のやり場に困るので……」

 俺が目を背けながらそう言うと、

「ふふっ、(われ)肢体(したい)に欲情しおったな! キャハッ!」

 そう言いながら腕を持ち上げ、斜めに構えてモデルのようなポーズを決めるレヴィア。

「いや、私は幼児体形は守備範囲外なので……」

 俺がそう言うと、レヴィアは顔を真っ赤にし、目に涙を浮かべ、細かく震えだした。

 逆鱗に触れてしまったようだ。ヤバい……。

「あ、いや、そのぉ……」

 俺はしどろもどろになっていると。

「バカちんがー!!」

 と叫び、瞬歩で俺に迫ってデコピンを一発かました。

「ぐわぁぁ!」

 俺はレベル千もあるのにレヴィアのデコピンをかわすことも出来ず、まともにくらって吹き飛ばされ、激痛が走った。

 HPも半分以上持っていかれて、もう一発食らったら即死の状態に追い込まれた。何というデコピン……。ドラゴンの破壊力は反則級だ。

「乙女の美しい身体を『幼児体形』とは不遜(ふそん)な! この無礼者が!!」

 レヴィアはプンプンと怒っている。

「失言でした、失礼いたしました……」

 俺はおでこをさすりながら起き上がる。

「そうじゃ! メッチャ失言じゃ!」

「レヴィア様に欲情してしまわぬよう、極端な表現をしてしまいました。申し訳ございません」

「そうか……、そうなのじゃな、それじゃ仕方ない、服でも着てやろう」

 レヴィアは少し機嫌を直し、サリーのような布を巻き付ける簡単な服を、するするっと身にまとった。それでも横からのぞいたら胸は見えてしまいそうではあるが……。

「これでどうじゃ?」

 ドヤ顔のレヴィア。

「ありがとうございます。お美しいです」

 俺はそう言って頭を下げた。















3-9. 海王星の衝撃



 実際、彼女は美しかった。整った目鼻立ちにボーイッシュな笑顔、もう少し成長したらきっと相当な美人に育つに違いなかった。

「そうじゃろう、そうじゃろう、キャハッ!」



 『キャハッ!』? 俺はこの独特の笑い方に心当たりがあった。夢の中のドロシーが同じ笑い方をしていたのだ。

「もしかして……夢の中で話されてたのはレヴィア様でしたか?」

「ふふん、つまらぬことに悩んでるから正解を教えてやったのじゃ」

「ありがとうございます。でも……ふとももを触らせるのはマズいですよ」

「あれはお主の願望を発現させてやっただけじゃ」

「私の願望!?」

「さわさわしたかったんじゃろ?」

 無邪気に笑うレヴィア。

「いや、まぁ……、そのぉ……」

「ふふっ、(われ)にはお見通しなのじゃ」

 ドヤ顔のレヴィア。

「参りました……。で、おっしゃった正解とは、この世界も地球も全部コンピューターの作り出した世界ということなんですね?」

 俺はさりげなく話題を変える。

「そうじゃ。海王星にあるコンピューターが、今この瞬間もこの世界と地球を動かしているのじゃ」

 いきなり開示された驚くべき事実に俺は衝撃を受けた。具体的なコンピューター設備のこともこのドラゴンは知っているのだ。さらに、その設置場所がまた想像を絶する所だった。海王星というのは太陽系最果ての惑星。きわめて遠く、地球からは光の速度でも4時間はかかる。

「か、海王星!? なんでそんなところに?」

 俺は唖然(あぜん)とした。

「太陽系で一番冷たい所だったから……かのう? 知らんけど」

 レヴィアは興味なさげに適当に答える。

「では、今この瞬間も、私の身体もレヴィア様の身体も海王星で計算されて合成(レンダリング)されているってこと……なんですね?」

「そうじゃろうな。じゃが、それで困ることなんてあるんかの?」

「え!? こ、困ること……?」

 俺は必死に考えた。世界がリアルでないと困ることなんてあるのだろうか? そもそも俺は生まれてからずっと仮想現実空間に住んでいたわけで、リアルな世界など知らないのだ。熱帯魚が群れ泳ぐ海を泳ぎ、雄大なマンタの舞を堪能し、ドロシーの綺麗な銀髪が風でキラキラと煌めくのを見て、手にしっとりとなじむ柔らかな肌を感じる……。この世界に不服なんて全くないのだ。さらに、俺はメッチャ強くなったり空飛んだり、大変に楽しませてもらっている。むしろメリットだらけだろう。あるとすると、ヌチ・ギのような奴がのさばることだろうか。管理者側の無双はタチが悪い。

