「あの、ドクター」
やっと激しい船の揺れに慣れ、船酔いから解放されたウィリアムは、甲斐甲斐しく世話をやくカトリーヌを部屋に戻らせてからドクターに問いかけた。
「どこか痛まれますかな?」
ドクターはニコニコとした笑顔でウィリアムに歩み寄ってきた。
「ドクターは、妹が恋していた相手のことを実はもっとご存じではないのですか?」
アイリーンに、もうこれ以上は何も言わないとは言ったが、兄として、何とかアイリーンの恋を成就させてやりたいという気持ちがウィリアムの中にはあった。
「この前もお話ししましたが、彼は一等航海士をしておりましてね、名前をカルヴァドス・カスケイドスと言いました」
「ですが、それは本当の名前ではありませんよね?」
ウィリアムは食い下がるように尋ねた。
「こうして陸を離れ海で暮らす者達の殆どが、それぞれ生まれや、生い立ちなど、色々な過去を背負っております。それに、すねに傷のある元犯罪者も少なくはありません。陸では白い目で見られ働けぬ者達が、名前や過去を偽り、命を懸けて働いているのです。ですから、例えそれが偽名であっても、本名を問いただしたり、過去を詮索する者はおりません」
ドクターは静かな声で説明した。
「そうですか。本当の名前さえわかれば、何とか妹を嫁がせられるようにしてやりたいと思っていたのですが。妹も本当の名前を知らないと言うので、もしやドクターならばと思って伺いました」
一旦言葉を切ってから、ウィリアムはずっと抱いていた疑問を口にした。
「妹は、そのカルヴァドスという男をとても愛していますが、彼が妹に本名を名乗らなかったのは、もしかして、その彼にとって、やはり妹は、ただの遊び相手にすぎなかったということではないでしょうか? もしくは、港ごとにいる女性の一人のような」
遊び相手と言っても、アイリーンは口付けしか許していない。それでも、男ばかりの船の上ならば、口付け出来る相手がいるだけでも十分不満を満たせるかも知れない。それを思うと、ウィリアムは誰に問えば良いのかわからない問いをずっと抱え、そして今、それをドクターの前でさらけ出した。
「それは誤解です。私が存じておりますのは、彼が父親と喧嘩をして家出をしていたことだけですが。この前もお話ししました通り、妹御と正式に結婚するためには父親の許可が必要だと言っておりました。そのために彼は船を降り、カルヴァドス・カスケイドスという名を捨て、父と和解した上で、妹御に正式に結婚を申し込むと言って船を降りたのです」
ドクターのしずかな言葉に、ウィリアムは安堵と共に、アイリーンも本名を相手に告げていないだろう事に思い至った。
「ご心配なさらずとも、きっと海の女神のご加護が二人を導き、幸せにして下さるでしょう。この船の船首にある海の女神像の前で、妹御はよく祈りを捧げていらした。そしてカルヴァドスも。そんな二人を女神が引き離すとは思えませぬ故、妹御の心配よりも、ゆっくり心と体をおやすめ下さい」
ドクターは言うと、ウィリアムの布団を直してくれた。
「ありがとうございます」
ウィリアムは礼を言うと、ドクターの指示に従い目を閉じて休みについた。
そんなウィリアムの姿を見ながら、ドクターは心の中でカルヴァン皇太子の事を思った。
(・・・・・・・・姫の恋人が、どこの誰か分からないのではなく、エクソシアの皇太子カルヴァンだと分かれば、どれほどウィリアム殿下の心も安まるだろうか。しかし、カルヴァン殿下より、決して素性を明かしてはならないと命じられている以上、お話しするわけにはいかない。二人とも、どれほど辛い思いをされていらっしゃるだろうか・・・・・・・・)
考えると、つい真実を告げてしまいたくなるドクターは、グッと唇を引き結び、カルテの整理を続けた。
☆☆☆
やっと激しい船の揺れに慣れ、船酔いから解放されたウィリアムは、甲斐甲斐しく世話をやくカトリーヌを部屋に戻らせてからドクターに問いかけた。
「どこか痛まれますかな?」
ドクターはニコニコとした笑顔でウィリアムに歩み寄ってきた。
「ドクターは、妹が恋していた相手のことを実はもっとご存じではないのですか?」
アイリーンに、もうこれ以上は何も言わないとは言ったが、兄として、何とかアイリーンの恋を成就させてやりたいという気持ちがウィリアムの中にはあった。
「この前もお話ししましたが、彼は一等航海士をしておりましてね、名前をカルヴァドス・カスケイドスと言いました」
「ですが、それは本当の名前ではありませんよね?」
ウィリアムは食い下がるように尋ねた。
「こうして陸を離れ海で暮らす者達の殆どが、それぞれ生まれや、生い立ちなど、色々な過去を背負っております。それに、すねに傷のある元犯罪者も少なくはありません。陸では白い目で見られ働けぬ者達が、名前や過去を偽り、命を懸けて働いているのです。ですから、例えそれが偽名であっても、本名を問いただしたり、過去を詮索する者はおりません」
ドクターは静かな声で説明した。
「そうですか。本当の名前さえわかれば、何とか妹を嫁がせられるようにしてやりたいと思っていたのですが。妹も本当の名前を知らないと言うので、もしやドクターならばと思って伺いました」
一旦言葉を切ってから、ウィリアムはずっと抱いていた疑問を口にした。
「妹は、そのカルヴァドスという男をとても愛していますが、彼が妹に本名を名乗らなかったのは、もしかして、その彼にとって、やはり妹は、ただの遊び相手にすぎなかったということではないでしょうか? もしくは、港ごとにいる女性の一人のような」
遊び相手と言っても、アイリーンは口付けしか許していない。それでも、男ばかりの船の上ならば、口付け出来る相手がいるだけでも十分不満を満たせるかも知れない。それを思うと、ウィリアムは誰に問えば良いのかわからない問いをずっと抱え、そして今、それをドクターの前でさらけ出した。
「それは誤解です。私が存じておりますのは、彼が父親と喧嘩をして家出をしていたことだけですが。この前もお話ししました通り、妹御と正式に結婚するためには父親の許可が必要だと言っておりました。そのために彼は船を降り、カルヴァドス・カスケイドスという名を捨て、父と和解した上で、妹御に正式に結婚を申し込むと言って船を降りたのです」
ドクターのしずかな言葉に、ウィリアムは安堵と共に、アイリーンも本名を相手に告げていないだろう事に思い至った。
「ご心配なさらずとも、きっと海の女神のご加護が二人を導き、幸せにして下さるでしょう。この船の船首にある海の女神像の前で、妹御はよく祈りを捧げていらした。そしてカルヴァドスも。そんな二人を女神が引き離すとは思えませぬ故、妹御の心配よりも、ゆっくり心と体をおやすめ下さい」
ドクターは言うと、ウィリアムの布団を直してくれた。
「ありがとうございます」
ウィリアムは礼を言うと、ドクターの指示に従い目を閉じて休みについた。
そんなウィリアムの姿を見ながら、ドクターは心の中でカルヴァン皇太子の事を思った。
(・・・・・・・・姫の恋人が、どこの誰か分からないのではなく、エクソシアの皇太子カルヴァンだと分かれば、どれほどウィリアム殿下の心も安まるだろうか。しかし、カルヴァン殿下より、決して素性を明かしてはならないと命じられている以上、お話しするわけにはいかない。二人とも、どれほど辛い思いをされていらっしゃるだろうか・・・・・・・・)
考えると、つい真実を告げてしまいたくなるドクターは、グッと唇を引き結び、カルテの整理を続けた。
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