「さて、せっかく来たんだから東京を案内してあげよう」

 そう言って、シアンはみんなを引き連れて屋上へと移動した。



 地上二百三十メートルに吹く風はさすがに強かったが、レオもオディーヌもうれしそうに三百六十度の夜景のパノラマを堪能する。

「じゃぁ、レヴィア、僕たち乗せて飛んでよ」

 無茶振りするシアン。

「え!? こ、ここでですか?」

 レヴィアは観光客がそれなりにいる屋上を見回して言った。

「大丈夫、大丈夫。飛び立っちゃえばこっちのもんだよ」

「我が乗せなくたって、普通に飛べばいいじゃないですか!」

「僕が乗りたいんだよ」

 シアンはニコニコしながら言った。

 レヴィアは目をつぶり、大きく息をつくと、

「……。じゃあ、すぐに乗ってくださいよ」

 そう言って少し離れると、ボン! と爆発音を放って巨大なドラゴンへと戻った。厳ついウロコに巨大なトゲトゲ。鋭い爪に光る牙。それはスタイリッシュな東京にいきなり現れた異質な怪物だった。

「キャ――――!」「うわぁ!」「ば、化け物だぁ!」

 辺りが騒然とする。

「きゃははは! やっぱりレヴィアはこうじゃないと!」

 うれしそうなシアン。



「いいから早く乗ってください!」

 レヴィアの重低音の声が響く。

 シアンはレオとオディーヌを抱えると、ヒョイッとレヴィアの背中に飛び乗った。

「出発進行!」

 シアンは叫ぶ。

 レヴィアはバサッバサッと巨大な翼を大きくはためかせると、一気に夜空へとジャンプして離陸した。

「うわぁ!」「きゃあ!」

 レオとオディーヌは背中のウロコのトゲになっているところにしがみつき、振り落とされないように必死に耐える。



「飛び立ったぞ――――!」「なんだあれは!?」

 騒然とする屋上の人たちをしり目に、バサッバサッとさらに翼を羽ばたかせ一気に高度を上げるレヴィア。

 東京に突如現れた、ファンタジーな怪物の軽やかな身のこなしに見る者は言葉を失い、ただ夜空に飛び去って行くさまを呆然(ぼうぜん)と見ていた。



「きゃははは! いいね、いいね!」 

 シアンは大喜びである。

「落ちないで下さいよ!」

 レヴィアは重低音を響かせながら不機嫌そうに言う。



 どんどんと高度を上げていくと、旅客機が飛んでいるのが見えた。羽田空港への着陸体制に入っている。

「お、挨拶しよう!」

 シアンははしゃいで言う。

「え!? 危ないですよ」

「いいから、いいから!」

 そう言うとシアンは、レヴィアの巨体をボウッと光らせて勝手に操作し始めた。そして旅客機へと舵を切った。

「うわ――――!」

 制御を奪われたレヴィアは喚く。

 ほどなく旅客機のそばまでやってきて編隊飛行となる。灯りの点った窓がズラッと並び、乗客の姿が見える。

「うわっ! 人が乗ってるわ!」

 オディーヌが驚く。

「この星では、遠くへ行くときはこうやって飛行機で行くんだよ」

 シアンは乗客に手を振りながら説明する。

「こんな大きなもの、どうやって飛んでるんですか? 魔法?」

「この星には魔法はないよ」

「え!? 魔法がない!?」

「魔法は後付けなんだよね。魔法がある星の方が特殊なんだよ」

 オディーヌは絶句した。子供の頃から当たり前のように存在し、便利に使われていた魔法が誰かに後付けされた存在だったとは、想像もしていなかったのだ。



