さらに高度を上げていくと全貌が見えてきた。それはまごうことなき日本列島だった。

 俺は呆然(ぼうぜん)とした。確かに以前、移動中に富士山みたいな山があって、おかしいなと思っていたのだ。でも「火山だったら同じ形になることもあるよね」と勝手に思い込んで無視していたのだが、やっぱりあれは富士山だったのだ。



 さらに高度を上げる……。すると、見えてきたのは四国、九州、そして朝鮮半島。さらに沖縄から台湾……。北には北海道から樺太があった。そう、俺が住んでいた世界は地球だったのだ。



 俺は唖然(あぜん)として、ドサッと布団に倒れ込んだ。

 気候も季節も生えている植物も日本に似すぎてるなとは思っていたのだ。しかしそれは当たり前だったのだ、同じ日本だったのだから……。

 俺は頭を抱えてしまった。異世界だと思っていたら日本だった。これはどういうことだろうか? 人種も文化も文明も全く日本人とは違う人たちが日本列島に住み、魔法を使い、ダンジョンで魔物を狩っている。

 この世界が仮想現実空間だとするならば、誰かが地球をコピーしてきて全く違う人種に全く違う文化・文明を発達させたということだろうが、一体何のために?

 そもそも地球なんてどうやってコピーするのだろうか?

 一体これはどういうことなんだ?

 俺は眉間(みけん)にしわを寄せ、腕を組んで必死に考えるが……皆目見当もつかなかった。



「旦那様~! ご無事ですか~?」

 アバドンの声が聞こえる。

「無事だけど無事じゃない。今すごく悩んでる……。ちょっと戻るね」

 俺は情けない声で応えた。

 本当はこの世界を一周しようと思っていたのだが、きっと太平洋の向こうにはアメリカ大陸があってヨーロッパ大陸があってインドがあって東南アジアがあるだけだろう。これ以上の探索は意味がない。



        ◇



 広場に着陸し、アバドンにボルトを抜いてもらった。

「宇宙どうでしたか?」

 アバドンは興味津々に聞いてくるが、アバドンに日本列島の話をしても理解できないだろう。

「何もなかったよ。お前も行ってくるか?」

 俺はちょっと憔悴(しょうすい)しながら答えた。

「私は旦那様と違いますから、こんなのもち上げて宇宙まで行けませんよ」

 手を振りながら顔をそむけるアバドン。

「ちょっと、疲れちゃった。コーヒーでも飲むか?」

 俺は疲れた笑いを浮かべながら言った。

「ぜひぜひ! 旦那様のコーヒーは美味しいんですよ!」

 嬉しいことを言ってくれるアバドンの背中をパンパンと叩き、店へと戻った。



         ◇



 俺はコーヒーを丁寧に入れてテーブルに置き、アバドンに勧めた。

 アバドンは目をつぶり、軽く首を振りながらコーヒーの香りを堪能(たんのう)する。



 俺はコーヒーをすすりながら言った。

「ちょっと、この世界について教えて欲しいんだよね」



 アバドンは濃いアイシャドウの目をこちらに向け、嬉しそうに紫色のくちびるを開いた。

「なんでもお答えしますよ! 旦那様!」

「お前、ダンジョンでアルバイトしてたろ? あれ、誰が雇い主なんだ?」

「ヌチ・ギさんです。小柄でヒョロッとして()せた男なんですが……、彼がたまに募集のメッセージを送ってくるんです」

「その、ヌチ・ギさんが、ダンジョン作ったり魔物管理してるんだね、何者なんだろう?」

「さぁ……、何者かは私も全然わかりません」

 そう言ってアバドンは首を振る。

「彼はいつからこんなことをやっていて、それは何のためなんだろう?」

「さて……私が生まれたのは二千年くらい前ですが、その頃にはすでにヌチ・ギさんはいましたよ。何のためにこんなことやってるかは……ちょっとわかりません。ちなみに私はヌチ・ギさんに作られました」

 

