短い春休みが終わり、高校二年生になるとまた憂鬱な学校生活が戻ってきた。

 五時間目は体育の授業。体育は私にとって、特に気が重い時間だ。

 運動音痴だから何をしてもうまくいかないし、ボールが当たったり転んだりするのも怖い。学科はがんばれるけれど、実技はどんなに努力してもドベのドベになってしまうからどうしようもない。

 日頃から注目されたくないと思っているくせに、あまりの成績の悪さに注目されざるを得ない自分に悲しくなる。

 それに加えて、一番怖いのは〝あの瞬間〟だった。

「じゃあ、ラリーの練習ー。二人一組で、ペア組んで」

 先生の一言で、自由にペアを作らなきゃいけないこの時間。

 前後の生徒で強制的に組ませればいいのに、先生の〝仲がいい子同士で練習させてあげよう〟という気の利かせように心が沈む。一人になるのが怖かった。クラスの誰とも仲よくしないと決めたくせに、私は結局こういう時、一人ぼっちの道を選んだ自分を後悔している。

 ざらざらしたジャージの裾を握りながら周りの子が組を作っているのを眺めていると、突然、両肩をぽんと強く叩かれた。

「相澤さーん! 組も!」

 背後から笑顔を振りまいてきたのは、井上さんだった。

 ばくばくと鳴る心臓を押さえながら、小さく頷く。井上さんはそれを確認すると、片手でラケットを振り回しながら先生の元へとシャトルを取りにいった。

 井上さんがいつも一緒にいる女の子は、三人グループだ。

 だから、ペアを作ろうとすると一人余る。だから私を誘う。それだけのこと。

 それでも、もっと他にも仲がいい子はいるはずなのに、いつも私を選んでくれる井上さんに感謝してしまう。

 まったくもって、情けない。

「よっしゃ。行くよぉー」

 井上さんはシャトルをふわりと頭上に上げると、ぽん、と打った。

 高く柔らかい投げ方は、まるで先生のお手本みたいだ。青空を優雅に泳ぐシャトルはどんなに鈍臭い人間も打ち返せるように計算されていて、さすがは井上さんだなと思わせる。

 バレー部に入っているという井上さんは、体育のどの種目もいつもそつなくこなしていた。

 いや、そつなく、というか完璧だった。四月になり、さっそく先週から始まったバドミントンももちろんお手の物。私が打ち返しやすいように、山なりに優しく打ってくれる。

 なのに、私ときたらそんな球すらも空振りしてしまうのだから、井上さんも張り合いがないに違いない。

「わっ……!」

 距離感を見誤り、何度目かの空振りをすると同時に、シャトルが顔面に当たった。

 顔をさすっている私に、慌てて井上さんが駆け寄ってくる。

「ごめーん、今の強かったよね! 大丈夫?」

「あ、いいの……。ごめん、私が下手なだけだから」

「もう疲れたね。休もー、休んじゃお」

 井上さんはあはは、と笑うと、その場にどすんと座り込み、シャトルを手に取った。

 そして、それをぽん、と空に打つ。器用に真上に打ち上がったシャトルは、最高到達点へとたどり着くとゆるゆると井上さんの手のひらへ戻ってくる。そしてまた空へ。それを、何度も繰り返す。

 どうしたらいいのかわからず、私も横に座った。

 先生は遠くの男子生徒に熱心に教えていて、ここにサボっている生徒がいることに気づいていない。それをいいことに、私たちは二人、ぼんやりと時を過ごした。

 そうやって、井上さんは抜けるところは抜きながら、上手に生きている。

 授業中も、先生が本気で怒らない頻度を見計らいながら居眠りをしたりする。井上さんは私以上にテストの点が悪いようだけれど、大事にならないくらいには勉強し、遊ぶことも欠かさない。

 そういう生き方をできる井上さんは、どんな悩みもたちどころに解消してしまうのだろうなと思えた。

 また空の上へ小さくなっていくシャトルを見つめながら、私は呟いた。

「……井上さん。もし、自分が投げたシャトルが当たって、井上さんの大切な人が亡くなったとしたら……どうする?」

 きょとん、と井上さんが私の目を見返した。

 その目を見て、私も我に返る。シャトルが落ちてきて、ぽこ、と手前の地面に落下した。

 ……私、何言ってるんだろう。

 顔が熱くなっていく。と同時に、井上さんが吹き出すように笑った。

「バドミントンじゃ、さすがに人は死なないんじゃないかなぁー。あ、でも目に当たったら危ないよね? 大丈夫だった? さっきのやつ」

「あ、ごめん……。なんでもないの。忘れて」

 私の目を確認しようと体を寄せてくる井上さんを制して、俯いた。

 なんでこんなこと聞いたんだろう。井上さんは関係ないのに。ばかみたい。

 でも、知りたくなってしまった。

 井上さんが私の立場だったら、どうするのか。

 井上さんの大切な人を、もし自分のせいで殺してしまったとしたらどうするのか……。

 井上さんはしばらくの間、シャトルをぽんぽんと空へ飛ばし続けた。

 そして不意にそのシャトルを左手で受け止めたかと思うと、ラケットをその辺に転がし、両腕を後ろに突いて空を見上げた。