「お、王女様!?」

 俺は急いで手を放す。

「痛いじゃない! 何すんのよ!」

 リリアンが透き通るようなアンバー色の瞳で俺をにらむ。

「こ、これは失礼しました。しかし、こんな夜におひとりで出歩かれては危険ですよ」

「大丈夫よ、危なくなったら魔道具で騎士が飛んでくるようになってるの」

 ドヤ顔のリリアン。

 俺は絶対リリアンの騎士にはならないようにしようと心に誓った。毎晩呼び出されそうだ。

「とりあえず、中へどうぞ」

 俺はリリアンを店内に案内した。

「ドロシー、もう大丈夫だよ、王女様だった」

 俺は二階にそう声をかける。

 リリアンはローブを脱ぎ、流れるような美しいブロンドの髪を軽く振り、ドキッとするほどの笑顔でこちらを見てくる。

 俺は心臓の高鳴りを悟られないように淡々と聞いた。

「こんな夜中に何の御用ですか?」

「ふふん、何だと思う?」

 何だか嬉しそうに逆に聞いてくる。

「今、パーティ中なので、手短にお願いします」

「あら、美味しそうじゃない。私にもくださらない?」

 そう言いながらテーブルへと歩き出すリリアン。

「え? こんな庶民の食べ物、お口に合いませんよ!」

「あら、食べさせてもくれないの? 私が孤児院のために今日一日走り回ったというのに?」

 リリアンは振り返って透明感のある白い(ほほ)をふくらませ、俺をにらむ。

 孤児院のことを出されると弱い。

「分かりました」

 俺はそう言って椅子と食器を追加でセットした。

 リリアンは席の前に立つとしばらく何かを待っている。そして、俺をチラッと見ると、

「ユータ、椅子をお願い」

 なんと、座る時には椅子を押す人が要るらしい。

 俺は椅子を押しながら、

「王女様、ここは庶民のパーティですから、庶民マナーでお願いします。庶民は椅子は自分で座るんです」

「ふぅん、勉強になるわ。あれ? フォークしかないわよ」

「あー、食べ物は料理皿のスプーンでセルフで取り分けて、フォークで食べるんです」

「ユータ、やって」

 さすが王女様、自分では何もやらないつもりだ。

 ドロシーがちょっと怒った目で、

「私がお取り分けします」

 と、言いながらリリアンの前の取り皿を取ろうとすると、

 リリアンはピシッとドロシーの手をはたいた。

「私はユータに頼んだの」

 そう言ってドロシーをにらんだ。

 二人の間に見えない火花が散る。

 王位継承順位第二位リリアン=オディル・ブランザに対し、一歩も引かない孤児の少女ドロシー。俺もアバドンもオロオロするばかりだった。



「のどが渇いたわ、シャンパン出して」

 俺を見て言うリリアン。

「いや、庶民のパーティーなので、ドリンクはエールしかないです」

「ふーん、美味しいの?」

「ホップを利かせた苦い麦のお酒ですね。私は大好きですけども……」

「じゃぁ頂戴」

 するとドロシーがすかさず、特大マグカップになみなみとエールを注ぎ、

「王女様どうぞ……」

 と、にこやかに渡す。

 いちいち火花を散らす二人。



「と、とりあえず乾杯しましょう、カンパーイ!」

 俺は引きつった笑顔で音頭を取る。

「カンパーイ!」「カンパーイ!」「カンパーイ!」



 リリアンは一口エールをなめて、

「苦~い!」

 と、言いながら、俺の方を向いて渋い顔をする。

「高貴なお方のお口には合いませんね。残念ですわ」

 ドロシーがさりげなくジャブを打ってくる。

 リリアンがキッとドロシーをにらむ。

「あ、エールはワインと違ってですね、のど越しを楽しむものなんです」

「どういうこと?」

「ゴクッと飲んだ瞬間に鼻に抜けるホップの香りを楽しむので、一度一気に飲んでみては?」

「ふぅん……」

 リリアンは半信半疑でエールを一気にゴクリと飲んだ。

 そして、目を見開いて、

「あ、確かに美味しいかも……。さすがユータ! 頼りになるわぁ」

