俺はドロシーをベッドに横たえると、身体を少し起こし、ポーションをスプーンで少しずつドロシーに飲ませる。

「う、うぅん……」

 最初はなかなか上手くいかなかったが、徐々に飲んでくれるようになった。鑑定してみると少しずつHPは上がっていってるのでホッとする。

 俺はポーションを飲ませながら、伝わってくるドロシーの温かい体温を受けて、心の底から愛おしさが湧き上がってくるのを感じていた。

 整った目鼻立ちに紅いくちびる……、綺麗だ……。もはや、少女ではないことに気づかされる。幼いころからずっと一緒だった俺は、彼女にはどこか幼女だったころのイメージを重ねていたが、改めて見たらもうすっかり大人の女性なのだった。



 HPも十分に上がったのでもう大丈夫だとは思うのだが、ドロシーはずっと寝たままである。俺はベッドの脇に椅子を持ってきて、しばらくドロシーの手を握り、その美しくカールする長いまつげを見つめていた。



 勇者とは決着をつけねばならない。しかし、相手はタチの悪い特権階級。平民の俺が下手なことをすれば国家反逆罪でおたずね者になってしまう。勇者を相手にするというのは国のシステムそのものを相手にすることだ、とても面倒くさい。



「はぁ~……」

 俺は深いため息をつく。

 しかし、ドロシーをこれ以上危険な目に遭わせるわけにはいかない。何か考えないと……。

 俺はうつむき、必死に策をめぐらした。

 ドロシーのスースーという静かな寝息が聞こえる。



      ◇



 夕方になり、俺が夕飯の準備をしていると、ドロシーが毛布を羽織って起きてきた。

「あっ! ドロシー!」

 俺が驚くと、

「ユータ、ありがとう……」

 ドロシーはうつむきながらそう言った。

「具合はどう?」

 俺が優しく声をかけると、

「もう大丈夫よ」

 そう言って、優しく微笑んだ。

「それは良かった」

 俺はニッコリと笑う。

「それで……、あの……」

 ドロシーが真っ赤になって下を向く。

「ん? どうしたの?」

「私……まだ……綺麗なまま……だよね?」

「ん? ドロシーはいつだって綺麗だよ?」

 鈍感な俺は、何を聞かれてるのか良く分からなかった。

「そうじゃなくて! そのぉ……男の人に……汚されてないかって……」

 ドロシーは耳まで真っ赤にして言う。

「あ、そ、それは大丈夫! もう純潔ピッカピカだよ!」

 俺は真っ赤になりながら答えた。

「良かった……」

 ドロシーは胸をなでおろしながら目をつぶり、ゆっくりと微笑んだ。

「怖い目に遭わせてゴメンね」

 俺は謝る。

「いやいや、ユータのせいじゃないわ。私がうかつに一人で動いちゃったから……」

 すると、

 ギュルギュルギュ~

 と、ドロシーのおなかが鳴った。

 また真っ赤になってうつむくドロシー。

「あはは、おなかすいたよね、まずはご飯にしよう」



 その後、二人で夕飯を食べた。今日のことは触れないようにしようという暗黙の了解のもと、孤児院時代にバカやった話や、院長の物まねなど、他愛のないことを話して笑い合う。朝の大事件が嘘のように、二人はリラックスして温かい時間を過ごした。

 日本にいた時、俺は何をやっていたんだろう。なぜ、日本では女の子とこうやって笑えなかったのだろう? 俺はちょっと感傷的になりながらも、のびやかに笑うドロシーを見て、心が温かくなっていくのを感じていた。



 食事が終わると、俺はドロシーを家まで送っていった。

 念のためにセキュリティの魔道具を設置し、誰かがやってきたら俺の所に連絡がくるようにしておく。さすがにしばらくは勇者側も動かないとは思うが。



       ◇



 ドロシーの家からの帰り道、俺は月を見ながら歩いた。

 月は石畳の道を青く照らし、明かりのついた窓からはにぎやかな声が漏れてくる。



「今日は月のウサギが良く見えるなぁ……」

 満月の真ん丸お月様にウサギが餅つきしている模様……。

 しかしこの時、俺は重大なことに気が付いた。



 あれ? なんで日本から見てた月とこの月、模様が同じなんだろう……?

