「でも、魔物たちは魔王様が作り出しているんですよね?」

「そう、ダンジョンを作って魔物を配置するのは私の仕事だよ。これにより人々に意欲を与え、社会に活気を醸成するのさ。ああやってるんだ」

 そう言って後ろの巨大なモニタ群を指さす。

 よく見ると、そこには多くのダンジョンデータといろんなステータスが並んでいた。

「魔物と宝箱を配置し、冒険者に魔石と宝を供給するのが僕の仕事。中には命を落とす冒険者も出てしまうが、魔物がダンジョンを抜け出して一般人を襲うようなことはしない。あくまでもフェアにやってきた」

「フェアでも死者や遺族からしたら納得できないと思いますが」

「うん、そうだね。恨んでもらうしかない。」

 そう言って魔王は肩をすくめて首を振る。そして、続けた。

「でも、登山家が雪山で命を落としたとして、山を作った神様の問題だというかな?」

「いや、そうですが、人を殺さない魔物も作れますよね?」

「昔はそうだったよ。でも、それは結局テーマパークにしかならなかった」

「真剣勝負でないと価値がない……ってことですか?」

「人間の本質がそこにあるということだよ、ソータ君」

 俺は悩んでしまった。確かに雪山に登らなければ遭難しないし、ダンジョンに潜らなければ魔物には殺されない。選択の結果ではある。しかし、惨殺死体をこの目で見てしまっていた俺は簡単には割り切れなかった。

 

「それより、魔物の群れなんだがね、あれは本当に私がやってるのではないんだ」

 魔王はお手上げのポーズをする。

 嘘をついているようにも見えないし、確かに俺たちに嘘をつくメリットも無いだろう。となると、あの魔物倉庫は何だったのか?



「ちょっとこれ見てください」

 俺はスマホを差し出し、魔物倉庫で撮った写真を何枚か見せる。

「えっ!? なにこれ!?」

「昨日、とある空間でこれを見つけてですね、ほとんど倒しておきました」

 魔王は驚愕の表情を浮かべながら、スマホを食い入るように見つめた。

「ちょっとこれ、メッセンジャーで送ってくれる?」

 そう言って魔王は最新型のiPhoneをポケットから出し、QRコードの画面を俺に差し出した。

 俺は異世界の魔王がiPhoneを使いこなしている様に違和感を覚えながらも、フレンドになって写真を送っておいた。この部屋はアンテナが五本も立っていて電波バッチリなのだ。



 魔王はジーッと写真を拡大しながら、ハァーっとため息をつく。

「これは……、ミネルバ様にすぐにご報告せねば……」

「ミネルバ様……?」

「この星の管理者(アドミニストレーター)だよ」

 俺は管理者(アドミニストレーター)という言葉にゾクッとする感覚を覚えた。そこにはIT系の匂いが漂っていた。魔物を管理しているあの巨大なモニタ群からしても、ここは現実世界ではないということだろうか……。



管理者(アドミニストレーター)……? もしかして仮想現実空間を管理している方……ってことですか?」

 俺は恐る恐る聞いてみた。

 すると、魔王はニヤッと笑って言った。

「ほう、良く分かってるね。そう、ここはコンピューターが作り出した仮想現実空間。ミネルバ様はここの管理を任されているのさ」

 俺は思わず大きく息をついた。この世界はリアルな世界ではなかった。多分そうだろうとは思っていたが、実際にそうだと言われてしまうと心が追いついていかない。リアルでないってことはゲームみたいなものということだ。エステルと必死に戦い、生き抜いてきた全てがゲームだと言われてしまうのはやりきれなかった。

「秒間三百回くらい合成(レンダリング)されているようなので、そうかなと思っていたんですが……、やっぱりそうですか……」

「おぉ、良く気づいたね。正確には288Hzだよ。海王星にあるコンピューターが計算して秒間288回像を合成(レンダリング)しているのさ」

「海王星!? なぜそんなところに……」

 俺は予想もしなかった情報に驚かされた。太陽系最果ての星、海王星。それは図鑑でもちょこっとしか出てこないなじみの薄い星だ。なぜ、そんなところにコンピューターシステムを構築しているのだろうか……?

「太陽系で一番寒い所だからじゃないかな? 熱はコンピューターシステムにとって最大の敵だからね」

「ここが仮想現実空間だというのは理解しました。でも、なぜ、iPhoneがそのまま動くんですか?」

「え? だって日本だって同じシステムで動いてるからね。iPhoneもただの仮想現実のオブジェクトだよ?」

 俺は絶句した。























3-12. 六十万年の壮大な計画



 やはりそうか……。俺は仮想現実空間に生まれ、二十一年間生きてきていたのだ。つまり、俺はゲームのキャラクターみたいな存在だった……。でも、日本は科学が発達している。288Hzだったら矛盾が観測されているはずだ。

「いやいや、日本には高速度カメラだって、素粒子の加速器だって、288Hzでは矛盾が出る装置なんていくらだってあるじゃないですか!」

「ん? そこだけシステムが検知して自動で周波数上げてるんだよ」

 魔王は当たり前のようにニッコリと笑って言う。

「え? 本当に? でも、時間だけじゃない、量子効果だってコンピューターでは再現できないはずですよ?」

「量子って結局確率の話だからね。コンピューターで再現するのはそんなに難しくないよ。量子コンピューターには量子コンピューターそのまま当てはめてやるだけだし」

「え……?」

 俺は必死に仮想現実空間では不可能な理由を探した。しかし、いくら考えても矛盾は見つからない。確かに原理的にはコンピューターの規模さえ整えば実現可能だった。

「君たちの使ってるパソコンの計算速度がだいたい秒間で5x10の11乗回、日本ご自慢のスパコン富岳で4x10の17乗回。そして、海王星にあるIDCのコンピューターは5x10の29乗回。富岳の1兆個分だね。まぁ、ちょっと想像を絶する規模だよ」