 徐々に旅客機に近づいて行くと、乗客もドラゴンに気がついたようで、皆驚き、スマホを向けたり大騒ぎしている。

「シアン様、これ以上はヤバいですよ!」

「じゃあ、次はビルでも見ますか」

 そう言って眼下に見えてきた品川の高層ビル群へと舵を切った。



 一気に急降下する一行。

「ひぃ!」「きゃぁ!」「おわぁ――――!」

 叫ぶ三人をしり目に、

「きゃははは!」

 と、シアンは楽しそうに笑いながらさらに加速する。

 グングンと迫る高層ビル。

「そりゃー!」

 シアンはビルの間を巧みに通過していく。

 残業しているフロアでは明かりが灯り、働いている人がパソコンを叩いている。

「この辺はオフィスビルだねー」

 そう言いながら地面スレスレを通過し、今度は徐々に高度をあげながら品川駅前を飛ぶ。

 帰宅途中の多くのサラリーマンたちはドラゴンに気がつかなかったが、子供が見つけて指さして叫んだ。

「ママ! 恐竜だ!」

 母親は何を言っているのかと、呆れたように指の先をたどりながら、

「何言ってるの、恐竜なんていない……」

 と言いかけて固まった。

 シアンは母子連れに手を振り、

「ひぃ!」

 と叫ぶ母親のすぐ上を、ビュオォと轟音をあげ、通過していく。



「ヒャッハー!」

 シアンはそう叫ぶと今度は一気に高度を上げる。

「ママ! 僕もあれ乗りたい!」

 子供が叫んだが、母親は言葉を失っていた。



 轟音に気がついたサラリーマンたちは、ドラゴンの巨体が飛び去っていくのを見ながら騒然とする。

 みんな足を止め、ザワザワとするが、もうドラゴンはスマホでは撮れないほどに小さくなっていった。

















2-12. 戦略爆撃機B29



「働く人はああいう所で仕事したりするんだ」

 シアンはレオとオディーヌに説明した。

「書類仕事……ですか?」

 オディーヌが聞く。

「うーん、今はもうパソコンだねぇ」

「パソコン?」

「情報を処理する機械があって、他の人と連絡とったり、調べ物したり、資料作ったりするんだ」

「それ、一つ……もらえませんか?」

「えっ? うーん……。まぁいいか……な。いいよ! 後で最新型一台あげよう」

 シアンはちょっと悩んだが、オディーヌを見てニッコリと笑って言った。

「ありがとう!」

 オディーヌはうれしそうに笑った。

「シアン様! 前! 前!」

 レヴィアが叫ぶ。

「へ?」

 よそ見をしていたシアンが前を見ると、高層ビルが目前に迫ってきていた。

「ひぃ!」「キャ――――!」

 悲鳴が上がったが、ビルにぶつかる直前、ドラゴンの巨体はワープしてまた別の夜空を飛んでいた――――。



「いやー、危なかった! きゃははは!」

 シアンはうれしそうに笑ったが、三人は無言だった。



 しかし、先ほどまでとは違って真っ暗である。ただ、静かに満天の星々がレオ達を照らしていた。

「あれ? ここも東京?」

 レオが不思議そうにシアンに聞いた。

「そのまま東京なはずだけどなー」

 シアンはそう言って辺りを見回すと、遠くを飛んでいた飛行機から何かが次々と投下されていく。



 ピュ――――ッ! ピュ――――ッ!



 それは激しく光りながら暗い地面へ向かって真っ逆さまに落ちていき、直後激しい爆発をともなって巨大な火の手が上がった。



 ズーン! ズーン!

