晴れ渡る空の下、カタリ港に入港した大海の北斗七星号は碇を降ろし、無事に繋留用のロープで大地と結ばれると、左舷側に作り付けられた階段が使用できるようになった。
 まとめた荷物を持って一等航海士の部屋から出てきたアイリーンの姿に、クルー達が甲板に集まってきた。
 カルヴァドスから、デロスを出たアイリーンはタリアレーナで暫く滞在すると聞いてはいるものの、恋人同士が離ればなれになることに、皆はある意味興味津々で、カルヴァドスが船を降りるのではないかという憶測まで流れる始末だった。
「姫さん、降りないでくれよ」
「姫さん、もっと一緒に旅をしようぜ!」
「姫さん、まだ、アルファベット習い終わってないし」
 口々にアイリーンの引き留めをするクルーを止めるため、カルヴァドスがアンドレとオスカーを伴ってやってきた。
「船長に休みを貰ったから、送っていくよ」
 カルヴァドスは言うと、アイリーンを囲んでいるクルー達を追い払った。
 中には、一緒に行くと聞かない者も少なく無かったが、カルヴァドスが『邪魔なんだよ!』と一と声かけると、皆諦めて渋々甲板から去っていった。
「姫さん、忘れ物はないか?」
 カルヴァドスに問われ、アイリーンは笑顔で頷いた。
「大丈夫です。金庫の中も三回見直しましたし、タンスの中も三回見直ししまた」
「そっか、忘れもんがあったら、届けに行くのを口実に、姫さんに逢いに行こうと思ったんだけどな。そんなにしっかり見たんじゃ無理か・・・・・・」
 本当なのか、冗談なのかわからないカルヴァドスの言葉に、アイリーンは『ご迷惑は書けられませんから』と笑って見せた。
「ちょっとくらいのは、迷惑って言わないんだよ」
 今にも、アイリーンを抱きしめそうなカルヴァドスの腕が空を泳ぎ、そっと体の脇に下ろされた。
「そうですよ。姫さんの忘れ物なら、オレ、直ぐにお届けしますから」
 オスカーが言うと、カルヴァドスが拳固をお見舞いした。
「馬鹿、何でお前が行くんだよ。俺が行くって言ってんだろうに!」
「すいませんアニキ、姫さんには、お世話になったんで、恩返しがしたくて・・・・・・」
 オスカーが気まずそうに頭を掻いた。
「いいか、一歩船を降りたら、俺達は全員姫さんの従僕だ。ああ、オスカーお前はフットマンな」
 言われたオスカーがキョトンとした顔をする。
「アニキ、フットマンって、何すりゃあいいんですか?」
「ああ、荷物持ちだ、荷物持ち!」
 カルヴァドスの言葉にオスカーが目を見開いた。
「いくら何でも、このなりで、従僕は無理がありやすぜ」
 アンドレが破れたシャツを引っ張って整えながら言った。
「仕方ないだろ、姫さんを送る時のための洋服をエクソシアで用意するの忘れちまったんだから。どっか、もう一ヶ所碇泊すれば、お前等にもまともな服の一着くらい買ってやったんだが、急ぎだったからな。どうせ、俺もこんな格好だし。とにかく、敗れてないのに着替えてこい。あとは、笑ってごまかすしかないだろう」
 カルヴァドスはおどけて言ったが、アイリーンはカルヴァドスがちゃんとした装いを持っていることを知っていた。しかし、公爵家の人間としてではなく、自由気ままな一船乗りとして暮らすために、その事をクルーには内緒にしている事も知っていたので、アイリーンは服装に関しては何も言わずに微笑んだ。
「じゃあ、こういうのはどうかしら? アンドレさんは、従者、オスカーがフットマンで、カルヴァドスさんが第二執事ってことで」
「ん? まあ、それはありだな。よし、それで行こう。さっすが姫さん、頭良いな」
 カルヴァドスは、もう気安くアイリーンに触れることはなかった。
「よし、オスカー荷物持て」
「アイアイサー!」
 一番年下で、下っ端のオスカーが荷物を持つのは当然で、オスカーはアイリーンの手から荷物を受け取ると、最後尾に並んだ。
「姫さん、目的地は?」
「シュナイダー侯爵邸です」
 アイリーンが答えると、カルヴァドスはなるほどといった様子で答えた。
「侯爵はタウンハウスを閉めて、街のはずれの丘の上に屋敷を構えられたからな。侯爵邸はカタリの中心部からちょっと外れてるから、頑張れば歩いても行かれるが、馬車にするか?」
 本当なら、一時でも長くカルヴァドスと一緒にいたいと思うアイリーンだったが、兄のウィリアムが今も助けを待っているかもしれないと思うと、のんびり歩いていく気にはなれなかった。
「では、馬車で」
「了解! おい、アンドレ、馬車をつかまえろ」
「かしこまりました」
 アンドレは言うと、人通りの多い太い道の方へと向かい、直ぐに馬車を先導して戻ってきた。
 御者とオスカーがアイリーンの荷物を屋根の上に載せ、アンドレは御者の隣に、オスカーは馬車の後ろの使用人が立って乗れるようになっている横木の上に立って掴まり、カルヴァドスだけが馬車の中に乗り込んだ。