 俺は愕然(がくぜん)とした。富岳が一兆個もあれば、それは確かにできてしまうかもしれない。人間一人動かすのに富岳10台分だ。ソフトの組み方次第でできないことは無いかも……。しかし……。

「そんな膨大なシステム、誰が何の目的で作ったんですか?」

「多様性のある文化・文明が欲しくて、海王星人が60万年かけて作ったって聞いたな……」

 魔王は宙を見あげながら答える。

「60万年!?」

 俺は絶句した。そりゃそうだよ。富岳一兆個分のコンピューターなんて百年や二百年じゃ作れっこないのだ。それにコンピューターは電気をものすごく食う。電源も用意しなくてはならない。途方もない時間かかるのは仕方ないだろう。

 太陽系ができてから46億年と聞いたことがある。よく考えれば60万年といっても太陽系の歴史に比べたら一瞬だ。俺は宇宙の壮大なスケールと海王星人の執念に思わずため息をついた。

「この世界が仮想現実だと何か不都合でもあるのかい?」

 魔王は淡々と聞いてくる。

「不都合?」

 俺は悩んでしまった。21年のこの人生の中でリアルじゃなくて困った事……。何も思いつかなかった。しかし、俺はコンピューター上のデータ。データに価値なんてあるのだろうか?

「私が電子的存在だったとしたら、私って何なんでしょう? ゲームのキャラクター?」

「自分が何者かはコンピューターが定義するものではない。『我思う故に我あり』、実装環境が何であろうと、『思い』は宇宙に一つだけの珠玉の宝石であり、アイデンティティだ」

 魔王は優しい目で言う。

「思うことそのものに価値があるってことですか?」

「そう、思いは神聖にして不可侵な君の世界だ。また同時に、君の思いは他の人の思いと有機的な関係を築きながらオリジナルな世界を紡ぎだす。そしてその思いの集合の結果生まれる文化・文明が海王星人の求めるものなのだよ」

 なるほど、高度に発達した科学力を持つ海王星人たちにとってもオリジナルな文化・文明を簡単に合成はできないってことだろう。そこで俺たちを生み出し、紡ぎださせている。それは大変に非効率かつ冗長に見えるけれども、それ以外方法が無いということなのだ。俺は生まれて初めてこの宇宙の(ことわり)に触れ、感慨深く思った。



「おっといけない! ミネルバ様に連絡しないと……」

 そう言って魔王はiPhoneで電話をかけた。

 ここまで文明が発達してるのになぜiPhoneなのかはちょっと疑問だった。



 緊急会議が開かれるとの事で、ミネルバの拠点へ行くことになった。

 魔王は空中に指先で大きな円を描くと、大きなドアがポンっと現れた。

 そして、魔王はドアをノックする。

「どうぞー」

 若い女性の声がして、魔王は中へ入り、俺たちを呼んだ。















3-13. 猫の人



 ドアをくぐって、俺は驚いた。なんとそこには富士山がドーンと目の前にそびえ、足元には芦ノ湖が広がっていたのだ……。異世界なのになぜ?



「は、箱根ですか!?」

 思わず俺は声に出してしまう。一面ガラス張りの部屋の景色は最高で、思わずため息が出てしまう。しかし、日本の箱根であれば湖畔に多くの建物があるはずだが……、何も見当たらない。ここは異世界の箱根のようだ。日本と同じ地形データを使っているということ……なのだろう。俺は改めて仮想現実空間の奇妙さにクラッとした。



 奥から頭が猫の人が出てきて言った。

「そうよ、箱根。いい景色でしょ?」

 俺は一瞬どういうことかと混乱した。猫だ……猫の人だ……。

 茶シロのスコティッシュフォールドで、オレンジ色の瞳……。そんな愛らしい猫が身長百六十センチくらいで立ち、アイボリーのワンピースを着て人の言葉を話したのだ。

 俺が言葉を失っていると、エステルが、

「うわぁ、猫の人ですぅ!」

 と、うれしそうに彼女に近づいた。

「あなたがエステルさんね、こんにちは」

 そう言って猫の人は手を差し出してエステルと握手をする。手は毛におおわれてはいるが人間の手の形をしていた。

「ミネルバ様……ですか?」

 俺が恐る恐る声をかけると、

「そうよ、ソータ君ね。初めまして」

 そう言って俺とも握手をしてニッコリと笑った。さすが管理者(アドミニストレーター)、もはや人間を超越している。

「もうすぐ大聖女のマリアンも来るわ」

 ミネルバはニッコリとそう言った。

「……。マリアン……?」

 この名前は憶えがある。魔物倉庫で聞いた名前だ。この世界の管理者(アドミニストレーター)すら原因が分からない魔物の侵攻だが、管理者(アドミニストレーター)グループの中の人が悪事を働いていたのであればしっくりくる。

 名前が同じだけという、そんな曖昧な事を話していいものか一瞬悩んだが、多くの人命がかかっている話であり、何でも話しておこうと思った。

「あのぉ……」

「何?」

 ミネルバはクリッとした瞳を大きく開いた。実に可愛い。可愛すぎる……。猫は反則だ。

 俺はちょっと目を背けて大きく息をついて言った。

「写真の魔物倉庫に若い女性が入ってきて、名前が『マリアン』だったんです」

「えっ!?」

 ミネルバは驚いて魔王と目を見合わせる。

「ひょっとすると……」

 魔王は眉間(みけん)にしわを寄せる。

「もし、そうだとするならば……。いろいろ辻褄(つじつま)は合うわね……」

 ミネルバも渋い顔をする。猫でも表情は良く分かる。

 重い沈黙の時間が流れた。



「まぁ、ちょっと座って」

 ミネルバはそう言うと俺とエステルに椅子をすすめ、空中からマグカップのコーヒーを出すと俺たちの前に置いた。

 俺は荒れることを予想し、鏡を足元に横に立てかけてスタンバっておいた。



      ◇



 ピロパロポロン!