 なんと、アバドンの親らしい。魔物を生み出し、管理しているのだから当たり前ではあるが、ちょっと不思議な感じがする。



「ヌチ・ギさんは何ができるのかな?」

「森羅万象何でもできますよ。時間を止めたり、新たな生き物作りだしたり、それはまさに全知全能ですよ」

 なるほど、MMORPGのゲームマスターみたいなものかもしれない。この世界を構成するデータを直接いじれるからどんなことでも実現可能だし、何でも調べられる。

「俺じゃ勝てそうにないね」

「そうですね、旦那様は最強ですが、ヌチ・ギさんは次元の違う規格外の存在ですから、存在自体反則ですよ」

 そう言いながら肩をすくめる。

「まぁ、神様みたいなものだと思っておけばいいかな?」

 するとアバドンは、腕を組んで首をひねりながら言った。

「うーん、ヌチ・ギさんはこう言うとアレなんですが、ちょっと邪悪で俗物なんですよ」

「邪悪?」

「どうも女の子を生贄(いけにえ)にして楽しんでるらしいんですよね」

「はぁ!? それじゃ悪魔じゃないか!」

「彼は王都の王族の守り神的なポジションに()いていてですね、軍事や疫病対策や飢饉対策を手伝って、その代わりに可愛い女の子を提供させているんです」

「……。女の子はどうなっちゃうの?」

「さぁ……屋敷に入った女の子は二度と出てこないそうです」

「それは大問題じゃないか!」

「でもヌチ・ギさんを止められる人なんていないですよ。王都の王様だっていいなりです」

 俺は絶句した。この世界の闇がそんなところにあったとは。この世界はヌチ・ギと呼ばれる男が管理するMMOPRGのようなゲームの世界なのかもしれない。そして、その男は女の子を喰い物にする悪魔。でも、誰もこの状況を変えられない。何という恐ろしい世界だろうか。

 この世界は仮想現実空間ということはほぼ堅そうだ。ヌチ・ギが女の子を食い物にするために作った仮想現実空間……。いや、この世界を作るコストはそれこそ天文学的で莫大だ。女の子を手にするためにできるような話じゃない。と、なると、ヌチ・ギは単に管理を任されていて、役得として女の子を食っているという話かもしれない。

 とは言え、この辺は全く想像の域を出ない。何しろ情報が少なすぎる。



「ありがとう、とても参考になったよ。王都に行くのはやめておこう」

「正解だと思います。特に、ドロシーの(あね)さんがヌチ・ギさんの目に触れることが無いようにしてくださいね。奪われたら最悪です」

「うーん、それは怖いな……。気を付けよう」

 俺はふぅぅ、と大きく息を吐きながら、この世界の理不尽さを憂えた。

 うちの街では勇者が特権をかざして好き放題やってるし、王都では怪しい男が国を裏で操りながら女の子を(もてあそ)んでいる。そして、それらは簡単には改善できそうにない。



 この世界ではヌチ・ギがキーになっているということはわかった。なぜここが日本列島なのかも聞けば教えてくれるだろう。しかし、俺はチートで力をつけてきた存在だ。下手に近づけばチートがばれてペナルティを食らってしまう。下手したらアカウント抹消……、殺されてしまうかもしれない。とても話を聞きになんて行けない。アバドンに聞きにいかせたりしてもアウトだろう。ヌチ・ギは万能な存在だ。アバドンの記憶を調べられたりしたら最悪だ。

 結局は自分で調べていくしかないようだ。

 逆にこの世界の秘密が分かったら、ヌチ・ギにも対抗できるかもしれない。ヌチ・ギもバカじゃない、いつか俺の存在にも気づくだろう。その時に対抗できる手段はどうしても必要だ。

 女神様に連絡がつけば解決できるのにな、と思ったが、どうやったらいいかわからない。死んだらもう一度あの先輩に似た美人さんに会えるのかもしれないが……、死ぬわけにもいかないしなぁ……。



 俺はコーヒーをすすりながら、テーブルに可愛く活けられたマーガレットの花を眺めた。ドロシーが飾ったのだろう。黄色の中心部から大きく開いた真っ白な花びらは、元気で快活……まるでドロシーのようだった。

 俺はドロシーのまぶしい笑顔を思い出し、目をつぶった。



 















2-12. 王女からの依頼



 翌日、久しぶりに店を開け、掃除をしているとドアが開いた。



 カラン! カラン!

 女の子と初老の紳士が入ってきた。



「いらっしゃいませ」

 明らかに冒険者とは違うお客に嫌な予感がする。

 女の子はワインレッドと純白のワンピースを着こみ、金髪を綺麗に編み込んで、ただ者ではない雰囲気を漂わせている。鑑定をしてみると……、





リリアン=オディル・ブランザ 王女

王族 レベル12





 なんとお姫様だった。

 リリアンは俺を見るとニコッと笑い、胸を張ってカツカツとヒールを鳴らし近づいてくる。

 整った目鼻立ちに透き通る肌、うわさにたがわない美貌に俺はドキッとしてしまう。

 俺は一つ深呼吸をすると、ひざまずいて言った。

「これは王女様、こんなむさくるしい所へどういったご用件でしょうか?」

 リリアンはニヤッと笑って言った。

「そんな(かしこ)まらないでくれる? あなたがユータ?」

「はい」

「あなた……私の騎士(ナイト)になってくれないかしら?」

 いきなり王女からヘッドハントを受ける俺。あまりのことに混乱してしまう。

「え? わ、私が騎士(ナイト)……ですか? 私はただの商人ですよ?」

「そういうのはいいわ。私、見ちゃったの。あなたが倉庫で倒した男、あれ、勇者に次ぐくらい強いのよ。それを瞬殺できるってことはあなた、勇者と同等……いや、勇者よりも強いはずよ」