 今まで月はこういうものだ、と思って何の不思議にも思ってこなかったが、よく考えるとそんなはずはない。ここはもう地球じゃないのだ。どこか別の星だとすれば、衛星も二個だったり色もサイズも模様も別になるはずだ。しかし、実際は地球と同じような衛星が一個だけ全く同じ模様で浮かんでいる。あり得ない……。

 これは一体どういうことだろう?

 俺は気づいてはいけないことに気づいた気がして、思わず背筋がゾッとするのを感じた。

 そもそも、この世界はおかしい。ドロシーは死んで潰されて腕だけになったのに再生してしまった。そんなバカげた話、科学的にあり得ない。もちろん、俺自身が日本で死んでここに転生してきたのだから『そういう世界だ』と言ってしまえばそれまでなんだが。だが、そうであるならば地球とは全く違う世界になってるはずじゃないか?

 あの月は何なのか? なぜ、地球の時と同じなのか?



 俺はこの世界のことを調べてみようと思った。この世界のことをちゃんと知ることが出来たら、ドロシーをこれ以上危険な目に遭わせなくても済むような気がしたのだ。















2-7. 乳酸菌の衝撃



 この世界は生き返る魔法にしても、レベルアップや鑑定スキルにしても、あまりにゲーム的でとてもリアルな世界には感じない。明らかに誰かが作らないとこんなことにはならないだろう。となると、この世界は誰かが作ったMMORPGのような、リアルに見える世界に違いない。

 で、あるならば、一般にゲーマーがやらないことをやれば世界は破綻してバグが見えるだろう。俺はありとあらゆる手段を使ってバグ探しをしてみることにした。それは俺の得意分野だった。



       ◇



 翌日、俺は鋳造所へ足を運んだ。鋳物製品を作るところだ。鍋とか銅像なんかを作っている。

「こんにちは~」

 俺は恐る恐る入ってみる。敷地の隅にはスクラップみたいな金属のクズが山盛りにされており、中には大きな教会の鐘も転がっていた。

 俺は鐘に近づき、じっくりと観察する。高さは人の身長くらい、サイズは十分だ。

「坊主、どうした?」

 ガタイのいい、筋肉質の男が声をかけてくる。

「この鐘、捨てちゃうんですか?」

「作ってはみたが、いい音が出なかったんでな、もう一度溶かして作り直しだよ」

 そう言って肩をすくめる。

「これ、売ってもらえませんか?」

 俺はニッコリと笑って聞いてみる。

「え!? こんなの欲しいのか?」

「ちょっと実験に使いたいんです」

「うーん、まぁスクラップだからいいけど……、それでも金貨五枚はもらうぞ?」

「大丈夫です! ついでにフタに出来る金属板と、こういう穴開けて欲しいんですが……」



 俺はそう言って、メモ帳を開いてサラサラと図を描いた。

 すると男は首を振って言う。

「おいおい、ここは鋳造所だぞ。これは鉄工所の仕事。紹介してやっからそこで相談しな」

「ありがとうございます!」

「じゃ、ちょっと事務所に来な。書類作るから」

「ハイ!」

 俺はこうやって巨大な金属のカプセルを手に入れた。

 そう、俺は宇宙へ行くのだ。



        ◇



 続いて俺はメガネ屋へ行った。この世界でも近眼や老眼の人はいて、メガネは重宝されている。ただ、値段はメチャクチャ高いので、一般人がそう簡単に気軽に買えるものではないようだ。俺はここで拡大鏡(ルーペ)を探そうと思う。

 この世界がどういう風に構成されているかは、細かく観察するとわかることがあるに違いない。地球では顕微鏡があり、電子顕微鏡があり、ありとあらゆる物を、それこそ原子のレベルまで微細に観察できる。さらに言うならヨーロッパには直径十キロの巨大な加速器があって、素粒子同士を光速に近い速度でぶつけ、出てくる粒子の動きを観察して素粒子レベルの観察までやってしまっている。