 電子音がして、ドアが現れた。

「どうぞー」

 ミネルバは可愛い猫の声で叫んだ。



 入ってきたのは豪華な純白の法衣に身を包んだ銀髪の女性だった。スッと鼻筋の通った色白の美しい女性は高貴な気品をたたえ、その目は鋭く朱色に輝き、ただ者ではない雰囲気を漂わせている。



 マリアンはにこやかに俺たちを見回して……、エステルを見つけると、

「あれ? 六十一号!? なぜあんたがここにいるのよ?」

 と、トゲのある声で言った。

 エステルは、椅子から降りてひざまずくと、

「だ、大聖女様、ご、ご機嫌麗しく……」

 と、震える声であいさつをする。

 どう見ても尋常じゃない。教会関係でつながりがあるのだろうが、番号で呼ぶとはただ事ではない。それに六十一とはエステルのうなじに彫られた数字ではないか。この二人はどういう関係だろうか?



 ミネルバはそれを見て、

「彼女は私が呼んだの。それより、これ、何なの?」

 と言って、写真を空中に投影し、マリアンをにらんだ。

 マリアンは写真を見て、一瞬驚愕の表情を浮かべると、エステルをにらみ、

「あんた! 裏切ったわね!」

 そう言って、ひざまずいているエステルの頬をパン! と張った。



















3-14. ネオエンジェル六十一号



「何するんですか!」

 俺はエステルを抱きかかえて後ろに下げ、マリアンをにらんだ。

「わ、私は何もしてないですぅ……」

 エステルはか細い声で言った。

 ミネルバは、

「暴力は止めなさい! あなたが魔物の侵攻をやってたのね。一体どういうこと?」

 と、マリアンに迫りながら問い詰める。

 マリアンも負けずにミネルバを冷たい目でにらみつけた。そして、



「ふっ、はっはっは! あーあ、バレちゃった。そうよ、私が魔物を使って街を襲ってたのよ」

 マリアンは余裕の表情でミネルバを見つめる。

「あなたの行為は海王治安法第32条に違反する重大な犯罪よ。なぜ、こんなことやったのよ!」

 怒るミネルバ。

「ふんっ! あんたらのやり方が生ぬるくて見てらんなかったのよ。あなた、最近成果全くないじゃない。このままじゃこの星、消去処分よ? どうすんの?」

「ど、どうすんのって、地道に改善策を話し合ってきたじゃない。何を今さら」

 マリアンは肩をすくめて言った。

「あなた、人間という物を分かっていないわ。人間は欲望の生き物。金と権力にとりつかれた亡者なの。結果オッサンたちが利権を独占し、ガチガチな社会を作り上げた……。この星の若者見てみなさいよ、みんな老害たちに翼をもがれて苦しんでるわ」

「社会の安定のためには……」

「何が安定よ! 老人が何もせずに大金をせしめる社会が安定した社会? ふざけんじゃないわよ!」

「それは貴族制の問題だから……」

「違う! 全然違うわ! その男の故郷、日本を見てみるといいわ。貴族なんていないのに老害がガチガチの利権社会を作って若者を潰してるわ。日本では大企業が貴族の代わりをしているのよ。要はシステムの問題じゃないの、人間の(ごう)の問題だわ」

 俺は反論しようとしたが……、大企業に入ろうと必死に就活を繰り返してた俺には、言葉が浮かばなかった。



「なら、どうするのよ?」

 ミネルバが言った。

「欲望に縛られない新人類(ネオエンジェル)に入れ替えるのよ。人を騙さない、嫉妬しない、損得勘定しない、独り占めしない、そういうオープンな感性を持った、いつまでも歳をとらないフレッシュな若者……、彼らに入れ替え、理想郷(フェアリーランド)を作るの」

 マリアンはうれしそうに微笑んだ。

 新人類(ネオエンジェル)? まさか……、俺はエステルを見た。エステルは俺の視線を感じると、ビクッとなって縮こまってしまった。

「そんな社会上手くいくわけないわ!」

 ミネルバが叫ぶ。

「ソータ君……だっけ? あなた、新人類(ネオエンジェル)と一緒にいたんでしょ? どうだったのよ?」

 マリアンはニヤッと笑って聞いてくる。

「エ、エステルの事か?」

 俺は青い顔をして聞いた。

「名前なんて知らないわ、そこの娘、六十一号のことよ」

 やはり……、俺は目の前が真っ暗になった。エステルは人間ではなかったのだ。優しく献身的でいつまでも子供な存在……、それは作られた新人類(ネオエンジェル)だった……。

「ソ、ソータ様、ち、違うの!」

 エステルが俺にしがみつき、涙目で訴える。

 俺はエステルを蒼白な顔でジッと見下ろした。なんて言ったらいいのか俺は完全に言葉を失ってしまった。

 なるほど、確かに世界中エステルみたいな人だらけになったら、争い事も揉め事もなくなるだろう。それは一つ真理を突いてるなと思った。思ったが……、そんな社会など価値があるんだろうか? 毎日三食スイーツしか食べないような社会って感じがして非常に抵抗を感じる。



