こわれた私を拾ってくれたのは優しすぎる彼でした

胸の奥で、何かがそっとほどけていく。

楓の言葉は、
 肩書きでも、家柄でもなく、
 ただ“ひとりの人間としての楓”が明莉を求めている——
 その真実だけを静かに伝えていた。

明莉は、握られた手の温度を確かめるように指先を震わせた。

「……楓さん……」

名前を呼ぶ声が、かすかに揺れる。
 けれど、その揺れはもう“恐れ”ではなかった。

「私……そんな大きな家の……奥さんなんて……務まらないと思って……」

言葉にすると、胸の奥の不安が露わになる。
 自分の価値を見失ったままの心が、まだどこかで怯えていた。

楓は、明莉の手を包み込んだまま、ゆっくりと首を振った。

「務める必要なんてありません」

その言葉は、驚くほど優しくて、強かった。

「あなたは“重森家の妻”になるんじゃない。
 俺の隣に立つだけでいいんです」

明莉は息を呑んだ。

“重森家の妻”ではなく、
 “楓の隣に立つ人”。

その違いが、胸の奥に静かに落ちていく。

「……でも……私……」

言いかけた瞬間、楓はそっと明莉の頬に触れた。
 その指先は、迷いを溶かすように温かかった。

「明莉さん。あなたは、あなたのままでいいんです。
 無理に変わらなくていい。
 背伸びしなくていい。
 俺は……あなたが笑ってくれるだけで十分なんです」

明莉の視界が滲む。
 涙がこぼれそうになるのを、もう止められなかった。

「……楓さん……」

震える声で呼ぶと、
 楓はそっと明莉の手を胸元へ引き寄せた。

「俺はあなたを選びました。
 肩書きでも、家柄でもなく——
 “あなた”という人を」

その言葉が、胸の奥の深い場所に静かに届く。

明莉は、涙をこぼしながら微笑んだ。

「……私……楓さんの隣に……いたいです……」

その瞬間、楓の表情が柔らかくほどけた。
 春の光が二人の間に落ち、
 まるで新しい季節がそっと始まるようだった。