断片集


女は、狐みたいな目をしている。
彼女は、何も言わないけど、こちらを睨んでいる。
「ここで、取引をする計画だった、でしょ?」
ぼくが言うと、彼女たちは、むすっとした表情になった。
「そして、取引相手が送ってきたのが、この紙と、船の見取り図だった。うっかり、ショーのために貸し出してしまうアクシデントのせいで、こんな日に実行することになってしまったようですけど」
男が、ちっと舌打ちする。
「並び替えるための文字をただ隠すのでは丸わかりだし、何かの拍子に消されてしまうか

もしれない。だから何かに紛れ込ませる必要があったんですよ。例えば、カーテンや布地などの模様とか」
1階2階を回って、順にカーテンの柄を確認、模様を回想する。
1階につき12部屋あるのだが、カーテンの柄は葉、太陽、ハート、星、鳥、天使、というふうに各階ごとで繰り返されている。
4階、3階、1階、2階。
この船は3階までだ。
だからきっとここでいう4階は、地下のこと。
「4階って地下でしょう。カーテンなんか無いけど?」
黒いウエーブした髪をなびかせてエナが言う。そうだ、そんな名前だった。
パッチワークみたいなワンピースを着た、お姉さん。
「それは、たぶん、配管などの番号で代用しているんだと思います」
「なるほどね」
「3階は」
「3階は、旗が立っています」
下から始まっている理由は、上から見た際に、格子に見立てるためだろう。
見取り図を見ていた理由。
それは、転置暗号を再現するためだったらしい。
ここでは4階から1階までの経路を使ってそれをしている。
そして恐らく、黒いシャツの彼女はハート、トリ、など、目印のあった場所を、別の言葉、LOVEなどに置き換えてメモしていたようである。用心深い人だ。
例えば、紙で言うと4312の順で部屋を回って、経路図に縦線と横線を引いて格子を作り、鍵に書かれた順序にそって、文字を入れていくと暗号にするための並び方をした言葉が出来上がる。
ここでいう順序とは、4312の各部屋の回り方のことだ。この船の内装では、一部の床に、飾りのタイルが交互に散りばめられている。特に、部屋と部屋の間を繋ぐ、中間地点のタイルはそうなっており、各階に上がるときに、ちょうど真っ先に目に入る。
「これ、使ったんでしょ?」スピーカーのそばに置きっぱなしだった、飾りのタイルを拾い上げて指差す。男が、じろりとこちらを向いていた。「枠、ここでいう、部屋数12ですね。ハート、月、トリ、という風に、足元のマークを見ながら各階の部屋を移動すると、その柄のカーテンの部屋に隠してあるという具合で、3階については近くの島の方向とか、4階に隠してあると示してあるとかのどちらか。平面でないのに矢印を使った必要性は、局の人と鉢合わせないうちに探すためなどの理由から、事前に部屋の入り方を仕組んであったんだと思います。色は、たぶん、量や内容物の説明を示しているんでしょうね」
しかし、掃除の人に変装するほうが、容易いように思えるのだが。
古里さんによれば、掃除はオーナー任せなのだという。
ちなみに彼女がリハーサルで3階、つまり最上階に行ったのは、帰り際にそこで見送る歌を歌うためらしい。
母さんが、男に近づいていって、そして手を捻る。
手から何か袋に入った小麦粉のようなものがどさどさと零れてきた。
なんだろ。
ぼくは気にせずつづける。めんどくさい。
「なんらかの理由で剥がれたタイルがあります。それは、彼らの目印に無くてはならないものだった。3階のタイルです」
男の細まった目が、こちらをじっと見ている。
3がない、とはそういうことだったのだ。
「それがあったのは、ディナーショーの会場」
「………………」
「恐らく、誰かが後で貼り直すべく、一旦、人の踏まないような場所に運んだのでしょう」
「それは私。リハで3階まで行ったとき、剥がれてて危なかったから。持ってきて、そしたら本番になってしまったものだから、つい一旦足元に置いていたの」
古里さんが手を上げる。
足元にはスピーカーがあるので、タイルは観客には見えないし、カメラにも特に映らないのでいいと思ったらしい。
と、彼女が話している、そのときだった。
「しかもなんと、裏返して置いてあるのだし、アイドルの足元にあるせいで、確認もしづらい。だが、今日中に報告を済ませたい。そんな彼らは困ったはずだ」
後ろから声。なんか意味のわからないことを言いながら、ぼくのすぐ左側に肩を並べたのは、母さんだ。「だから、横から写真を撮った後に、拡大し、SDカードのデータを読み込ませた画像ソフトで光の角度、コントラストなんかを調整して加工、拡大して取り出した色データをいくらかピックアップして抽出、解析という手段から、色合いの幅――、RGBだかCMYKだかの色味傾向を割り出すことで、知ろうとしたってわけだよ。わかってみるとくだらないな。事前にタイルの飾りの色合いやマークの種類だけは、教えられ、頭に入れていたんだろう。だから端のほうだけでも見れば、図形がわかる。それで判断したかった」
この人、別に面白くするために撮影したわけじゃないでしょ!
男がうっすら笑いながら上を指す。天井にはいくつかカメラが付いていた。
「惜しいな、局もあるが、あれはな、身体が常に監視カメラの死角になる向きのルートだった。そしてマークの、色の《数値》が取引の値段になる。メモはその値段を外部に知られないで会計するためだったっちゅうわけなのさ。わかったかい探、偵、ちゃん?」
なんか、面倒な取引なんだなーと思ってしまう。
「…………」勝手に探偵にするんじゃない。あと、なんで親切なんだ? こいつ。
ぼくは、なんとなく思い出すことがあって、服のポケットを漁る。
スカートの中から、SDと描かれたカードが出てきた。
どこかの道で拾っていたやつだ。
「ははーん。これは、そのカメラのデータをマイクロSDから、SDに変換する際に使用するやつだな? あれって結構助かるよな」
「母さん……」
母さんはそう言って、カードを横から奪う。で、それ、なんて名前なの?
「え、どういうこと? 色味ってなんだ? んん?」
ナツが眉を寄せている。ひと言で表すと、画像を拡大して赤っぽいとか青っぽいとか判断しましょうってことだ。画素数の高いカメラは、ズームできる範囲が大きい。
離れた場所の色の、ドットってやつが、より小さく多く表示できる分、より細かな部分まで撮影できるのだ。ぼくもたまにやったことがある。遠くの景色がよく見えないけど必要なとき、デジカメで撮ってからズームして、加工するのだ。
コントラストを弄ると、大分見え方がマシになる場合がある。
「あれは、盗撮じゃなかったってこと?」
古里さんが聞く、ぼくは頷いた。
「そうですよ。ただあなたの後ろにある3階の目印タイルを、撮影していたんです」
ぼくは言う。
母さんが、出番を取るなって感じに睨んだ。えぇー。
「そしてそれがちょうど、足元を盗るような形になってしまったみたいで。ただの誤解みたいだな。はは、良かったな! ただの勘違いだ!」
「そう、なの……」
古里さんが少し、安心したような表情を見せる。
「私、てっきり……昔、そういうことも、あったから。なんか、一人で、恥ずかしい」
目を潤ませて、少し頬を赤らめる彼女に、近くに居た何人かのファンが卒倒した。
「仕方が無い。世の中にはそういう人だって、居るからな。つい悪意にばかり過敏になってしまうのだろう」
母さんは言った。
「でも、何もかもがそうとは限らないことは、忘れないで欲しい」
ぼくも、そうだね、と言った。それから。