「そんな社会、発展などしないわ。それに大量虐殺は違法。直ちにお前を拘束する!」

 ミネルバはそう叫ぶと全身を光らせて、

「ホーリーバインド!」

 と、叫んだ。放たれた光のロープがマリアンをグルグル巻きにしていく。

 しかし、余裕の笑みを浮かべるマリアン。

 直後、ハッ! とマリアンが叫ぶと光のロープは飛び散って霧散し、逆に新たに生成されたロープであっという間にミネルバと魔王と俺をそれぞれしばった。

「うわぁ!」「な、なぜだ!」「ぐわぁ!」

 いきなり縛られ、バランスを崩し、尻もちをつく俺。



「ふふっ、あなた達の権能はすべて奪ったわ。事故死として処理しておくわね。さようなら」

 マリアンはうれしそうにそう言うと、腕をデカい窓ガラスに向けてブンと振って、窓ガラスを全部粉々に砕いた。そして、

「六十一号、行くわよ!」

 そう言ってエステルの腕をつかむと、窓の外へと飛んだ。

「エステル!」

 身動き取れない俺が叫ぶと、

「いやぁぁぁ! ソータ様ぁ!」

 悲痛な叫びが遠ざかっていく。



「ヤバい! 逃げないと! あいつ撃ってくるわ!」

 ミネルバが叫んだ。

「ダメだ、能力が全部ロックされてる!」

 魔王は青くなって言った。



 俺は足で鏡を蹴り倒すと、

「ここに逃げてください!」

 そう叫んで鏡に飛び込んだ。



 直後、箱根は激しい閃光に覆われ、真っ白い繭のような衝撃波が箱根全体に大きく広がった。それはまさに地獄絵図であった。全ての樹木はなぎ倒され、芦ノ湖の水は吹き飛ばされ、全てが温泉地獄の大涌谷(おおわくだに)のような焦土と化した。そして、中から真紅のキノコ雲がモクモクと吹きあがっていく。

「はっはっは! これで世界は私の物だわ! 六十一号! あなたも手伝うのよ、分かったわね?」

「ソ、ソ、ソ、ソータ様……、あぁ! ソータ様ぁ! いやぁぁぁ!」

 錯乱し、泣き叫ぶエステル。

「うるさいわね! 記憶を消してあげるわ。あんな男、六十一号には要らないわ」

 そう言って、マリアンは逃げようともがくエステルの額に手を当てた……。

「やめてぇぇぇ!」

 悲痛な叫びが、巨大クレーターのはるか上空で響いた。





















3-15. 疑惑の海王星



 俺は自宅で、鏡から飛び出してくる魔王を補助し、うまく着地させた。

 続いて飛び出してきたのは……、黒髪の女性!?

 褐色のオリエンタルな美人で、オレンジ色の瞳をしている。

「うわぁ!」

 女性は叫び、俺は頑張って抱きかかえる。

 すると、ゆるい衣服から豊満な胸がこぼれそうになる。

「え!?」

 思わず目が点になる俺。

「キャ――――!」

 女性は両手で胸を隠すと、涙目で俺をキッとにらみ、パシーン! と、平手打ちした。



 その女性はミネルバだった。日本に来た時に変身の魔法が解け、猫から人間になってしまったのだった。猫の時は胸が無かったし、毛皮で覆われていたのでゆるい服を簡単に着ていただけだったのだ。



 俺は頬をさすりながら、Tシャツを出して後ろを向きながら彼女に渡した。

「思わず叩いちゃった……、ごめんなさいね」

 謝りながらシャツを着るミネルバ。

「いえいえ、私も見ちゃいましたし……」

「え!? 見たの?」

「だ、大丈夫です! 見えそうになっただけです!」

 俺は嘘でごまかした。



     ◇



 狭い部屋の中で小さな丸テーブルを広げ、作戦会議である。俺はコーヒーを入れてふるまい、ベッドに座って議論を聞いていた。

 一つの世界の頂点たる管理者が、こんな小さなワンルームで世界を救う議論をしているなんて、とても違和感がある。

 しかし、ミネルバを排除したマリアンは一気に計画を推し進めてくるだろうし、さらわれたエステルも心配だ。一刻を争う。



「なぜマリアンは我々の権能を無効にできたのかしら?」

 ミネルバはコーヒーを飲みながら魔王に聞く。

「OSレベルでハックしないとそんな事できませんが……、そんな事例ここ数千年一つもないですよ。不可能です」

「でも、やられちゃったわよ?」

 ミネルバは口をとがらせて、不満げに言う。

「そうなんですよね……」

 重苦しい空気が流れる。

 俺は仮想現実空間がどうやって作られて、どう運用されているのか全く分からないので何とも言いようがない。ただ、ソフトウェア的に不可能な事をやられたとしたらハードウェアが問題なんじゃないかと思った。米中間でそれで揉めていたのを思い出したのだ。

「サーバーに……、仕掛けをされたってことは無いですか?」

 俺は恐る恐る横から言う。

「えー!? そんなの海王星に行って直接いじらないと不可能よ」

「行けないんですか?」

「行けはするけど……。あの子がハードウェアの知識なんてあるとは思えないんだけどな……」

 iPhoneを巧みに叩いていた魔王が叫んだ。

「ミネルバ様! 海王星の渡航記録にマリアンの名があります!」

「な、なんですって!? そんな話聞いてないわ……」

 目を真ん丸く見開くミネルバ。

「海王星にはサーバーしかありません。本来ならわざわざ行く意味などないです」

 魔王は肩をすくめる。どうやらサーバーに何らかの仕掛けをした線が濃厚だ。

「じゃ、今すぐ渡航申請出して! 魔王はバックアップ、ソータ君、きみはついてきて」

了解(ラジャー)」「わかりました!」

 魔王はタカタカと器用にiPhoneを叩いた。



 エステル、待ってろよ! 俺が必ず迎えに行ってやる。



       ◇



 目が覚めると俺は寝台のようなベッドの上にいた。ゆっくりと体を起こすと……、全裸だ。服はどこにあるんだろう?

