こわれた私を拾ってくれたのは優しすぎる彼でした

楓は静かに立ち上がり、明莉の部屋の前まで歩いた。扉に触れず、ただそっと見つめる。薄暗い廊下の中で、その扉だけが静かに呼吸しているように見えた。

「……おやすみなさい」

その言葉は、誰にも届かないほど小さかった。けれど、確かに明莉へ向けられた祈りだった。

夜が明ける少し前、楓はふと目を開けた。ソファで浅く眠っていたらしい。身体は重いのに、頭だけが妙に冴えている。眠りの浅さは、心のどこかがずっと明莉を気にかけていた証のようだった。

明莉の部屋の前を通ると、扉の向こうから微かな寝息が聞こえた。

泣き疲れたあとの、深い眠り。

その音に、胸の奥が少しだけ緩む。生きている。眠れている。それだけで救われる。

――守りたい。

その想いは、あの日から変わっていない。いや、昨夜の告白で、さらに深く根を張ったのかもしれない。

楓はキッチンに立ち、静かに湯を沸かした。明莉が起きたとき、少しでも温かいものを飲めるように。それだけで、彼女の心がほんの少しでも軽くなるなら。

湯気が立ち上るのを眺めながら、楓はまた“あの日”を思い出していた。

雨の中、崩れ落ちそうになっていた明莉。震える肩。泣き腫らした目。あのとき、迷いは一瞬もなかった。

(……もう二度と、あんな顔をさせたくない)

湯気の向こうで、楓の表情は静かに引き締まった。その決意は、誰に見せるでもなく、ただ静かに胸の奥で燃えていた。