 そう言って俺にニッコリと笑いかけた。

「それは良かったです。で、今日のご用向きは?」

 俺はドロシーからの視線を痛く感じ、冷や汗を垂らしながら聞いた。

「そうそう、孤児院の助成倍増とリフォーム! 通してあげたわよ!」

「え? 本当ですか!?」

「王女、嘘つかないわよ」

 そう言ってドヤ顔のリリアン。

 俺はスクッと立ち上がると、

「リリアン姫の孤児院支援にカンパーイ!」

「カンパーイ!」「カンパーイ!」「カンパーイ!」

 ドロシーも孤児院の支援は嬉しかったらしく。

「王女様、ありがとうございます」

 と、素直に頭を下げた。

「ふふっ、Noblesse oblige(ノブレス・オブリージュ)よ、高貴な者には責務があるの」

「それでもありがたいです」

 俺も頭を下げた。

「で、今日は何のお祝いなの?」

「お祝いというか、慰労会ですね」

「慰労?」

「南の島で泳いで帰ってきて『お疲れ会』、帰りにドラゴンに会ったり大変だったんです」

 ドロシーが説明する。

「ちょ、ちょっと待って! ドラゴンに会ったの!?」

 目を丸くするリリアン。

「あれ、ドラゴンご存じですか?」

「王家の守り神ですもの。おじい様、先代の王は友のように交流があったとも聞いています。私も会うことできますか?」

 リリアンは手を組んで必死に頼んでくる。

「いやいや、レヴィア様はそんな気軽に呼べるような存在じゃないので……」

「えぇ、リリアンのお願い聞けないの?」

 長いまつげに、透き通るようなアンバー色の瞳に見つめられて俺は困惑する。

『なんじゃ、呼んだか?』

 いきなり俺の頭に声が響いた。

「え? レヴィア様!?」

 俺は仰天した。名前を呼ぶだけで通話開始? ちょっとやり過ぎじゃないだろうか?

『もう会いたくなったか? 仕方ないのう』

「いや、ちょっと、呼んだわけではなく……」

 と、話している間に、店内の空間がいきなり裂けた。そして、

「キャハッ!」

 と、笑いながら金髪おかっぱで全裸の少女が現れる。唖然(あぜん)とするみんな。

 なぜこんなに大物が次々と客に来るのか……。俺はちょっと気が遠くなった。

















3-12. デジタルコピーの限界



「レヴィア様! 服! 服!」

 俺が焦ってみんなの視線を(さえぎ)ると、

「あ、忘れとったよ、てへ」

 そう言ってレヴィアはサリーを巻いた。そして、みんなを見回し……、

「おう、なんじゃ、楽しそうなことやっとるな。(われ)も混ぜるのじゃ!」

 そう言って、ツカツカとテーブルに近づくと、エールの樽の上蓋(うわぶた)をパーン! と叩き割って取り外し、そのまま樽ごと飲み始めた。

 ドラゴンの常軌を逸した振る舞いにみんな唖然(あぜん)としている。

 俺は財布をアバドンに渡すと、

「ゴメン、酒と食べ物買えるだけ買ってきて!」

 と、拝むように頼んだ。



 レヴィアはそのまま一気飲みで樽を開けると、

「プハー! このエールは美味いのう」

 と、満足げな笑みを浮かべた。



 リリアンはおずおずと声をかける。

「ド、ドラゴン様……ですか?」

「そうじゃ、(われ)がドラゴンじゃ。……、あー、お主はリリアン、お前のじいさまはまだ元気か?」

「は、はい、隠居はされてますが、まだ健在です」

「お主のじいさまは根性なしでのう、(われ)がちょっと鍛えてやったら弱音はいて逃げ出しおった」

「えっ? 聞いているお話とは全然違うのですが……」

「あやつめ、都合のいいことばかり抜かしおったな……」

 レヴィアはそう言いながらステーキの皿を取ると、そのまま全部口の中に流し込み、()むことなく丸呑みした。

 そして、舌なめずりをすると、

「おぉ、美味いのう! シェフは肉料理を良く分かっておる!」

 と、上機嫌になった。丸呑みで味なんかわかるのだろうか?