 激しい衝撃音が夜空に響いた。



「えっ!? 何あれ!?」

 驚くレオ。



「戦略爆撃機B29じゃ……。我々は東京大空襲の時のアーカイブの中に来てしまったようじゃ……」

「あ――――! レオ達に見せる候補を探してた時の奴だな……。来るつもりなかったのに……」

 シアンは額を押さえた。

「え? 爆弾で街が焼かれるってこと?」

「そう、東京も昔はこうやって爆弾で焼き尽くされて十万人が殺されたんだよ」

「十万人!? それがこれから殺されるの?」

 レオは真っ青になって聞く。

「まぁ、アーカイブだから現代に直接つながってる訳じゃないけど、これから爆弾が雨のように降ってみんな焼き殺されちゃうんだ」

「そ、そんなぁ……。ねぇ、止められないの?」

 レオはシアンの腕をつかんで聞いた。

「これは歴史だからねぇ……」

「でも、今あそこにいる人たちは苦しい思いをするんだよね?」

「まぁ、それは……、そうかな」

「ねぇ、とめて」

 レオは懇願する。

「南からB29が約三百機飛んできます。高度約三千メートル。搭載してる爆弾は……全部で千六百トン、四十万発ですね。殺る気満々ですよ」

 レヴィアは淡々と言う。

「守る軍隊は何やってるの?」

 レオが悲壮な顔をして聞く。

「対抗できる軍事力はもうほぼ壊滅されちゃったんじゃよ」

「じゃあやられっぱなし?」

「そうなるのう」

「なんでそんなことに?」

「国というのは無数の人の集まりなんじゃ。賢くまとめ上げて正しく導かないと多くの国民が死ぬって言うことなんじゃ。そしてそれは簡単じゃない。シアン様がお主らに見せたかったのはそう言う現実なんじゃ」

 レヴィアは重低音の声で淡々と言った。



 やがて次々と後続のB29が焼夷弾を投下していく。



 ピュ――――ッ! ピュ――――ッ!

 無慈悲な爆弾の雨が降り始める。



「あ――――っ! みんな殺されちゃうよぉ!」

 レオが叫ぶ。

 あちこちで上がり始めた火の手が夜空を焦がし、B29の編隊を浮かび上がらせた。

 銀色に鈍く光る機体は四機の巨大なプロペラを回し、爆弾を満載して不気味に淡々と東京湾からやってくる。それはまさに十万人の命を奪いに来た死神だった。

「ねぇ、とめて、シアン! お願い!」

「しょうがないなぁ」

 シアンはそう言ってニヤッと笑いながら、胸のところから黄色いアヒルのおもちゃを取り出した。

















2-13. 殲滅のアヒル



「へっ!? 介入するんですか!?」

 焦るレヴィア。

「可愛いレオの頼みだからね」

 そう言うと、うれしそうにアヒルの赤いくちばしにチュッとキスをしてB29の方へ放つ。アヒルはふわふわと頼りなげに風に揺られながら、三百機のB29を目指して飛んで行った。それを確認したシアンは、ドラゴンの身体を急旋回させて全力で逃げ始める。

 戦略爆撃機対アヒル、その滑稽で異様な対比。アヒルは不気味な恐ろしさをたたえながらB29へと迫っていった。

 

「シ、シアン様、何するつもりですか!?」

 ビビるレヴィア。

「アヒルさんにね針の穴サイズのワープホールを作ったんだ」

「針の穴……。もしかして……」

「ガンマ線バーストをね、もう一度試してみようかと思って」

「や、やっぱり! さっき星を蒸発させたばっかりじゃないですか!」

「針の穴サイズだから大丈夫だって」

 シアンはニコニコしながら言う。

「ダメですって! うわぁぁぁ!」

 レヴィアは必死に追加で加速して逃げる。

「シールド! せめてシールド張ってください! 東京が蒸発しちゃいますよ!」

「えー、オーバーだなぁ……」

「いいからすぐ! お願いします!!」

 懇願するレヴィア。

「じゃあ……。ホイっとな!」

 そう言うと、シアンは両手の上に直径一メートルくらいの金属球を出した。そして、それを、

「それいけ――――!」

 と、言いながら市街地の方にものすごい速度で投げる。

 金属球は高速で回転し、ブワーッと円盤状に広がりながら飛んでいく。そして、市街地の上に着くころには直径十数キロメートルくらいのシールドになり、爆撃されている一帯を覆った。

 シールドは宙に浮いていながら頑健で、落ちてくる焼夷弾をすべて受け止め、焼夷弾はシールドの上をゴロゴロと転がりながら火を噴いている。



「アヒル、要らなかったんじゃ……」

 レオが恐る恐る言うと、

「何言ってるの? ガンマ線バーストはロマンだよ!」

 と、シアンはわけわからないことを叫んだ。そして、続けて、

「十、九、八……」

 楽しそうにカウントダウンを始めた。

 B29はさらに爆弾を盛大に降らし始める……。

 レヴィアは周囲に強固なシールドを張り、必死に備えた。

「三、二、一」

「ひぃ――――!」

 レヴィアが叫ぶと同時に、東京は激烈な光に包まれる。

 アヒルから放たれたガンマ線バーストは、サーチライトのように先頭を飛ぶB29に当たると瞬時に蒸発させ、大爆発を起こす。そしてガンマ線で爆発的に生成された電子対は激烈な熱線を生成し、周りのB29三百機も瞬時に蒸発させた。それはまさに一瞬の殺戮劇だった。