 俺がキョロキョロしてると、

「ソータ君、行くわよ!」

 そう言う声がしてカーテンがガッと開いた。

 ミネルバは猫の身体に戻っていて、こちらを見る。

「うわぁ!」「キャ――――!」

「なんでまだ裸なのよ!」

「服がどこにあるか分からないんですよ!」

「もう! 仕方ないわねぇ……」

 ミネルバが空中に現れたタッチパネルをパンパンと叩き、俺は自動的に服が装着された。



















3-16. 一キロメートルの地球



「さあ! 行くわよ!」

 ミネルバはプリプリしながら金属の廊下をカッカッと歩いて行く。

 急いで追いかけると巨大な窓が見えてきて、外は真っ暗だった。ふと、窓から下を眺めて驚いた。なんとそこには巨大な(あお)い惑星が眼下に広がっていたのだ。

「うわぁ!」

 そのどこまでも澄みとおる青、圧倒的な巨大さに俺は圧倒された。

 ミネルバはニヤッと笑い、

「ようこそ海王星へ!」

 と、言った。

 窓に張り付いて見ると、まっすぐに立ち上る天の川に、クロスするように巨大な環が十万キロくらいのアーチを形作っていた。大いなる宇宙の芸術に俺は思わずため息を漏らす。

「はい! 行くわよ!」

 ミネルバはカッカッと先を急ぎ、

「あー、待ってください!」

 と、俺は追いかける。

 俺たちが転送されたのは海王星の衛星軌道上の宇宙港(スカイポート)。直径数キロメートルの巨大な観覧車のような環状の構造物だ。ここから海王星の内部に設置されたコンピューターへとシャトルで向かうらしい。

 無重力の船着き場から六人乗りの小さなシャトルに乗ると、自動的にハッチが閉まり、エンジンがかかって、ゆっくりと加速し始めた。

「なんでこんなところにサーバーがあるんですか?」

「冷たいからじゃないかしら? 氷点下二百度らしいわよ」

「マイナス二百度!?」

 俺は思わずブルっと体が震えた。全ての物が一瞬で凍り付く温度、そんなところへこれから行くらしいが……大丈夫なんだろうか……。



 シャトルはどんどんと高度を落とし、徐々に真っ青な海王星が視野いっぱいに迫ってくる。そして、大気圏突入。シャトルは真っ赤になりながらさらに高度を落としていく。

「なんだかすごいですね! まるでSFですよ!」

 俺が興奮していると、

「これが仮想現実空間だと言ったら信じる?」

 と、ミネルバはニヤッと笑って言った。

「えっ!? 仮想現実空間というのはこれから向かうコンピューターが作ってるものですよね? なぜここも仮想現実空間なんですか?」

 俺は困惑して言った。

「ふふっ。今度女神様に聞いてみるといいわ」

 ミネルバはそう言って、うれしそうに笑った。

 60万年かけて作ったという海王星のサーバー群。それがある世界が仮想現実空間? 俺は彼女が何を言ってるのかわからなかった。



 やがてシャトルはボシュッ! という音を立てて濃い気体の層に突入した。気体はほぼ透明だったが、下の方を見ると青黒くどこまでも続く底なしの闇が見て取れた。本当に、こんな所にコンピューターなんてあるのだろうか?

 俺の不安など無関係に、シャトルはどんどんと潜っていく。

 やがて、真っ暗となり、ヘッドライトは雪が舞い散るような風景を照らしだしていた。

「そろそろ着くわよ」

 ミネルバがそう言って、スマホで魔王と手順の確認をしている。



 やがて見えてきた巨大な黒い構造物……デカい。それは新宿の街がすっぽり入るくらいのサイズの巨大な直方体だった。そして、その直方体がまるで貨物列車のように次々と連なっていた。

「これがジグラート、これ一つで地球一つよ」

 ミネルバが説明してくれる。

「あなたの日本がある地球は……、あれね」

 やがて近づいてきたジグラート。継ぎ目があちこちにあり、その継ぎ目からは白い明かりがほのかに漏れている。ここにはスパコン富岳の一兆個に相当するコンピューターが収められている。

 直径一万二千キロの巨大な青い惑星、地球。多くの生き物と八十億人の人が暮らすその星の実体がこの一キロメートルくらいの黒い箱だったなんて誰が信じるだろうか? 実際に目にしてもまだピンとこないのだ。

 俺はこの中で生まれ、この中で育ってきた……。頭では理解できるものの、どうも実感がわかない。それに、ジグラートは次々と連なっていて数えきれないほどある。一体何個の地球があるのだろう? 俺は圧倒され言葉を失っていた。



 そして、シャトルは減速をはじめ、ジグラートの一つに近づいて行った。























3-17. 猫女猫女猫女! 



 同時刻、王都の大聖堂の塔にあるマリアンの執務室に動きがあった――――。



 コンコンコン!

