きみがいる、この世界で。


「職員会議があるから」といつもよりもずっとあっさり終礼が終わった。「ラッキー」と笑う友梨ちゃんと一緒に学校を出ると、容赦なく太陽の日差しが照りつける。薄々気づいていたけれど、こっちの世界の方が一日を通してずっと気温が高い気がする。

「暑いねえ……」

「そうだね、今日もいい天気だね」

バテ気味の私とは違い、慣れているのか、友梨ちゃんは元気に笑った。

カフェに着くと、友梨ちゃんは迷うことなく「フレッシュフルーツを使ったミックスジュース」を注文した。

「涼音ちゃんも同じのにする? ここのミックスジュース、本当に美味しいよ」

「そうなんだ。それなら私もミックスジュースください」

淡いアイボリーの色をしたミックスジュースをカウンターで受け取ると、私たちは店内の奥に移動した。店の中はとても広くて、それなりに人はいるのに、席はたくさん空いている。私たちは窓際の4人がけの席に座った。

「飲んでみて。美味しいから」

友梨ちゃんに促されるまま飲むと、確かにすごく美味しかった。濃厚だけれど甘すぎず、後味はさっぱりしている。

「夏になるとこれ飲みたくなるんだよね~」という友梨ちゃんの言葉に、心の底から同意できた。

「それで、どうして高橋くんと一緒に出かけたの?」

数口ミックスジュースを堪能した友梨ちゃんが口を開く。学校の近くにあるからか、店内には同じ制服を着た生徒たちがちらほらといる。気遣ってくれたのか、友梨ちゃんの声はいつもより少し小さかった。ただ、瞳は輝いていて、”興味深々”といった様子だ。

「高橋くんと、元々知り合いだったわけじゃないよね?」

「うん」

高橋くんがピアノを弾いていたことを伝えようとした時、なぜか少しだけ「話したくない」と思ってしまった。自分だけが知っていたことなのに、と思ってしまった。

どうしてだろう。
こんな感情、今まで誰にも抱いたことないのにな。

急に湧き出てきた感情に戸惑いためらいながらも、あまり言わないで欲しいんだけど、と前置きをしてから、転入してきた日に彼のピアノの演奏を偶然聴いて、その演奏にすっかり惚れてしまったことを話した。演奏を聴いているうちに彼のことも少しずつ気になってきて、彼のことがもっと知りたくて遊びに誘った、ということも。

「そうだったんだ。それで? 楽しかった?」

友梨ちゃんは両肘をテーブルについて前のめりになった。

「楽しかったよ、とても。でもね、なんていうのかな……もちろん楽しかったんだけど、それ以上に、好きだった。高橋くんと一緒にいる時間が」

「好き?」

「うん。高橋くんといる時間って、とても穏やかなの。正直すごく楽しいとかワクワクするとかじゃなかったんだけど、一緒にお弁当を食べたり海を眺めて話したり、本当になんてことない時間が穏やかで落ち着いていて、居心地がよかったんだ」

上手く言語化できなかったけれど、友梨ちゃんは「ああ、なんとなくわかるかも、その感じ」と頷いた。

「私もね、阿部くんと学校帰りに電車で話したり、ちょっと公園に寄って話したりすると、『幸せだなあ』ってしみじみ思うもん。そんな感じじゃない?」

「そうそう、何か特別なことをしなくても、一緒にいるだけで心地が良いっていうか」

「だよねえ。やっぱりわかるよ、その感じ」

友梨ちゃんは大きく頷いた後、「でも頑張らなきゃね?」と私の顔を覗き込んだ。「何を?」と聞き返すと、友梨ちゃんは何を今更、といった様子で「気になっているんでしょ、高橋くんのこと」と続けた。

「高橋くん、聾学校に行くまでの1ヶ月しか学校にいないんだよ? 転校しちゃう前に仲良くならないと」

「……1ヶ月」

”1ヶ月”という期間が、やたらリアルに感じた。それはきっと”高橋くん”が1ヶ月しか学校にいないからではなくて、”私”が1ヶ月しかこの世界にいないから。1ヶ月後、元の世界に戻ったら、もう高橋くんは、私のことを。