「なんだってさ、まずは相手にきちんと確認した方がいいって思うよ?」
「…………」
「他人は案外、違うことを考えているってことは多いんだからさ。古里さんも言っていたよね、『他人と自分の考え方が同じなわけがあるか』って。同じにしてしまったとき、偏見は広がってしまうんだよ。だから、相手のことを知っていれば、理解が出来ることもあるって思う」
「そうね……悪いほうにばかり、考えてしまっていたみたい。本当はそんなこと思っていないかもしれないのに、お互いに、悲しい思いをしてしまう」
昔のことを思い出した。彼らは何を考えていたんだろう。
分かり合えたらよかったのに。
自分で判断してしまって全然こっちの話を聞いてくれないから、それも出来なかったな。
「ま、今回の、盗撮犯はグレーだけどな。撮影したらどうしても足見えるし」
「そうなのよね」
古里さんが、がくっと肩を落とす。




水族館を回る時間が押してしまい、閉会式になった。

開会したとき、あんなにあったごちそうは、いつの間にかもうほとんど片付いている。
綺麗な赤いドレスを着た古里さんが、ステージに上がると、彼女の方に、2つのスポットライトが丸く当たった。
マイクを持って一礼。
周囲から、拍手が上がる。
彼女のヒールが、ライトで艶めいて見える。