 ドアがせわしなくノックされ、

「マリアン様、大変です!」

 しゃがれた男性の声がする。

 デスクで報告書をチェックしていたマリアンは、

「どうぞ」

 と言って、不機嫌に顔を上げた。

「ミネルバが海王星に居ます! どうやらうちの星のサーバーへ行くようです!」

「えっ!? あの猫女、生きてたの? それにサーバーって……。まさかバレたの?」

「た、多分そうではないかと……」

 初老の男は言いにくそうに答えた。

「くっ……!」

 マリアンはそう言って歯を食いしばる。

「ど、どうしましょう……?」

「猫女め――――!!」

 マリアンは真っ赤になって吠え、デスクを激しく叩いた。

「ひぃっ……」

 男は後ずさる。

「猫女を止める方法は無いの?」

 マリアンは男をにらみつけて聞いた。

「か、彼女はもう海王星に行ってしまったので、我々ではもう止められません」

「あぁ――――! マズい! 不正の証拠が取られちゃうわ! 何とかならないの?」

 マリアンは頭をかきむしりながら言う。サーバーへの不正は重罪だ。証拠を押さえられたらマリアンは捕らえられ、死刑は免れない。まさに命のかかった大ピンチに陥ったのだ。

「げ、現地に行かないとハードウェアはいじれないです……」

 男は冷や汗を垂らしながら答える。



 ガンガンガン!

 マリアンはデスクをこぶしで殴りつけ、そして落ち着きなく部屋の中をうろうろしながら思案し、

「猫女猫女猫女猫女猫女! キ――――ッ!!」

 と、ヒステリーを上げ、花瓶をつかんで振り上げると床にたたきつけた。

 パリーン! という高い音が部屋に響く……。

 そして、ハァハァハァと、マリアンの荒い息が静かに流れた。

 男は目をつぶり、身体を固くして嵐の過ぎ去るのを待った。



「ねぇ……、海王星にある船のリストを見せて頂戴」

「え? ふ、船……ですか? 分かりました……」

 男はそう言うとサイドデスク上に画面を展開した。そして、画面をクリクリと操作していく……。

 しばらくして、画面上には船の名前と種類と位置のリストが表示された。

「こ、これでよろしいですか?」

「ちょっと見せて!」

 マリアンは画面の前まで行って必死にリストをにらんだ。そして、そのうちの一つを指さして、

「今すぐこいつを乗っ取って!」

 と、命じた。

「えっ!? この貨物船ですか? 船を乗っ取るのは重罪ですよ!?」

「できるの!? できないの!?」

 マリアンは目を血走らせながら喚いた。

「わ、分かりました。やってみます……」

 男はマリアンに気おされ、画面を操作する。ハッキングツールを次々と立ち上げると貨物船の制御システムに攻撃をかけていった。

 画面には膨大の量の文字が激しく流れていく。二人は何も言わずその画面を静かに眺めた。

 しばらくして、ピポッ! と、画面から音がして「SUCCESS」の文字が赤く表示される。

「成功しました。もう自由に動かせますが……、どう……するんですか?」

「これをうちのジグラートにぶつけて」

「えっ!? 何言ってるんですか! そんなことしたらこの星滅亡ですよ!?」

「そうよ、ミネルバごとこの星を海王星深く沈めてやるのよ!」

 マリアンは悪魔のような笑みを浮かべ、そう言い切った。

「く、狂ってる……」

 おののくと男は急いで逃げだす。

 ダッシュして男がドアを開けた時だった。



 パーン!

