こわれた私を拾ってくれたのは優しすぎる彼でした

「そしてもう一つ」

楓は背筋を伸ばした。
 空気がわずかに震える。

「あなたは知らなかったでしょうが——俺は重森ホールディングスの後継者です」

玲奈の顔から、完全に血の気が引いた。

「……え……?」

「あなたがしたことは、ただの“恋愛のもつれ”ではありません」

楓の声は淡々としていた。
 怒鳴りもしない。責め立てもしない。
 ただ、事実だけを突きつける冷たさがあった。

「重森家の妻を襲った。それは、社会的にも法的にも非常に重い意味を持ちます」

玲奈は震えた。

「や……やだ……そんなつもりじゃ……」

「“そんなつもりじゃなかった”では済みません」

楓は立ち上がり、玲奈を見下ろした。
 その影が、玲奈の小さな身体を覆う。

「あなたは、明莉さんを傷つけた加害者です」

玲奈の目から涙が溢れた。

「……どうして……どうして全部……奪うの……?」

楓は静かに言った。

「奪ったのはあなたです」

玲奈が息を呑む。

「明莉さんの安心も、日常も、笑顔も」

楓の声は冷たかった。
 氷のように澄んでいて、揺らぎがなかった。

「あなたが壊したんです」

玲奈は崩れ落ちた。
 椅子に座ったまま、肩を震わせ、嗚咽を漏らす。

「……明莉ちゃんに……一言だけ……謝りたい……」

泣きながら、かすれる声で言った。

楓は首を振った。

「無理です」

玲奈の動きが止まる。

「明莉さんは、あなたに謝られる必要はありません。
 あなたに傷つけられたのだから」

楓は扉に向かった。

背後から、かすかな声が聞こえた。

「……明莉ちゃん……ごめん……ごめんね……」

楓は振り返らなかった。

扉が閉まる音が、玲奈の嗚咽を外の世界から切り離した。