2-1. 創世の女神



「ここがうちの教会デース!」

 上機嫌なエステルは、腕をピンと伸ばして紹介する。

 ゴシック様式に似た重厚な石造りの教会は尖塔を持ち、ずいぶんと立派だ。



「それでは、ご案内しまーす!」

 そう言って通用門のカギを開けて中へと入っていくエステル。

 エステルの家に行くって話だったのに、なぜ教会へ行くのか?

 俺は疑問に思ったが、エステルは楽しそうなので、仕方ないかとついて行った。



 教会の中へ入ると中は広く、正面には立派なステンドグラスがならび、壇上には巨大な女神像が飾られていた。

「おぉ……、凄いな……」



 思ったより壮麗な教会に目を奪われる。さっきの料理といい、異世界の文化には驚かされることが多い。まるで海外旅行しているみたいだ。



 俺は美しい大理石でできた女神像へと近づき、エステルに聞いた。

「これが君たちの神様?」

「そうデース! この世界を作られた偉大なる女神様、ヴィーナ様デース!」

 近くから見上げると、石像は非常に美しく精緻に作られており、ほれぼれとする……。

 が、この顔、どこかで見たことがある……。整った小顔でシャープなギリシャ鼻……。



 美奈(みな)先輩だ!

 そう、これは俺に飲み会で鏡の通り抜け方を教えてくれた美人の先輩、美奈先輩じゃないか!

 サークルで一緒にダンスを踊っていた先輩がなぜ、異世界で女神様として(まつ)られているのか?

「美奈先輩……。美奈……、ヴィーナ……、ん?」

 『美奈』を音読みすると……『ビナ』! 名前まで一緒じゃないか!

 彼女がこの世界を作り、俺をいざなった……。

 なぜ彼女はこの世界への来かたを知っているのか、と思っていたが、知っていて当然なのだ。この世界は彼女が作ったものだったのだから。



 なぜそんなことができるのか、なぜ俺を送り込んだのか、一体この世界は何なんだ?



 俺は思わずめまいがした。



 ふぅ……。



 俺は大きく息をつく。

 何だか自分の意志とは関わりのない、大きな流れに翻弄(ほんろう)されている気がした。先輩には話を聞きにいかないとなと思った。



 振り返ると、エステルが席について机に突っ伏している。



「おい、どうした?」

 俺が駆け寄ると、

「きぼちわるいですぅ……」

 と、青い顔をしている。飲み過ぎだ。

「あー、だから言わんこっちゃない」

「なんか出そうですぅ……。ぅおぅぅ」

 えずきだした、ヤバい。

「トイレ! トイレ!」

 俺は教会内を見回すが、どこがトイレか分からない。

 仕方ないので、鏡を取り出し、エステルの頭からかぶせて俺の部屋へと転送させた。

 そして、教会の奥の物置みたいな所に鏡を立てかけ、俺も急いで部屋へと戻った。



 床で動けなくなっているエステルを、トイレまで運んで背中をなでてやった。

「ぅおぉぉ! うぇぇ……」

 ビチャビチャと便器に吐くエステル。

 なんと世話のかかる奴だろうか。クラウディアの言うことを聞いた方が良かったかも……。少し後悔した。



 その後、水を飲ませてベッドに横たえる。

 エステルはハァハァと言いながら苦しそうにしている。

 しかし、俺には解毒も治癒も使えない。申し訳ないが自分で回復していってもらうしかない。

 と、なると……。

 今日も俺は床で寝るの? トホホ……。













2-2. チョコチャンクスコーン



「ソータ様! 申し訳ございません!」

 寝てると耳元で大きな声がする……。

 あー、またエステルだな……。

「いいから、寝かせて。眠いんだから……」

 俺は毛布をかぶる。



「ダメです! ベッドで寝てください!」

「いいから寝かせて……」

 と、言って、昨日のトラブルを思い出した。

 またエステルと密着する事になったら……、いいか……。

 いやダメだ!

 俺はムクりと起き上がり、無言でベッドに転がった。

 しかし、ベッドに染み付いたエステルの甘い香りにたっぷりと包まれ、寝るどころじゃなくなってしまった。健全な成年男子にはキツい状況だ。

 毛布のすき間からのぞくと、エステルが正座して申し訳なさそうな顔でジッとこっちを見ている……。



「エステル……。シャワーでも浴びてきなさい」

 俺はエステルを追い払う。

「ソータ様……。私、昨日の記憶が無いのですが……、何か粗相(そそう)を……して……ないでしょう……か?」

「ん? 気にしなくていいよ」

 俺は適当に流す。

「え? 私、何したんですか!? まさか、はしたない事を……」

 エステルが青い顔して言う。

「単に酔ってトイレで吐いてただけだから大丈夫」

「えっ!? もう……、お嫁にいけないですぅ……」

 エステルはそう言って崩れた。

「何言ってんの、良くあることだよ。エステルほど可愛ければ誰とでも結婚できるよ」

 俺はフォローする。

「えっ?」

 エステルはキラキラと光る目で俺を見て、

「も、もう一度……」

「ん? 可愛いから結婚はできるんじゃないかって……こと?」

「か、可愛い……ですか?」

「うん、まぁ、可愛い……と思うよ」

 言ってて俺が恥ずかしくなってくる。

「うふふ……。あ、でもクラウディアさんの方が……いいですよね?」

 そう言ってチラッと俺を見た。

「彼女は大人の美人さんだからなぁ……。でもエステルもあと何年かしたらクラウディアみたいになるんじゃないかな?」

「そ、そうですか……」

 なぜか、しょげるエステル。

 何かマズいことを言ってしまったのだろうか……?