「おい、ユータ! 酒はどうなった? あれで終わりか?」

「今、買いに行かせてます。もうしばらくお待ちください」

「用意が悪いのう……」

 渋い顔を見せるレヴィア。王女もレヴィアもいきなりやってきて好き放題言って、なんなんだろうか? 俺はムッとしてエールをゴクゴクと飲んだ。



 リリアンがおずおずと声をかける。

「あのぅ、レヴィア様は可愛すぎてあまりドラゴンっぽくないのですが、なぜそんなに可愛らしいのでしょうか?」

「我はまだ四千歳じゃからの。ピチピチなんじゃ。後二千年くらいしたらお主のようにボイーンとなるんじゃ。キャハッ!」

「あ、龍のお姿にはならないんですか?」

「なんじゃ、見たいのか?」

 リリアンもドロシーもうなずいている。

 確かにこんなちんちくりんな小娘をドラゴンと言われても、普通は納得できない。

「龍の姿になったらこの建物吹っ飛ぶが、いいか?」

 レヴィアは部屋を見回しながら、とんでもないことを聞いてくる。いい訳ないじゃないか。

「ぜひ、あの美しい神殿で、レヴィア様の偉大なお姿を見せつけてあげてください」

 そう言って、開きっぱなしの空間の裂け目を指さした。

「お、そうか? じゃ、お主ら来るのじゃ」

 レヴィアはそう言うと、リリアンとドロシーを飛行魔法でふわっと持ち上げる。

「うわぁ!」「きゃぁ!」

 そして、そのまま連れて空間の裂け目の向こうへと行った――――。



 直後、『ボン!』という変身音がして、

「キャ――――!!」「キャ――――!!」

 という悲鳴が裂け目の向こうから聞こえてきた。そして、

「グワッハッハッハ!!」

 という重低音の笑い声の直後、

『ゴォォォォ!』

 という何か恐ろしい実演の音が響いた。

「キャ――――!!」「キャ――――!!」

 また、響く悲鳴。

 そして、二人が逃げるように裂け目から出てきた。

 まるでテーマパークのアトラクションである。

 二人はお互い両手をつなぎながら、青い顔をして震えている。

「レヴィア様の凄さがわかったろ?」

 俺が聞くと、二人とも無言でうなずいていた。



「我の偉大さに恐れ入ったか? キャハッ!」

 上機嫌で戻ってくるレヴィアだが、また全裸である。

「レヴィア様、服、服!」

 俺が急いで指摘すると、

「面倒くさいのう……」

 と、言いながらサリーをまとった。



「お待たせしましたー」

 アバドンがまた両手いっぱいに酒と料理を持ってきた。

「お、ありがとう」

 俺が隣に台を広げて、調達した物を並べてると、レヴィアはウイスキーのビンを一本取った。そして、逆さに持つと、指をビンの底の所でパチッと鳴らす。すると、底の部分がきれいに切り取られ、まるでワイングラスのようになった。ビンの底からそのまま飲み始めるレヴィア。

