こわれた私を拾ってくれたのは優しすぎる彼でした

カフェ「灯」で働き始めて二週間。

明莉は少しずつ、外の世界に慣れ始めていた。

常連のお客さんが
 「ありがとうね」
 「今日も助かったよ」
 と声をかけてくれるたび、胸の奥が温かくなる。

——ここなら、生きていけるかもしれない。

そんな希望が、ほんの少しだけ芽生えていた。

けれど、その希望は
 静かに、確実に、蝕まれ始めていた。

ある日、レジに立っていると、女性二人組がひそひそと話しているのが聞こえた。

「ねえ、あれ……佐伯明莉じゃない?」

「え、ほんと? 落ちぶれたね……」

明莉は聞こえないふりをした。
 でも、胸の奥がざわついた。
 心臓が、ゆっくりと冷えていく。

美咲が気づいて声をかける。

「気にしないでね。ああいう人、どこにでもいるから」

明莉は笑ってみせた。

「大丈夫です。慣れてますから」

でも、本当は慣れてなんかいなかった。

本心では、凄く怖かった。
 また何かが起きるんじゃないか——
 そんな不安が、喉の奥に張りついて離れなかった。

それでも、美咲に心配をかけたくなくて、明莉は黙っていた。

胸の奥で、
 小さなひびが入る音がした。

その頃。

白石玲奈は、SNSで明莉の“目撃情報”を見つけていた。

《佐伯明莉、カフェでバイトしてるって本当?》
《落ちぶれたね》
《写真撮ったけど、これ本人?》

玲奈はゆっくりと笑った。

「……見ぃーつけた」

その声は甘く、けれど底に冷たい狂気が潜んでいた。

画面の中で、明莉は確かに生きていた。

その事実が、玲奈の胸の奥に
 “許せない”という黒い感情を静かに広げていく。

静かな日常の裏で、
 確実に“何か”が動き始めていた。