 しかし、この世界ではそんなのは無理なので、拡大鏡(ルーペ)で見える範囲から観測してみたいと思う。ここがMMORPGの世界であるならば、拡大鏡(ルーペ)でも破綻が見えるだろう。そしたら、また何かバグを探して上手く使ってやるのだ。



 表通りから小路に入り、しばらく行くとメガネの形の小さな看板を見つけた。

 ショーウィンドーにはいろいろなメガネが並べてある。



「こんにちは~」

 俺は小さなガラス窓のついたオシャレな木のドアを開ける。

「いらっしゃいませ……。おや、可愛いお客さんね、どうしたの? 目が悪いの?」

 30歳前後だろうか、やや面長で笑顔が素敵なメガネ美人が声をかけてくる。

拡大鏡(ルーペ)が欲しいのですが、取り扱っていますか?」

「えっ!? 拡大鏡(ルーペ)? そりゃ、あるけど……高いわよ? 金貨十枚とかよ」

「大丈夫です!」

 俺はニコッと笑って答えた。

「あらそう? じゃ、ちょっと待ってて!」

 彼女は店の奥へ入ると木製の箱を持ってきた。

「倍率はどの位がいいのかしら?」

「一番大きいのをください!」

 彼女はちょっと怪訝(けげん)そうな顔をして、言った。

「倍率が高いってことは見える範囲も狭いし、暗いし、ピントも合いにくくなるのよ? ちゃんと用途に合わせて選ばないと……」

「大丈夫です! 僕は武器屋をやってまして、刃物の()げ具合を観察するのに使いたいのです。だから倍率はできるだけ高い方が……」

 適当に嘘をつく。

 彼女は俺の目をジッと見た。

 その鋭い視線に俺はたじろいだ……。

「嘘ね……」

 彼女はメガネをクイッと上げると、

「私、嘘を見破れるの……。お姉さんに正直に言いなさい」

 彼女は少し怒った表情を見せる。

 スキルか何かだろうか……面倒なことになった。

 とは言え、この世界がゲームの世界かどうか調べたいなどという荒唐無稽(こうとうむけい)なこと、とても言えない。何とかボカして説明するしかない……。

 俺は大きく深呼吸をし、言った。

「……。参りました。本当のことを言うと、この世界のことを調べたいのです。この世界の仕組みとか……」

 彼女は、首を左右に動かし、俺のことをいろいろな角度から観察した。

「ふぅん……嘘は言ってないみたいね……」

 そう言いながら腕を組み、うんうんと、軽くうなずいた。

「私ね、こう見えても王立アカデミー出身なのよ。この世界のこと、教えられるかもしれないわ。何が知りたいの?」

 彼女はニコッと笑って言った。

「ありがとうございます。この世界が何でできているかとか、細かい物を見ていくと何が見えるかとか……」

「この世界の物はね、火、水、土、風、雷の元素からできてるのよ」

 中世っぽい理論だ。

「それは拡大していくと見たりできるんですか?」

「うーん、アカデミーにはね、倍率千倍のすごい顕微鏡があるんだけど、それでも見ることは出来ないわね……。その代わり、微生物は見えるわよ」

「え!? 微生物?」

 俺は予想外の回答に驚かされた。

「ヨーグルトってなぜできるか知ってる?」

「牛乳に種のヨーグルトを入れて温めるんですよね?」

「そう、その種のヨーグルトには微生物が入っていて、牛乳を食べてヨーグルトにしていくのよ」

「その微生物が……、見えるんですか?」

「顕微鏡を使うといっぱいウヨウヨ見えるわよ!」

 俺はヨーグルトのCMで見た、乳酸菌の写真を思い出す。

「もしかして……、それってソーセージみたいな形……してませんか?」

「えっ!? なんで知ってるの!?」

 彼女は目を丸くして驚いた。

「いや、なんとなく……」

 そう言いながら俺はうつむき、考え込んでしまった。この世界にも乳酸菌がある。しかし、MMORPGのゲームに乳酸菌などありえない。顕微鏡使わないと見えないものなどわざわざ実装する意味などないのだから。しかし、乳酸菌は『顕微鏡の中で生きている』と彼女は言う。この世界はゲームの世界じゃないということなのだろうか? では、魔法はどうなる? ここまで厳密に緻密に構成された世界なのに、なぜ死者が復活するような魔法が存在するのだろうか……。