 ゴクゴクと一気飲みすると、

「プハー! 最高じゃな!」

 と、素敵な笑顔で笑った。

 ドラゴンはやることなすこと全部規格外で思わず笑ってしまう。

「カーッ! のどが渇くわい! チェイサー! チェイサー!」

 そう言いながらエールの樽のフタを『パカン!』と割って、また一気飲みしようとする。

「レヴィア様! ちょっとお待ちを! それ、我々も飲むので、シェアでお願いします」

「もう……ケチ臭いのう」

 レヴィアはそう言うと、両手を樽に置いたまま何か考え込んでブツブツ言いだした。

 すると、隣に『ボン!』といって、全く同じ樽が現れた。

「コピーしたからお主らはそれを飲むのじゃ」

 そう言って現れた樽を指さした。

「コ、コピー!?」

 俺が驚いていると、

「なぜお主が驚くんじゃ? なぜコピーできるか、お主なら知っておろう?」

「いや、まぁ、原理は分かってますよ、分かってますけど、初めて見たので……」

「ならいいじゃろ」

 そう言ってコピー元の樽を丸呑みしようとするレヴィア。

「ちょっとお待ちください」

「何じゃ?」

「我々がそっち飲んでもいいですか?」

「な、何を言うておる。デジタルコピーは寸分たがわず本物じゃぞ」

「なら、そっち飲んでもいいですよね?」

「いや、ほれ、気持ちの問題でな、コピーしたものを飲むのはちょっと風情に欠けるのじゃ……」

 バツが悪そうなレヴィア。

「折角なので飲み比べさせてください」

 俺がニッコリと提案する。

「仕方ないのう……」

 俺は交互に飲み比べた。

 確かに、コピーした物もちゃんとしたエールである。そこそこ美味い。でも、なぜかオリジナルの樽の方が味に奥行きがある気がするのだ。

「やはりオリジナルの方が美味いじゃないですか」

「なんでかのう?」

 レヴィアも理由は分からないらしい。以前、成分分析をしたそうだが違いは見つからなかったそうだ。

 でもまぁ、酔っぱらってしまえば分からないくらいのささいな違いなので、気にせず、俺たちはコピー物を飲むことにした。ついでにレヴィアに料理やほかの酒もどんどんコピーしてもらって店内は飲食物でいっぱいになった。

 次々にコピーされる料理にリリアンたちは唖然(あぜん)としている。



 俺はスクッと立ち上がると、

「偉大なるレヴィア様に感謝の乾杯をしたいと思いまーす!」

「うむ、皆の衆、お疲れじゃ! キャハッ!」

 レヴィアも上機嫌である。

「カンパーイ!」「カンパーイ!」「カンパーイ!」「カンパーイ!」「カンパーイ!」

 俺たちはレヴィアの樽にマグカップをゴツゴツとぶつけた。

 こんな豪快な乾杯は生まれて初めてである。

 レヴィアは美味そうにオリジナルのエールの樽を一気飲みする。

「クフーッ! やはりオリジナルは美味いのう」

 そう言って目をつぶり、満足げに首を振った。数十リットルのエールがこの中学生体形のおなかのどこに消えるのか非常に謎であるが、まぁ、この世界はデータでできた世界。管理者権限を持つドラゴンにとっては何でもアリなのだろう。俺もいつか樽を一気飲みしてみたいと思った。













3-13. 月明かりのキス



 宴もたけなわとなり、みんなかなり酔っぱらった頃、レヴィアが余計なことを言い出した。

「こ奴がな、我のことを『美しい』と、言うんじゃよ」

 そう言って嬉しそうに俺を引き寄せ、頭を抱いた。

 薄い布一枚へだてて、膨らみ始めた胸の柔らかな肌が頬に当たり、かぐわしい少女の芳香に包まれる。マズい……。

「ちょ、ちょっと、レヴィア様、おやめください!」

「なんじゃ? 『幼児体形』にもよおしたか? キャハッ!」

 レヴィアはグリグリと胸を押し付けてくる。抵抗しようとしたがドラゴンの腕力には全くかなわない。とんでもない少女である。

「レヴィア様、飲み過ぎです~!」

 レヴィアは俺を開放すると、

「どうじゃ? まぐわいたくなったか?」

 と、小悪魔な笑顔で俺を見る。

「そんな、恐れ多いこと、考えもしませんから大丈夫です!」

 俺はドキドキしながら急いでエールをあおった。

「ふん、つまらん奴じゃ。なら、誰とまぐわいたいんじゃ?」

「え!?」

 全員が俺を見る。

「いや、ちょっと、それはセクハラですよ! セクハラ!」

 俺が真っ赤になって反駁(はんばく)していると、リリアンが俺の手を取って言った。

「正直におっしゃっていただいて……、いいんですのよ」

 リリアンも相当酔っぱらっている。真っ赤な顔で嬉しそうに俺を見ている。

「え!? 王女様までからかわないで下さい!」

「なんじゃ? リリアンもユータを狙っておるのか?」

 レヴィアはウイスキーをゴクゴクと飲みながら言った。

「私、強い人……好きなの……」

 そう言ってリリアンは俺の頬をそっとなでた。急速に高鳴る俺の心臓。

「王家の繁栄には強い子種が……大切じゃからな」

 そう言って、レヴィアがウイスキーを飲み干した。

「ちょっと、(あお)らないで下さいよ!」

「あら何……? 私の何が不満なの? 男たちはみんな私に求婚してくるのよ」

 そう言って、リリアンはキラキラと光る瞳で上目づかいに俺を見る。透き通るような白い肌、優美にカールする長いまつげ、熟れた果実のようなプリッとしたくちびる、全てが芸術品のようだった。

「ふ、不満なんて……ないですよ」

 俺は気圧されながら答える。こんな絶世の美女に迫られて正気を保つのは男には難しい。



 ガタッ!

