お転婆姫は命がけ。兄を訪ねて三千里!

 元々、音楽院に嫡男は来ない。それ故、人気のあったウィリアムには、はしたなくも女子学生の方から是非夫にと、親に紹介したいとアプローチをかけ続けていた。しかし、ウィリアムはそんな女子学生たちには目もくれず、働きながら必死に早朝に練習し、夜は仕事に行くギリギリまで学院で練習していたカトリーヌにペアーを組まないかと誘いをかけた。
 当然のことながら、貴族の娘たちは色めき立って、カトリーヌをこき下ろし、単に定食屋で働いているだけなのに、いかがわしい店で働いているとか、色仕掛けでウィリアムを誘惑した等々、聞くに耐えない噂が流れたが、廊下で声高に話す女学生達に『そういう、自分の目で見て確かめたわけでもない、人から聞いただけのことをまことしやかに話すとは、生まれと親の躾の程が目に見えるようですね』と、ウィリアムが一言言うと、学生たちは水を打ったように静かになった。さらに『人を誹謗中傷した際には、謝罪するというのが私の国の常識ですが、タリアレーナでは、謝罪は必要ないのですか?』とウィリアムは続けた。それはまさに、一刀両断するような鋭く反駁すら許さない響きを持っていた。その後、不本意ながら、ウィリアムに非常識な娘だと思われたくない女子たちはカトリーヌに形ばかりの謝罪してくれた。
 カトリーヌには、ウィリアムがなぜ自分をペアーの相手に選んでくれたのかは未だにわからない。でも、窮状を知って親身に話を聞いてくれたウィリアムは『お金という物は、使うべき時に使うためにあるのだよ』と、惜しげもなく父の借金を返済し、一度は手放したビオラも買い戻してくれた。
 どれほど親しくしても、遠いエイゼンシュタインの伯爵家の子息だと思うと、カトリーヌには遠すぎて、何も望むことは出来なかった。
 しかし、あの晩、突然、軍人達に襲われ、多勢に無勢なのに、ウィリアムはビオラをカトリーヌに渡し、独りで戦いながら、カトリーヌを逃がそうとまでしてくれた。軍人の一人から奪った剣で、襲いかかる軍人たちを薙ぎ払い、やっと終わったと思った所へ、いきなり倒れていた一人がカトリーヌに襲いかかり、ウィリアムは身を持ってカトリーヌを守ってくれた。
 振り返りざまに、相手を倒したとは言え、血塗れのウィリアムは立っているのもやっとなほど疲弊していて、通り掛かりの辻馬車を拾って逃げたが、とても侯爵邸まで行かれそうには思えなかったのでカトリーヌはウィリアムを時分の部屋に運んで潜りの闇医者に頼んで治療をして貰った。
 そして、冷え切ったウィリアムの体を温めるため、カトリーヌは決死の思いで服を脱ぎ、その体でウィリアムのことを温めた。
 数日、意識が朦朧としていたウィリアムは気付かなかったが、カトリーヌは毎晩時分の体でウィリアムを温め続けた。
 やがて、意識が戻ったウィリアムは驚きカトリーヌに服を着るようにと言ったが、暖房のない部屋で暖をとるためにカトリーヌはその身を捧げつづけた。
 そして、ある雪の降る晩、ウィリアムとカトリーヌは一線を越えた。寒さをしのぐためという理由だったことはカトリーヌも了承している。でも、それ以降、ウィリアムはカトリーヌを抱こうとはしないが、カトリーヌの中ではウィリアムへの想いが募って行くばかりだった。
 ウィリアムが国に帰ると言うことは、カトリーヌとは永遠の別れと言うことになる。もともと、貴族の子息であるウィリアムと平民のカトリーヌの間に未来などないことは分かっていた。それでも、同じ国に居れば、たまに逢うことも叶うが、エイゼンシュタインでは今生の別れというのが正しいだろう。苦しい胸の内を知られたくなくて、カトリーヌは食器を片付けると部屋の外へ出ることにした。