 

「不思議な子ね。で、拡大鏡(ルーペ)は要るの、要らないの?」

 彼女は(いぶか)しそうに俺を見る。

「あ――――、一応自分でも色々見てみたいのでください」

 俺は顔をあげて言う。

「まいどあり~」

 彼女は棚から皮袋を取り出すと、拡大鏡(ルーペ)を入れて俺に差し出した。

「はい! 金貨九枚に負けてあげるわ」

「ありがとうございます……」

 俺は力なく微笑んで言った。

 金貨をていねいに数えながら払うと、彼女は、

「良かったらアカデミーの教授紹介するわよ」

 と、言いながら俺を上目づかいにチラッと見る。

「助かります、また来ますね」

 俺はそう言って頭を下げ、店を後にした。



 乳酸菌を実装しているこの世界、一人前のヨーグルトには確か十億個程度の乳酸菌がいるはずだ。それを全部シミュレートしているということだとしたら、誰かが作った世界にしては手が込み過ぎている。意味がないし、ばかげている。

 となると、この世界はリアル……。でもドロシーは腕から生き返っちゃったし、レベルや鑑定のゲーム的なシステムも生きている。この矛盾はどう解決したらいいのだろうか?



 帰り道、俺は公園に立ち寄り、池の水を観察用にと水筒にくみながら物思いにふけっていた。















2-8. トラウマを抱える少女



 店に戻ると鍵が開いていた。

 何だろうと思ってそっと中をのぞき込むと……、カーテンも開けず暗い中、誰かが椅子に静かに座っている。

 目を凝らして見ると……、ドロシーだ。

 ちょっと普通じゃない。俺は心臓を締め付けられるような息苦しさを覚えた。



 俺は大きく息をつくと、明るい調子で声をかけながら入っていった。

「あれ? ドロシーどうしたの? 今日はお店開けないよ」

 ドロシーは俺の方をチラッと見ると、

「あ、税金の書類とか……書かないといけないから……」

 そう言って立ち上がる。

「税金は急がなくていいよ。無理しないでね」

 俺は元気のないドロシーの顔を見ながらいたわる。

 だが、ドロシーはうつむいて黙り込んでしまった。

 嫌な静けさが広がる。

「何かあった?」

 俺はドロシーに近づき、中腰になってドロシーの顔を覗き込む。

 ドロシーはそっと俺の袖をつかんだ。

「……。」

「何でも……、言ってごらん」

 俺は優しく言う。

「怖いの……」

 つぶやくようにか細い声を出すドロシー。

「え? 何が……怖い?」

「一人でいると、昨日のことがブワッて浮かぶの……」

 ドロシーはそう言って、ポトッと涙をこぼした。

 俺はその涙にいたたまれなくなり、優しくドロシーをハグした。

 ふんわりと立ち上る甘く優しいドロシーの香り……。



「大丈夫、もう二度と怖い目になんて絶対()わせないから」

 俺はそう言ってぎゅっと抱きしめた。

「うぇぇぇぇ……」

 こらえてきた感情があふれ出すドロシー。

 俺は優しく銀色の髪をなでる。

 さらわれて男たちに囲まれ、服を破られた。その絶望は、推し量るには余りある恐怖体験だっただろう。そう簡単に忘れられるわけなどないのだ。