 ドロシーがいきなり席を立ち、タタタタと階段を上っていく。



「ドロシー!」

 俺はみんなに失礼をわびるとドロシーを追いかけた。



      ◇



 二階に登ると、真っ暗な部屋の中、月明かりに照らされながらドロシーが仮眠用ベッドにぽつんと座っていた。

 俺は大きく息をつく……。

 そして、そっと隣に座り、優しく切り出した。

「どうしたの? いきなり……」

「……」

 うつむいたまま動かないドロシー。



「ちょっと飲みすぎちゃったかな?」

「王女様……放っておいちゃダメじゃない……」

 ドロシーが小声でつぶやく。

「ドロシーを放ってもおけないよ」

「不満……無いんでしょ? 良かったじゃない。王国一の美貌(びぼう)羨望(せんぼう)の的だわ」

「あれは言葉のアヤだって」

「私なんて放っておいて下行きなさいよ!」

 俺はドロシーの手を取って言った。

「俺にとって……一番大切なのはドロシーなんだ。ドロシーおいて下なんて行けないよ」

「……。本当?」

 恐る恐る顔を上げるドロシー。

「本当さ、そうでなければ追いかけてなんて来ないだろ?」

 俺はドロシーに微笑みかける。

 ドロシーは涙をいっぱいにたたえた目で俺を見る。透き通るような肌が月明かりに照らされ、まるで妖精のように美しく、そして愛おしく見えた。

 俺はそっと頭をなでる。

 次の瞬間、いきなりドロシーがくちびるを重ねてきた。

 いきなりのことに驚く俺。

 でも、熱く情熱的な舌の動きに俺もつい合わせてしまう。

 甘い吐息を吐きながら俺を求めてくるドロシー。

 負けじと俺の手は彼女の背中をまさぐる。

 月の青い光の中で俺たちは舌を絡め合わせ、しばらくお互いをむさぼった……。



「うふふ……ユータ……好き」

 くちびるを離すと、そう言ってドロシーは俺に抱き着いてきた。

 俺はドロシーを抱きしめ、豊かな胸のふくらみから熱い体温を感じる。心臓がドクドクと早打ちし、このまま押し倒してしまい衝動にかられた。

 しかし……このまま行為に及ぶわけにもいかない。

 俺が激しく欲望と戦っていると……、スースーと寝息が聞こえてくる。どうやら寝てしまったようだ。よく考えたら、ドロシーは飲み過ぎなのだ。

 俺はホッとしつつ……、

「くぅっ!」

 同時にこのやりきれない思いをどうしたらいいのか、持てあました。



 ドロシーをそっとベッドに横たえ、毛布を掛ける。

 幸せそうな顔をしながら寝ているドロシーをしばらく見つめ、

「おやすみ……」

 そう言いながらそっと頬にキスをすると、俺は下へと降りて行った。















3-14. 心だけが真実



 席に戻ると、レヴィアがニヤッと笑って小声で耳打ちしてくる。

「お盛んじゃの」

 俺は真っ赤になりながら、

「のぞき見は趣味が悪いですよ」

 と、応えた。

「我にもしてくれんかの?」

 そう言って、可愛いくちびるを突き出してくるレヴィア。

「本日はもうキャパオーバーです」

「なんじゃ? つまらん奴じゃ」

「え? 何をしてくれるんです?」

 酔っぱらったリリアンが割り込んでくる。

「王女様、そろそろ戻られないと王宮が大騒ぎになりますよ」

「えぇ――――、帰りたくなーい!」

 そう言いながら、俺にもたれかかってくるリリアン。もう泥酔状態である。

 俺はリリアンをハグして、落ちないようにしながらレヴィアに頼む。

「ちょっと、レヴィア様、彼女を王宮に運んでいただけませんか?」

 ふんわりと香ってくる甘い乙女の香りに理性が飛びそうである。

「面倒くさいのう……」

 レヴィアはそう言って宙に指先でツーっと線を描いた。裂けた空間を広げるとそこは豪奢な寝室で、綺麗に整えられた立派なベッドがあった。

「ヨイショ!」

 レヴィアはそう言うと、リリアンを飛行魔法で持ち上げる。

「きゃぁ!」

 驚いて空中で手足をバタバタさせるリリアン。

