「そうなれば、私は姫様にお供することになります。私には、拒否権はありません」
「ちょっと待ってくれ、エクシソシアは皇帝の妻にと話を持って行ってるのか? 皇太子や後嗣の夫人ではなく? 皇帝の? 皇帝の妃の一人にと?」
カルヴァドスの問いに、アイリーンは頷いた。
「はい。姫様からは、その様に窺っております。陛下も、流石に、ご自分とお歳の変わらない皇帝陛下に姫様を嫁がせるのは忍びないと、皇帝陛下の後宮には既に多くの妃がいらっしゃることを理由に、お話をお断りしていらっしゃったときいております」
(・・・・・・・・なんてことだ! えらくエクシソシアの動きが早いと思ったら、まさか、アイリーンを皇帝の妃に迎える好機と思って動いているのか? 冗談じゃない。アイリーンは、まだ何も知らない純潔で、両手に余るほど妻を後宮に侍らせ、更に気に入った娘がいれば直ぐに手を出すような皇帝に嫁がせるなんて、絶対にダメだ! それじゃあ、アイリーンが幸せになれないじゃないか・・・・・・・・)
カルヴァドスは怒りでギュッと拳を握りしめた。
「どんな形であれ、国を守っていただいたのなら、姫様には異議を唱えることは出来ません。ですから、きっと、私も姫様と一緒に皇帝陛下の後宮にお供することになると思います」
後宮にお供するというと聞こえは言い。姫の侍女として仕えるためと言うのは建前で、後宮に入れば、侍女だろうが、その主であろうが、どちらも皇帝の妻になったも同じだ。
外界から切り離された後宮という小さな世界で、ただ一人の皇帝が訪れるか、指名されて夜伽を命じられる、その順番を待つ事になるのは主も侍女も同じだ。
主と性格が合わない皇帝が、嫌がらせのように侍女を夜伽に頻繁に指名することで侍女が懐妊し、主との主従関係が切れることも後宮ではよくある話だった。
しかし、エクシソシアの後宮の決まりで、罪を犯さない限り、一度後宮に入った女性は後宮をでることは出来ないし、家族も後宮迄面会にくれば逢うことは叶うが、実家へ帰ることは許されない。つまり、アイリーンの場合、デロスの国王や王太子が政を投げ出してアイリーンに面会にくることは不可能で、輿入れすれば、愛する家族との永遠の別れになる。そして、皇帝の後宮に入れられてしまえば、カルヴァドスですらアイリーンと二度と逢うことは叶わなくなる。
何しろ、エクソシアの皇帝は代々嫉妬深く、自分の後宮に忍び込んだという罪で、息子ですら処刑するのが慣例だった。唯一の例外は、後嗣として国内外にお披露目されている場合で、それでも鞭打ちや磔刑にされる可能性はある。
「ちょっと待ってくれ、エクシソシアは皇帝の妻にと話を持って行ってるのか? 皇太子や後嗣の夫人ではなく? 皇帝の? 皇帝の妃の一人にと?」
カルヴァドスの問いに、アイリーンは頷いた。
「はい。姫様からは、その様に窺っております。陛下も、流石に、ご自分とお歳の変わらない皇帝陛下に姫様を嫁がせるのは忍びないと、皇帝陛下の後宮には既に多くの妃がいらっしゃることを理由に、お話をお断りしていらっしゃったときいております」
(・・・・・・・・なんてことだ! えらくエクシソシアの動きが早いと思ったら、まさか、アイリーンを皇帝の妃に迎える好機と思って動いているのか? 冗談じゃない。アイリーンは、まだ何も知らない純潔で、両手に余るほど妻を後宮に侍らせ、更に気に入った娘がいれば直ぐに手を出すような皇帝に嫁がせるなんて、絶対にダメだ! それじゃあ、アイリーンが幸せになれないじゃないか・・・・・・・・)
カルヴァドスは怒りでギュッと拳を握りしめた。
「どんな形であれ、国を守っていただいたのなら、姫様には異議を唱えることは出来ません。ですから、きっと、私も姫様と一緒に皇帝陛下の後宮にお供することになると思います」
後宮にお供するというと聞こえは言い。姫の侍女として仕えるためと言うのは建前で、後宮に入れば、侍女だろうが、その主であろうが、どちらも皇帝の妻になったも同じだ。
外界から切り離された後宮という小さな世界で、ただ一人の皇帝が訪れるか、指名されて夜伽を命じられる、その順番を待つ事になるのは主も侍女も同じだ。
主と性格が合わない皇帝が、嫌がらせのように侍女を夜伽に頻繁に指名することで侍女が懐妊し、主との主従関係が切れることも後宮ではよくある話だった。
しかし、エクシソシアの後宮の決まりで、罪を犯さない限り、一度後宮に入った女性は後宮をでることは出来ないし、家族も後宮迄面会にくれば逢うことは叶うが、実家へ帰ることは許されない。つまり、アイリーンの場合、デロスの国王や王太子が政を投げ出してアイリーンに面会にくることは不可能で、輿入れすれば、愛する家族との永遠の別れになる。そして、皇帝の後宮に入れられてしまえば、カルヴァドスですらアイリーンと二度と逢うことは叶わなくなる。
何しろ、エクソシアの皇帝は代々嫉妬深く、自分の後宮に忍び込んだという罪で、息子ですら処刑するのが慣例だった。唯一の例外は、後嗣として国内外にお披露目されている場合で、それでも鞭打ちや磔刑にされる可能性はある。