 俺はドロシーが泣き止むまで何度も何度も丁寧に髪をなで、また、ゆっくり背中をさすった。

「うっうっうっ……」

 ドロシーの嗚咽の声が静かに暗い店内に響いた。



       ◇



 しばらくして落ち着くと、俺はドロシーをテーブルの所に座らせて、コーヒーを入れた。

 店内に香ばしいコーヒーの香りがふわっと広がる。



 俺はコーヒーをドロシーに差し出しながら言った。

「ねぇ、今度海にでも行かない?」

「海?」

「そうそう、南の海にでも行って、綺麗な魚たちとたわむれながら泳ごうよ」

 俺は微笑みながら優しく提案する。

「海……。私、行ったことないわ……。楽しいの?」

 ドロシーはちょっと興味を示し、俺を見た。

「そりゃぁ最高だよ! 真っ白な砂浜、青く透き通った海、真っ青な空、沢山のカラフルな熱帯魚、居るだけで癒されるよ」

 俺は身振り手振りでオーバーなジェスチャーをしながら頑張って説明する。



「ふぅん……」

 ドロシーはコーヒーを一口すすり、クルクルと巻きながら上がってくる湯気を見ていた。



「どうやって行くの?」

 ドロシーが顔をあげて聞く。

「それは任せて、ドロシーは水着だけ用意しておいて」

「水着? 何それ?」

 ドロシーはキョトンとする。

 そう言えば、この世界で水着は見たことがなかった。そもそも泳ぐ人など誰もいなかったのだ。

「あ、()れても構わない服装でってこと」

「え、洗濯する時に濡らすんだから、みんな濡れても構わないわよ」

 ドロシーは服の心配をしている。

「いや、そうじゃなくて……濡れると布って透けちゃうものがあるから……」

 俺は真っ赤になって説明する。

「えっ……? あっ!」

 ドロシーも真っ赤になった。

「ちょっと探しておいてね」

「う、うん……」

 ドロシーはうつむいて照れながら答えた。



      ◇



 海が楽しみになったのか、ドロシーはひとまず落ち着いたようだった。そして、奥の机で何やら書類を整理しはじめる。

 俺は拡大鏡(ルーペ)を取り出し、池の水を観察することにした。

 窓辺の明るい所の棚の上に白い皿をおいて、池の水を一滴たらし、拡大鏡(ルーペ)でのぞいてみる……。



「いる……」

 そこにはたくさんのプランクトンがウヨウヨと動き回っていた。トゲトゲした丸い物や小船の形のもの、イカダの形をした物など、多彩な形のプランクトンがウジャウジャとしており、一つの宇宙を形作っていた。

 乳酸菌がいるんだから、それより大きなプランクトンがいることは想定の範囲内である。やはり、この世界はリアルな世界と考えた方が良さそうだ。こんなプランクトンたちを全部シミュレートし続けるMMORPGなんて、どう考えてもおかしいんだから。

 俺はしばらくプランクトンがにぎやかに動き回るのを眺めていた。ピョンピョンと動き回るミジンコは、なかなかユニークな動きをしていて見ていて癒される。こんなのを全部コンピューターでシミュレートする世界なんて、さすがに無理があるなと思った。