「ヌチ・ギ……みたいな奴を止められないことくらいでしょうか……」

「あー、奴ね。あれは確かに困った存在じゃ……」

 レヴィアも腕を組んで首をひねる。

「レヴィア様のお力で何とかなりませんか?」

「それがなぁ……。奴とは相互不可侵条約を結んでいるんじゃ。何もできんのじゃよ」

 そう言って肩をすくめる。

「女の子がどんどんと食い物にされているのは、この世界の運用上も問題だと思います」

「まぁ……そうなんじゃが……。あ奴も昔はまじめにこの世界を変えていったんじゃ。魔法も魔物もダンジョンもあ奴の開発した物じゃ。それなりに良くできとるじゃろ?」

「それは確かに……凄いですね」

「最初は良かったんじゃ。街にも活気が出てな。じゃが、そのうち頭打ちになってしまってな。幾らいろんな機能を追加しても活気も増えなきゃ進歩もない社会になってしまったんじゃ」

「それで自暴自棄になって女の子漁りに走ってるってことですか?」

「そうなんじゃ」

「でも、そんなの許されないですよね?」

(われ)もそうは思うんじゃが……」

「私からヴィーナ様にお伝えしてもいいですか?」

 レヴィアは目をつぶり、首を振る。

「お主……、ご学友だからと言ってあのお方を軽く見るでないぞ。こないだもある星がヴィーナ様によって消されたのじゃ」

「え!? 消された?」

「そうじゃ、一瞬で全部消された……それはもう跡形もなく……」

「え? なぜですか?」

「あのお方の理想に合致しない星はすぐに消され、また新たな別の星が作られるんじゃ。もし、お主の注進で、気分を害されたら……この星も終わりじゃ」

「そ、そんな……」

 俺は全身から血の気が引くのを感じた。この星が消されるということは、俺もドロシーもみんなも街も全部消されてしまう……そんなことになったら最悪だ。

「元気で発展しているうちはいい、じゃが……停滞してる星は危ない……」

「じゃぁここもヤバい?」

「そうなんじゃよ……。わしが手をこまねいてるのもそれが理由なんじゃ……。消されたら……、困るでのう……」

 俺は絶句した。

 美奈先輩の恐るべき世界支配に比べたら、ヌチ・ギのいたずらなんて可愛いものかもしれない。サークルでみんなと楽しそうに踊っていた先輩が、なぜそんな大量虐殺みたいなことに手を染めるのか、俺にはさっぱりわからなかった。



「そもそも、ヴィーナ様とはどんなお方なんですか?」

「神様の神様じゃよ。詳しくは言えんがな」

 神様とは『この星の製造者』って意味だろうが、単に製造者ではなく、そのまた神様だという……。一体どういうことだろうか……。



「ちと、しゃべり過ぎてしまったのう、もう、お帰り」

 レヴィアはそう言うと、指先で斜めに空中に線を引いた。すると、そこに空間の切れ目が浮かび、レヴィアはそれを両手でぐっと広げる。向こうを見ると、なんとそこは俺の店の裏の空き地だった。

 そして、レヴィアはドロシーが寝ているカヌーをそっと飛行魔法で持ち上げると、切れ目を通して空地に置いた。

「何か困ったことがあったら(われ)の名を呼ぶのじゃ。気が向いたら何とかしよう」

 レヴィアはニッコリと笑った。

「頼りにしています!」

 俺はそう言うと切れ目に飛び込む……。

 そこは確かにいつもの空き地だった。宮崎にいたのに一歩で愛知……。確かに仮想現実空間というのはとても便利なものだな、と感心してしまった。

「では、達者でな!」

 そう言ってレヴィアは、俺に手を振りながら空間の切れ目を閉じていった。

「ありがとうございました!」

 俺は深々と頭を下げ、思慮深く慈愛に満ちたドラゴンに深く感謝をした。



 それにしても、この世界も地球も海王星で合成されているという話は、一体どう考えたらいいのか途方に暮れる。俺を産み出し、ドロシーやこの街を産み出し、運営してくれていることについては凄く感謝するが……、一体何のために? そして、活気がなくなったら容赦(ようしゃ)なく星ごと消すという美奈先輩の行動も良く分からない。

