私の頭の中にはまだ、レイとの会話はしっかりと覚えていた。

今朝に「今日の夜、返事を」
そう言って、お仕事に向かったレイは優しい笑顔をしていて、私にキスをくれた。

もう、私の意思は決まっている。
早くレイに会いたい。
2日後の結婚式が楽しみでたまらない。



「ナナ様、本日の朝食をお持ちしました」

レイが外へ仕事に出かけ、それから30分ほどたったころ、2人の部屋にリザが現れた。
記憶が続くようになれば、リザのことも忘れない。たくさんたくさん、リザとお話したい。


「ありがとうございます」

私は微笑んだ。


「今日は機嫌が良さそうですね」

「はい、とても」


リザに分かるほど、私はそんな雰囲気を出しているらしい。


「何かあったのですか?」

「はい。よろしければ明日、お話を聞いて頂けますか?」

「もちろんですよ」


リザには明日言うつもりだった。
記憶が失くなることはもう無いと。


「あの、リザ···」

「はい」


いつも、料理を持ってきていただいてありがとうございます。そう、言おうとした時だった。



────……!!!!!!!!




部屋の外から、物凄く大きな音が鳴り響いた。
まるで建物が壊れたような、破壊され崩されるような音が。
爆音。
本当に言葉通りのそれで。

ビクっと体が音に反応したことは仕方のないことで。


「な、何事でしょう」


リザも目を丸めて驚いていた。
聞こえてきたのは窓の外。
室内の方からでは無かった。

リザもそう思ったのか、窓の方に足を進めた。
私もリザを追うように椅子から立ち上がり、足を進め···



「そんなッ!!」


先に窓へ向かったリザが叫び声をあげた。


「リザ!?」

「ナナ様ッ、お逃げください!!!」

え?
逃げる?
どうしたの?


「リザ、一体なにがっ···」


どう見ても普通じゃないリザ。
酷く怯え、大声をあげている。


リザは窓からこちらに戻ってきて、まるで、私を隠すように私を抱きしめたきた。リザに抱きしめられるなんて、覚えている限りでは初めてことで。


「リザ···?あの、どうし···」


その時だった。


「ッ!?」


部屋の窓が割れた。
凄く勢いのある爆風とともに。
辺り一面に散らばる、窓のガラス。
あまりにも突然で、声を出すのも忘れてしまった。
爆風のせいか、窓に背を向けていたリザは、私を抱きしめながら床へと倒れ落ちた。必然的に、私はリザに押し倒されるように床へと倒れる。
いったい、今のは何。


「リ、ザ···?」


名前を呼びかけるも、リザからは返事が無くて。
私はそっとリザを起こすためにリザの背中に手を回した。
だけど、そこにあったのは、冷たい感覚と、ぬるりとした生暖かい液体で···。
私は目を見開いて自分の手のひらを見た。そこに付いていたのは、血。リザの血だった。

それを見て瞬時に理解する。
リザは私を庇ったのだと。

窓ガラスが割られると分かっていたから、私を抱きしめ、私を庇った。ガラスの雨から···。


「や、やだ、リザ···?どうしてっ、しっかりして…っ、リザ!!」

「ナ、ナ···様」


気がついた。
私はこの機を逃すまいと、必死に呼びかける。


「リザ!!」

「お逃げください···」

リザは凄く痛そうな顔をして、そう言ってくる。
お逃げください?
何言ってるの?
窓の外にはだれがいるの。
リザを置いて、逃げれるわけがない。
いつもいつも、私の世話をしてくれる友人のような存在なのに。


「リザッ」

「────見つけた」


その時だった。
割れた窓の方から、低い···声が聞こえた。
驚いて窓の方を見ると、そこには金髪の男がいた。

人一人分、充分に通れるぐらいの大きさの窓。
そこの窓からいとも簡単に部屋へと侵入してきた男は、床に散らばったガラスを踏みつけた。
鋭い、瞳。まず目にいったのがそこで。

この人が、窓を···?
リザをこんな目に?