「みなさんを、今日お呼びしたのには、理由があります」
古里さんの言葉に、周囲はシンと静まって拍手を止める。
「私は、活動を卒業します。今まで、ありがとう」
周囲がざわつく。
ぼくたちは『まだ卒業したわけじゃなかったの?』とざわついた。
ちらっと彼女と目が合って、睨まれたが、聞こえてない、よね。
「と、言おうと思っていました」
周囲は、やはりざわついている。
ぼくとナツとユキは黙っていた。
「……説明するより、早いと思って、まず、この船のオーナーより、手紙を預かっているので……読ませてください」
彼女は、そういうと、いそいそと、上着のポケットから封筒を取り出す。
オーナーとは誰なのだろうか。
辺りは静かに彼女の言葉を待っている。

「もともとは。これは、この世界自体が、ここに集まってもらった皆さんの中でも、最年少――」
彼女は、ぼくたちの方に視線を向けた。
なんだ?
「彼女たちのために開いた、長い長い宴でもありました。卒業式です」
卒業式?
初めからクライマックスってこと?
「彼女たちが、かつて、語ってきたのは、これまで、絶望――どこまでも救いの無い物語のような世界で、それはきっと、誰かであり、そして彼女たちであったと思います」

「彼女たちは、私たちは、幼い頃から既にあるひとつの事実について悟ってしまっていた。
だから、彼女たちが語るのは、もともとこんな世界には希望なんて無いよ、そんな、バッドエンドの物語でしか、ありませんでした」
「だからこそ彼女たちの、私たちの、存在する、この場所……今、この船の中のような、この世界は、ひどく、閉ざされていたものでした」
周囲は、静まり返っている。
「でも、いつからか、変わりました」
「それでも、そんな世界でも、どこかと繋がっていたから」
「だから、それは閉じているようで、そうでも無かった」
「それを。彼女たちには、教えられ、幾度と無く救われました」
「それでもあのときに選んだのは、一度は、最悪の結末」
「――ちゃんと『生きている』世界を作り直そう。それが、全ての一歩になるだろう」
「一度は絶望の底に居た彼女たちが、かつてのような死をもってではなく、希望を持って、世界を見られるように、あの世界を――この世界を、もう一度だけ、再現しよう」
「今度は、希望を描くために。あの頃の彼女たちを、そして、私たちの世界を、もう『卒業させてあげよう』そのために用意した舞台がここで、だから、もう少し早く、そうする予定でした」
そして、最後に、彼女たちの暗闇の世界を、早く終わらせてやりたかった。
「終わらせてやるために、始めたのに、終わりたくない、などと、思ってしまいますが」
「きっと、そうやって、ずるずると残ってしまうのは、良くない。と」
これをもって、この場所を持って、絶望を閉じよう。
華々しく、夢を終えよう。
そのための舞台に選んだのがここだった。
もともと、絶望のための、そんな世界だったから。

「そんな彼女たち、私たちに、関わってくれた方々に感謝を、送ります」
「あの子達に、思い出と、夢を!」

わっと歓声があがる。
「…………っ」
ぼくの中で、何か、響くものがあった。
生きているのに、なんだか、一度は死んでいたような、そんな、変な気分。
違和感。
脳裏に焼きつく赤い、赤い液体。
ぞわっと、背筋を駆け上がる何か。
叫び声、首輪、手錠、毒薬、ハンカチ、ぬいぐるみ、それから、××ト××―×。
動悸がしている。
「…………」
ナツもそうなのか、胸元を押さえて苦しげな目をしている。
ユキは、黙ったまま涙を流して、呟いた。
「××ちゃん……」
その名前を、ぼくは知っている。
××ちゃんは大切な、家族の一人だった。
でも、終わるというのは、結果、続くに他ならない、新たな場所に、ステージが変わる、それだけです。
古里さんの声が、遠くで聞こえている。
きゃはははははと、あの子の、あの高い笑い声を思い出す。
急に。だった。思い出してしまった。
なんだ。
「なんだ。そっか。そこに、いたんだ」
あはは。
あまりに姿が変わっていたから、気付かなかったよ。
良かった。きみは、まだ元気そうだ。

