22時からはじまる恋物語


「丹羽〜!ごめんね今日ありがとう」

授業が終わり、生徒も帰って静かになった教室の中、ようやく丹羽に駆け寄った。
生徒がいる中でなかなかこうした話はできない。

「いや、そんな手かかんなかったし大丈夫」
「ほんっとごめんね、今日暇?奢らせて〜」
「え、まじ?それはありがたく頂くわ」

あれから吉井さんは古文のテキストすら鞄にしまい、わたしのことは総無視で化学の宿題をやり始めた。
丹羽は自分の生徒を見ながらも、適宜吉井さんの要望に応える。
ほぼ4人見ているようなもの。2人の生徒を相手にしながら、申し訳なさでいっぱいだった。

「しかし彼女、あれは困るな。桜井もそりゃやりにくいわ」
「いや〜、わたしが舐められてるのがねぇ。威厳ないしなぁ」

ははっと苦笑いしながら、心の中で大きくため息をつく。
講師歴3年目。最近は比較的上手く生徒達とも関われていたし、授業の回し方もそれなりに上手くなっていたからこそ、彼女の存在はわたしにとって大きなダメージだった。
自分の不甲斐なさに落ち込む。

「......あの、桜井先生」

横で報告書をまとめていた楠木君が、ふと呟いた。

「吉井さんのことですけど、俺、何か......」
「あっ!ごめんごめん!全然、楠木君は気にすることないからね!」

はっとして、手を横に振りながら言う。
そうだ、楠木君の前でする話じゃなかった。

「わたしの教え方に問題あるんだよ、現に丹羽の理数科目は彼女真面目に受けてるしさ。予習もうちょっと頑張るわ」

楠木君は彼女の様な生徒が増えたことを多少なり気にしている。
わたしの負担を彼の負担にしてはいけない。

「でも......」
「お、今日はにわさくペア残ってんのか。お前らまた飲みに行くんだろ今から」

場の空気に反した明るい声で、後ろに立っていた室長がわたしのファイルを手に取った。

「その呼び方まだしてたんすか」

丹羽も笑いながら報告書を室長に手渡す。

にわさくペア。同い年のわたしと丹羽は、バイトを始めた時期もほぼ同じで、最初の頃はほぼフルでコマに入っていた。
ほぼ毎日顔を合わせているからそのまま夜ご飯を食べて帰ることも多く、丹羽が理系、わたしが文系で同じ生徒を担当することも多かったことから、先輩達から完全にペア扱いされていたのだ。

「丹羽は就活どうなんだ?」
「お陰様で、無事内定もらいました」
「えっ!そうなの!?」

塾の話ばかりで、そう言えばお互いの近況報告をしていなかったことに気付く。

「一応ね。夏期講習はコマ入れます」
「おぉ!そりゃ助かる!よし、お前ら今日はお祝いしてこいお祝い!」

ガハハと豪快に笑い、丹羽の頭をポンポン乱雑に叩いて室長は「おめでとう!」と言った。

「翔は今日は俺が送るな!翔、もうちょい残っとけ」
「......うす」
「あ、楠木君ごめん」

駅までは楠木君も一緒にと思っていたけれど、さすがに高校生を夜の居酒屋に誘うわけにはいかない。

「丹羽先生が一緒なら、俺が一緒じゃなくても。丹羽先生、内定おめでとうございます」
「お、サンキュー。20歳になったら飲みに連れてってやるな」

報告書も終わり、室長の残りの仕事を待つ楠木君を背に、わたしと丹羽は教室を後にした。
「いつものとこ行くかー」と階段を降りている丹羽の背中を見ながら、いつもの少し華奢な背中を思い出す。

『俺が一緒じゃなくても』

......ちょっとだけ寂しかった、なんて、言えるはずない。