お転婆姫は命がけ。兄を訪ねて三千里!

 サイラスが外で待つ侍従にその旨を告げると、すぐに二匹を伴ったローズマリーが姿を見せた。
「おいで・・・・・・」
 アーサーが声をかけると、アイゼンハイムはトコトコとアーサーに歩み寄った。
アイゼンハイムにしてみれば、アイリーンの父であるアーサーは、家族であり、群れの一員というよりもリーダーである。群れのリーダーがアーサーであり、自分の主がアイリーンであるという認識なので、群れのリーダーからの呼び出しに、アイゼンハイムは恭順の意を示して見せた。
「おお、アイゼンハイム!」
 アーサーは名を呼ぶと、アーモンド形の目をくりりとさせて自分を見上げるアイゼンハイムの頭を撫でた。
 チャウチャウ犬であるアイゼンハイムが頭を素直に撫でさせるのはアイリーンの他にはアーサーとウィリアム、それにローズマリーだけだ。男同士というのもあるが、アルフレッドがアイリーンのそばにいることが気に入らないアイゼンハイムとしては、アルフレッドが頭を撫でようとすると二種類の反応を見せる。まず、アイリーンに見られている場合は、アイリーンに見えない方法で威嚇しながら、仕方なく頭を撫でさせる。もう一つは、アイリーンに見られていないなら、手が伸びてきた段階で睨み、威嚇し、それでもアルフレッドが引かない場合は、頭を動かして撫でられるのを拒否する。誰にも彼にも頭を撫でてもらって喜ぶ犬種でないことの証明ではあるが、主であるアイリーンに見られている時は、それなりに良い子にふるまうことも忘れないのが、主至上主義のチャウチャウ犬である。

 ふかふかの毛皮に包まれた、まあるい頭の上にちょこんと立つ二つの耳は愛らしく、アーサーはいつもアイリーンがするように、アイゼンハイムの耳に触れてグルーミングするように耳を撫でてやった。もちろん、耳に触るのを快く許す相手は、主であるアイリーン、その代理であるローズマリーと群れの長であるアーサーだけだ。
 アイゼンハイムは嬉しそうにアーサーの手に耳をこすりつけるようにして喜びを表現した。
 そんなアイゼンハイムを横目に、ラフカディオはゆっくりとアーサーに歩み寄ったが、手を伸ばそうとするアーサーをジッと見つめた。
「ラフカディオは、やはりアイリでないと不満か・・・・・・」
 デロスの王であるアーサーに対してもラフカディオが愛想を振りまくことはない。それが、イエロス・トポスよりアイリーンに贈られた神の使いである白銀の狼であるラフカディオと、アイリーンの愛犬であるアイゼンハイムの違いだった。
 ラフカディオは神の声を聞く者を護る聖なる狼として生を受けた。そして、まだ赤ん坊であったラフカディオはイエロス・トポスからの使者に連れられ、遠く離れたデロスへとやってきた。
 寒いのが当たり前のイエロス・トポスと違い、南国のデロスは暖かいというよりもラフカディオには暑かった。それは、北の地に多く生息する、ふさふさの毛皮を持つアイゼンハイムにも共通することだった。
 初めて出逢ったアイリーンは、狼であるラフカディオの事を恐れもせず、まるで子犬を育てるようにラフカディオに接し、遊び、世話をしてくれた。
 エイゼンシュタインの叔母夫婦から誕生日プレゼントに贈られたチャウチャウ犬のアイゼンハイムは、ラフカディオから見るとアイリーンの持っている熊のぬいぐるみが動いているかのようだった。
 動き一つ一つが可愛らしいアイゼンハイムとは違い、アイリーンを護るためにイエロス・トポスからやってきたラフカディオは、可愛がられることは嬉しかったが、常にアイリーンを護るために警戒を怠らなかった。
 それは、相手がアイリーンの家族でも同じ事、主であるアイリーンが涙を流すようなことがあれば、ラフカディオは相手が誰であろうが威嚇した。それが、例えアイリーンの父王であろうが、兄王子であろうが、ラフカディオにはアイリーンのほかに大切な者は居なかった。
「ラフカディオ、アイリが王宮に戻ったら、また護ってやっておくれ」
 アーサーの言葉にラフカディオは、何を今更と言う表情を浮かべてアーサーのことを見上げた。
「兄上、そろそろお体を休めた方が宜しいのではございませんか?」
 サイラスが心配げに声をかけ、アーサーは笑顔で頷いた。
「ローズマリー、引き続き、アイゼンハイムとラフカディオの世話を頼んだよ」
 アーサーの言葉に、ずっと背筋を伸ばして直立不動だったローズマリーが深々と頭を下げた。
「陛下、勿体ないお言葉でございます」
「アイゼンハイムもラフカディオも、どちらも元気でないとアイリが悲しむからな・・・・・・」
「全力で、お仕えさせていただきます」
 深々と頭を下げたままのローズマリーに、サイラスが声をかけた。
「ローズマリー、もう下がりなさい」
「では、失礼いたします」
 ローズマリーはサイラスに対しても一礼し、アイゼンハイムとラフカディオを伴ってアーサーの寝室を後にした。
 ローズマリーが下がったのを確認すると、アーサーはサイラスのことを見つめた。
「サイラス、一つ訊きたいことがある」
 アーサーを寝かせるために歩み寄ったサイラスの耳元でアーサーが囁いた。
「兄上、何かお気になることでも?」
 サイラスは心配げに問いかけた。
 しばらく黙した後、アーサーはサイラスを見つめた。
「アイリから、何か連絡はあったのか?」
 サイラスはドキリとしたが、ローカーフェイスを貫いた。
「神殿に籠もっているのですから、俗世のことは忘れて祈りに集中しているのでしょう」
 サイラスは言うと、アーサーを寝かせ、布団を丁寧にかけた。
「サイラス、不甲斐ない兄を支えてくれてありがとう。王妃を亡くしてから、私は臆病になってしまった。ウィリアムにも、アイリにも、民あっての国、国あっての王族と厳しく教えながら、余は王妃の面影を宿したアイリを手放したくなくて、アイリの幸せを考えずウィリアムの言うままにアイリの気持ちも聞かずに婚約を決めてしまった。この私の存在が、後から生まれたと言うだけで、健康なそなたが王になる道を阻むことになってしまったことも忘れて・・・・・・。ウィリアムが音楽家になりたいといった時、そなたに王位を譲るべきだったのかもしれぬ・・・・・・」
 アーサーの言葉にサイラスが頭を横に振った。
「兄上、私は元々、王の器ではございません。妻一人御する事も出来ぬ、不甲斐ない男でございます」
「そのようなことはない。そなたは賢く人望もあり、とても優しい。他の誰でもない、この私が一番よく知っている」
「兄上・・・・・・」
「もし、今度・・・・・・。余が、アイリの意志に反した結婚の話を進めたら、その時は、そなたが余を止めてくれ・・・・・・」
 アーサーの言葉に、サイラスは隠しているアイリーンの婚姻の事を話してしまいそうになった。しかし、ここで真実を知ればアーサーは以前のように寝込んでしまう可能性もあったが、それよりも婚約の解消並びに、婚姻の取り決めの無効の申し入れをパレマキリアに対して行ってしまうかもしれない。そんな事をすれば、再びパレマキリアが海路を封じる可能性も出てくる。そうなれば、アイリーンだけでなく、ウィリアムの帰国も妨害されてしまうかもしれないと、サイラスは必死に心を落ち着けた。