     ◇



 すっかり目も覚めてしまったので、スタバに朝食を食べに行くことにした。

 人気(ひとけ)の少ない朝の街を二人で歩く。



「ちょっと寒いですぅ」

 そう言いながらエステルは俺の腕にしがみついた。ほんのりとエステルの匂いがあがってくる。

 俺はちょっとドギマギしながら、

「そ、そんなに寒いかな?」

 と、言うと、

「寒いですっ!」

 と、言って俺を見あげてニコッと笑った。

 こんな所を大学の友達に見られたら恥ずかしいな、と思いつつ、まるで恋人のようなやりとりに、ついニヤけてしまっている自分がいた。



「それにしても高い建物ばかりですぅ」

 エステルはキョロキョロする。

「うちの世界には魔法はないけど、その分科学が発達してるんだよ」

「科学?」

「あー、この世界が何でできてるかとか、どうすると便利な物が作れるかとかだね」

「え? この世界って何でできてるんですか?」

「素粒子……かな?」

「粒子……? 小さな(つぶ)……ですか?」

「粒って言っても、波なんだけどね」

「波? もう! 何言ってるか分かんないです!」

「うん、俺も良く分からん」

 そう言って苦笑した。



      ◇



 スタバの大きなガラスドアを押し開ける。

「いらっしゃいませー」

 という声がかかり、エステルは

「うわぁ、綺麗~」

 と、言いながらガラスのショーウィンドウに駆け寄った。

 真っ赤なストロベリータルトや緑の抹茶のスコーンに、オレンジのレアチーズケーキがずらりと並ぶ。

「みんなおいしそう!」

 エステルは目を輝かせて言った。

「好きなの選びな。コーヒーでいい?」

「じゃぁ、これ! じゃなくて……、こっち……。うーん、やっぱりこれ! それとジュースがいいですぅ……」

 エステルがちょっと恥ずかしそうに言う。

 俺はポンポンとエステルの頭を叩くと、チョコチャンクスコーンとコーヒーを選び、お姉さんに伝えた。



 

















2-3. ウサギ爆笑



 全面ガラス張りの壁際に席を取った。

 外には国道15号線が通り、プリウスに黒塗りのハイヤーに、トラックにクレーン車にバス……、いろんな車がひっきりなしに走っている。

 エステルはその車たちを一生懸命目で追って、

「うわぁ……」

 と、感嘆の声を上げていた。

 俺はそんな無邪気なエステルの横顔を、ボーっと見ながらコーヒーをすする。

 可愛いよなぁ……。



 ただ、異世界人を気軽に連れ出しちゃったけど、良かったのだろうか?

 俺はそんなことを思いながらスコーンをかじった。熱で少し溶けたチョコの甘みがじわっと心を癒す。



 俺はスマホを取り出し、美奈先輩にメッセージを送った。

『鏡の向こうに行けちゃったんですけど、俺はどうしたらいいですかね? 女神様、アドバイスをお願いします』



 ピロン!



 すぐにスタンプの返信があった。

 見ると、可愛いウサギが爆笑している絵だった。

「はぁ!?」

 これは一体どういう事だろうか?

 エステルに、『君たちが祀ってる女神様からこんなスタンプが来たぞ』と、見せてやりたい衝動に駆られる。君たちの信奉する女神様ってこんなんだけどいいんか? と小一時間問い詰めたい気分だ。

 続いてもう一つスタンプが来た。今度はウサギがウインクしながらサムアップしている絵だ。このまま頑張れって事だろうか……。女神様ざっくりとし過ぎじゃないかな? せめて言葉にして欲しいんだが……。



 そもそも異世界は魔王による魔物の侵攻で存続の危機にあるわけで、魔王対策は女神様の仕事だろう。

『魔王退治しないと人類滅んじゃうらしいですよ? 女神様お願いします』

 と、送ってみる。

 するとすぐにスタンプが帰ってきた。

 ウサギが『え? 聞こえなーい』ととぼけてる絵だ。

 何だこれは? 俺は思わずバンっとテーブルを叩いてしまった。

 エステルがビクッとして、おびえたような眼でこっちを見る。

「あ、ゴメンね」

 俺はつい感情的になってしまったのを反省した。

「何か……あったですか?」

 エステルが心配そうに聞いてくる。

 俺は大きく息をつき、

「女神様に魔王退治をお願いしたら断られた……」

 と言って、軽く首を振った。

「え!? ソータ様は女神様の声聞けるですか? それは司教(ビショップ)様レベルでもなかなかできないですよ! さすがソータ様……」

 エステルは手を合わせ、キラキラした目で俺を見る。

「あ、いや、そんな大したものじゃないんだけど……」

「すごい事ですよ! でも、なんで助けてくれないんですかねぇ……」

 エステルは首をかしげる。

「助けられない事情があるか……、助けるのが面倒くさいか……」

「面倒くさい!? ソータ様! それは女神様に失礼です!」

 まじめに怒り出すエステル。

「あー、ゴメンゴメン」

 俺は謝ったが、あの先輩の性格からすると、『面倒くさい』ってのが一番ありがちなんだよなぁ……。

 と、この時、別の可能性が思い浮かんだ。『もう対策済み』だ。つまり、俺を送り込んだからもうOKと思っている可能性だ。そう考えると全てつじつまが合う。なんと、俺に丸投げしてるんだあの人!