 アヒルは自らも吹き飛びながら、激しいエネルギーを東京全体に放ち、死神どもをプラズマにまで分解しきったのだ。



「うわぁぁぁ!」「キャ――――!」

 全てが激烈な光で埋め尽くされる中、レオもオディーヌもかがみこんで必死に耐えた。



「きゃははは!」

 シアンだけは絶好調に笑っている。



 しかし、激烈なエネルギーはB29を葬っただけにとどまらなかった。熱線を浴びた東京湾は瞬時に沸騰し始め、房総半島の山林は一斉に火を噴いた。

 発生した巨大な衝撃波は東京上空に広がり、やがて激しくシールドに激突し、シールドをしたたかに鳴らす。



 ガンマ線バーストはすぐに終わりを迎えたが、巨大なキノコ雲が東京湾上空を覆い、成層圏まで一気に吹き上がる。

 燃える山林がキノコ雲を不気味に映し出していた。空襲は止められたものの別の地獄絵図が展開してしまった。

 そして襲ってくる猛烈な豪雨。バケツをひっくり返したかのような激烈な雨がシールドを叩きつけ、シールドの縁では滝となって流れ落ちた。



「シールド張ってなかったら死者百万人でしたよ……」

 レヴィアはぐったりしながらつぶやく。

「針の穴だけなんだけどなぁ……」

 シアンはそう言いながら腕を組んで首をかしげた。

「アーカイブがめちゃくちゃになっちゃいましたよ……」

「まぁ、ガンマ線バーストの研究だと思えば……」

「そういうの、誰もいない所でお願いします」

 レヴィアはトゲのある声で言った。

「はい、じゃあ戻ろう!」

 そう言ってシアンは手を上げて何かをつぶやいた。





















2-14. 幸せの記憶



 一行はレヴィアの神殿へと戻ってきた。

「いやー、楽しかった!」

 シアンはご満悦の様子だったが、三人はゲッソリとして無言だった。

「さーて、寝るか!」

 そう言うとシアンは手を上げる。ボン! と爆発音を伴いながら、丸太でできたコテージが神殿の広大な広間に出現した。

「へっ! ちょっと、シアン様、ここ、我の寝床なんですが……」

「レヴィアも人型になってよ、一緒に寝よう!」

 そう言いながら、シアンはレオとオディーヌを連れてコテージの中へと入って行った。

「あ……」

 レヴィアはそれを見ると、重低音のため息をつき。渋々また金髪のおかっぱ娘になってついて行った。

 コテージの中は2LDKとなっていて、広いダイニングキッチンに、ベッドルームが2つだった。一つはツイン、一つはダブルである。

「レオは僕と寝よう!」

 そう言ってシアンは、レオを連れてダブルベッドの部屋へと入って行った。

 シアンは服を瞬時にピンクのパジャマに替えると、ピョンと飛んで、ベッドにダイブする。

 ベッドを見たレオは、

「え? ベッド一つしかないよ……?」

 と、シアンに聞く。

「いいじゃない、一緒に寝よ!」

 寝転がったシアンはそう言ってベッドマットをポンポンと叩く。

「えっ? いや、そのぅ……」

 赤くなるレオ。

「なぁに? 僕を襲う?」

 シアンはニヤリと笑う。

「そ、そんな事しないよ!」

「じゃあ、こっち来て……」

「歯磨きとかしないと……」

 レオが渋ると、ボン! と爆発音がしてレオの服がパジャマに変えられた。

「生活魔法で汚れは全部落としておいたから、もう寝ても大丈夫だよ」

 そう言ってシアンはニコッと笑った。

「あ、ありがとう……」

 レオは恐る恐るベッドに乗って横になる。

「はい、もうちょっとこっち」

 そう言いながらシアンはレオに毛布を掛けた。

 シアンの優しい温かい香りに包まれてレオは赤面する。

「今日はお疲れ様。明日からは忙しいよ!」

 そう言いながらシアンは部屋の明かりを消した。

 レオはドキドキしていたが、疲れもあって、すぐに眠りに落ちて行った……。



        ◇



 レオは夢を見ていた。