 レヴィアは、そのままリリアンをポーンとベッドに放りだして言った。

「じいさまに『美化すんなってレヴィアが怒ってた』って伝えておくんじゃぞ」

「えー、待って!」

 すがるリリアンを無視して、レヴィアは空間をシュッと閉じた。

「これで邪魔者は居なくなったのう、ユータよ」

 嬉しそうに笑うレヴィア。

 影の薄かったアバドンは、

「私はそろそろ失礼します……」

 と、言って、そそくさと魔法陣を描いて中へと消えていった。

「あー、そろそろお開きにしましょうか?」

 俺はテーブルの上を少し整理しながら言う。

「あ、お主、あの娘と乳()り合うつもりじゃな?」

 レヴィアは俺をジト目で見る。

「ドロシーはもう寝ちゃってますから、そんなことしません!」

 俺は赤くなりながら言う。

「起こしてやろうか?」

 レヴィアはニヤッと笑って言う。

「だ、大丈夫です! 寝かせてあげてください!」

「冗談じゃよ。で、あの娘とは今後どうするんじゃ? 結婚するのか?」

「えっ?」

 俺は考え込んでしまった。まさに今悩んでいることだからだ。

「私は彼女が大切ですし、ずっと一緒にいたいと思っていますが……、私と一緒にいるとまた必ず命の危険に遭わせてしまいます。大切だからこそ身を引こうかと……」

「ふん、つまらん奴じゃ。好きにするがいいが……、人生において大切なことは頭で決めるな、心で決めるんじゃ」

 レヴィアはそう言って親指で自分の胸を指さし、ウイスキーをゴクリと飲んだ。

「心……ですか……」

「そう、心こそが人間の本体じゃ。身体もこの世界も全部作り物じゃからな、心だけが真実じゃ」

 言われてみたら確かにここの世界も地球も単に3D映像を合成(レンダリング)してるだけにすぎないのだから、自分の心は別の所にある方が自然だ。

「心はどこにあるんですか?」

「なんじゃ、自分の本体がどこにあるのかもわからんのか? マインド・カーネルじゃよ。心の管理運用システムが別にあるんじゃ」

「そこも電子的なシステム……ですか? それじゃリアルな世界というのはどこに?」

「リアルな世界なんてありゃせんよ」

 レヴィアは肩をすくめる。

「いやいや、だってこの世界は海王星のコンピューターシステムで動いているっておっしゃってたじゃないですか。そしたら海王星はリアルな世界にあるのですよね?」

「そう思うじゃろ? ところがどっこいなのじゃ」

 そう言ってレヴィアは嬉しそうに笑った。

 俺はキツネにつままれたような気分になった。この世が仮想現実空間だというのはまぁ、百歩譲ってアリだとしよう。でも、この世を作るコンピューターシステムがリアルな世界ではないというのはどういうことなのか? 全く意味不明である。

 首をひねり、エールを飲んでいると、レヴィアが言う。

「宇宙ができてから、どのくらい時間経ってると思うかね?」

「う、宇宙ですか? 確か、ビッグバンから138億年……くらいだったかな? でも、仮想現実空間にビッグバンとか意味ないですよね?」

「確かにこの世界の時間軸なんてあまり意味ないんじゃが、宇宙ができてからはやはり同じくらいの時間は経っておるそうじゃ。で、138億年って時間の長さの意味は分かるかの?」

「ちょっと……想像もつかない長さですね」

「そうじゃ、この世界を考えるうえで、この時間の長さが一つのカギとなるじゃろう」

「カギ……?」

「まぁ良い、我もちと飲み過ぎたようじゃ。そろそろ、おいとまするとしよう」

 レヴィアはそう言って大きなあくびを一つすると、サリーの中に手を突っ込んでもぞもぞとし、(たた)まれたバタフライナイフを取り出した。

「今日は楽しかったぞ。お礼にこれをプレゼントするのじゃ」

「え? ナイフ……ですか?」

「これはただのナイフじゃない、アーティファクトじゃ」

 そう言うと、レヴィアは器用にバタフライナイフをクルリと回して刃を出し、柄のロックをパチリとかけた。するとナイフはぼうっと青白い光をおび、ただものでない雰囲気を漂わせる。