一人、ホールを飛び出て、近くの客室に入った。ドアを閉めた途端、涙が止まらなくなった。
「ごめんね。ごめんね、××××」


二人組の怪しい男女のうち、女性は人ごみに上手いこと逃げてどこかに消えてしまい、やや逃げ足の遅かった男だけが、捕獲されたのだけど。そいつがなかなか暴れるので、母さんと秋沙さんが二人でどうにか固定していた。
でも、なんと懐にナイフを持っていたらしい。
捕まえられていた男が、やがて隙を見て母さんの腕を切りつけて抜け出ると、ぼくのすぐそばに居たらしい、ユキの方に向かった。
人質にしたかったのか、弱そうだから倒したかったのかわからないけど、刃が、そいつの方を向いていて、ユキはすぐに捕らえられた。
「逃げろ!」
と、ユキは叫んでいる。逃げないよ、だって、ユキが一人になる。
周りの人たちがそいつの確保とかに動いている。
でも、なかなか男を捕まえてくれない。
危害を加えないという交渉に、手間取っているらしいのだ。
なんだかつまらないから、ぼくはごく普通に前に出ていって、当然のように、その男から、ナイフを、奪おうとした。こんなもの、怖くなんて無い。
けど、もちろん振りほどかれて、そのままの勢いで、刃が当たって――
刺された。
「…………」
あ。
いつも、どうしてか、別にしなくてもいいところで争いを起こす気がする……
「うわあああああ!」
誰かが叫んでる。
ああもう、やかましい。
黙ってて。
ぐさ、と、脇腹の方で、鈍い音が……
「お、おい、大丈夫か?」
誰かが聞いてくる。うるさい。
「誰か、救急車」
誰かが、慌てている。救急車? 病人なんて居ないけどな。

音は、思ったよりはしていなかった。
ので、傷自体はきっとあまり深くないのだろうけど、何回目だろう、刺されるの。結構それでも、異物感っていうのかな。ああ、
なんだろう。
意識が、なんか……
そうだ、肉と包丁で思い出した、シチューに入れる鶏肉買っておかなくちゃ。
あまり、痛いって感覚が無いんだけど、たぶん痛いんだろうなあ。
あいつに差し入れに行かなきゃな。

気付いたら、周囲が、静まり返っている。
男は酷く動揺したみたいにどこかに走っていこうとした。
しかし船の向こうで取り押さえられていた。良かったーと、思う。
と、同時に、がくんと足が、地面に触れて。背後ではどぼん、と何かが、沈むような重たい音がしていた。ああ、逃げたのかな。なつかしのサスペンスの最後じゃあるまいし。
「どうして……!」
ぼくは、ずるずる、這って3歩歩いた。
歩きづらっ。
あーあー。すっげえあるけないっ!
そう思うと同時に、ぐらりと身体が傾く。

どこかで、解放されて無事らしい、ユキの声がしている。
無事でよかったあ。
ぼくは、笑った。
「えへへ」
ぼくは、笑った。
なんだろうね、なんか身体が動かないや。
どこか、漂うような感覚と、それから、あの子を思い出す。
懐かしいなあ××××。
――もし、そっちにいけたら、ぼくを許してくれるかい?
昔みたいに、笑ってさ。
当たり前のように、見るからに毒入りのジュースを勧めてくれたっけ。
それで、幸せそうに笑っていた。
それでもね、いいよ。
別に、そんなので、病んでいるなんて思ってない。
行動だけで、きみを決め付けたりしないよ。
だって、そうするための感情や思考が、あるはずだもの。
きみをおかしいなんて、ぼくが言うわけが無い。
大丈夫。
ただ、驚いただけだから。
泣かないで?
傷なんて、ほら、いつか治るし、ぼくは丈夫だからね、そんなのなんてこと無い。
脇腹が冷たい。
血が。血が。血が。血が……あはっ。面白い。なんだか、愉快になってくる。
なんで寝てるんだっけ。ぼくが被害者ごっこしてる場合じゃ、ないのに。
きっと、ABCD123、みたいな札と、あと、ロープとかで、ぐるぐるって形を取られるんだろうな。つーか、痛くない。
これ、トマトジュースだったりしないのか? なんか……
思うんだけど、これ、あとあと洗濯したら、お洒落な柄になってたりしないだろうか?
でも、お洒落な柄になってても、なんか、歩く事件みたいだよね。
超不審者じゃないか。意識あるのに寝てるのは、暇だな……
でも、服が汚れるって言っても着ないわけにはいかないよね。
それはそれで不審者じゃないか。
うう。
もしかしたら覚えてくれてるかもしれないけど、きみが怖がってて、ぼくたちが会った、あの場所、第三×××は、無くなってるんだよ。
でも、たまに、思い出の中で引っ張り出している。
なんだか、愛着があってさ。
なんて、また笑われそうだ。
傷なんて、いくらでも受けるから、だから。
だから、もう一度、笑ってくれる?
「疲れちゃった」
疲れちゃった。疲れちゃって、もう、立ち上がれないよ。何もかもが歪んでる。
世界は、こわいものばっかりだね。
「もう、ダメみたい……」
「目を、開けてくれ」
「開けてるよ。ちゃんと、見えているよ」
「起きて……」
ここに、居られない。
ただ、本当のことを、本当に語っているだけなのに。
たぶん。それは、ずっと前から。
これからも、それでも。
ありふれたかったんだ。
でもそれは憎まれる、否定される、そんな感情なのだろうけど。
でも、それでもぼくは言うよ。
普通のことだったって。