2-9. Welcome to Underground



「おーい、ドロシー! ちょっと見てごらん!」

 俺は手をあげてドロシーを呼んだ。

「何してるの?」

 ドロシーはちょっと怪訝(けげん)そうな顔をしながらやってくる。

「ここからのぞいてごらん」

 そう言ってドロシーに拡大鏡(ルーペ)を指さした。

「ここをのぞけば……いいのね?」

 ドロシーはおっかなビックリしながら拡大鏡(ルーペ)をそっとのぞいた。

「きゃぁ!」

 驚いて顔を上げるドロシー。

「なによこれー!」

「池の水だよ。拡大鏡(ルーペ)で見ると、中にはいろんな小さな生き物がいるんだよ」

「え? 池ってこんなのだらけなの……?」

 そう言いながら、ドロシーは恐る恐る拡大鏡(ルーペ)を再度のぞく。

 そして、じっくりと見ながらつぶやいた。

「なんだか不思議な世界ね……」

「ピョンピョンしてるの、ミジンコっていうんだけど、可愛くない?」

「うーん、私はこのトゲトゲした丸い方が可愛いと思うわ。何だかカッコいいかも。何て名前なの?」

 嬉しそうに拡大鏡(ルーペ)をのぞいてるドロシー。

「え? 名前……? 何だったかなぁ……、ちょっと見せて」

 俺は拡大鏡(ルーペ)をのぞき込み、不思議な幾何学模様の丸いプランクトンを眺めた。

 中学の時に授業でやった記憶があるんだが、もう思い出せない。『なんとかモ』だったような気がするが……。俺は無意識に鑑定スキルを起動させていた。

 開く鑑定ウインドウ……





クンショウモ レア度:★
淡水に棲む緑藻の一種





 俺は表示内容を見て唖然(あぜん)とした。なぜ、こんな微細なプランクトンまでデータ管理されているのだろう。ウィンドウに表示されている詳細項目を見ると、誕生日時まで詳細に書いてあり、生まれた時からちゃんと個別管理がされてあるようだった。

「そんな……、バカな……」



 急いで他のプランクトンも鑑定してみる。



ミカヅキモ レア度:★
淡水に棲む接合藻の仲間


イカダモ レア度:★
淡水に棲む緑藻の一種



 全て、鑑定できてしまった……。

 これはつまり、膨大に生息している無数のプランクトンも一つ一つシステム側が管理しているということだ。

 一滴の池の水の中に数百匹もいるのだ、池にいるプランクトンの総数なんて何兆個いるかわからない。海まで含めたらもはや天文学的な膨大な尋常じゃない数に達するだろう。でも、その全てをシステムは管理していて、俺に個別のデータを提供してくれている。ありえない……。

 きっと乳酸菌を鑑定しても一つ一つ鑑定結果が出てしまうのだろう。一体この世界はどうなってるのか?

 ここまで管理できているということは、この世界はむしろ全部コンピューターによって作られた世界だと考えた方が妥当だ。そもそも魔法で空を飛べたり、レベルアップでとんでもない力が出る時点で、システムがデータ管理だけに留まらないことは明白なのだ。

 俺は『複雑すぎる世界は管理しきれない。だから、この世界は仮想現実空間ではない』と考えていたが、どうもそんなことはないらしい。誰も見てない池の中のプランクトンも、一つ一つ厳密にシミュレートできるコンピューターシステムがある、としか考えられない。

 俺は背筋に水を浴びたようにゾッとし、冷や汗がタラりと流れた。

「Welcome to Underground(ようこそ地下世界へ)」

 誰かが耳元でささやいている……。そんな気がした。

 俺はこの世界の重大な秘密にたどり着いてしまった……。



 俺はよろよろとテーブルの所へと戻り、冷めたコーヒーをゴクゴクと飲んだ。

「ユータ……、どうしたの?」

 真っ青な顔をした俺を見て、ドロシーが心配そうに声をかけてくる。

 俺は両手で髪の毛をかきあげ、大きく息を吐いて言った。

「大丈夫。真実は小説より奇なりだったんだ」

 ドロシーは何のことか分からず、首をひねっていた。



        ◇



 この世界はコンピューターによって作られた世界……みたいだ。だとしたらどんなコンピューターなのだろうか?

 この広大な世界を全部シミュレーションしようと思ったら相当規模はデカくないとならないはずだ。それこそコンピューターでできた惑星くらいの狂ったような規模でない限り実現不可能だろう。

 そもそも電力はどうなっているのだろう? 演算性能自体はコンピューターの数を増やせばどんどん増えるが、電力は有限なはずだ。俺はエネルギーの面からコンピューターシステムの規模の予想をしてみようと思いついた。



 一番デカいエネルギー源は太陽だ。実用性を考えれば、巨大な核融合炉である太陽を超えるエネルギー源はない。太陽系外だとしても恒星をエネルギー源にするのが妥当だろう。

 地球で太陽光発電パネルを使う時、一平方メートルで200Wの電力が取れていた。これは日本での俺のパソコン一台分に相当する。この太陽光発電パネルで太陽をぐるっと覆った時、どの位の電力になるだろうか?