 魔王を倒すのが面倒になった女神様は、飲み会の席で適当な若者をそそのかしてチート武器を与えて丸投げ……。これが一番しっくりくる。

 うーん、これはどうしたらいいか?

 抗議してボイコットしてやろうか……。でも、そうしたら金貨没収、エステルともお別れ……。また就活地獄に逆戻りだ。本当にそれでいいのだろうか?

 異世界は思ったより魅力的な世界だし、もらったチートもすさまじい。それに……、エステルともう会えなくなるのは……、寂しい……かも?

 しかし……、先輩の思惑通りに使われるのもちょっと(しゃく)に障る。なんとかアッと言わせる方法はないものか……。















2-4. 最強のパーカー



 俺がウンウンと思案に暮れていると、

「今日はどうするですか?」

 ニコニコしながらエステルが聞いてくる。

 ハムエッグホットサンドを両手で持って、頬張る様子はまるで子リスである。

 俺はその様子に癒されて、つい笑みがこぼれる。

 くだらないことを必死に考えるのがバカらしくなった。

 この子と一緒に世界を救ってやればいいんだろ? 女神様。いいじゃないか、やってやるよ。俺は異世界で英雄となって、たっぷり報酬ももらっちゃうぞ!

 俺はこぶしにギュッと力を込めて気合を入れた。

 エステルは首をかしげながら、そんな俺をキョトンとした顔で見ている。



       ◇



「レベルを上げたいと思うんだ」

 俺はエステルを見て言った。

「レベルですか?」

「俺もエステルもレベル低いから、殺虫剤が上手く決まらなかった時に命の危険があるじゃないか。レベル高かったら回避できたりするんだろ?」

「うーん、そうですね。防御力や回避力が上がれば危険は減りますね」

「なら、当面はレベル上げを頑張ってみようと思うんだ」

「わかりました!」

 ニッコリと笑うエステル。

「じゃあ、今日はダンジョン攻略の準備をしっかりして、それから潜ってみよう。地図とかも買わないとね」

「はい! 頑張るです!」

 両手のこぶしを握ってブンブンと振るエステル。やる気満々である。



「まずは、服どうしようか?」

「服?」

 首をかしげるエステル。

「ダンジョン潜るのに俺のパーカーじゃマズいだろ」

「えー、これでいいですぅ」

「ダメダメ! 防御力高いのにしなきゃ!」

「え? この服、今までで一番防御力高いですよ?」

「は?」

 俺は驚いた。なぜユニクロで買った3,980円のパーカーの防御力がそんなに高いのか?

「ソータ様のエキスがしみついているからですよ!」

 そう言ってエステルは、そでの匂いをクンクンと嗅いだ。

「いや、ちょっと、そういうの困るな……」

 一体異世界の女神は何を考えているのか? 先輩、頼みますよ。俺は天を仰いだ。



       ◇



 自宅に戻ると、家の前に段ボールが積み上げてあった。昨日Amezonで発注しておいた殺虫剤が届いたようだ。くん煙式殺虫剤『バルザン』と最強の殺虫剤『ハチ・アブ・マグナムZ』を百個ずつ。でも、十万匹の魔物が襲来したらこれじゃ全然足りないのだ。千個ずつくらい用意しないとならないが、そんなの家に入りきらない。異世界に拠点を借りないとまずそうだ。



       ◇



 装備を整えて鏡に潜ると、教会の倉庫に出た。



「えっ!? なんで教会に!?」

 驚くエステル。

「エステルは昨日ここで上機嫌だったんだよ」

「あぁ……、なんて罰当たりな事を……」

 エステルはしょげるが、美奈先輩がそんなこと気にするとはとても思えない。

「大丈夫、女神様にはちゃんとフォローしておくから」

 俺はそう言って元気づける。

「ソータ様……、すごいです……」

 エステルは手を合わせてキラキラとした目で俺を見る。

 俺は尊敬させたままでいいのか、ちょっと悩んだ。

 俺はサークルの先輩によって送り込まれた就活生であり、同時に女神によって選ばれたこの世界を救う救世主である。

 尊敬のまなざしは自尊心をくすぐるが……、ちょっと後ろめたい。いつか時が来たらエステルに全部話そうと思った。そして、どんなに持ち上げられても、ただの就活生であることは常に忘れないようにしよう。



















2-5. ダンジョン地図



 まずは魔道具屋に向かった。日当たりの悪い裏通りをしばらく行くと、出窓に年季の入ったランプや不思議な人形の飾られた店がある。中は薄暗がりで良く見えない。一人ではなかなか入れないお店だ。

 エステルがドアを開ける。



 カラン、カラン

「こんにちはぁ」

 そう言いながらエステルは入っていき、俺も続く。

 店の中はアジア雑貨のお店のようで、良く分からない物が所狭しと陳列されていた。右手には棚があり、いろんな形をした魔法の杖がずらりと並んでいた。何の気なしに値札を見ると、高い物では金貨百枚を超えるものがあり、ちょっとビビる。