「近頃、寝不足でさ。眠かったんだよね。でも、ああ、ようやく、眠れる」
叶わない夢だった。
ごく普通に、ごく普通で、ごく普通になりたかったんだよ。
でも。
誰かが泣いている。
悪い人は居なくなったというのに、何か、不満でもあるのだろうか?
うるさいからいい加減静かにしていて欲しい。

あれ? それにしても、どうしてぼくは船の廊下で寝てるんだろうか。
変なの。
なんか、何を見ているのかわからない。
何もわからないみたいだ。
画面に、ノイズがかかってるみたいに世界が、暗くなっている。
頬を、風が撫でていく。
目を閉じていると、「   」って、懐かしい呼び名が聞こえてる。
嬉しい。
あの子が、そこにいる。
きっとぼくを、待っててくれたんだ。
動きにくい唇で、ぼくはどうにか言葉を紡ぐ。
「……ご、めん……手を、掴んでくれないかな」
うまくおきられなくて。
起き上がったら、一緒に、また散策に行こうよ。
伸ばした手は、どこか粘ついている。
まさか自分が現場で倒れる役をやるとは。
まってまって、後でハンカチを出さなきゃ。

えーっとどこに、置いたっけな。
いつになく、頭が回んない。

えっとね、×××んの、好きだった場所に行こう。
そうだなぁ。
「         」とかどう?
メロンケーキ、まだあったかな。









あ。
あのチョコレートは、いい加減に捨ててくれよ?
ねえ、きみはどうしてここにいるの、ずっと探しても居なかったのに。
遠くで×××んが何か言っているみたいだ。
え、聞こえない。
待ってよ、
何――
声が微かにしか拾えない。
でも、嬉しいな。
なんだ。
そこに居たんだね。
懐かしい声を、もっと聞きたくて、ぼくはあの子の居る方まで、歩いていく。
「だめよ!」
そのときだった。
あの子のところへの道が、急に掻き消される。
「私に、言ってくれたじゃない。ただ『歌いたかっただけ』ですよね、って!」
誰の、声だっけ。
「あなたは、それでいいの?」
誰の……
…………。
知ってる。
そんなの、わかっている。
だから、だから、
「あなたは、ただ守りたかったのよね、肯定してあげたかったのよね。誰もしてくれなかったから、だから、代わりに誰かにそう言ってあげたかった」
そうだよ。
「本当に『正しい』のか、不安でしかたなくなった」
うるさいな。眠らせてよ。「大事にしていた。だからこそ、×××たちに『大丈夫だよ』って伝えたかった」思えばそれが《変》と思われているんじゃないかってそう一番に気にしていたのは、ぼくの方だったかもしれない。世界に答えなんか無いのに、叫びたかった。叫び声を聞かれるのは恥ずかしくて、叫んだ内容を聞かれるのは恥ずかしかった。謝りたいけど、きっともう許してもらえないだろう。どうも、言葉が足りない。小さなあの子がぼくのために背伸びしてクッキーの缶を取ろうとしたときのような。でも、それを難しいと決め付けていたのはぼくだった気がする。踏み台を作ればどうにかなった話。自分がされて嫌だったことを、誰かに繰り返している自分に嫌気がさす。どうしてこう、嫌な人間なんだ。大体、思えばぼくの心の痛みなんて気のせいにしてしまえばそれで済んだ話。周囲を不快にさせるほどの価値を持つ人物じゃないだろぼくは。なにをやっているんだ。
他人には偉そうに言うくせに、役立たずだ。自分が上手く言えないのを他人のせいにして、最低だ。上手く伝えられないなら考えればいいのに、言わなきゃよかったなんて言って、こんなの甘えだ。なのに、身勝手にも思う。