 優しい大好きなママと、ガッシリとしたひげを蓄えた男性……。だが、男性は顔のところが光っていて誰だかわからない。でも、温かい声でレオの事を呼んだ。

 そして、ママに右手を、男性に左手を持ってもらってブランコのようにゆらしてもらった。心が温かくなってくる。

 やがて空が明るくなり光芒が射した。すると、ママも男性もその光に導かれるように天へと登っていく。

 レオは追いかけようとするが、身体が動かない。ママも男性も優しく手を振りながら小さくなり天からの光に溶けていった……。



「ママ――――!」

 涙を流しながらレオが叫ぶ……。

 気がつくと、レオは温かく柔らかい物に包まれていた。

「ん?」

 寝ぼけ眼で温かいものを触って……、レオは目が覚めた。

 レオはシアンと抱き合うように寝ていたのだ。

「あわわわ……」

 レオが離れようとすると、、

「なぁに? ママが恋しくなった?」

 薄暗がりの中でシアンがほほ笑みながらレオを引き寄せ、ぎゅっと抱きしめた。

「シ、シアン……、ちょ、ちょっと……」

 ドギマギするレオ。

「ママ……、呼んであげようか?」

 シアンは優しい顔でレオをのぞき込む。

「えっ!?」

 あまりに意外な提案にレオは絶句する。

 小さな村で宿屋を営んでいたレオの母親は戦火に焼かれ、かなり前に亡くなっていた。レオはその時に捕まり、奴隷として売られていたのだ。

 早朝に裏山から見た、燃え上がる宿屋がレオの脳裏にフラッシュバックする……。

「う……、うぅ……」

 レオは呼吸が速くなりながら、何とか自分を保っていた。

「レオ……、久しぶり……」

 シアンがレオを見つめて言った。

「え?」

 レオが混乱していると、

「私よ、ママよ……」

 そう言って愛おしそうにレオの頬をなでた。

「ママ……?」

「大きくなったわねぇ……」

 シアンに憑依(ひょうい)したレオのママは目に涙を浮かべて言う。

「ほ、本当にママなの?」

 するとママは静かに歌い始めた。

『聖なる光を~まとい~♪ 軽やかに~舞え~♪ レオ~♪』

 綺麗な歌声が緩やかに部屋の中に響く……。

「ママ――――!」

 レオはママに抱き着く。

 子供時代によく歌ってくれた替え歌の童謡。それは二人しか知らない幸せの記憶だった。





















2-15. 救世の短剣



「うっうっうっ……」

 肩をゆらして泣くレオを、ママは涙をこぼしながら抱きしめる。

 しばらく部屋には嗚咽(おえつ)の声が静かに響いた。



「ゴメンね、辛かったろ……」

 ママは優しくレオの頭をなでた。

「うん……。僕、ずっと辛かった……」

「ゴメンね……」

「ううん、ママのせいじゃないよ……」

 そう言ってレオはママに頬ずりをした。

「レオはなんだかすごい事を始めたのね。やっぱりあの人の血ね」

「え? 見てたの?」

「レオの事はずーっと見てたわよ。いい仲間に巡り合えてよかったわね」

「うん……。責任重大だけどね」

「もし、行き詰ることがあったら短剣を使いなさい」

「え? 短剣?」

「そう、あれはあの人の形見……、特別な短剣なのよ」

「ふぅん、知らなかった……」

「あなたのパパはとてもすごい人だったのよ……。この世界を……救ったの……」

 そう誇らしく言って……、悲しそうに目を閉じた。

「世界を……救った?」

「そう、命がけでね……」

「それで、うちにはパパがいなかったのか……」

「短剣は大切にするのよ」

 ママは愛おしそうにレオの頬をなでて言った。

「わかった!」

「あぁ、もう行かないと……」

「えっ!? もう行っちゃうの?」

「ゴメンね、ずっと見守っているわ……」

 ママは悲哀のこもった目でレオを見る。

「いやだ、ママ! 行かないで!」

 レオはママにしがみついた。

「さようなら……」