「──生きてたのか…」


生きてた?
何が?
金髪の若い男は、冷たく笑いながら、ガラスの音を鳴らしながらこちらへと歩いてくる。


「こ、こないで···!!」


リザを庇い、必死に声をあげるけど、男の足は止まらない。


「ナナ様、逃げて···」

「喋らないでっ、血が···!」


リザが話すたび、体を動かすたびに、ガラスが刺さった体から血が流れてくる。使用人用の制服が、もう血まみれになっていた。

ひどい……。
リザの方を見ていると、金髪の男はもう傍に来ていたらしく···。


「っ···!?」


無造作に、強引に髪の毛を掴まれ、床へと倒れ込んでいた私は男のすごく強い力によって引き上げられていた。リザの体が、横へと倒れ込む。まだ意識があるリザの顔は汗をかき、必死に息をしているように見え。


「まさか、セントリア家に逃げていたとはな。その血で媚でも売ったか?」


冷たい瞳。
冷たい声。
髪を掴まれているせいで、頭皮が軋むのが分かるほどの強い力。


「な、に···?」


金髪に碧い瞳···。
20歳···ぐらいだろうか···。
この人は誰?私の知ってる人?
知っている人でも、こんなことをするなんて···!!


「だれ、っ、痛い離して!」


私は彼を睨みつけながら叫んだ。
自分がこれほど大きな声を出せるのかと驚くぐらいに···。


「は?……何言って···」


男は一瞬驚いた顔をしたけれど、すぐさまスっと、目を細め鋭い目付きに変わった。
男の手のひらが、私の額に近づく···。


「···痛いっ」

彼は己の手のひらで、私の額を鷲掴みした。この男は力の加減というのを知らないらしく。
痛くて抵抗する私をよそに、男の力は強くなる。


「···ざけんじゃねぇぞ···」

「やめてっ、離して···っ、誰か!」

「あの男がお前の記憶を消したのか!?」

「やめて痛いッ、痛いです···!!」

「答えろ!!」

「痛いっ、離してぇ···!!」

「答えろって言ってんだろ!!」

「やだぁッ、嫌!」


どうしてこの人が記憶の事を知ってるの!?
それよりも掴まれた髪と額が痛い。


男の胸元と腕を掴んで離れようとするけれど、びくともしない彼の体。
どんどん目付きが悪くなる。
その瞳だけで、人が凍りつくような鋭い目。


「────兄さん、何してるの」


その時、窓の方から声が聞こえた。
痛みで涙目になりながらそちらを見ると、少しクセのある茶色い髪をした男がいて。
碧い瞳···。
金髪の男を「兄さん」と言った彼は···。



「ああ、見つかったの?ほんとの情報だったんだ。戻ろうよ。そろそろ相手するの、めんどくさくなってきた」


顔や服が、真っ赤に染められていた。茶色い髪をした彼は、自分の頬についていた血を指で取ると、それを口に含んでいた。


「マズ···」


血を口にしている···。茶髪の彼は、レイと一緒の吸血鬼···?じゃあ今横にいる金髪の彼も···。まさか、吸血鬼……?


金髪の彼は大きな舌打ちをすると、私の首に腕を回してきた。首を締められるような強さ。そのまま彼は私を連れて窓の方へと歩いていく。


「やっ、離して!」


私をどこかへ連れていくつもりなのだろうか。いや、それよりも···。


「リ、ザ!!」


気を失ってしまったのか、リザはもう動かなくて。もしかして血で死んでしまった?そんなわけない。リザが死ぬなんて。誰か助けて。レイっ。レイ···っ。心の中でレイの名前を叫ぶけれど、一向に誰も部屋に来る気配は無くて。



「その女の血、美味しーの?」


まだあどけなさが残る、弟らしい茶髪の彼は、部屋へと入ってきた。そしてそのままリザに近寄り、膝を立てて座り込んだ。そして彼の指は、リザのべったりと付いた血を拭いとり。何をするかすぐに分かった私は、声をあげた。


「や、やめて!リザに近寄らないで!」


リザの血を口に含んだ彼は、「不味いなあ…、こーんな広い屋敷にいるから美味しいと思ったのにぃ。セントリア家もこんなもんか」と、本当につまらない声を出した。

そしてそのまま立ち上がり、片足を後ろへ下げ……。


「やめて!!」


人間よりも遥かに強い力をもつ吸血鬼の蹴り。リザを壁まで蹴り飛ばした茶髪の彼は、ケラケラと笑っていた。

ウソ……。

今すぐにでもリザのそばに行きたいのに、金髪の彼が許してくれない。どうしてこんな酷いことができるの。あなた達は誰なの。私達はあなた達に何かしたの?