「これをな、こうするのじゃ」

 レヴィアはエールの樽をナイフで切り裂く。すると、空間に裂け目が走った。その裂け目をレヴィアはまるでコンニャクのように両手でグニュッと広げる。開いた空間の切れ目からは樽の内側の断面図が見えてしまっている。エールがなみなみと入ってゆらゆらと揺れるのが見える。しかし、切れ目に漏れてくることもない。淡々と空間だけが切り裂かれていた。

「うわぁ……」

 俺はその見たこともない光景に()きつけられた。

「空間を切って広げられるのじゃ。断面を観察してもヨシ、壁をすり抜けてもヨシの優れモノじゃ」

「え? こんな貴重なもの頂いちゃっていいんですか?」

「お主はなぁ……、これから多難そうなんでな。ちょっとした応援じゃ」

 レヴィアはそう言ってナイフを畳むと俺に差し出した。

「あ、ありがとうございます」

 うやうやしく受け取ると、レヴィアはニッコリと笑い、俺の肩をポンポンと叩いた。

「じゃ、元気での!」

 レヴィアは俺に軽く手を振りながら、空間の裂け目に入っていった。

「お疲れ様でした!」

 俺はそう言って頭を下げる。

「今晩はのぞかんから、あの娘とまぐわうなら今晩が良いぞ、キャハッ!」

 最後に余計なことを言うレヴィア。

「まぐわいません! のぞかないでください!」

 俺が真っ赤になって怒ると、

「冗談のわからん奴じゃ、おやすみ」

 と、言って、空間の裂け目はツーっと消えていった。

 俺は試しにバタフライナイフを開いてその辺を切ってみた。確かにこれは凄い。壁を切れば壁の向こうへ行けるし、腕を切れば腕の断面が見える。そして、切るのはあくまでも空間なので、腕もつながったままだ。単に断面が見えるだけなのだ。そして放っておくと自然と切れ目は消えていく。なんとも不思議なアーティファクト、この世界が仮想現実空間である証拠と言えるかもしれない。



 俺はナイフをしまい、椅子を並べてその上に寝転がるとドロシーとのキスを思い出していた。熱く濃密なキス……思い出すだけでドキドキしてしまう。しかし……、ドロシーのことを考えるなら俺とは距離を取ってもらうしかないのだ。俺は大きく息をついた。そして、やるせない思いの中、徐々に気が遠くなり……、そのまま寝てしまった。













3-15. ウサギのエプロン



 翌朝、山のようにある食べ残しやゴミの山を淡々と処理しながら、俺はこの店やドロシーをどうしようか考えていた。武闘会とは言え、貴族階級である勇者を叩きのめせば貴族は黙っていないだろう。何らかの罪状をこじつけてでも俺を罪人扱いするに違いない。であれば逃げるしかない。リリアンが味方に付いてくれたとしても王女一人ではこの構図は変えられまい。事前に彼女の騎士にでもなって貴族階級に上がっていれば別かもしれないが……、そんなのは嫌だ。

 であれば、店は閉店。ドロシーは解雇せざるを得ない。

 そして今後、ヌチ・ギや王国の追手から逃げ続けなければならない暮らしになることを考えれば、ドロシーとは距離を置かざるを得ない。危険な逃避行に18歳の女の子を連れまわすなんてありえないのだ。どんなに大切だとしても、いや、大切だからこそここは身を引くしかない。