 マリアンは表情一つ変えることなく、指先から(まばゆ)い光を放ち、男の背中を撃ち抜く。

「ぐはぁ……」

 男は胸に風穴があき、おびただしい量の血を振りまきながら床に倒れた。

 そして、ピクピクっと痙攣(けいれん)しながら絶命する。

「今さら何を逃げようとしてんのよ」

 マリアンは冷たい表情で、男の亡骸(なきがら)を見下ろし、そう言った。



 マリアンは画面を操作し、貨物船の目的地をジグラートに設定して、全速前進の指令を打ち込む。

「猫女、今度こそあの世に送ってやるわ」

 瞳孔の開ききった目でマリアンはニヤッと笑った。























3-18. エステルの選択



 システムからは、頻繁に警告のメッセージが出る。

『重大な被害が出るルートです! 衝突回避しますか? はい/いいえ』

 マリアンはそのメッセージのたびに『いいえ』を押し続けたが、そんなことをやっていては逃げられない。

 マリアンは男の死体を片付けると、エステルを呼んだ。



      ◇



「はい、なんでしょうか?」

 ちょっとビビりながら部屋に入ってくるエステル。

「六十一号。ちょっと、この画面で『いいえ』を押し続けてくれる?」

 マリアンにそう言われ、テッテッテと画面の所まで来たエステルは警告文を読んで、

「これ、何ですか?」

 と、聞いた。

「私を殺そうとする悪い奴に天誅(てんちゅう)を下してるのよ。『いいえ』を押し続けてて!」

「えっ!? そんな悪い人が!? わ、分かったです」

 エステルは正義感に燃え、椅子に座ると、淡々と『いいえ』を選び続けた。

 それを見るとマリアンは、急いで逃げ支度をし、どこかへテレポートして行ってしまった。



 エステルは淡々と『いいえ』を押し続けた。マリアンはエステルの製造者。その命令は絶対だった。

 しばらく押し続けていると、違うメッセージが表示された。

『ミネルバとソータ、二名に重大な命の危険があります。衝突回避しますか? はい/いいえ』

「ソ、ソータ……?」

 その文字を読んだとたん、エステルは動けなくなった。

 理由は分からないが心が頑固としていうことを聞かない。

 『いいえ』を押そうとするがどうしても手が動かず、気が付くと、頬にツーっと涙が伝わってきた……。

「え!? どうしたですか、私?」

 エステルは涙をぬぐい、困惑した。

 ソータという聞いたことのない名前に、なぜこんなに動揺しているのか、エステルは全く分からなかった。

「ソータって誰なんです?」

 涙声で取り乱すエステル。

 しかし、マリアンの命令は絶対だ。押さねばならない。マリアンを殺そうとするこの悪者ソータに正義の鉄槌(てっつい)を食らわせねばならない。



 エステルは何度か深呼吸をし、呼吸を整えると『いいえ』に指を伸ばした。ブルブルと震える指先……、押す、押さねばならない、エステルは力を振り絞って指を前に伸ばした。



      ◇



 ソータとミネルバを乗せたシャトルがジグラートに接舷(せつげん)した。



 プシュー!



 エアロックが開くと、中は無数のインジケーターがチラチラと明滅し、まるで満天の星々のようだった。

 ミネルバが照明をつけると、中の様子が明らかになった。そこには交番くらいのサイズの円柱状のサーバーがずらーっと見渡す限り並んでいた。足元の金属の金網越しに下を見てもずーっと下の方までサーバーの階層は続いている。トータルで言うと三十階建くらい、各フロアの広さは新宿の街くらいだった。すごい量のサーバー群である。これがスパコン富岳一兆個分のコンピューターシステムらしい。確かにこれだけあれば星を一つシミュレーションすることもできるよなぁ……と、思わずため息をついた。



 入り口の脇に(たたみ)くらいの板があり、ミネルバがしゃがんで説明してくれる。

「これがサーバーのブレードよ。これが円柱にズラッと刺さっているの」

 ブレードには微細な模様がビッシリと施されたガラスで埋まっていて、何がどうなっているのかもわからない。

「これはすごいですね……」

 俺はまるでアートのような美しいガラス工芸品に、感嘆の声を漏らす。

「ここに細工するというのは相当な事なのよ。多分、コネクタ付近に変な部品をつけているんじゃないかしら?」

「で、マリアンが細工したらしいサーバーはどれなんですか?」

 俺はサーバー群を見回すが……あまりに膨大過ぎてしらみつぶしという訳にはいかない。

「魔王が候補を上げてくれてるわ。えーと、まずはF16064-095だって。16階のF列ね。行きましょ!」

































3-19. 届かぬ想い



 二人は金属の階段をカンカンと言わせながら登っていった。

「ちょっとこれ、大変じゃないですか?」

 俺はハァハァと息を弾ませながら登っていく。

「海王星じゃ権能も使えないからねぇ……。足で行くしかないわ」

「もしかして……、女神様なら使えるんですか?」

「ふふふ、ご明察」

 ミネルバはヒゲをピクピクっと動かして笑った。

「じゃあ、女神様に頼んだらよかったのでは?」

 すると、ミネルバはあきれたような顔をして言った。

「あのね、今、我々は女神様に試されてるのよ」

「え?」

「あの方は全て分かった上で我々の解決力をテストしてるの。頼んだ時点で落第だわ」

 なんと、全て先輩の手のひらの上だったのか……。となると、エステルが新人類(ネオエンジェル)であることも知っていたはずだ。その上で俺に結婚を勧めた。これはどういうことだろうか?

 マリアンに連れ去られてしまったエステル。絶対に奪い返さないとならない。しかし……、俺は彼女にどう接したらいいのか悩んでいた。もちろん、人間でなかったとしても彼女は愛しい存在だ。でも、その愛おしさが人工的に作られた物から来ているのだとしたら……、それはプログラミングされたゲームキャラを一方的に好きになっているだけ、ではないのだろうか?

 俺は彼女を愛していいのだろうか? 彼女にとって俺の愛って迷惑ではないのだろうか……?

 奪還出来たらゆっくりとエステルの考えを聞き、心で感じてみるしかない。



 あぁ、屈託のないあの優しい笑顔に早く癒されたい……。

 俺は悶々(もんもん)としながらミネルバについて階段を上っていった。



         ◇

 

「見つけたわ、これね!」

 そう言って、ミネルバは円柱の一部を指さした。

「これを抜くんですか?」

「そうよ、ここにロックの金具があるから外してね……。じゃあ引っ張るわよ」

「せーのっ!」

 そう言って二人で引っ張ると、ガコッ! っと音がして畳サイズのブレードが抜けた。

 ブレードを床に置いて二人で観察してみる。入り口に置いてあったものと同じ構造をしていて、ガラスの微細な構造がキラキラと照明を反射し、美しかった。

 しかし……、特に怪しい物は見つけられない。

「もしかしたら1ミリくらいの小さなものかもしれないわ。そうだったらちょっと見ただけじゃわからないかも……」

 ミネルバは眉間にしわを寄せて言う。ヒゲがしょんぼりと下がってきてしまう。

「この間にもマリアンは魔物の侵攻を進めてるんですよね?」

「そうでしょうね。ぐずぐずしていられないわ。手分けして候補を一つずつしらみつぶしで行きましょう」

「分かりました。頑張ります!」

「じゃあ、ステータス画面開いて」

「え!? 海王星でも開けるんですか?」

「この肉体に実装されているのよ。ここに直接映像が行くわ」

 そう言って、ミネルバは頭を指さした。

「分かりました。『ステータス!』」

 すると、確かに青白いウィンドウが空中に開いた。そこにはスマホのようなアイコンも並んでいる。

「今、メッセージ送ったから、そこのリストの上からチェックお願い」

 ピコピコと点滅するアイコンをタップすると、リストがズラッと並んだ。その量にちょっと気が遠くなったが、多くの人命がかかっているのだ。頑張るしかない。

「了解です!」

 俺はそう言って走り出した。



       ◇



 カンカンカンカン!