私を連れ去ろうとしている彼らは、そのまま窓から飛び降りた。ここは2階。だけども彼らは簡単に飛び降りる。着陸時、金髪の彼が抱えていたから怪我は無かったものの、心臓はありえないぐらい恐怖でドキドキしていて。


「リザっ、リザを」

「黙れ」


リザが気になって仕方ない。だけど金髪の冷たい瞳と声に遮られてしまう。


「お願いしますっ、リザを助けて」

「黙れ!!」

「···っ」


怖い。相当怒っているのか、私の体を逃がすまいと掴んでくる力が強い。


「ナナ─!!」

「ナナ様!!」

「ナナちゃん!!」


その時だった。背後から、1番聞きたい声が聞こえた。その声の方へと振り向けば、愛しいと思える人がいた。だけども私の声は出なかった。なぜならレイも、血まみれだったから。リザのように。本当に立っているのがやっとっていうほどで。

レイの周りにいる見たことのない男の人たちも、同じような姿で。言葉を発するのも、辛いようで···。


「あーあ、もう追いつかれちゃった」


ケラケラと笑う茶髪。追いつかれた?何言ってるの。まさか、茶髪の彼の服についている血は···レイたちの?
おかしいと思っていた。あんなにも騒がしかったのに、誰一人として部屋に来なかったから。



「ラン」

金髪の彼が低く呟く。


「分かってるよ。でも男ばっかじゃん、女いねぇの?女ぁ〜。つまんねぇなあ。まあいいや、あの女顔のユーリってやつとりあえず消そ」


茶髪の彼···。ランと言われた男がレイたちに向かって片手をあげた。


「俺らに力使ったら、コイツに当たるよ〜」


その瞬間、爆風が起こった。
私が覚えているのはそれから数秒。
爆風のはずなのに、どこから出現したのか視界の中は赤につつまれた。
──燃え上がる炎。

ランという茶髪の彼の笑い声。
真っ赤な視界。
レイの私を呼ぶ声。
私が泣き叫んで···。

金髪の彼が、私の額をもう一度鷲掴みし、「寝ろ」という低い声が聞こえたと思えば、


そこから覚えていない。
気絶させられ、やってきたのは暗闇。



レイ……。助けて。







気がつけば、私はベットの上にいた。
知らない場所、見たこともない家具、見たこともない真っ白なワンピース型の服を着せられていて。何がどうなっているのかと、まだ目覚めていない頭を起こす。

でも、酷く頭が重く、ズキンズキンと頭痛もする。そのせいで思考がままならない。

ゆっくりと体を起こし、部屋全体を見渡した。走り回っても大丈夫なぐらい広々とした部屋。そこに置かれた高価そうな家具。2枚の扉。2つの窓。

頭が痛い。ベットから足をおろし、ここがどこなのか確認するために重い足取りで窓の方へと向かう。そこから見えるのは大きな庭、そこに置かれた噴水。どうやらここは3階···みたいだけど、やっぱり見たことない景色。


ここは···どこ?


「起きたか」


ビクっと、体が動く。
部屋に響く低い声。
まさかここに誰かいるとは思わなくて、私は「誰…ッ」と大きな声を出した。どうやら扉の奥から出てきたらしい彼の髪は、金色に輝いていて……。


─金髪?

──っ!!!!


どんどん蘇ってく記憶。

割れた窓ガラス。
私を庇ってくれ血まみれになったリザ。
現れた目の前にいる彼。
次に来たのはランという茶髪の男。
そして、レイと、たくさんの人···彼らも血まみれで。
屋敷が爆風と共に火に包まれ。

重かった脳が鮮明に思い出されていく。
この男が、レイを···リザを···、屋敷の人たちを!!


「どうしてあんなことを···!!」


私が言葉を話した瞬間、向けられる冷たい碧い瞳。その瞳の鋭さに体が震える。──怖い。だけど、


「レイは?リザ……、ここはどこ!?」


私の口は止まらない。
あれから何日たったの?ちょっと待って、私、どこまで覚えてる?私、私、私───。



「アイツの名前を出すな」


そういった彼は、窓際にいる私に一歩一歩近づいてくる。いやだ。やだ、怖い、来ないで…!!

走って逃げようとしたけれど、まだまだ重い体のせいで、うまく体が動かない。その為あっさりと私の腕を掴み上げると、ギシッと骨が軋むほど強い力を入れられる。

痛い···ッ。


「離してっ」

「黙れ」

「やめてっ痛い··!!」

「黙れ!!」


もう1度強く掴まれたと思ったら、私の体は床へと叩きつけられていた。恐る恐る彼の方を見ると、碧い瞳が冷たく光っている。眉間のシワを寄せながら彼もしゃがみこみ、私の上へと馬乗りになった。

怖い···。

必死に逃れようとするけれど、彼に肩を押さえつけられ身動きが出来なくて。


「···変なもん入れられやがって」


彼の手のひらが、額へと伸びてくる。


「っ、さわらないで…」

「動くんじゃねぇよ!!」

「…っ」


彼の怒鳴り声に、体が震えてくる。
私の額に触れた彼の手は、冷たくて。


「7日···。くだらねぇ···」


7日?それってもしかして、私の記憶を所持できる日数のこと?どうして彼がそれを知ってるの。いや、彼は連れ去る時もすぐに記憶のことを分かってた。私が過去の記憶をもたないことを。…額に触ればそれが分かるの?


