部屋に戻ると俺はベッドに横たわり、スマホで殺虫剤について調べまくった。十万匹の魔物を倒すのに有効な殺虫剤を見つけないとならないのだ。

 俺一人で噴射し続けても十万匹は無理だ。くん煙式殺虫剤をズラッと並べて一斉噴射とかじゃないとキツそうだ。それでも風向きが悪かったら効かないし、噴射も一分くらいしかもたない。何度も配置しなおさないとならない。

 悩んでいたら、普通のくん煙式殺虫剤十六個分の薬剤が出る業務用の製品を見つけた。これはすごい。きっと魔物を圧倒してくれるだろう。そして、これを束ねて時間差で点火していってやればいい事に気が付いた。導火線に長さの違う線香をつけて、最初に一斉に点火してやれば次々と時間差で噴き出すに違いない。

 百個束ねたものを東西南北の各城門に設置して、火をつければ百分間は城門を守れるだろう。その間に魔物の密集している所に殺虫剤を放り投げて行ったり、飛行魔法を使える人に十個くらい束ねたものを持って飛んでもらえば、そこそこ減らせるに違いない。

 ちょっと高いが、殺虫剤代はギルドから出してもらえばいい。

 後はそんなにまとまった数をどう調達するかだな……。

 俺は問屋さんに次々と電話していった。どこも一見さんお断りという感じで断られたが、最後に現金一括なら卸してもいいという所が見つかった。行ける! 行けるぞ!



 盛り上がっていると、

「おじゃましますぅ」

 と、声がする。エステルだ。

「はい、どうぞ!」

 答えるとエステルが入ってきた。

 胸の所に編み紐のついたピンクのワンピースを着て、金髪はきれいに編み上げ、花の髪飾りを付けている。さっきとはうって変わって綺麗になったエステルにドキッとする。

「あ、あれ、エステル、随分と綺麗に……なったな」

「うふふ、ありがとうですぅ」

 頬を赤らめるエステル。

「そろそろ……、夕飯の時間かなって思って……」

 さっきの女の子たちに対抗しているらしい。

「あ、そうだね。じゃ、何食べようか?」

「こっちのレストランがいいな……」

 エステルは恥ずかしそうにうつむく。クラウディアに乱入された件もあって相当警戒しているようだ。

「分かった。じゃあ、イタリアンでも予約するか……」

 俺はネットで近所のイタリアンを探し、評価の高い所から適当に選んで予約した。



        ◇



 運河を見ながら二人でしばらく歩き、こざっぱりとした小さなイタリアンレストランを見つけた。ガラス窓から中を見ると、立派なピザ釜には炎が上がっている。これは期待できそうだ。



 窓際の席に案内してもらって、とりあえずスパークリングワインを頼み、それから適当に前菜とサラダと肉料理、ピザを頼んだ。

「それで魔物退治の方法は見つかったですか?」

「あぁ、何とかなるかもしれない。バルザンってあったろ、モンスターハウスに放り込んだ奴。あれを束ねて時間差で噴出させて、それをみんなに持ってもらおうかと思って」

「なるほどですぅ!」

 エステルは目を輝かせた。

 丁度来たワインで、乾杯する。

「それでは魔物討伐の成功を祈って! カンパーイ!」「かんぱーい!」

 一口含むと、シュワシュワとした泡の中からホワイトフラワーの香りがし、後から野生のベリーのアロマが出現してくる。凄いワインだ……。俺は世界を救えそうな手ごたえに充実感を感じ、ワインの酔いに心地よく揺られた。



 俺たちは次々と出てくる美味しい料理に舌鼓をうちながら、殺虫剤の準備をどうやるかを雑談交えて楽しく盛り上がっていた。



「きゃははは!」

 奥の団体さんがさっきから異常ににぎやかである。

 どんな団体かと思い、ワインを飲みながらそっと様子をうかがって、ワイングラスを持つ手が止まった。



「えっ!?」



 美奈先輩だ……。ソバージュのかかったセミロングの茶髪を手でさらっと流し、仲間と笑っている。透き通るような白い肌にパッチリとした琥珀(こはく)色の瞳、そのドキッとするほどの美しさは見間違いようがない。

 異世界を作り、俺を(いざな)った超越的な神様が目の前でワイン飲んで笑っているのだ。俺は唖然(あぜん)として、言葉を失った。



















2-12. 魔王によろしく



「ど、どうしたですか?」

 エステルが聞いてくる。

 俺はどう説明したものか返答に(きゅう)した。彼女の信奉してる絶対的存在、女神様がそこで楽しそうに笑ってる。そんなこと、どう説明したらいいんだろう?