「おや、エステルちゃん、今日はどうしたんだい?」

 奥のカウンターのおばさんが、メガネをクイッとあげて声をかける。



「この杖の買取りと、あと、ダンジョンの地図とポーションをください」

「はいはい、いい杖が見つかったのね」

「少しだけですけどね」

 エステルはちょっと恥ずかしそうに言った。

「地図は何階の?」

 おばさんが聞くと、エステルは俺の方を見る。

「出来たら全部欲しいんですが」

 俺が答える。

「全部!? 百階までって事かい?」

 おばさんは驚く。

「あれ? マズい……ですか……?」

「八十階から先はなかなか更新されないから、あまり役に立たないうえに高額よ?」

「高額……というと?」

「十階ごとに一冊となっていて、八十台は銀貨五枚、九十台は金貨一枚ね」

「役に立たないというと……、ダンジョンがどんどん変わっていっちゃうからと言う事ですか?」

「そうよ? それに……、悪いけどあなた達で八十台は……。見たところ三階とかが適正じゃないかしら……」

 おばさんは渋い顔をする。

「大丈夫です! ソータ様は双頭のワイバーンを瞬殺できるんです!」

 エステルがニッコリと笑いながら言う。

「えっ!? 一人で倒したのかい?」

 驚いて俺を凝視するおばさん。

「いや、まぁ、ちょっと特殊な方法で倒せるんです」

「こりゃまた驚いた……。ワイバーンと言うと六十階ね、七十階は筋肉ムキムキのミノタウロス、八十階はワシとライオンのキメラ、グリフォンよ、勝てる?」

 おばさんは興味津々に聞いてくる。

「多分余裕かと……」

 俺はニヤッと笑う。

「ふへー……!」

 おばさんは言葉を失う……。

「えへん!」

 エステルが自分のことのように胸を張る。

「もしかして……、あなたが稀人かい?」

 おばさんが俺を見つめながら聞いてくる。

「あー、違います。そうだったら良かったんですけどね」

 俺は苦笑いしながらごまかす。

「ふぅん……」

「そ、それより、これは何ですか?」

 話題を変えるべく、ショーウィンドウの中に丁寧に並べられた本を指さした。

「これは魔導書よ。魔法を覚えられるわ」

「え? これ使えば誰でも魔法を使えるんですか?」

「知力が一定以上あればね」

 おばさんは挑戦的な視線で俺を見る。

「空飛ぶ魔法とかもあるんですか?」

「これね。知力が30以上なら覚えられるわ」

 おばさんは青い表紙の魔導書を指さす。その六(ぼう)星をあしらった不思議な模様が描かれた重厚な書籍に俺は魅せられた。

 そんな俺を見てエステルが言う。

「魔法は憶えても使いこなすには修練が要るですよ?」

「修練?」

「ちょっと浮き上がる事は誰にでもできますが、自由自在に飛ぶには凄い練習が要るんです」

 なるほど、そんなに簡単な話じゃないらしい。だが、いつかは飛んでみたい。それは子供の頃からのあこがれなのだ。

「分かりました。それじゃ今日は八十階までの地図と、あとポーションを一式ください」



         ◇



 その後、武具屋と防具屋にも行ったが、やはり物干しざおとユニクロの服や防刃ベストの方が優秀だった。日本の物は異様に高いパラメーターを付与されている。むしろ、ユニクロの服を仕入れて売ったら儲かるんじゃないかとすら思った。



 左腕に付ける丸い盾だけ買って装備してみる。殺虫剤をかいくぐられた時の一撃を回避するのに使えそうだった。



 さて、これで準備万端。いよいよ本格的にダンジョン攻略だ!















2-6. ドジっ子前途多難



 ダンジョンの入り口は昨日と同じようににぎわっていた。

 地図を広げ、エステルと相談をしていると、若い男に声をかけられた。

「おい! エステル!」

 腰に剣を差した皮よろいの男、歳は高校生くらいだろうか? 装備はまだピカピカで駆け出しの冒険者らしい。



「あっ! この前はごめんなさいでした……」

 頭を下げて謝るエステル。どうやら以前のエステルのパーティ仲間のようだ。



「お前が勝手にワナに落ちて、俺たち帰らなきゃならなくなったんだぞ!」

 若い男は語気強くなじる。

「ごめんなさい……」

「このポンコツの出来損ないめ! 二度とお前とは組まないからな!」

 エステルは小さくなり、今にも泣きそうである。

「そのくらいにしてやってくれ。彼女に悪意があったわけではないし」

 俺は彼女と男の間に入って言った。

「なんだ? オッサン?」

 男は俺をにらんで言う。



「エステルは俺とのパーティではよくやってくれている。侮辱するのは止めてもらいたい」

 俺は淡々と言った。

「ポンコツにポンコツって言って何が悪いんだよ!」

 エステルは俺の腕にしがみつき、震えている。

 就活の面接で何度も否定され、何十通もお祈りメールをもらってきた俺には自分を否定される言葉の痛さは良く分かる。

「足りないところはあるかもしれない。でも、悪意が無い者を責めるのは筋が違うと思うよ」

 俺は男の目をジッとにらんで言った。

「なんだ? このオッサン。ショボい装備でイッチョ前に!」

 男は俺の身なりを一瞥すると、あざけるように言った。男の仲間もゲラゲラと笑う。



「冒険者は倒した魔物の成果で語るものだ。見た目で判断しない方がいい」

「偉そうにしやがって!」

 男は俺をドンと押し、その拍子に銅の認識票が胸元でチラリと顔を出す。

 それを見た仲間の黒いローブを着た女の子は焦った。

「ちょっと! ダメよ!」

 そう言って若い男を引っ張り、

「この人Cランクよ!」

 小声で男に告げる。魔導士だろうか?