 謎を一つ解決するとさらに謎が増えるという、この世界の深さに俺は気が遠くなった。















3-10. ドロシーの味方



 さて、帰ってきたぞ……。

 午前中、飛び立ったばかりの空き地なのに、何だか久しぶりの様な少し遠い世界のような違和感があった。それだけ密度が濃い時間だったということだろう。

 俺はすっかり傷だらけで汚れ切った朱色のカヌーに駆け寄り、横たわるドロシーの様子を見た。

 ドロシーはスースーと寝息を立てて寝ている。

「はい、ドロシー、着いたよ」

「うぅん……」

 俺は優しく髪をなで、

「ドロシー、起きて」

 と、声をかけた。

 ドロシーはむっくりと起き上がり、

「あ、あれ? ド、ドラゴンは?」

 と、周りを見回す。そして、

「うーん……、夢だったのかなぁ……?」

 と、首をかしげる。

「ドラゴンはね、無事解決。ところで、今晩『お疲れ会』やろうと思うけどどう?」

 ドラゴンは置いておいて、今晩の予定に話しを振る。

「さすがユータね……。お疲れ会って?」

「仲間一人呼んで、美味しいもの食べよう」

 そろそろアバドンも(ねぎら)ってあげたいと思っていたのだ。ドロシーにも紹介しておいた方が良さそうだし。

「え? 仲間……? い、いいけど……誰……なの?」

 ちょっと警戒するドロシー。

「ドロシーが襲われた時に首輪を外してくれた男がいたろ?」

「あ、あのなんか……ピエロみたいな人?」

「そうそう、アバドンって言うんだ。彼もちょっと労ってやりたいんだよね」

「あ、そうね……助けて……もらったしね……」

 ドロシーは少し緊張しているようだ。

「大丈夫、気の良い奴なんだ。仲良くしてやって」

「う、うん……」

 俺はアバドンに連絡を取る。アバドンは大喜びで、エールとテイクアウトの料理を持ってきてくれるらしい。



        ◇



 日も暮れて明かりを点ける頃、ドロシーがお店に戻ってきた。

「こんばんは~」

 水浴びをしてきたようで、まだしっとりとした銀髪が新鮮に見える。

 俺はテーブルをふきながら、

「はい、座った座った! アバドンももうすぐ来るって」

 と言って、椅子を引いた。

「なんか……緊張しちゃうわ」

 ちょっと伏し目がちのドロシー。



 カラン! カラン!