 俺がどうしようかと悩んでいたら、美奈先輩がこっちに気が付いてニヤッと笑った。

 そして、ワイングラスを持ってやってくる。



「あら、ソータ君、楽しんでる?」

 上目づかいに笑顔で声をかけてくる先輩。いつもに増して美しく見える。

「命がけで必死なんですけど?」

 俺はドキドキしながら、差し出されたワイングラスにチン! と合わせた。



「あ、あのー、この方は?」

 エステルが不安げに聞いてくる。

「エステルもよく知ってる人だよ。教会に像があったろ?」

 エステルは怪訝(けげん)そうな顔をして先輩を見る……。

 先輩はニッコリと素敵な笑顔でエステルを見る。



「あっ!」

 エステルは声を出して固まった。

「いつもお祈りありがとうね、乾杯!」

 先輩はそう言ってエステルのグラスにチン! とグラスを合わせた。

「ヴィ、ヴィーナ様……」

 エステルは真ん丸に目を見開いて言葉が続かない。



「あの世界は先輩が作ったんですか?」

「そうよ? いい星でしょ?」

 先輩は当たり前のようにニッコリとして言う。

「なぜ……、女子大生なんてやってたんですか?」

「ひ・み・つ……。あなたが活躍したら……教えてあげるかも……ね?」

 そう言って先輩はいたずらっ子の笑みを浮かべた。女神様には女神様の事情があるという事だろうが……、理由など全く見当もつかない。



「魔物十万匹って一人じゃ無理ですよ。先輩がエイッて倒してくださいよ」

 俺は素直にお願いする。

「うーん、あの星、そう単純な話じゃないのよね~」

 先輩は渋い顔をして首をひねる。

「え? 魔物倒すだけじゃ解決しないってこと……ですか?」

「ちょっと魔王と相談してくれる?」

 いきなりな無茶振りの依頼に俺はビビる。

「そ、相談なんて、できるんですか?」

「会えばわかるわ。魔王の居場所は後で送っておくね。じゃ、世界を救ってねっ! チャオ!」

 そう言って先輩はウインクをすると、仲間の席に戻っていった。

 なんとも軽い世界救済の依頼である。俺はどう考えたらいいのか途方に暮れる。



「一体どういうことなんだろう……。魔王に会えって……」

「ソ、ソ、ソータ様! め、め、女神様ですよ!」

 エステルは身を乗り出し、俺の手を取って取り乱す。



「知ってるよ」

「え? なんで女神様がレストランにいるですか?」

「うーん、なんでなんだろうね? 俺にも分からない」

「女神様ですよ! 女神様!」

「分かってるよ」

 エステルは壊れてしまったかのように混乱していた。僧侶としてずっと信奉してきた世界を作った偉大な女神様……。それは天上界の聖なる存在かと思ったら普通にレストランでワイン飲んで笑っている。エステルにはこれをどう理解したらいいか全く分からないようだった。

 まぁ、俺にも分からないんだが。



        ◇



 やがて団体さんはドヤドヤと帰っていく。

 先輩はこっちを見ると、

「じゃあね! 魔王によろしくぅ!」

 と言って、俺に投げキッスをして出て行った。



 見ると、メンバーはキリストの肖像画に似た男性や、筋肉ムキムキの白人男性、水色の髪をした女の子など、みんなただ者ではないオーラを出している。

 俺が目で追っていると、女の子がチラッとこちらを見た。その瞬間、俺に衝撃が走った。すべてを見透かされたような悪寒に貫かれたのだ。

「ひっ!」

 女の子はニヤッと笑う。

 生まれてから21年間のすべての記憶や、心の奥底の欲望や(よこしま)な考えまで一切合切全て読み取られたような気がして、俺はブルっと震えた。

 そして、その時俺は気が付いた。この人たち、歩くふりだけして歩いていない、少し浮いて飛んでいるのだ。美奈先輩だけが特別ではなく、みんな神様……、なのでは?





















2-13. 神様の中の神様



 俺は彼らを見送り、席を立つと、会計に残っていたアラサーの男性に声をかけた。

「すみません、美奈さんの後輩なんですが、もしかして美奈さんのベンチャーの方ですか?」

「え? あぁ、そうですね。AIベンチャーですね」

 彼は落ち着いた口ぶりで答えた。特段神様っぽい雰囲気は感じない。普通の人間のように見える。

「AI!? 神様……とか宗教関係ではないんですか?」

「あはは、AIと神様は不可分だからね」

 そう言って男性は笑った。俺は何を言ってるのか全く理解できなかった。神とAI、美奈先輩とAIにどんな関係があるんだろうか?

