お転婆姫は命がけ。兄を訪ねて三千里!

 手近な枝に飛びつき、反動を利用して枝の上へと登ると、カルヴァドスは更にもう一段上の枝へと登り、手を伸ばすように窓の方へと延びている太い枝の先端近くへと進んだ。
 屋敷はまだ明るく、使用人も家人も休んでいないようだったが、アイリーンの部屋の灯りは既に落とされていたので、カルヴァドスは、ポケットに忍ばせていた小石をそっと窓に投げた。コツンとも、ゴツンともいえる、小さく軽い音がした。
 二つ、三つと続けて投げると、中からカーテンが開き、見慣れた寝巻き姿のアイリーンが月明かりに照らされ、ガラス越しに見ることができた。

 木の上にカルヴァドスの姿を見つけると、アイリーンは驚きで目を見開いてカルヴァドスの事を見つめた。
 その瞳が『どうしてここに?』と物語っているのは、訊かずにもカルヴァドスにはわかった。
 カルヴァドスがもう一粒小石を投げると、アイリーンが音を立てないようにそっと窓を開けた。
「姫さん」
 カルヴァドスは愛しい想いを込めてアイリーンを呼ぶが、アイリーンは叔母と叔父の存在だけでなく、多くの使用人がいるこの屋敷で、カルヴァドスがアイリーンの部屋を訪ねるところを見られては一大事と、心ここにあらずだった。
「いったい、ここで何を? どうしてここにいらっしゃるのです?」
「もう一度、姫さんの元気な顔を見たかっただけだから直ぐに帰る。だから、心配しないでくれ」
 カルヴァドスの名前を呼んだら涙がでてしまいそうで、アイリーンは言葉を飲み込んだ。
「姫さん。これだけは忘れないでくれ。俺は、誰よりも姫さんを愛してる」
 アイリーンはギュッと拳を握りしめた。
「明後日には出航して、一月程で戻ってくるから、最後に、もう一度逢ってくれれば、それで良いから」
 口を開いたら、言ってはいけない『いかないで』という言葉が口をついて出てしまいそうで、声を出すことのできないアイリーンは無言で頷いた。
「姫さん、心から愛してる」
 カルヴァドスは言うと、アイリーンに背を向けて木を下りていった。
 どれほど激しく船が揺れても、まるで猛獣使いのように身軽に船の上を自由に歩いていたカルヴァドスだから、この程度の鈴懸の木に登ることなど、マストを上るのよりも簡単なことだったのかもしれない。
 れでも、カルヴァドスが木から降りるまで見届けると、一瞬振り返った瞳と瞳が合わさり、アイリーンは頬が、胸が熱くなるのを感じた。
 アイリーンは心の中でカルヴァドスの無事を祈りながら、窓を閉めるとカーテンを締め直した。
『愛してる』
 カルヴァドスの言葉がアイリーンの脳裏に蘇った。

(・・・・・・・・きっと、カルヴァドスさんよりも愛せる人になんて、もう出逢えない。でも、私はデロスの王女。ダリウス王子に嫁ぐことは、カルヴァドスさんに出逢う前から決まっていたこと・・・・・・・・)

 アイリーンは、涙を堪えられず、ベッドに戻ると、一人枕を濡らした。

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