「動くなよ」


そう言った男は、痛いくらいに額を鷲掴みすると、──ギンッと、脳の中に電気のような何かが走り。
「痛い」と叫ぶ余裕もなかった。
その衝撃で、ぽろり、と、1粒の涙が流れた。


「解除もこんなもんか」


そう言った恐ろしい男は、私の額から手を離した。


「···なんの、話···ですか」


私の声に、彼の眉間にシワがよる。


「アイツがやった力を解除したっつってんだよ」


解除···した?
7日間の記憶の操作を?
レイが解除するはずだったはずなのに···?


じゃあ今、私は、7日間の記憶以上の記憶を今から保てるということ?


「···マジで、ふざけんな···。そんなに忘れたかったか?」

「え···?」


再び、彼の手が私の額を掴み、彼の力が強くなった。


「消してやるよ、お前の記憶」


消してやる?
私の記憶?

それって、いま、持っている記憶···?


「い、や···、やめて···」


彼が吸血鬼というのは間違いない。
吸血鬼は記憶を消すことができる。
レイは、そう言っていた。

私の持っている記憶が、消されてしまう。

屋敷の人も。
リザも。
────レイも。


「お、お願い···消さないでください···」


声が、震える。
忘れたくない。
もう、7日間の記憶が解除されたということは、何日たってもレイのことは忘れないってこと。なのに、いま、消されては···。


「一生、思い出すな」

「やだっ、やめて…!助けてっ、レイ!!」


私がそういった瞬間、彼の目が鋭くなった。見るからに分かる、彼が怒ったということを。


「アイツの名前呼ぶなって言ってんだろうが!!」


ギシッと、まるで頭蓋骨を潰そうとしているぐらい、強く掴まれる。


「結婚するんです…!」


けれどもその言葉に、ピタリと動きが止まり。


「…なんだと?」

「2日後、レイと、結婚するんですっ……やめてください……」

「ふざけるなよ」


一気に声が低くなる。


「結婚?」

「……やだ……」

「先に、」

「やめて本当にっ、消さないで…!お願い」

「先に俺とお前の記憶を消したのはアイツだろ!!!!」



どうしてそんな顔をするの。
怒っている···そんな表情なのに、どこか辛そうで。


「絶対許さねぇ···」


近づいてくる彼の顔。


「なんで、……俺を忘れてる」


目の奥が熱くなっていく。涙腺が緩むのが自分でも分かった。もう瞼を閉じれば涙を流してしまうだろう。



「や、やだ……」


固定されている顔は、全く動いてくれなくて。自らの手で彼の体を押す。無駄な抵抗に終わるそれは、唇が重なった瞬間力尽きた。

私は涙を流し彼にキスをされながら···、気を失った。


────レイ。


この人が、レイの言っていた一族の人?
私をエサとして扱っていた人?



ねぇ、レイ。



忘れたくないよ────。







────ここは、どこ?

真っ先に思ったのがそれだった。
私は眠っていたらしい。重い体を起こしながら、部屋を見渡す。どれもこれも、初めて見るものばかりで。


白い膝丈のワンピース。裸足。ベットから降りればクラリと目眩がした。頭が痛いのか重いのか分からない。
体を引きずるようにこの部屋の出口らしい扉に向かう。引いても押しても開かない扉には鍵がかかっているらしい。
次に開いた扉には、脱衣所と思われる、奥には広々とした浴室。その横にはトイレ。窓はあるけれど、人が通れるほどの大きさではなくて。

部屋に戻り、私が眠っていたベットへ腰掛けた。頭にある事はただ一つ。何も思い出せない…。


ここがどこなのかも。
どうしてここに寝ていたのかも。

────…そもそも、私は、誰?