 タイミングよく、ドアが開く。

「はーい、皆さま、こんばんは~!」

 アバドンが両手に料理と飲み物満載して上機嫌でやってきた。

「うわー、こりゃ大変だ! ちょっとドロシーも手伝って!」

「う、うん」

 俺はアバドンの手からバスケットやら包みやらを取ってはドロシーに渡す。あっという間にテーブルは料理で埋め尽くされた。

「うわぁ! 凄いわ!」

 ドロシーはキラキラとした目で豪華なテーブルを見る。

 アバドンは

「ドロシーの(あね)さん、初めて挨拶させていただきます、アバドンです。以後お見知りおきを……」

 と、うやうやしく挨拶をする。

 ドロシーは赤くなりながら、

「あ、あの時は……ありがとう。これからもよろしくお願いします」

 そう言ってペコリと頭を下げた。

 俺は大きなマグカップに樽からエールを注いで二人に渡し、

「それでは、ドロシーとアバドン、二人の献身に感謝をこめ、乾杯!」

「カンパーイ!」「カンパーイ!」

 俺はゴクゴクとエールを飲んだ。爽やかなのど越し、鼻に抜けてくるホップの香りが俺を幸せに包む。

「くぅぅ!」

 俺は目をつぶり、今日あったいろんなことを思い出しながら幸せに浸った。

「姐さんは今日はどちら行ってきたんですか?」

 アバドンがドロシーに話題を振る。

「え? 海行って~、クジラ見て~」

 ドロシーは嬉しそうに今日あったことを思い出す。

「クジラって何ですか?」

「あのね、すっごーい大きな海の生き物なの! このお店には入らないくらいのサイズよね、ユータ!」

「そうそう、海の巨大生物」

「へぇ~、そんな物見たこともありませんや」

「それがね、いきなりジャンプして、もうバッシャーンって!」

「うわ、そりゃビックリですね!」

 アバドンは両手を広げながら上手く盛り上げる。



「で、その後、帆船がね、巨大なタコに襲われてて……」

「巨大タコ!?」

 驚くアバドン。

「クラーケンだよ、知らない?」

「あー、噂には聞いたことありますが……、私、海行かないもので……」

「それをユータがね、バシュ!って真っ二つにしたのよ」

「さすが旦那様!」

「いやいや、照れるね……、カンパーイ!」

 俺は照れ隠しをする。

「カンパーイ!」「カンパーイ!」

「で、その後ね……ユータが指輪をくれたんだけど……」

 『ブフッ』っと吹き出す俺。

 ドロシーは右手の薬指の指輪をアバドンに見せる。

「お、薬指じゃないですか!」

 アバドンが盛り上げる。

「ところが、ユータったら『太さが合う指にはめた』って言うのよ!」

 そう言ってふくれるドロシー。

「え――――! 旦那様、それはダメですよ!」

 アバドンはオーバーなリアクションしながら俺を責める。

「いや、だって、俺指輪なんてあげたこと……ないもん……」

 そう言ってうなだれる。持ち上げられたと思ったらすぐにダメ出しされる俺……ひどい。

「あげたことなくても……ねぇ」

 アバドンはドロシーを見る。

「その位常識ですよねぇ」

 二人は見つめ合って俺をイジる。

「はいはい、私が悪うございました」

 そう言ってエールをグッと空けた。



「私、アバドンさんってもっと怖い方かと思ってました」

 酔ってちょっと赤い頬を見せながらドロシーが言う。

「私、ぜーんぜん! 怖くないですよ! ね、旦那様!」

 こっちに振るアバドン。確かに俺と奴隷契約してからこっち、かなりいい奴になっているのは事実だ。

「うん、まぁ、頼れる奴だよ」

「うふふ、これからもよろしくお願いしますねっ!」

 ドロシーは嬉しそうに笑う。

 その笑顔に触発されたか、アバドンはいきなり立ち上がって、

「はい! お任せください!」

 と、嬉しそうに答えると、俺の方を向いて、

「旦那様と姐さんが揉めたら私、姐さんの方につきますけどいいですか?」

 と、ニコニコと聞いてくる。

 俺は目をつぶり……

「まぁ、認めよう」

 と、渋い顔で返した。これで奴隷契約もドロシー関連だけは例外となってしまった。しかし、『ダメ』とも言えんしなぁ……。

 アバドンはニヤッと笑うと、

「旦那様に不満があったら何でも言ってください、私がバーンと解決しちゃいます!」

 そう言ってドロシーにアピールする。

「うふふ、味方が増えたわ」

 と、ドロシーは嬉しそうに微笑んだ。



 と、その時、急にアバドンが真顔になって入り口のドアを見た。

 俺も気配を察知し、眉をひそめながらドロシーに二階への階段を指さし、ドロシーを避難させる。

 俺はアバドンに階段を守らせると裏口から外へ出て屋根へと飛び、上から店の表をのぞいた。

 そこにはフードをかぶった小柄の怪しい人物が、店の内部をうかがっている姿があった。俺は勇者の手先だと思い、背後に飛び降りると同時に腕を取り、素早く背中に回して極めた。

「きゃぁ!」

 驚く不審者。

「何の用だ!?」

 と、言って顔を見ると……美しい顔立ち、それはリリアンだった。

 こんな街外れの寂れたところに夜間、王女がお忍びでやってくる……。もはや嫌な予感しかしない。