 リリアンは嬉しそうに言う。

 バレてしまった……。

 俺は、苦虫を噛み潰したような顔をしてリリアンを見つめた。



騎士(ナイト)なら貴族階級に入れるわ。贅沢もできるわよ。いいことづくめじゃない!」

 無邪気にメリットを強調するリリアン。平穏な暮らしにずかずかと入ってくる貴族たちには本当にうんざりする。

「うーん、私はそう言うの興味ないんです。素朴にこうやって商人やって暮らしたいのです」

「ふーん、あなた、孤児院出身よね? 孤児院って王国からの助成で運営してるって知ってる?」

 リリアンは意地悪な顔をして言う。

 孤児院を盾に脅迫とは許しがたい。

「孤児院は関係ないですよね? そもそも、私が勇者より強いとしたら、王国など私一人でひっくり返せるって思わないんですか?」

 俺はそう言いながらリリアンをにらんだ。つい、無意識に「威圧」の魔法を使ってしまったかもしれない。

「あ、いや、孤児院に圧力かけようって訳じゃなくって……そ、そう、もっと助成増やせるかも知れないわねって話よ?」

 リリアンは気おされ、あわてて言う。

「増やしてくれるのは歓迎です。孤児院はいつも苦しいので。ただ、騎士(ナイト)の件はお断りします。そういうの性に合わないので」

 この世界で貴族は特権階級。確かに魅力的ではあるが、それは同時に貴族間の権力争いの波に揉まれることでもある。そんなのはちょっと勘弁して欲しい。



「うーん……」

 リリアンは腕を組んでしばらく考え込む。

「分かったわ、こうしましょう。あなた勇者ぶっ飛ばしたいでしょ? 私もそうなの。舞台を整えるから、ぶっ飛ばしてくれないかしら?」

 どうやら俺が勇者と揉めていることはすでに調査済みのようだ。

「なぜ……、王女様が勇者をぶっ飛ばしたいのですか?」

「あいつキモいくせに結婚迫ってくるのよ。パパも勇者と血縁関係持ちたくて結婚させようとしてくるの。もう本当に最悪。もし、あなたが勇者ぶっ飛ばしてくれたら結婚話は流れると思うのよね。『弱い人と結婚なんてできません!』って言えるから」

 なるほど、政略結婚をぶち壊したいということらしい。

「そう言うのであればご協力できるかと。もちろん、孤児院の助成強化はお願いしますよ」

 俺はニコッと笑って言った。行方も知れない勇者と対決できる機会を用意してくれて、孤児院の支援もできるなら断る理由はない。

「うふふ、ありがと! 来月にね、武闘会があるの。私、そこでの優勝者と結婚するように仕組まれてるんだけど、決勝で勇者ぶちのめしてくれる? もちろんシード権も設定させるわ」

 リリアンは嬉しそうにキラキラとした目で俺を見る。長いまつげにクリッとしたアンバー色の瞳。さすが王女様、美しい。

「分かりました。孤児院の助成倍増、建物のリフォームをお約束していただけるなら参加しましょう」

「やったぁ!」

 リリアンは両手でこぶしを握り、可愛いガッツポーズをする。



「でも、手加減できないので勇者を殺しちゃうかもしれませんよ?」

「武闘会なのだから偶発的に死んじゃうのは……仕方ないわ。ただ、とどめを刺すようなことは止めてね」

「心がけます」

 俺はニヤッと笑った。

「良かった! これであんな奴と結婚しなくてよくなるわ! ありがとう!」

 リリアンはそう言って俺にハグをしてきた。ブワっとベルガモットの香りに包まれて、俺は面食らった。



 トントントン

 ドロシーが二階から降りてくる。なんと間の悪い……。

 絶世の美女と抱き合っている俺を見て、固まるドロシー。

「ど、どなた?」

 ドロシーの周りに闇のオーラが湧くように見えた。



 リリアンは俺から離れ、

「あら、助けてもらってた孤児の人ね。あなたにはユータはもったいない……かも……ね」

 そう言いながらドロシーをジロジロと見回した。

「そ、それはどういう……」

「ふふっ! 冗談よ! じゃ、ユータ、詳細はまた後でね!」

 そう言って俺に軽く手を振り、出口へとカツカツと歩き出した。

 唖然(あぜん)としながらリリアンを目で追うドロシー。



 リリアンは出口で振り返り、ドロシーをキッとにらむと、

「やっぱり、冗談じゃない……かも」

 そう言ってドロシーと火花を散らした。

 そして、

「バトラー、帰るわよ!」

 そう言って去っていった。