「し、Cランク!?」

 男は目を白黒とさせた。

 彼女は、頭を下げ、

「ご迷惑おかけしました!」

 と言うと、みんなを連れてそそくさと立ち去って行く。

 認識票は最初から見えるところに出しておくべきだった。



 エステルがしょげて、

「ごめんなさい……」

 と、頭を下げてくるが、どう考えてもあいつらの方が問題だ。

「気にしなくていいよ」

 俺はそう言って、エステルの頭をポンポンと叩いた。



       ◇



 俺たちはダンジョンへと入っていった。まずは地下一階。

 エステルはいい所を見せようと張り切っている。



「ここは何度も来ていますからね! 任せてください!」

 そう言って、胸を張る。

「こっちから行くと階段に近いですよ!」

 エステルは俺の手を引いて細い洞窟へと入っていく。

「え!? こんなところ大丈夫なの?」

「ここは地図にも載っていない裏ルートなんです」

 そう言ってズンズンと進むが……



 カチッ!



 どこかで聞いた音がして床がパカッと開いた。

「ひぇぇ!」「うわぁ!」



 いきなり落とし穴にはまり、落っこちていく二人。ホーリークッションを使って落ちる速度は落としたが、早くも計画が狂ってしまった。



「ご、ごめんなさい……」

 ゆっくりと下降しながら、しょげるエステル。

「うん……、まぁ、気を付けよう」

 俺は額に手を当て、前途多難だと気が重くなる。

 あの若い男が怒っていた気持ちも少し分かった気がした。



 さて、どこに着くのだろうか……。

 俺は殺虫剤を軽くプシュっと吹いて臨戦態勢をとる。



       ◇



 落ちた先は広間で、ゴブリンが三匹いた。俺たちを見つけると、

「グルグルグル!」「グギャ――――!」

 と、叫びながら襲いかかってくる。



 俺は落ち着いてプシューっと殺虫剤を噴霧し、瞬殺した。

 このくらいだともう機械作業的に処理できるようになっている。



「さて、ここはどこかなぁ?」

 俺は洞窟の繋がり方などを確かめて、地図の中を探していく。

「きっと十八階辺りじゃないかと……」

「十八階ね……」

 地図をずっと追っていくと、確かに似たような広間を見つけた。

「階段はこっちの方だ。行ってみよう」

 俺はそう言って歩き始める。

「はい……」

 エステルは少し申し訳なさそうに答える。

「そんな落ち込まないで。落ちたおかげで随分ショートカットにはなったじゃないか」

「そ、そうですよね!」

「でも、洞窟内ではむやみに駆けないこと。分かったね?」

「は、はい……」



 ダンジョンでは些細なドジが命を奪うのだ。俺はくぎを刺しておいた。























2-7. 六十一番の彼女



 地図を見ながら慎重に洞窟を進むと、スケルトン、コボルト、トレントなどが次々と出てくるので、丁寧に殺虫剤で駆除していく。



 階段に着くころには結構な量の魔石がたまっていた。

「結構魔物多いねぇ」

「そうですねぇ。でもソータ様が瞬殺してくれるので楽々ですぅ!」

 エステルがうれしそうに言う。

 この辺りだと特に苦労せずに進めるようだが、レベルはあまり上がっていない。やはりもっと奥へと行く必要がありそうだ。



「ちょっと休憩をしよう」

 俺はそう言って鏡を出し、一旦自宅へと戻った。



「ふぅ、疲れたですぅ」

 エステルはそう言うとベッドにダイブした。もうすっかり俺の部屋になじんでしまっている。

 俺はお湯を沸かしてコーヒーを入れた。

「エステルはジュース?」

 聞いてみたが返事がない。

 どうしたのかと思って見に行くと、スースーと寝息を立てて熟睡している。

 こんなに無防備でいいのかね?

 俺はコーヒーを飲みながら可愛いエステルの寝顔を眺め、ちょっと心配になる。

 その時、エステルのうなじの所に薄く小さな数字が入っている事に気が付いた。

「061? なんだろう……?」

 普段は髪の毛に覆われていて気が付かなかったが、明らかに数字である。女の子がこんな所に入れ墨なんて入れるかな? それとも異世界の風習だろうか……?

 今度きいてみようか……、いや、聞いちゃマズいのか?

 俺はちょっと悩んだが、女の子の身体について何か聞くのは止めておこうと思った。



      ◇



 棚からクッキーを出し、ポリポリとかじりながら地図を眺める。十八階の次は十九階、そして二十階はボス部屋……ガーゴイルが出るらしい。確か、石でできた猛禽(もうきん)類の魔物……。そんなのに殺虫剤は効くのだろうか?