 そう言うとママの身体は、何かが抜けたように急に脱力した。

「いやだよぅ!」

 必死に叫ぶレオ。

 シアンの手がポンポンとレオの背中を叩く。

 ママとは違う叩き方に、レオにはもうママがいなくなってしまったことが分かってしまった。

「うっ……うっ……」

 レオはただ涙を流した。

 シアンは何も言わず、レオをギュッと抱きしめた。

 親と死に別れ、奴隷として売られた少年。その心に(おり)のようにたまった絶望と悲しみは、簡単に癒せるようなものではない。

 シアンは目をつぶり、ただ、震えるレオの身体を温める。

 薄暗い部屋にはレオの嗚咽がいつまでも響いていた。



      ◇



「朝ですよ~」

 オディーヌがレオ達の部屋のドアを開けると、寝相の悪い二人はまだ寝ていた。

 毛布は床に落ち、伸ばしたシアンの腕はレオの顔の上に乗っかっていて、寝苦しそうだった。

「ほら、起きて! 朝食にするわよ!」

 オディーヌは、シアンの腕をどけてあげながら二人に声をかける。

「うーん、もうお腹いっぱい……」

 シアンが寝ぼけて変なことを言う。

 オディーヌは起きない二人にちょっとイラっとして、

「私たちはお腹すいたので、起きて!」

 そう言ってシアンの頬をペチペチと叩く。

「うーん……」

 シアンは腕をピューッと動かして寝返りを打った。その時、指先に沿って空間が裂けて切れ目が顔をのぞかせる……。

「へ!?」

 慌てるオディーヌ。

 すると、その空間の向こうから漆黒の指がニョキニョキと出てきて、ググっと空間の裂け目を広げた。

「キャ――――!」

 そのあまりの異様さにオディーヌは後ずさりする。

 出てきたのは漆黒の霧の化け物だった。

 全身が闇の(キリ)でできた異形の存在は、シアンを見つけると赤い目を光らせていきなりシアンの細く白い首を両手でキューッと締め上げる。

「グエッ!」

 寝込みを襲われたシアンは、変なうめき声を上げ、目を覚ます。

 化け物はさらに凄い力でシアンの首を締め上げた。



 シアンは真紅の目を光らせ、

「ウゥ――――ッ!」

 とうなり声をあげると、手のひらを化け物に向け、激烈な閃光を放つ。

 ビョヨヨヨ――――! と、異常な高周波音が響き渡り、部屋は鮮烈な光に埋め尽くされた。

「うわぁ!」

 異様な展開にレオも起きて、ベッドから転がり落ちる。

 部屋には焦げ臭いにおいが充満した。

「グギャァァ!」

 化け物は閃光を浴び、苦しそうにしながら空間の裂け目へと逃げ帰っていく。

「ケホッケホッ……、待ちな!」

 シアンはのどを押さえながらそう叫ぶと、裂け目の中に上半身を突っ込んで何やら攻撃を仕掛け続けた。裂け目からは激烈な閃光がほとばしり、激しい爆発音が響いてくる。

 レオは寝ぼけ眼でオディーヌと目を合わせ、お互い呆然としていた。



「もー、油断も隙も無いんだから!」

 シアンは裂け目から出てくると、プリプリとしながら言った。

「でも、その裂け目作ったのはシアンですよ?」

 オディーヌが突っ込む。

「え? 僕?」

 ポカンとするシアン。

「寝返りを打ちながら空間を切ってましたよ」

「え? あ? そうだった? で、朝食は何?」

 と、言ってニコニコしながらオディーヌを見る。

 オディーヌは軽いノリにちょっと面食らいながら、

「レヴィアさんがテーブルで待ってます」

 そう言って部屋の外を指さした。























2-16. スタバで朝食を



「レヴィアおはよ~」

 レオは目をこすりながらテーブルのところへ行った。

「おはよう、よく眠れたかの?」

 レヴィアはコーヒーを飲みながら微笑んで言う。

「うん、ママにも会わせてもらっちゃった」

「ママ? あ、そう……、それは……良かったのう……」

 レヴィアはちょっと言葉に詰まりながら答え、目をつぶってため息をついた。