自分の名前も思い出せない。
私……。

もう1度部屋を見渡す。私は目に付いたそれに重い腰をあげて近づいた。大きな窓。そこから見えるのは、夕日。下の方を見れば綺麗に手入れされている庭。ああ、噴水もある。
花が綺麗……。色んな花が咲いている。


夕日がとても、綺麗で……。
自分が何者なのか、一瞬でも、どうでも良くなった。

だけどそれも一瞬だけで。すぐさま窓の鍵を探した。窓ならば鍵は中から開けれると思ったから。だけども……。

「…無い」

元々、こういう造りなのか。
分厚い窓ガラスは開かないように設計され、鍵がなかった。本当に、ここはどこなのだろう?誘拐?まさか…。なにも覚えてないから分からない。もしかして誘拐されてここへ連れてこられた?その時に記憶を失って…。
ううん、元々私はここに住んでいたのかも?頭をうって記憶が飛んだのかも?
でも、私の部屋なら扉は開くはず。
もう1度扉の方へ行くけれど、やっぱり鍵がかかっていて。


閉じ込められている。
いったい、誰に?
脱衣所に行けば、小さな窓ガラス。ここから出られるとは思えない。


「···鏡?」


ふと、取り付けられていた鏡を見つけた。そこにいたのは女の子。18ほどの…、まだ若い…。角度によって色が違う髪と目をした…。……これは、あたし…?
鏡に近寄り、それを見つめた。私と同じ動きをする鏡の中。どうやら本当に私らしい…。


自分自身を覚えていないなんて、本当にどうかしてる。そう思った瞬間恐怖心が襲ってきた。怖い…。私は…。ズキズキと頭が痛む。


────バタン

「っ」

自らの手で頭を押さえているとき、扉の音が聞こえた。誰か入ってきた?誰?鍵は閉まっていたのに?まさか、本当に誘拐犯?


怖い。
誰なの。あなたはいい人?悪い人?敵?味方?

隠れないと。咄嗟にそう思った。だけど脱衣所に隠れる場所なんて無くて。こちらへと近づいてくる足音。恐怖心が襲う、怖い怖い怖い怖い怖い────。
浴室に隠れた私は、その場で膝を立ててお尻をつきしゃがみ込んだ。嫌だ、来ないで来ないで来ないでッ。


恐怖のせいか、怖くて涙が出てくる。
体の震えが止まらなくて。


「──ナナ?」

男の人の声が聞こえた。
ナナ?それはなに?数字?
浴室に入ってきた彼の瞳と、目が合う。鋭く細められた碧い瞳に、金色の髪。私を見つけた途端、彼の眉間にシワがよる。歳は多分、私よりも少し年上ぐらいで。


「や、やだ、来ないで…ッ、嫌、嫌!」

戸惑いなく近づいてくる彼に、身を縮こませそう叫んでいた。


「俺が分かるか?」


同じように目線を合わせるためにしゃがみ込み、そんなことを言ってくる。


分かる?分からない?
知らない、覚えていない。
あなたは誰。こんな冷たい瞳をしている人なんて、私は知らない···。


「知らないっ、分からない…!」


私は大きく首をふった。だけどふったところで、思い出すわけがなくて。


「落ち着け」

「やだっ、こ、来ないで…!」

「ナナ」

「……っ」

「大丈夫だから、こっち来い」

「い、や…」

「ナナ」


ナナ……。
それは、私の名前?
あなたは、私の知ってる人?

まだ震えるまま彼の方を見つめると、彼はこちらへと手を伸ばしていた。その手は私の頬に当たる…。やけに冷たい指……。

「……ナナって」

「お前の名前」

「私の…?あなたは誰……?」


彼の顔が、悲しそうな顔つきになった。
その瞬間、彼の顔が見えなくなったと思ったら、私は彼に抱きしめられていた。

突然のことで、頭はパニックになる。必死に彼から離れようするけれど離れてくれない。嫌だ、怖い…。この人は誰。分からない分からない分からない。


「…ごめん…」

そう言って謝ってくる彼が、さっぱり分からない。


「やだ…怖いの、お願い…離れて」

「悪かった」

「や、だぁ…」

「頼むから泣くな」

「離してぇ…っ」

「俺を…拒否んじゃねぇよ…」


私は何か、大切なことを忘れてるのではないか。この人は私の知っている人ではないか。
そう思っているけれど恐怖心は消えない。



「一人にして悪かった」


そういった後、彼は私を簡単に抱き上げた。そのまま彼はベットへ近づき、私をそこへ下ろした。だけどまだ恐怖心が消えなくて、降ろされてすぐベットの上で彼から後ずさった。それを見て彼の癇に障ったのか、眉間にシワがよる。

悲しそうな、怒っているかのようで。


「ナナ」

「やっ…」

「拒否るな」

そう言われても、怖いものは怖い。
また再び涙を流す私を見て、彼は声をあげる。


「なんでっ、泣くんだよ!!」

大きな声を出した後、彼は私を引き寄せた。
私には到底出せないほどの強い力で、ベットの上に押し倒された私は全く身動きが出来なくて。


「アイツには泣かなかったのかよ」

ア、イツ?