 悶々(もんもん)としながら手を動かしていると、ドロシーが起きてきた。

「あ、ド、ドロシー、おはよう!」

 昨晩の熱いキスを思い出して、ぎこちなくあいさつする。

「お、おはよう……なんで私、二階で寝てたのかしら……」

 ドロシーは伏し目がちに聞いてくる。

「なんだか飲み過ぎたみたいで自分で二階へ行ったんだよ」

「あ、そうなのね……」

 どうも記憶がないらしい。キスしたことも覚えていないようだ。であれば、あえて言及しない方がいいかもしれない。

「コーヒーを入れるからそこ座ってて」

 俺がそう言うとドロシーは、

「大丈夫、私がやるわ」

 と言って、ケトルでお湯を沸かし始める。

 俺はまだ食べられそうな料理をいくつか温めなおし、お皿に並べた。



 二人は黙々と朝食を食べる。

 何か言葉にしようと思うが、何を並べても空虚な言葉になりそうな気がして上手く話せない。

 ドロシーが切り出す。

「こ、このテーブルにね、可愛いテーブルクロスかけたら……どうかな?」

 なるほど、いいアイディアだ。だが……もうこの店は閉店なのだ。

 俺は意を決して話を切り出した。

「実はね……ドロシー……。このお店、(たた)もうと思っているんだ」

「えっ!?」

 目を真ん丸に見開いて仰天するドロシー。

「俺、武闘会終わったらきっとおたずね者にされちゃうんだ。だからもう店は続けられない」

 俺はそう言って静かにドロシーを見つめた。

「う、うそ……」

 呆然(ぼうぜん)とするドロシー。

 俺は胸が痛み、うつむいた。

 ドロシーは涙を浮かべ、叫ぶ。

「なんで!? なんでユータが追い出されちゃうの!?」

 俺は目をつぶり、大きく息を吐き、言った。

「平民の活躍を王国は許さないんだ。もし、それが嫌なら姫様の騎士になるしかないが……、俺、嫌なんだよね、そういうの……」

 嫌な沈黙が流れる。



「じゃ……、どうする……の?」

「別の街でまた商売を続けようかと、お金なら十分あるし」

「私……、私はどうなるの?」

 引きつった笑顔のドロシー。透き通るようなブラウンの瞳には涙がたまっていく。



「ゴメン……、ドロシーの今後については院長に一緒に相談に行こう」

 ドロシーがバンッとテーブルを叩いた。

「嫌よ! せっかくお店の運営にも慣れてきたところなのよ! 帳簿も付けられるようになったのに! これから……なのに……うっうっうっ……」

 テーブルに泣き崩れるドロシー。

「お金については心配しないで、ちゃんとお給料は払い続けるから……」

「お金の話なんてしてないわ! 私もつれて行ってよ、その新たな街へ」

「いや、ドロシー……。俺のそばにいると危険なんだよ。何があるかわからないんだ。また(さら)われたらどうするんだ?」

 ドロシーがピタッと動かなくなった。

 そして、低い声で言う。

「……。分かった。私が邪魔になったのね? 昨晩、みんなで何か企んだんでしょ?」

「邪魔になんてなる訳ないじゃないか」

「じゃぁ、なんで捨てるのよぉ! 私のこと『一番大切』だったんじゃないの!?」

 もうドロシーは涙でぐちゃぐちゃになっていた。

「す、捨てるつもりなんかじゃないよ」

「私をクビにしていなくなる、そういうのを『捨てる』って言うのよ!」

 そう叫ぶと、ドロシーはエプロンをいきなり脱いで俺に投げつけると、俺をにらみつけ、

「嘘つき!!」

 涙声でそう叫んで店を飛び出して行ってしまった。

「ドロシー……」

 俺はどうすることも出来なかった。ドロシーが一番大切なのは間違いない。昨日の旅行で、熱いキスでそれを再確認した。しかし、大切だからこそ俺からは離しておきたい。俺はもうドロシーがひどい目に遭うのは耐えられないのだ。次にドロシーが腕だけになったりしたら俺は壊れてしまう。

 もう、ドロシーは俺に関わっちゃダメだ。俺に関わったらきっとまたひどい目にあわせてしまう。

 そして、ここで気が付いた。ドロシーが『一番大切』という言葉を覚えているということは、昨晩のこと、全部覚えているということだ。記憶をなくしたふりをしていたのだ。俺は自分がドロシーの気持ちを踏みにじっていて、でも、それはドロシーのために譲れないという、解決できないデッドロックにはまってしまったことを呪った。

 俺はため息をつき、頭を抱える。

「胸が……痛い……」

 なぜこんなことになってしまったのか? どこで道を誤ったのか……。

 俺はドロシーが投げつけてきたお店のエプロンを、そっと広げた。そこにはドロシーが丁寧に刺繍したウサギが可愛く並んでいる。

「ドロシー……」

 俺は愛おしいウサギの縫い目を、そっとなで続けた。