そう、そうだよ、悲しかった。
「…………」
それでもいいって、それでもあの子に届いてくれるなら、いつかきっとって、思ったはずなのに、だったらいっそ、何も言わなきゃよかったって。
まるで、ただ歌いたかっただけ、みたいにさ。
ぼくはただ、好きだったんだね。彼らが。
あの子達が。

あの子達を、今でも実在するぼくたちを、ぼくが娯楽みたいに語ったら、
その代表みたいになってしまってそれが歪んでいったりしたなら、いつか、それで苦しめることになってしまうんじゃないかなって。

他のことなんて、他の謎よりも大事な謎なんだ。
名探偵でも、まだ解けていない。

「でも、私には届いたよ」
声がする。
手が、顔に触れる。
「私は、知ってる。あの子だって、知っているよ、ちゃんと、届いている、私たちは、ちゃんと『存在している』からだよ!」
知っているよ。
そんなこと。
だから、ぼくたちは、苦しんできたよね。
だから、ぼくたちは、互いを認め合うしか、居場所の作り方を知らなかった。
「だから、そんな風に、責めないでよ」



でも、でも。
疲れてしまった。
こわいよ。
何も、信じられない気がする。



何を言ってもきっと、あんな目をされるだけじゃないかなって、怯えてる。
もう、立ち上がれないかもしれない。
ごめんね。
ぼくのやることって、いつも、間違えてしまうみたいだ。
世界が嫌いだった。
世界が怖かった。
だから。
終わろうって思った。
全部終わろうと思うのに、終わらせてもらえなくてこわかった。
でも叫んでおいたら、その気持ちは変わるかなって、期待してた。
でも『面白い』、だけだった。
そんなこと、とっくの昔からわかっていたのに。
ってなんだかこのオチは面白いや。
気に入ったかもしれない。
どこかに、同じような誰かがいるんじゃないかなって、信じていたんだ。
今も、信じているんだよ。
別の声がする。
「もう少しで、救急車が来る。頑張れ」
だれの、声だっけ。
えぇ、もう、いいよ……このまま寝かせてくれないかな。

ああでも想像が付かないって言われるけど、結構、後味の悪い話とか好きなんだよね。
普段は平和そうで、いきなり暗くなったりするやつとか、弱そうだったのに突然ラスボスになったりするやつとか、主人公の性格が歪んでいるやつとか。
創作に限るけど。
これも、それでいいと思う。
ずっと。
そっとしておいて欲しかったのかもしれない。
なんて、きっと身勝手だよね。
再び、少しずつ眠気が増してきて、また視界が暗くなる。
「……ぼくが……んだら………に、あげなくちゃ」
喜んでくれるんだったら、いいなあ。
ユキが泣いてる。自分を責めないでほしい。だってこれは、ただの報いなんだよ。
ぼくが傷付くと、誰かが傷付くのはいやだなぁ……
の声が聞こえる。
ごめん、背負わせるはずじゃなかったのに、苦しませてしまった。
そうだ。
せっかくだから最後に、一度くらいは、素直に「      」って言っておこう。
と、思ったけど、うう。やっぱり、言えない……
まあ、今更だからやめておこう。
何か誰かが言っている。よく、わからない、水の中にいるみたいだ。なんだかちょっと、疲れてしまったからやすみたくて、こうして死んだフリとかしているんだ。
だから、笑ってよ。笑えない?

だんだん、眠くて身体に、力が入らなくなってきた。
最後に食べたいものリストを作っておかなかったことが心残りだ。
オムライスがいいなぁ。
ああでも、大トロっていうのを、一度食べてみたいかも。
それから。
なんだろう。
それからね、ぼくはもともと、結構、幸せなんだよ。

「ねえ、……き……笑って、てほしいな」
今、幸せな夢を見ている。
どこかであの子の、楽しそうに笑う声が聞こえている。
そういえばあいつに、会


end.