「アイツには笑ってたのか?」

誰のことを言ってるの。


「はな、して、…」

「拒否んなって言ってんだろ!」

「っ」


……なに?
おかしい。
私の見間違いだろうか。
彼の瞳が、少しずつ赤色になっていく。さっきまでは碧の綺麗な瞳だった。


それが今は、真っ赤に…。


「アイツにも、飲ませたのか…」

そう呟いた直後、私のワンピースの首元部分の服をずらしてきた。ギシっと、噛み締める彼の歯の音が聞こえたような気がして。首がさらけ出し、肌が露出する。

なに?何をするつもりなの。戸惑う私をよそに、そこへ顔を埋めた彼は逃げようとする私を押さえつけ、歯を当てた。
待って、なに、意味が分からない。彼はなんなの。


「っ、痛い!いや!イヤァ!」

歯が、肌に食い込む。
血の匂い···。
彼の呼吸が、息遣いが、何かを啜っているような変な音が。彼が私の血を飲んでいると、理解するのに少し時間がかかり。


次第に噛まれた部分から、痺れのようなものが出てくる。体が熱くなっていく。体の中の血が、動くのが分かる。

「……ン、…ッ!」


ありえない。人の血を、飲むなんてこと。
彼はまさか…、でも、いや、そんなこと。
でも実際血を飲まれている。


吸われる感覚が消え、彼の舌が、傷口を舐める。血の匂いが漂う…。鉄の匂い。彼は吸血鬼というものなのだうか。

彼は少し荒い息をしながら、私から顔を離し、距離をとった。口の周りに少しだけついている血を彼の指でふきとり、それを口に含む。まるで、私に見せつけるように。

今更ガクガクと震えてくる。恐怖心からくるのか、それとも血を飲まれたためにきた体の痺れの1種なのか。
は、は……と、呼吸が上手くできなくて。


「もう二度と逃がさねえ」


赤い瞳のままそう言った彼。

────吸血鬼。


「お前は一生、俺のエサだ」


〝エサ〟
私は…、血を飲まれるために、捕まったのだろうか。
記憶のない私には分からない。
ただ分かるのは、この人は危険だということ────。






次の日の朝、部屋には誰もいなかった。その代わりに置かれた机の上の料理、一食分はあるだろう。だけどもそれを口にしようとは思わなかった。ダメ元で扉を開けようとしても鍵がかかっていて、窓に近寄っても開くことはなく庭が見えるだけ。
私はエサとしてここに閉じ込められている。窓の近くまでイスを運び、私はそこから見える景色をずっと見ていた。
気がつけば、夕日。
もう1日が終わる。

部屋の中が真っ暗になる頃には、金髪の彼が部屋に戻ってきた。料理を口にしてない事に関しては何も言わず、ただ「風呂に入ってこい」というだけだった。
私は素直に従った。従わないと昨日みたいに無理矢理血を飲まれると思ったから。

だけど、入ったのも束の間、出た後には同じ服が用意されていて、部屋に戻った瞬間彼にベットの上へ押し倒されていた。

「やめて」と涙を流す私を無視して、彼は首元の服をめくり、首筋に顔を埋める。────血が飲まれる。気がつけば、私の一日は終わっていた。




また目を覚ませば彼はいなく、この部屋で変わったものといえば机の上に置かれた昨日とは違う料理。確かにお腹は空いている。だけど何が入っているか分からない料理を口に入れようとは思わなくて。

夜になれば彼は部屋に来る。昨日と同様、「風呂に入れ」と言い、入ったあとベットへと押し倒され血を飲まれる。

もう「やめて」や「いや」などは言わなかった。言っても彼は聞いてくれない。飲むことをやめてくれない。もう言うだけ無駄って言うのは分かってる。だからただ涙を流すだけだった。


───誰か、助けて。


食事をしていないからか、飲まれていくうちに、頭が真っ白になった。体に力が入らない。
また気を失う。私はずっとエサのまま、このままなのだろうか。

次の日の朝も一緒だった。運ぶ人が「食べない」と認識したのか、いつもより少ない食事量で。
もう胃は空っぽのはずなのに、やっぱり食べる気にはならなくて。だけどさすがに喉は乾くので脱衣所の洗面台で水を飲んだ。机の上に置いていたものは飲みたくなかったから。


昨日と同じように窓の外をイスに座りながら見つめる。…鳥がいる。噴水の水を飲んでいる。……3羽。ボーッとしながら見ていると、いつの間にか鳥は風に乗りどこかへ飛んでいってしまった。