「あれー? 朝食は?」

 シアンは頭をボリボリとかきながら、やってくる。

「朝食、何が良いですか? 相談しようと思って……」

 レヴィアはちょっと緊張した声で答えた。

「あー、スタバ行くか、スタバ」

「えっ!? スターバックスですか? どこの?」

「田町だよ、田町。別にシアトルでもどこでもいいけど……」

 そう言いながらあくびをするシアン。

「じゃあ、そうしましょうか」

「それじゃ転送するよ~」

 シアンはそう言って右手を挙げる。

「ちょ、ちょっと待ってください、その服装で行くんですか?」

 ピンクのウサギ模様のふわふわパジャマに身を包んだシアンを指さして言った。

「レヴィアは細かいなぁ……」

「いや、細かくないですって!」

 シアンは目をつぶって四人を転送させた。



      ◇



 一行は国道十五号線沿いの歩道に移動した。

 シアンは胸元がV字に開いた白ニットのトップスに、カーキ色のタイトスカートをはいていた。

「これならいいでしょ?」

 ニコッと笑うシアン。

「……、バッチリです」

 レヴィアは渋い顔で答えた。

「ねぇ、僕は?」

 レオがパジャマ姿で聞く。

「ゴメンゴメン!」

 シアンはそう言うと、ユニクロのボーダーシャツに着替えさせた。



      ◇



「では、スタバにレッツゴー!」

 シアンはそう言って、大きなガラス扉を押し開けた。



「いらっしゃいませー」

 若い女性の声が響く。

「うわぁ、すごぉい!」

 オディーヌが声を上げる。ピンクのドーナツに緑のクリームバー、色とりどりの食べ物が並んだガラスのショーケースが目に入ったのだ。

 レオとオディーヌはガラスをのぞきこんで一生懸命品定めをする。

「チーズタルトがお勧めですよ」

 店員がニッコリとしながら声をかける。

 するとシアンは、

「じゃあ、この列とこの列、全部一つずつください」

 そう言って大人買いする。

「え? お持ち帰りですか?」

 驚く店員。

「ここで食べるんでスコーンは温めて」

 シアンはニッコリとして言った。

「わ、分かりました……」

「僕はベンティアメリカーノ、ホットね。みんなもコーヒー?」

 シアンはそう言って見回す。

 すると、レオが

「僕は……ミルクがいいな」

 と、恥ずかしそうに言った。



     ◇



 通りに面した、全面ガラス張りの壁のそばに席を取る一行。

 国道十五号線は産業道路であり、たくさんのトラックや自動車が行きかっている。

「うわぁ、すごいね……」

 レオはその交通量に圧倒される。

「物流は国の(かなめ)じゃからな。国づくりというのは道も輸送手段も重要じゃぞ」

 レヴィアはそう言ってコーヒーをすする。

「そんなの空間繋げちゃえばいいよ」

 シアンは呑気にコーヒーをすすりながらいう。

「えぇっ!? そんなの管理局(セントラル)に怒られますよ!」

「僕がいいって言ってたって伝えて」

 そう言いながらシアンはピンクのドーナツをパクリと食べた。

「……。報告書が……」

「レヴィアは細かいなぁ、『シアンにやれって言われた』とだけ書いとけばOKだよ」

 シアンはそう言って、レヴィアの背中をバンバンと叩いた。

「……。本当にそう書きますからね?」

 レヴィアはジト目でシアンを見る。

 シアンはうなずきながらスコーンに手を伸ばした。



「空間繋げるってどこ繋げるの?」

 レオが聞く。

「主要都市の倉庫になるじゃろうな。各都市に倉庫借りて、そこをうちの倉庫とつなげる。そうしたら輸出入が一瞬でできる……。なんか怖いのう」

「ちょっとやりすぎかな? 利用期間に制限つけようか? 三十年間だけとか」

 シアンはそう言ってコーヒーをすすった。

「三十年……、それならいいですな」

 レヴィアはうんうんとうなずいた。