すぐ目の前の、古びた家に住む彼の名前は、杠葉(ゆずりは)志弦(しづる)
 重たそうな木製の表札には、杠葉とだけある。でも、はじめて彼に名前を尋ねたとき、ぽろっと下の名前まで教えてくれちゃったから、以降、里央は勝手に「志弦さん」と呼んでいる。

 名前以外のことはよくわからない。
 外に仕事に出ている様子はなく、日中もあの古い家に引き籠もっているようだった。
 いつもだるだるな格好をして、人嫌いなのか里央のことも塩対応。ただ、ミステリアスな雰囲気も相まって、その謎さが余計に里央の興味を引くのだ。

 もともと里央は淡泊な性格で、他人への興味も薄い。でも、志弦のことだけは別らしい。
 年もかなり離れているし、一方的に挨拶をするだけの間柄でしかないのだけれど、そんなことはどうでもいい。
 毎週火・金の朝のこの時間だけ、彼は彼の世界から外に出る。その一瞬の時間を、里央はただひとり独占しているような特別感があった。

 周囲に数いる同級生とは全然ちがう、不思議な彼に興味を持ち半年。――いつしか、志弦に会える朝は、なんだかとても世界がきらめいて見えるようになった。

 いつも表情変化に乏しく、クールだと言われる里央だけれど、彼に対してだけは別だ。
 ほんわりとした親近感は、いつしか恋に形を変え、たったひとこと挨拶を交わすだけでも嬉しくなった。
 塩対応でもかまわない。彼が里央を認識してくれて、ちょこっと言葉を返してくれるだけで最高にハッピーだ。
 別に、彼氏彼女になりたいとか、そういうものもない。ただ、里央が一方的に、とびっきり彼のことが好きなだけなのだ。