「そうか。葵とか。……うん。そうだな。年も近いし、あんたと似合いだと思う。よかったな」

 それだけ告げて、彼はくるりと背を向ける。
 まるで何かに苛立っているかのように、らしくもない様子で。
 足早に玄関に足を踏み入れ、戸が閉まる。がららら、ピシャ。その音がとても冷たく聞こえて。
 容赦なく鍵が閉められ、取り付く島もなくて。その場には、葵とふたりだけが取り残されてしまう。

 葵はその場で硬直したまま、閉ざされた志弦の家の戸を見つめてしばらく。
 信じられないとでもいうかのような顔をしたまま、ゆっくりと振り返る。

「えっと。兄さんとは、一体……?」

 ざっと。血が、体内を駆け巡る。

「――帰るっ」

 答える余裕なんてなかった。
 つい小走りになり、葵の横を横切る。ぎゅっと鞄の紐を握りしめ、足早に。


 本当なら今すぐ、志弦に言い訳をしたい。
 葵とは何もない。好きなのはあなただ。そう伝えたいのに、伝える前に突き放された。

 彼とはじっくりと、少しずつ距離を詰めてきたつもりで。ただ、好きで。それは里央の一方的な親近感が大きく膨らんだ結果で。
 彼にも里央に興味を示してほしかったし、付き合えたりしたら素敵だなともふわふわ夢見たこともあったけれど。
 いいんだ。欲張らなくていい。そう思ってた。
 彼と、朝、挨拶を交わして。くだらない話をして。それだけでも、いつも胸がいっぱいで、幸せで。十分だった。
 本当だ。
 本当なんだ。
 高望みなんて、しない。
 素朴な幸せでよかったはずなのに。

 なのに、どうして自分は、こんなにがっかりしているのだろう。
 こんな形で線を引かれることが、どうしても受け入れられない。