 太陽から地球の距離は光速で約八分、光速は秒間地球七周だから……。俺は紙に計算式を殴り書いていった。計算なんて久しぶりだ。

 大体、3x10の23乗台のパソコンが動かせるくらいらしい。数字がデカすぎて訳が分からない。 

 で、この世界をシミュレーションしようと思ったら、例えば分子を一台のパソコンで一万個担当すると仮定すると、3x10の27乗個の分子をシミュレートできる計算になる。

 これってどの位の分子数に相当するのだろう……?

 続いて人体の分子数を適当に推定してみると……、2x10の27乗らしい。なんと、太陽丸まる一個使ってできるシミュレーションは人体一個半だった。

 つまり、この世界をコンピューターでシミュレーションするなんて無理なことが分かった。究極に頑張って莫大なコンピューターシステム作っても人体一個半程度のシミュレーションしかできないのだ。この広大な世界全部をシミュレーションするなんて絶対に無理なのだ。もちろん、パソコンじゃなくて、もっと効率のいいコンピューターは作れるだろう。でもパソコンの一万倍効率を上げても一万五千人分くらいしかシミュレーションできない。全人口、街や大地や、動植物、この広大な世界のシミュレーションには程遠いのだ。

 俺は手のひらを眺めた。微細なしわがあり、その下には青や赤の血管たちが見える……。

 拡大鏡(ルーペ)で拡大してみると、指紋が巨大なうねのようにして走り、汗腺からは汗が湧き出している。こんな精密な構造が全部コンピューターによってシミュレーションされているらしいが……、本当に?

 鑑定の結果から導き出される結論はそうだが、そんなコンピューターは作れない。一体この世界はどうなっているのだろうか?

 俺は頭を抱え、深くため息をついた。







 

2-10. 衝撃の宇宙旅行



 しばらくして、店の裏手の空地に金属カプセルの素材が届いた。鐘とフタになる鉄板と、シール材のゴム、それからのぞき窓になるガラス、それぞれ寸法通りに穴もあけてもらっている。

 これからこれを使って宇宙へ行こうと思う。

 この世界が仮想現実空間であるならば、俺が宇宙へ行くのは開発者の想定外なはずだ。想定外なことを起こすことがバグを見つけ、この世界を理解するキーになるのだ。



  俺はまずアバドンを呼び出した。彼には爆破事件から再生した後、勇者の所在を追ってもらっている。



「やぁ、アバドン、調子はどう?」

 飛んできたアバドンに手をあげる。

「旦那様、申し訳ないんですが、勇者はまだ見つかりません」

「うーん、どこ行っちゃったのかなぁ?」

「あの大爆発は公式には原因不明となってますが、勇者の関係者が起こしたものだということはバレていてですね、どうもほとぼりが冷めるまで姿をくらますつもりのようなんです」

 勇者が見つからないというのは想定外だった。アバドンは魔人だ、王宮に忍び込むことなど簡単だし、変装だってできる。だから簡単に見つかると思っていたのだが……。



「ボコボコにして、二度と悪さできないようにしてやるつもりだったのになぁ……」

「きっとどこかの女の所にしけ込んでるんでしょう。残念ながら……、女の家までは調査は難しいです」

「分かった。ありがとう。引き続きよろしく!」

「わかりやした!」

「で、今日はちょっと手伝ってもらいたいことがあってね」

 そう言って俺は教会の鐘を指さした。

「旦那様、これ……何ですか?」

 怪訝(けげん)そうなアバドン。

「宇宙船だよ」

 俺はにこやかに返した。

「宇宙船!?」

 目を丸くするアバドン。

「そう、これで宇宙に行ってくるよ」

「宇宙!? 宇宙って空のずっと上の……宇宙……ですか?」

 アバドンは空を指さして首をひねる。

「お前は行ったことあるか?」

「ないですよ! 空も高くなると寒いし苦しいし……、そもそも行ったって何もないんですから」

「何もないかどうかは、行ってみないとわからんだろ」

「いやまぁそうですけど……」

「俺が中入ったら、このボルトにナットで締めて欲しいんだよね」

「その位ならお安い御用ですが……こんなので本当に大丈夫なんですか?」

 アバドンは教会の鐘をこぶしでカンカンと叩き、不思議そうな顔をする。

「まぁ、行ってみたらわかるよ」

 大気圧は指先ほどの面積に数kgの力がかかる。つまり、このサイズだと十トンほどの力が鉄板などにかかってしまう。ちゃんとその辺を考えないと爆発して終わりだ。でも、これだけ分厚い金属なら耐えてくれるだろう。