自由に飛べる鳥が羨ましいと思う。



────ガチャ

その時だった。部屋の扉の鍵の解錠される音が聞こえた。まさかもう帰ってきたの?いつも帰ってくるのは夜で、まだお昼なのに。驚いて扉の方を見ると、ゆっくりとその扉は開いていく。



「あれぇ、起きてたの?」

入ってきたのは、金髪の彼ではなかった。

茶髪に、幼い顔つきの、碧い瞳の色を持つ。
背は金髪の彼と同じぐらい高い。


「誰ッ」


あの人じゃない。私はイスから立ち上がり、声をあげた。私の言葉にキョトンとした彼は、「なにそれ?冗談?」と笑った。


近づく彼は、まだニコニコと笑っている。
本当に誰?私の知ってる人?私が忘れているだけ?


「え?マジで分かんないの?」


オドオドとする私に、彼は首を傾げる。


「誰…?」

「ランだよ。ラン、分かんない?」

ラン?聞いたこともない。首をふる私に、ランは少し顔色を変えた。


「俺に可愛がられた事も忘れたの?」


可愛がられた?
私はこの人のお世話になっていたの?
もうそばまで近づいてきたランは、戸惑う私の手首を掴んだ。なに?引き剥がそうにも、強く掴まれた手首は離れてくれない。

そのままランの反対側の手が私の顔へと近寄ってきて、当然のように額にふれた。怖くなり、私はグッと目を瞑る。


「ああ、そういうこと…」


そういうこと?


「まあいいや。俺、飲みに来ただけだし」


なにかを納得した彼は、私をグイッと自らの方へと引き寄せた。飲みに来ただけ?まさか、彼も吸血鬼?
そう思うと、顔が蒼白になるのが分かり。
──吸われる。飲まれる。


「や、やだ!」


逃げようする私を押さえつけるために、ランは私を床へと前かがみに押し倒した。


「動くなって」

「······っ!」


首元の服が、ずらされる。


「なあ、忘れたってどこまで?」

「いやっ···、離して···」


可愛い顔をしているのに、力が強い。


「自分が作られたもんってのも忘れた?」

「────え?」

「7人目ってのも?」

「なな、にんめ…?」

「自分がシャーロット家の為だけに作られた人造人間っての、忘れたの?」


クスクスと笑い、ランは首筋に歯を立てた。

シャーロット家の為だけ。
作られた?
人造人間?
なな、にんめ·?


「なんか2年前と違うな。なんかした?まあ、美味しいけど、8人目よりはいい」


一口だけ含んだランは、首を傾げる。
……8人目?


「や、だ……、飲まないで……」

「俺に逆らうの?また可愛がってほしいってこと?」

「やっ…痛ッ……!」


私はシャーロット家のために作られた人造人間。人間ではない。作られた人。シャーロット家とはこの人たちのこと?金髪の彼やランのために作られたってこと?血を飲むだけのただのエサ──。

だから私には記憶がないの?
作られた人造人間だから?

金髪の彼よりも、はるかに痛い。
歯が奥まで刺さっているのか、飲む量と、体から出る血の量が合ってなくて服が血で滲んでいく。

私はこれ以上痛くならないように、体を出来るだけ動かさないように精一杯だった。


「これ以上飲んだら、リン兄さん怒られちゃうか」


体が痺れてもう指先さえも動かない。
あっさりと私を解放したランは、そのままクスクスと笑って部屋を出ていった。

体が…動かない……。
血を飲まれすぎたのか……。

なのにどうしてか気を失わない。それは多分、噛まれた傷口が治りきってないから。金髪の彼に飲まれ、朝に目を覚ませば傷口は閉じていた。なのに、ランに付けられた傷は閉じない……。
ドクドクと脈をうつ。
血が溢れる。







「────ナナ!!」

どうやらいつの間にか夜になっていたらしい。金髪の彼が帰ってきた。
大きな声を出した彼。もう目を開けることも出来ない。


「おい!!」


金髪の彼の声が聞こえる。駆けつける足音。


「ナナ!!」


床に倒れたままの私を抱き起こす。私は必死に目をあけた。碧い瞳…。その瞳は私の首元を見つめると、「この匂い…、ランが来たのか」と眉間にシワを寄せた。


「…あの野郎…」


冷たく呟いた彼は、そのまま私の首元へと顔を埋めた。


「や、だ……」


もう飲まないで。お願い。これ以上飲まれれば本当に死んでしまうような気がする。だけど私は、この人のエサ···。


「塞ぐだけだ、動くな」


──塞ぐだけ
彼は歯を差し込まず、ゆっくりと傷口がある部分を舌で舐めあげた。


「······いっ……」


痛みて、思わず声が漏れた。
だけどドクドクと血が出る感覚が次第に無くなる。


「ナナ、なんか話せ。目開けろ」


いやだ、もう、話したくもない。


「ナナ」


違う。
私はナナじゃない···。
私は、7人目なんでしょ?
あなたのために作られた人造人間なんでしょう?
だからナナなんでしょ?