 金属の網目でできたグレーチングの上を俺は淡々と走った。どこまでも並ぶ巨大な円柱群の間を息を切らしながら走る。

 マリアンの野望を止め、エステルを取り戻す。そのために、今の俺にできることを淡々とやるのだ。



『ソ、ソータ様、ち、違うの!』

 エステルが新人類(ネオエンジェル)だと暴露された時に、エステルが必死に叫んだ言葉がまだ耳に残っている。

 あの時、俺はひどい目でエステルを見てしまった。プロポーズしようとさえしていた愛しい人をなぜあんな目で見てしまったのか……。

 俺の腕にしがみつき震えていたエステルを、なぜ温かく抱きしめてあげられなかったのか?

 新人類(ネオエンジェル)だからといって傷つかない訳はない。俺が向けた冷たい視線が、彼女の小さな胸に大きな傷を負わせてしまったとしたら取り返しがつかない。

 俺は自分勝手に生きてきた浅はかな今までの人生を心から反省し、エステルにちゃんと謝りたいと思った。



「エステル……」

 自然と涙が湧いてきて、走りながらポロポロとこぼれた。























3-20. 貨物船襲来



 それは何個目かのサーバーにたどり着いた時だった――――。



 俺はハァハァと息を切らしながらロックを解除し、力いっぱい引き抜いた。

 ヨイショ! と掛け声をかけて、床の上に置く。だいぶ慣れてきた。

 美しいガラスの工芸品をじっくりと見ていく。変な物はついていないか、異常はないか……。

 と、ここでコネクタの所に小さくセロハンテープのような物が貼られているのに気がついた。こんな物、今までのサーバーには無かった。もしかして……。

 俺はステータス画面を出して、ミネルバに連絡を取った。

「すみません、変なの見つけたんですが、これですかね?」

 俺はカメラ機能を使って動画で実況する。

「ハァハァ……。どれどれ……。うーん、これだけじゃわからないわね……、今すぐ行くわ!」



       ◇



 程なくしてミネルバが走ってきた。

「ハァハァ……。お疲れさま……。これね……」

 ミネルバはテープをジーッと観察し、テープに手をかけ、ペリッと剥がした。

 すると、その瞬間、サーバー全体がピカッと光り輝く。

「うわぁ!」

 俺が驚いていると、ミネルバは

「ビンゴ!」

 と、うれしそうに叫んだ。

「え? これで問題解決ですか?」

「そうよ、マリアンはこのチップでサーバーを誤動作させ、OSの特権処理に介入していたんだわ。ソータ君! すごい! お手柄だわ――――!」

 いきなりハグしてくるミネルバ。

 モフモフとした猫の毛が柔らかく俺を包み、俺は何だかこの上なく幸せな気分になる。猫ってすごい。



「これでもう大丈夫! 戻ってマリアンをとっちめてやるわよ!」

 ミネルバはヒゲをピンと伸ばして力強く言った。



 その時だった、



 ヴィ――――ン! ヴィ――――ン!



 急に警報が鳴り響き、照明が全部真っ赤に変わった。

「えっ!? なにこれ?」

 俺がビックリしていると、ミネルバはどこかと通信を始めた。

「えっ!? 貨物船? 十五分後!?」

 深刻そうな話が聞こえてくる。

「警備隊は何やってんのよ!? えっ? 強硬突破? こっちにはシャトルしかないわよ! ……。分かった。コードを送るからやってみて。うん……、うん……」

 通話が終わるとミネルバは頭を抱えた。

「ど、どうしたんですか?」

「貨物船がここに突っ込んでくるわ」

「えぇ!? そんなの、ジグラートは耐えられるんですか?」

「耐えられるわけないじゃない。外壁を破壊されたら氷点下二百度の高圧ガスが一気になだれ込んできてサーバー群は全滅だわ」

「えっ? サーバー群全滅ってことは……」

「うちの星は消えるわ……」

 ミネルバはガックリとうなだれる。

「マリアンがやってるんですか?」

「多分そうじゃないかしら? 私たちが海王星へ来たのを知って証拠隠滅を図ったんだわ」

「証拠隠滅のために星ごと滅ぼすんですか!?」

「サーバーハックは重罪。星を滅ぼしてでも逃げたいんでしょうね。あー、私に対する恨み……かもしれないけど……」

「狂ってる……」

「今、魔王がシャトルを遠隔操作して、貨物船に体当たりをさせているわ。何とか針路をそらせたらいいんだけど……」

 ミネルバはそう言って、シャトルからの動画を俺にシェアした。

 動画を開くと、雪が舞い散る風景と、レーダーの画像が見えた。レーダーには巨大な貨物船が迫ってきている様子が映っていた。

「シャトルぶつけたら何とかなるんですか?」

「貨物船の全長が四百メートル、シャトルの全長は十五メートル。どうかしらね……」

 ミネルバは渋い顔で淡々と言う。

「厳しい……感じが……」

 俺はちょっと気が遠くなった。

「魔王の操縦に期待するしかないわ。私たちにもできることをやりましょう。えーと、粘着ゴム弾……。ついてきて!」

 ミネルバはそう言って駆けだした。