 それから、水の中に潜れる魔道具の指輪を買ってきたので、これで酸欠にもならずに済みそうだ。指輪を着けておくと血中酸素濃度が落ちないらしい。こういうチートアイテムの存在自体が、この世界は仮想現実空間である一つの証拠とも言える気がする。しかし、どうやって実現しているかが全く分からないので気持ち悪いのだが……。



 俺は鐘を横倒しにし、中に断熱材代わりのふとんを敷き詰めると乗り込み、鉄板で蓋をしてもらった。

「じゃぁボルトで締めてくれ」

「わかりやした!」

 アバドンは丁寧に50か所ほどをボルトで締めていく。

 締めてもらいながら、俺は宇宙に思いをはせる――――

 生まれて初めての宇宙旅行、いったい何があるのだろうか? この星は地球に似ているが、実は星じゃないかもしれない。何しろ仮想現実空間らしいので地上はただの円盤で、世界の果ては滝になっているのかもしれない……。

 それとも……、女神様が出てきて『ダメよ! 帰りなさい!』とか、怒られちゃったりして。あ、そう言えばあの先輩に似た女神様、結局何なんだろう? 彼女がこの世界を作ったのかなぁ……。



 俺が悩んでいると、カンカンと鐘が叩かれた。

「旦那様、OKです!」

 締め終わったようだ。出発準備完了である。



「ありがとう! それでは宇宙観光へ出発いたしまーす!」

 俺は鐘全体に隠ぺい魔法をかけた後、自分のステータス画面を出して指さし確認する。

「MPヨシッ! HPヨシッ! エンジン、パイロット、オール・グリーン! 飛行魔法発動!」

 鐘は全体がボウっと光に包まれた。

 俺はまっすぐ上に飛び立つよう徐々に魔力を注入していく。



「お気をつけて~!」

 アバドンが、鐘の横に付けた小さなガラス窓の向こうで大きく手を振っている。



 1トンの重さを超える大きな鐘はゆるゆると浮き上がり、徐々に速度を上げながら上昇していく。きっと外から見たらシュールな現代アートのように違いない。録画してYoutubeに上げたらきっと人気出るだろうな……、と馬鹿なことを考える。



 のぞき窓の向こうの風景がゆっくりと流れていく。俺は徐々に魔力を上げていった……。

 石造りの建物の屋根がどんどん遠ざかり、街全体の風景となり、それもどんどん遠ざかり、やがて一面の麦畑の風景となっていく。俺があくせく暮らしていた世界がまるで箱庭のように小さくなっていった。

 広大な森と川と海が見えてくる。さらに高度を上げていく……。

 どんどん小さくなっていく風景。

 青かった空も徐々に暗くなり、ついには空が真っ暗になる。

 ゴー! とうるさかった風切り音も徐々に小さくなり、高度が50kmくらいに達した頃、ついには無音になった。



「いよいよだぞ……、何が出るかなぁ……」

 俺はワクワクしながら小窓から地上を見ていた。青くかすむ大気の層の下には複雑な海岸線が伸びている。

「綺麗だな……」

 と、この時、海岸線の形に見覚えがあるような気がした。

 ニョキニョキっと伸びる特徴的な二つの半島……。

「あれ? あれは知多半島と渥美半島……じゃないのか?」

 どっちが知多半島で、どっちが渥美半島だか忘れてしまったが、これは伊勢湾……?

 となると、向こうが伊勢志摩……。いやいや、そんな馬鹿な!

 しかし、よく見れば浜名湖もあるし琵琶湖もある。日本人なら誰だって間違いようがない形……。

 俺は血の気が引いた。

 俺たちが住んでいたのは、なんと日本列島だったのだ。