「美奈ちゃんに……、何か頼まれましたか?」

 男性は俺の目を見て、申し訳なさそうに聞く。

「じゅ、十万匹の魔物倒して世界救ってくれって……」

 俺はこんな事言っていいのか戸惑いながら言った。

「ええっ!? そりゃ大変だ……。でも、美奈ちゃんがそう言うからには何か勝算があるんだよ。ああ見えて世話好きだから」

 そう言って男性はニッコリと笑った。

(まこと)――――! 二次会行くわよ、二次会!」

 店の外から美奈先輩の声が響く。

「はいはーい!」

 男性はそう答えると、

「君とはまた会う事になりそうだな。グッドラック!」

 そう言ってサムアップをして、出て行った。

「リーダー! レッツゴー!」

 ムキムキの白人が男性に叫ぶ。

「リーダー!?」

 俺は驚いた。ただの人間だと思っていた穏やかな男性が、なんと神様たちのリーダーだったのだ。神様の中の神様、あの男性が……?



 呆然(ぼうぜん)としながら後姿を追っていると……、いきなり消えた。

 美奈先輩もみんなも全員一瞬で消えたのだ。そして、その異常な事態に街の人は誰も不自然に思っていないようだった。

 俺はあっけにとられて動けなくなった。今まで異世界で魔法などの不思議なことが起こるのはなんとなく受け入れていたのだが、日本で当たり前のように瞬間移動が使われていたのだ。彼らにとっては日本も自在に操れるフィールドの一つに過ぎない、という事だろうか?

 俺はしばらく放心状態で立ちすくんでいた。



       ◇



 帰り道、エステルは上機嫌だった。

「えへへ、女神様に会っちゃったですぅ」

 そう言ってスキップをして、クルッと回って可愛くニッコリと笑った。



 俺はと言うと、人間離れした彼らの存在をどう考えたらいいのか途方に暮れていた。

 異世界を作った先輩に、ワープして消えたAIベンチャーの人たち、神はAIと不可分だというリーダー……。

 全く想像が及ばない世界に、俺はため息をついた。

 

「ソータ様、二次会やるです! 二次会!」

 そう言いながら、うつむく俺を下からのぞきこむエステル。

「うーん、じゃあコンビニで買ってくか……。飲み過ぎはダメだぞ」

「やったぁ!」

 はしゃぐエステル。



       ◇



 部屋に戻り、鏡を抜けて宿屋に行く。こっちの方が広いので飲むならこっちだろう。

 ポテチの袋を開けて小さな丸テーブルに置き、缶ビールをプシュッと開けた。

 エステルは梅酒のソーダ割を選んだが、缶の開け方が分からないようだった。

「こうやるんだよ」

 そう言って開けてあげる。

「さすが! ソータ様!」

 缶を開けてほめられたのは、生まれて初めてかもしれない。



「カンパーイ!」「かんぱーい」

 まずは乾杯。ゴツっと缶をぶつける。

 それにしても今日はいろいろあり過ぎた。もう頭が追いついていかない。

 俺はビールをゴクリと飲み、ホップの香りに浸りながら、ふぅっと息をついた。



「明日はどうするですか?」

 梅酒を片手に、エステルがニコニコしながら聞いてくる。

「ギルドに殺虫剤代を貰いに行って、換金して、買い付けに行って、線香使って遅延発火のテストだな……」

「大変ですぅ……」

 エステルが眉をひそめる。

「魔王と話がつけば戦わずに済みそうなんだけどね、一応準備は進めないと」

「魔王さん止めてくれるですかねぇ?」

「女神様の口ぶりじゃ止めてくれそうだったけどねぇ」

 戦闘は何とか避けたい。殺虫剤がうまく機能したとしても十万匹相手では犠牲は出てしまうからだ。

 しかし、俺が十万匹の進行を食い止められると知ったら、魔王は俺を殺そうとするんじゃないだろうか? のこのこ会いになんて行って大丈夫なんだろうか?

 先輩ももう少しその辺教えて欲しいよなぁ。本当に『世話好き』なのかね?



















