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 蓮くん……まだ、いるかな。

 私は走って、蓮くんがいるD組へと向かっていた。

 用事があるって言ってた。だから、その用事、っていうのが学校関連じゃない限り、蓮くんはもう帰っている。でもダメ元でもいい、という気持ちで走っていた。

 明日のお昼休みでもいいけど、今。

 今、伝えたかった。

 チャットじゃなくて。電話じゃなくて。今、直接言いたいんだ。

 なんでだろう。なんでこんなに急いでいるのか、わからない。

 きっと、早く蓮くんに安心してほしいんだと思う。

 私が見つけた、私の……生き方。

『まだ中学生ったってなー。周りはもう、付き合ってる人結構いるぜ。斎藤とか、山崎とか』

 頭の中で、修ちゃんの言葉がリフレインしていた。

 私も心の中で、もう一度、修ちゃんに語りかける。

『え、そうなの? ……修ちゃんも?』

『……俺は付き合ってる人はいないけど、好きな人はいる。……芽依って、本当純粋だよな。そーいうところがいいんだけどさ。ただ……』

 そこまで言って、修ちゃんは恥ずかしそうにまた、グラウンドの方へと視線を逸らした。

『俺さ、やっぱり恋愛っていいなぁと思うわけよ。たとえ片思いでもさ、気持ちがふわふわして、曇りの日も雨の日もまるでピカピカの晴天みたいに見えるんだ。めちゃくちゃ幸せになれる。こういう気持ち、芽依にも早く味わってほしくてさ。お節介だけど、俺にとって芽依は家族っていうか……妹みたいなもんだから。芽依に早くすてきな恋人ができて、それでおばあちゃんになるまでずっと、幸せな家庭を築いていてほしいなって思うんだよ』

 そこにいたのは、誰かに恋をして浮かれている、一人の男の子だった。

 そして口にした言葉は、自分の恋すらまだ実ったわけじゃないのに、私の未来——恋人や結婚なんか通り越して、おばあちゃんになるまで幸せである未来を考えて、その幸せを願ってくれた言葉だった。

 だから……。

 修ちゃん、ごめんね。

 ごめんなさい。

 私、わかったの。

 私、やっぱり、自分のことを許すことができないんだって。

 なんであの日、私は修ちゃんを止めなかったんだろう。

 もう夜だから。雨だから。修ちゃんと最後に話をした私なら、きっと止められたはずなのに。そんな後悔ばかりが頭の中をよぎって、心が動かないんだ。

 恋をして、より輝き始めた修ちゃんの未来を繋ぎ止められなかったこと、何度後悔してもし足りないんだ。

 修ちゃんが私の気持ちを聞いたら、きっと「気にすんな」なんて言うと思う。

 他の人に聞いても、蓮くんみたいに「芽依ちゃんのせいじゃないよ」って言う人もいるかもしれない。

 けど、私は私が許せない。少なくとも今は自分を許そうなんて気持ちにはなれないし、これから先もどうなるかはわからない。もしかしたら、永遠にこの気持ちは変わらないのかもしれない。

 だから……。

 決めたよ。

 このままで、いい。

 私は私を許さない。

 許さない、ままでいい。

 いつか許せるようになるまで、私は修ちゃんに心の中で、謝り続ける。苦しくなったら、修ちゃんのことを想って祈り続ける。それでも生きていこう、って、決めたの。

 それでいつか、修ちゃんが願ってくれたようなおばあちゃんになってみたい。

 誰かと恋をして。結婚をして。修ちゃんが目をキラキラ輝かせていたような恋を、私もしてみたい。

 そんなの、傲慢かもしれないけれど。

 身勝手かもしれないけれど。

 それでも、私は目指したい。修ちゃんが味わっていた幸せを。修ちゃんが見ていた世界を。

 私も、見てみたいと思うんだ。

 修ちゃんが望んでくれた、幸せな未来を……。

 階段を駆け上がって、三階を目指す。

 行く先は、蓮くんのD組。たぶん顔はぐしゃぐしゃで、止まった涙がまた溢れ出しているけれど、それでも走った。

 修ちゃん……。

 私、もう逃げない。

 もう目をつむって、修ちゃんのことを考えないようにするのはやめるよ。

 勝手に自分に罰を与えたり、死んで逃げ出すこともしない。

 修ちゃんと向き合う。どんなに落ち込んでも、修ちゃんを助けられなかった後悔する気持ちと、向き合う。

 この先、何度修ちゃんのことを思い出して自分を責めたとしても。その度に私は修ちゃんに謝って、天国にいる修ちゃんのことを想うよ。

 だから……いいかな。

 ごめんなさい。

 そうすることを、許して。修ちゃん……。



 D組の教室は、誰もいなかった。

 蓮くんは部活はしていないけど、委員会とか日直の仕事があるのかもしれない、と思っていた。でもやっぱり帰ってしまったみたいだ。

 落胆してため息をつく。でもその時、一番後ろの席のひとつに、鞄が置いてあることに気づいた。

 鞄には、キーホルダーがたくさんついている。

 蓮くんの鞄だ。まだ、校内のどこかにいるんだ。ほっとして、探しにいこうとまた入り口に向かう。

 その瞬間、風が吹いて、何かが落ちる音がした。

 床に転がったのは、蓮くんの手帳だった。

 いつか、私の五つの〝秘密〟を書いて見せてくれたあの手帳。落ちっぱなしになっているのもまずいので、拾おうと手を伸ばす。

 また風が吹いて、パラパラとページがめくれた。

 見ようと思ったわけじゃない。

 見たくて見たわけじゃないけれど、私の視線は吸い込まれるように、そのページから離れなかった。



〝本当はみんなと仲よくしたいのに、わざと嫌われるように振舞ってる◯〟
〝本当は聞いてほしいのに、自分の本当の気持ちを話さない◯〟
〝本当は笑いたいのに、笑顔の作り方がわからない◯〟
〝本当はつらくてたまらないのに、人に頼ることができない◯〟
〝幼馴染が亡くなってしまったことを、ずっと引きずってる〟



 前も見た、私の〝秘密〟だった。

 よく見ると、五つのうち四つに丸が付いている。いつのまにクリアしていたのだろう。別に達成することを目指していたわけじゃないけど、なんとなくうれしい気持ちになった。

 その横には、たくさんのメモ書きが追加されていた。

〝酸っぱいものが苦手〟

〝プレゼントしすぎると気を遣われてしまうので注意〟

 お昼休み、屋上で話したことだ。わざわざメモまでしていたなんて、驚いてしまう。

 でも。

 ——問題は、その隣だった。