こわれた私を拾ってくれたのは優しすぎる彼でした

老人を助けたあと、明莉は周囲の人に深々と頭を下げていた。誰に見られているかなんて気にしていない。ただ、目の前の人を助けたかっただけ——その純粋さが、眩しかった。

「……あの笑顔を、もう一度」

思わず口に出していた。自分でも驚くほど、切実な声だった。

けれど、今の明莉は笑えない。笑えるはずがない。恋人を失い、子どもを失い、自分の未来まで見えなくなっている。

だからこそ、焦ってはいけない。寄り添うだけでいい。彼女が立ち上がるまで、ただそばにいる。

楓は湯をカップに注ぎ、そっとテーブルに置いた。湯気が静かに立ち上り、薄暗い部屋に柔らかな温度を落とす。

そのとき、背後で小さな物音がした。

振り返ると、明莉が廊下に立っていた。大きめのシャツを借りて着ているせいで、余計に華奢に見える。影の中で、その姿は今にも消えてしまいそうだった。

「……起こしてしまいましたか」

楓が声をかけると、明莉は小さく首を振った。

「……夢を、見て……眠れなくて……」

その声はかすれていて、泣いたあとのように弱かった。胸の奥をそっと掻きむしるような、痛いほどの弱さだった。

楓は急がず、ゆっくりと近づいた。距離を詰めすぎないように、慎重に。壊れた心に触れるための、いちばん優しい歩幅で。

「温かいもの、飲めますか」

差し出したカップを、明莉は両手でそっと受け取った。その指先が震えているのを見て、楓の胸が痛む。

「……ありがとうございます」

明莉はカップを胸元に抱え、湯気を吸い込むように目を閉じた。その仕草があまりにも弱くて、守りたくなるほど儚かった。湯気の向こうで揺れる横顔は、今にも泣き出しそうで、今にも消えてしまいそうで——楓はそっと息を吸った。

この人を、もう二度とひとりにしない。

その決意が、静かに胸の奥で固まっていった。