2-14. ネオ・エステル



「ソータ様はなぜ女神様と仲良しですか?」

 エステルは首をかしげて聞いてくる。

「女神様は大学のダンスサークルの先輩なんだよね……」

 俺は自分で説明しながら、説明になってない気がして思わず額に手を当てる。

「女神様と一緒に踊ってたですか?」

「そうそう」

「えっ!? 見せてください!」

 エステルの目がキラッと輝いた。

「うーん、そんな見せる程上手くないけどなぁ……」

「ぜひぜひ~!」

「しょうがないなぁ」

 酔いも手伝って俺は久しぶりに踊ってみる。

 テーブルをずらして、スマホから音楽を流し、リズミカルに軽く腰を落としながら、足を開いて右行って左行って、手はクラップ。



「すごい、すごーい!」

 喜ぶエステル。



 調子に乗ってリズミカルに左右に重心を移しながら、足をシュッシュと伸ばし、肩を回しながら腕を回し、収める、再度回して、収める。

「ふぅ、こんな感じ」

「すごーい! 女神様のダンス、私にも教えてください!」

 キラキラとした瞳で俺を見つめるエステル。そんな目をされると断れない。俺はベッドに座って言った。

「じゃ、そこに立って」

「こうですか?」

「そこで腰を落として足開いて右」

「こう?」

「そして、一回戻って今度左」

「こうですか?」

「上手いじゃないか。じゃ、それを連続でやってごらん」

 俺は音楽を流して手拍子を打った。

「じゃぁいくよ、3、2、1、ゴー」

 頑張って踊るエステル。

「はい、いっちにーいっちにー」

 しかし、そのうちに頭が混乱してきて足を引っかけ、倒れ込む。

「キャー!」「うわぁ!」

 エステルはベッドの俺の方へと倒れる。慌てて身体を受け止める俺。

 そして、勢い余ってベッドの上で重なってしまう二人。

 はぁはぁとエステルの甘い吐息が耳元で聞こえる。

 ふんわりと漂ってくるエステルの甘酸っぱい香り……。



「だ、大丈夫?」

 俺はドキドキしながら聞いた。



 部屋の中にはスマホからの音楽が流れ続けていた。



「ソータ様……?」

「ど、どうした?」

 柔らかいエステルの身体から、温かい体温が伝わってくる。



「私……、ソータ様のおそばに居て……いいんでしょうか?」

 いつになく低い声で深刻そうに言うエステル。

「えっ?」

 エステルはゆっくりと体を起こすと、

「私、こんなにドジで、ソータ様の足を引っ張るかもしれないです」

 暗い顔でそう言った。

「何言ってるんだ、エステルは十分に役に立ってるよ」

「そうでしょうか……? 私恐いんです」

「え? 何が?」

「いざという時にドジ踏んで、多くの人に犠牲が出ちゃったりするんじゃないか、って思うんです」

 そう言って、涙をポトリと落とした。

 俺はそっと起き上がり、優しくエステルをハグして言った。

「エステルが失敗したなら、それはエステルに仕事を頼んだ人の責任なんだ」

「えっ?」

「だから、気に病む事はないよ」

「うっうっ……、ソータ様ぁ……」

 しばらくエステルは俺の胸で泣いていた。朝に『ポンコツの出来損ない』となじられたことで小さな胸を痛めていたに違いない。ランプの炎が揺らめく部屋には嗚咽(おえつ)が静かに響き、俺はゆっくりとサラサラな金髪を何度も何度もなでてあげた。



 しばらくすると、スースーという寝息が聞こえてきた。

 泣き疲れて寝てしまったらしい。まるで幼児みたいだ。

 俺はそっとベッドに横たえると上から毛布をかけた。

 綺麗な金髪に透き通る白い肌、まるでお人形さんみたいなエステル。

 俺はしばらくエステルの寝顔を眺め、

「いい夢見てね……」

 そう言って髪をそっとなでる。



 そして、慣れない手つきでランプを消し、手探りで部屋へと戻った。



      ◇



 翌朝、俺が自分のベッドで寝ていると、バーンとドアが開き、

「ソータ様ぁ、朝ですよ――――! ご飯ですぅ!」

 と、エステルが上機嫌で入ってきた。



「うーん、もうちょっと寝かせて……」

 俺は毛布を引っ張り上げてもぐる。

「宿のおばさんが『早く』って」

 そう言いながら、エステルは毛布を引っ張る。

 食事つきコースを選んだのは失敗だった。

 俺は観念してゆっくりと起き上がり、頭をかいて大きなあくびを一つ……。

 そして、エステルを見ると……額にハチマキのような金属プレートをしている。

「あれ? それ、どうしたの?」

「今日から私は変わったのです! ネオ・エステルとお呼びください!」

 エステルなりに変わろうとしているらしい。でも、こういうのって長続きしないんだよね。

「はいはい、ネオテルちゃん。着替えるから先行ってて」

「ネオテルじゃないです! ネオ・エステルですぅ!」

「分かったから。それとも何? 着替え見たいの?」

 俺はそう言ってニヤッと笑った。

「いや、そ、そういう訳じゃ……。じゃあ食堂行ってるです!」

 そう言って真っ赤になって出て行った。