 まぁ、効かなかったら鏡に逃げればいいか……。

 俺も座布団を枕に床にゴロンと転がった。そう言えばしばらくベッドで寝てないじゃないか。寝袋でも買おうかな……。俺はそんな事を考えながら寝入っていった。



       ◇



「ソータ様! 申し訳ございません!」

 耳元で大きな声がする……。

 さすがに慣れてきた。

「いいから、寝かせて。眠いの……」

 俺は毛布をかぶる。

「ソータ様ぁ……」

 エステルが毛布を引っ張る。

「分かったよ」

 俺はそう言って身体を起こし、ベッドに転がろうとしたが……、前回、エステルの匂いに包まれて眠れなかったことを思い出した。

 お金も稼げるようになったんだし、広い家に移るかなぁ……。

 俺はそんなことを思いながら大きくあくびをする。

「あれ? 寝ないですか?」

 エステルは俺の顔をのぞきこむ。

「きみはもう少し『自分は可愛い女の子なんだ』という自覚を持つべきだと思うよ」

「か、可愛いだなんて……、そ、そんな……」

 赤くなってうつむくエステル。

 どうも趣旨が伝わっていないようだが面倒くさくなり、飲みかけの冷たくなったコーヒーをグッとのんだ。



 パンとサラダで簡単に昼食を摂ると、エステルは、

「少し寝たからもう元気いっぱいですぅ!」

 と、両手のこぶしを握った。

「じゃあ、行くか!」

 俺たちは十八階に隠しておいた鏡からそっと辺りをうかがうと、ダンジョンに再エントリーした。



 まずは階段で十九階へと降り、地図を見ながらルートを確認する。

 二十階への階段を目指して慎重に進んでいくと、向こうの方から戦闘音が聞こえてきた。誰かが戦っているようだ。

 邪魔になっても困るし、避けた方が良いかと思っていたら、

「キャ――――!」

 という、悲鳴が上がった。

 俺はエステルと顔を見合わせ、うなずくと、悲鳴の方へと急いだ。



 タッタッタッタ!



 駆ける足音が響き、誰かが走ってくる。

 誰だと思ったら、朝にエステルを罵倒していた剣士だった。



「あれ? お前、仲間は?」

 俺が聞くと、

「うるせぇ!」

 と、叫んで駆け抜けて行った。

「おい、待てよ!」

 俺が叫ぶのも聞かず、逃げて行ってしまった。

「いやぁぁぁ!」「ぎゃぁぁぁ!」

 悲痛な叫びが聞こえてくる。魔術師と僧侶の女の子たちではないだろうか?

 孕み袋にされてしまう。俺たちは急いで走った。















2-8. レストインピース



 しばらく行くと、灯かりのともる部屋が見えてきて、

「ギャッギャッギャ!」「ギュキャァ!」

 というゴブリンたちの歓喜の声が聞こえる。

 俺は殺虫剤を準備すると部屋をのぞいた。

 そこには二人の女の子たちが服を破られ、綺麗な肌をさらしながらゴブリンたちに囲まれ、組み敷かれていた。

 その痛ましい姿に激しい怒りを感じた俺は、

「お前ら離れろ!」

 そう叫びながら、殺虫剤を噴霧しつつ飛び込んだ。



 一瞬こちらを見たゴブリンたちは、

「ギュァァ!」「グキュゥ!」

 と、口々に断末魔の悲鳴を上げながら溶け落ちて行った。



 残ったのは力なく横たわる二人の女の子。それぞれ豊満な乳房が汚され、美しかった顔も涙でぐちゃぐちゃになり、赤く腫れあがっていた。

 一体なぜこんな事になってしまったのか……。俺が言葉を失っていると、エステルはテッテッテと駆け寄って治癒魔法を唱え、彼女たちを治していった。



 ふと、入り口の脇を見ると、男がズタズタにあちこち引き裂かれて転がっていた。床にはおびただしい量の血が溜まっている。



「えぇっ!?」

 俺は全身の血の気が引いた。装備を見るに、盾役の男ではないだろうか?

 今朝見た時は生意気に笑っていたあの男が、こんな原形をとどめないまでの肉塊にされるなんて……。俺はブワッと冷や汗が噴き出し、思わず目をぎゅっとつぶった。

 そうなのだ、ダンジョンに潜るという事はこういう事なのだ。いつ殺されてもおかしくない危険な所……。

 そうだ、そうだったよ……。

 ムワッと漂ってくるすえた死臭……。俺は吐き気に襲われ、腰をかがめながらヨロヨロとその場を離れた。頭では分かっていても、こうやって失敗した者の末路を目の当たりにすると動揺が止まらない。明日、俺がこうなってるかもしれないのだ。改めて俺は現実の厳しさに打ちのめされた。



 エステルは変わり果てた男の姿を見つけると、無言で手を合わせしばし祈っていた。そして、

「レストインピース!」

 そう叫ぶと死体は淡い光に包まれた。

 俺も手を合わせ、冥福を祈る。

 やがて光の粒が死体から蛍のようにどんどんと飛び去って行き、最後には装備品だけが残った。



 俺は認識票を拾う。陶器でできた認識票には名前と番号が彫られていた。彼の命は失われ、認識票は遺品へと変わってしまった。

 俺は生意気だった若者を思い出し、目をつぶって大きく息をついた。



       ◇



 俺は鏡を出すと、涙の止まらない二人を部屋に連れて行った。そして、エステルに身体を拭いてもらい、ベッドに寝かせる。

 しばらく、俺の部屋には二人の嗚咽(おえつ)が響いた。



 落ち着くのを待って、俺は二人に紅茶を入れ、飲んでもらった。

 ぽつぽつと話し始めた彼女たちの話を総合すると、あの部屋はモンスターハウスで、リーダーの剣士の男が宝欲しさに無理して開けてしまったそうだ。最初は盾役も頑張って上手くいっていたのだが、いかんせん敵の数が多く、盾役が押し倒されてしまった。それを見た剣士は一目散に逃げてしまい、一気に崩壊してしまったとのことだ。僧侶がホーリーシールドを出していたので、剣士が頑張ればまだ目があったのだが、男は無責任にも走り去ってしまったらしい。