「泣くなよ…頼むから……」


彼が私を抱きしめてくる。
泣かしているのは誰だと思ってるの…。


「……ナナ」


私は────
作られた──存在しないもの──。








体が熱い。
ハァハァと、呼吸が上手く出来ない。

何かに口を塞がれ、そこから冷たいものが流れてくる。ゴクリとそれを飲めば、喉が潤う。何かが口から離れて「ハァハァ」と息をしていれば、また何かに口を塞がれて冷たいものが流し込まれていく。

私はそれがもっと欲しく、震える指先で何かに掴まった。多分、それは服。
ゆっくりと目を開けば、ちょうど口を塞いでいたものが離れていくところで。

金色の髪が見えた。

グラスに入っている水らしき液体を口に含み、私の方へと顔を近づける。そのまま唇が重なり、冷たい水が流し込まれていく。


「はっ……、や……」

「動くな」


体が熱い。
思考がままならないけれど、キスをされているってのは分かる。だから抵抗するけれど、また水を流し込まれる。


「血、流しすぎだ。飲まねぇと死ぬぞ」


血を流しすぎ?
ランに飲まれたから。
あなたも、飲んでるくせに。
死んじゃうと困るの?私があなたのエサだから。


「も、やだ……」

「ナナ」

「飲まないで……」

「ナナ」

「怖い…」

「怖い?」

「……あなたも、さっきの人も怖い」

「──」

「キライ…」

「ナナ」

「大っ嫌い…」

「いいから、今は飲め」

「……や、」

「ナナっ」

「あなたには分からない。閉じ込められて、血を飲まれて……。訳の分からないことを言われて……」

「ランに何か言われたのか」

「……」

「答えろ」

「──っ、私は、ナナじゃないっ…」

「なに?」

「7人目だから、ナナなの?!」

「どこまで聞いた?」

「もうイヤなのっ、キライ、怖い大嫌い…」

「ナナ!!」


ナナって呼ばないで!
力が戻ってきて、私は彼の体を押す。


「……俺の気持ちはどうなる」


低い声···。


「この2年お前が死んだと聞かされて」


死んだ?
私が?何言って……。


「死体が見つからなかったから、ずっと探してた。ほとんど諦めてた……。でも諦めきれねぇ。会いたくて会いたくて仕方なかった。やっと見つけて、生きてると知った俺の気持ちが分かんのか?」


何を言ってるの……。


「お前の傍に違う男がいて、俺のことを覚えていないお前を見て……、俺がどう思ったか知ってんのかよ!!」


大きな怒鳴り声。
二年間···、この人は私を探してた?
私はどこかで行方不明になっていたの?


「エサだから探してたの……?」

「は?」


鋭い目付き。


「俺がエサなんかに2年間も探すわけねぇだろ!!」


大きな声を出す。
頭をかかえ、苦しそうにする彼は、
「お前が死んだと聞いた時、気ぃ狂うかと思った」
そんなことを言う。
私が死んだと聞かされも、2年間、この人は私を探した。それはエサとしてではなく。


「どう、して」


スっと、碧い瞳が私を見つめる。


「…分かるだろ?」

「分からない……」


私は、あなたのために作られた人間なんでしょ?7人目なんでしょう?そのためにあなたは……私の血を飲むために…。


「好きなんだよ……、お前が」


彼は信じられないことを口にする。


「だから、嫌いって言うな」


悲しそうな顔をする彼の名前は……


「────リン……」


そういった私に、彼の目が見開く。
ランが「リン兄さん」と言っていたことを思い出し、そういった。


「なんで名前、覚えてたのか?」


私を好きだと言った彼。リンという名前は間違いないらしく。


「ラン、という人が、そう言ってて……」


リンは「そうか」と納得したような顔をし、小さなため息をついた。私は彼のことを忘れている……。


「もう、これ以上はお前の血は飲まない、約束する。だからもう俺に怖がらないでくれ」

「──……怖がらせてきたのは、あなたなのに」

「悪かった」

「……」

「もうボロボロになったお前を見たくねぇ」



私は抵抗できずリンにされるがままで。
水の口移しではなく、近づきてきたリンは、私の唇を塞いだ。