 そして、女の子たちは朝の無礼なふるまいを口々に詫びた。

「ドジなのは本当ですから、仕方ないですぅ」

 エステルは優しく答える。



 俺は彼女たちに拾った認識票を渡し、彼のためにしばらくみんなで黙とうをささげた。

 彼は田舎から出てきた若者で、身よりは街には居ないので、拾った手甲と剣は遺品として、また、宝箱にあった金貨三枚は遺産として田舎の家族に届けてあげることにした。



 それにしても剣士はどこに行ってしまったのか? 十九階から一人で帰れるのだろうか?

 

 

















2-9. 突然のモテ期



 彼女たちを街まで送り届けないとならない。十九階から行こうとすると、ニ十階のボスを倒してポータルで入り口に飛ぶのが手っ取り早そうだ。

 四人で十九階の階段を下りると、デカい金属でできた扉があった。どうやらこれがボス部屋らしい。

 重い扉を開け、中に入ると体育館のような広大な広間が広がっていた。

 ドアが自動的にギギギーっと閉まり、魔法のランプがポツポツと中央部を照らしだす。

 何が起こるのかと思っていたら、部屋の中央部に巨大な魔法陣が展開し、光を放った。

 俺はすかさず魔法陣の中心に向けて殺虫剤を噴霧する。



 プシュ――――。



 すると、一瞬何かが出てきたようだが、コロンと魔石が転がった。

 そして、魔法陣もランプも消え、出口の扉がギギギっと開く。



「あれ? ボス……は?」

「ガーゴイルが出るはずなのに……」

 女の子たちは口々に不思議がる。



「もう、討伐完了だよ。お疲れ様!」

 俺はニヤッと笑った。

「えっ!? どういうことですか?」

 女の子たちは駆け寄ってくると、俺が拾った紫色に輝く魔石を見た。

「すごい! すごーい!」

「さすがCランクですねっ!」

 そう言いながら女の子たちは俺の腕にしがみついた。

 なんだこのモテ期は!?

 俺は両腕に押しつけられた豊満な胸の柔らかい温かさに、思わず心臓が高鳴った。

「いやぁ、それほどでも……」

 ついニヤけてしまう俺。



 見ると、エステルが寂しそうに俺をジーッと見ている。

 俺はハッとして、

「は、早く帰りましょう!」

 そう言ってポータルへと歩き出した。



 無事地上に戻り、ギルドへ向けて一緒に歩く。

「ソータさんはなんでそんなに強いんですかぁ?」

「その缶は何なんですかぁ?」

「あの部屋は何だったんですかぁ?」

 女の子たちが興味津々で次々と聞いてくる。

 いちいち胸を押しつけながら聞いてくるのは何なんだろうか? 困惑しながらもついニヤけてしまう。

 これ以上秘密を知る人を増やしてもいけないので、

「それは秘密、もっと仲良くなってからね」

 とはぐらかす。

「えーっ……、じゃぁ、今晩、一緒に飲みませんかぁ?」

 魔術師の女の子は上目遣いに聞いてくる。

「いやいや、私と行きましょうよ! いいお店知ってるんですぅ……」

 僧侶の子も実に積極的だ。

 二人とも美人だし、エステルより少し年上な分、色香も凄い。

 俺は生まれて初めてのモテ期に顔が緩みっぱなしである。

 でも、彼女たちも俺も本気で浮かれている訳ではない。あっさりと失われた冒険者の命を目の前にして、はしゃいでいないと心がどうにかなりそうだったのだ。それだけ彼の死は暗い影を俺たちの心に落としていた。



 ふと、後ろを振り返ると、エステルは普段通りにニコッと笑った。もしかしたらエステルの方が本当は大人なのかもしれない。



       ◇



 ギルドに着くと、受付嬢に事の顛末(てんまつ)を説明し、遺品と金貨をカウンターに並べた。受付嬢は涙を浮かべ、報告をうなずきながら聞くと、ひどく気落ちしながらも事務手続きを淡々とこなしていった。

 剣士の男は生還してきたら要注意人物として告知するそうだ。背伸びしたくなるのは分かるが掛け金が一つしかない命である以上、身の丈を超えたことには慎重にならなくてはならないし、仲間を捨てて一人逃げ去ったというのも問題だった。

 ただ、これは俺も他人事ではないと思う。極限状態に追い込まれた時に自分だったらちゃんと適切に動けるか? 絶対背伸びはしないか? と考えると、安易に大丈夫とも言い切れない。冒険とは安全だけ追っていては成果にならないし、不測の事態は必ずやってくる。適切な判断をし続ける事は、思うよりもずっと複雑で難しく思えた。



 一通り手続きが終わると、俺は魔石を換金する。今日は金貨一枚ちょっとにしかならなかった。がっかりして帰ろうとすると、

「あ、ソータさんはマスターからお話があるようなので、マスターの部屋へ行っていただけますか?」

 と、受付嬢に引き留められた。

 嫌な予感がする……。

















2-10. 十万匹の魔物



 俺はエステルと一緒にマスターの部屋へ行き、ソファーに座る。

「ソータ君、忙しいところ悪いね」

「いえ、何かありましたか?」

 マスターは目をつぶり、大きく息をつくと言った。

「教会から連絡があって、女神様より神託が下ったそうだ」

「女神様はなんて?」

「『三日後に魔物の大侵攻がある。その数、十万。ギルドのCランクの新人に頼れ』だそうだ……」

「ブフッ!」

 俺は思わず噴き出してしまった。先輩、なんという無茶振りを……。

 俺は頭を抱えた。

「君は女神様にも注目されているようだね……」

「あー、そうかもしれません……。しかし、十万匹って一人の人間がどうこうできるレベルを超えてますよね?」

「そうは思うんだが、女神様直々の推薦だからね。ギルドとしてもソータ君に頼らざるを得んという訳なんだ」

 俺はエステルの方を見た。

「ソータ様ぁ……」

 エステルは不安げに俺を見る。

「分かりました。三日後ですね。何ができるかちょっと考えてみます」

「頼んだよ。この街の命運は君にかかっているのだ」

 マスターは熱を込めて俺に語りかける。

 俺は目をつぶって大きく息をつき……、

「分かりました! エステル、行くぞ!」

 そう言って立ち上がった。



「何か手伝えることがあったら言ってくれ」

 マスターは俺の目をジッと見る。

 俺はちょっと考えて言った。

「私の攻撃はこの薬剤を使います。十万匹であれば膨大な量の薬剤が必要になります。調達の費用をお願いできますか?」

「金の事なら心配しなくていい」

 マスターはニコッと笑って言った。

 なんて頼もしい言葉だろう。 

「ありがとうございます!」

 俺も笑顔で答え、部屋を後にした。



     ◇



「エステルー、三日後だってどうする?」

「どうするって、殺虫剤でプシューっとやっちゃいましょうよ!」

「あのなぁ、殺虫剤一缶振りまいて五十匹倒せるとするじゃん? 十万匹倒すのに何缶要ると思う?」

「えぇ? うーん……、たくさん……」

 エステルはパンクしてしまった。

「二千缶だよ」

 俺は肩をすくめて言った。

「に、二千!?」

 目をパチクリするエステル。

 数は暴力だ。一万匹くらいなら気合で何とかできるかもしれないが、十万匹は想像を絶する。単に殺虫剤振りまくだけでは解決しないだろう。

 先輩は俺にどうしろって言うんだろうな……。

「うぅーん……」

 俺は腕を組んでうなる。しかし、そう簡単に解決策など見つからない。

「仕方ない、作戦会議でもするか。エステルの部屋は使える?」

 俺が聞くと、

「ダ、ダ、ダメです!」

 真っ赤になって首をブンブンと振るエステル。

「いいじゃないか、いつも俺の部屋ばっかりズルいぞ!」

「レ、レディの部屋は秘密がいっぱいなんです!」

 どうも本気でダメらしい。しかし、その辺に鏡を置いて日本に戻るわけにもいかない。拠点が必要だ。

 すると、目の前に宿屋の木製の看板が見える。

「あー、じゃ、ここに部屋でも借りるか?」

「宿屋ですか……、いいですよ?」

 エステルは看板を見ながら答えた。

 俺はドアを開け、カウンターのおばさんに声をかける。

「すみませーん、一部屋借りたいんですが……」

 おばさんは俺とエステルをチラッと見ると、

「休憩かしら?」

 と、言った。一瞬戸惑ったが、ラブホテル的な使い方を聞かれたという事に気が付いた。

「ち、違います!」

 あわてて答える。

「あ、お泊りね。何泊かしら?」

「三泊だといくらですか?」

「銀貨三枚ね。食事つきだと四枚よ」

「うーん、じゃ、食事付きで三泊お願いします」

「分かったわ、じゃ、ついてきて」

 おばさんはニコッと笑うと階段を上り始めた。

 ついていくと二階の奥の部屋に案内される。中を見ると、ダブルベッドにテーブルが一つある素朴な部屋だった。さすがにダブルはマズいので、

「ツインの部屋はないですか?」

 と、聞いてみる。

「ごめんなさい、今だとダブルしかないわ」

 おばさんは申し訳なさそうに答える。

 するとエステルは、ダブルベッドにいきなりダイブして、

「うわぁ、フカフカですぅ!」

 と言いながら、うれしそうに笑った。

 俺は一瞬どうしようかと思ったが、よく考えたら俺は自分のベッドで寝ればいいだけだった。

「分かりました。ではここでお願いします」

 おばさんはニコッと笑うと、

「では、おくつろぎください。あっ、あまり大きな声出さないでね。防音はそんなに良くないから……」

 と、ちょっと言いにくそうにして出ていった。

「大きな声? 誰が出すですか?」

 エステルは不思議そうに俺に聞く。

「エステルが出すと思われているんだよ……」

 俺はちょっと赤面して答えた。

「え? なんで私が?」

「何でもいいの! じゃ、俺は自分の部屋行ってる。エステルは一回自宅帰った方がいい?」

 説明するのも恥ずかしいので俺は話題を変えた。

「それじゃ、一回帰って、またソータ様のお部屋に行くです!」

 エステルはうれしそうにニコッと笑った。