お転婆姫は命がけ。兄を訪ねて三千里!

 エクソシアの国境に近い港に入港した大海の北斗七星号は、エクソシア皇帝御用達のクーリエ便でもあることから、港町に近い、補給に便利な場所に係留された。
 入港前からアイリーンの存在に関してはカルヴァドスが船長に頼み箝口令を敷いていたので、裏切る者はいないと信じてはいたが、カルヴァドスは甲板に出て港を走り回る若いクルー達の姿と港をウロウロする目障りな港湾警備隊の制服連中を遠目に監視した。
 パレマキリアの港なのだから、パレマキリアの兵士がウロウロするのは当たり前で、誰にはばかる必要もないことなのだが、アイリーンが乗っていると思うと、いつ連中が牙を剥いてアイリーンを引き渡せと言ってくるのではと、カルヴァドスは不安をぬぐい去ることが出来なかった。
 カルヴァドスをそれ程不安にさせる原因は、やはりアイリーンの度を超した怯え方のせいだった。
 入港の声を聞いて以来、蒼褪めたアイリーンは部屋の一番奥にあるベッドに座り、壁に寄りかかるようにして身を潜めていた。
 カルヴァドスとしては、隣に座ってアイリーンを抱きしめ、その耳元で『何も心配する必要はない』と囁いて安心させてやりたい所だったが、万が一にも、お調子者の誰かがアイリーンの事を口にしたりしないかを監視するべく、カルヴァドスは船縁に腰を下ろしてクルーの動きを監視していた。
 アンドレは入港直後から情報収集のために港町に姿を消していたし、ドクターは不足している薬の買い出しに降りたきりだった。


「あ、あの、アニキ・・・・・・」
 若いクルーの声が聞こえ、視線を向けると、困ったような若いクルーの隣に馴染みの女が立っていた。

(・・・・・・・・ああ、そうか。この港には、フランチェスカが居たんだっけか・・・・・・・・)

 いつもなら、必ず最低一泊はし、デロスの姫巫女と出会う機会に恵まれなかったうっぷんを晴らすために浴びるほど酒を飲み、最後はフランチェスカと情熱的な夜を過ごすのがお約束だったから、補給のためだけの入港で、完了次第、出航すると聞いたフランチェスカが、まだ陽も高いのに港まで繰り出して来たようだった。
 商売柄、フランチェスカのような女性の朝は遅い。夜遅くまで飲んで酩酊状態の客を部屋へと引きずり込み、うまくすれば奉仕もせずに金だけせしめ、いかにも昨夜は熱い情交を交わしましたとばかりに憂いのある表情を見せ『また次に船が港に寄った時は会いに来てね』と陽が高くなる前に客を送り出し、元締めに取り分を収めて自分の部屋に帰って休む。起きるのは午後も遅くなってからというのがお決まりだ。
 そんなフランチェスカが、こんな時間から港へ繰り出してくるのは珍しい。
 多分、パレマキリアがデロスに侵攻している関係でパレマキリアの港が敬遠され、みな補給だけで停泊時間が短いため、酒場も酒場の女たちも客にあぶれてしまっているのだろう。

「アニキ! 降りてきてくださいよ~」
 若いクルーが情けない声を出しているのは、フランチェスカの妹分に恋をしているからだ。
 多分、仕事をさぼって顔を見に行ったところフランチェスカに見とがめられ、大海の北斗七星号も補給だけですぐに出港することを聞き出したのだろう。
 仲良く同伴しているというよりも、フランチェスカにガッチリと腕をつかまれて引きずられるような姿に、カルヴァドスはため息をついた。

(・・・・・・・・なんだ、脅されてんのか? まあ、アイツじゃ、フランチェスカ相手に勝ち目はないか・・・・・・・・)

 カルヴァドスは考えると、一度、自分の部屋に顔を出した。


 ドアーが開く音に、恐怖を感じたのだと分かるくらい、アイリーンは震えていた。
「姫さん、ちょっと野暮用が出来ちまったんで、少し船を降りる。でも、すぐに戻ってくるから・・・・・・」
 ドアー口で言って済ませるつもりだったカルヴァドスは、たまらなくなってアイリーンのそばへ歩み寄った。
「なあ、姫さん。大丈夫だって。姫さんがここにいるなんて、婚約者にはわかりゃしねぇって」
 しっかりと抱きしめると、アイリーンの震えが少しおさまった。
「なあ、本当は、その婚約者に何か酷い事をされたんじゃないのか? キス以外にも?」
 心配げに問いかけるカルヴァドスの言葉に、慌てたようにアイリーンが頭を横に振った。
「な、何も。なにもされてません。まだ、何も・・・・・・」
「じゃあ、何でそんなに怖がるんだ? いくら身分の高いお貴族様とはいえ、ただの貴族のボンボンに出来る事なんて限りがある。そうだろ?」
 婚約者は貴族の子息ではなくダリウス王子なのだと、アイリーンが本当のことを話してくれないものかと、カルヴァドスは考えながらアイリーンの額にキスを落とした。
「もしかして、この港のある所領の領主の息子だったりするのか?」
 本当の事を話そうとはしないアイリーンに、カルヴァドスは諦めて質問を変えた。
 カルヴァドスの思いを知らないアイリーンは、救われたようにコクリと頷いた。
「そうか。じゃあ、違う港にすれば良かったな。でも、デロス寄りの港は軍港を兼ねてているから、余計に姫さんが不安だろうと思ってエクソシア寄りにしたんだが、逆効果だったな」
 カルヴァドスの言葉に、アイリーンは申し訳なさそうに頭を横に振った。
「どこも同じです。顔の広い家柄なので。私がデロスを出たと知ったら、直ぐにどの港にも連絡が行くはずです」
 アイリーンは申し訳なくて、考えうる限りの言い訳をした。
「そうか。とにかく、部屋でじっとしてれば安全だから」
 カルヴァドスは、もう一度アイリーンの額にキスを落とした。
「すぐに戻ってくる」
 名残惜しそうにアイリーンを放すと、カルヴァドスは部屋を後にした。


 部屋を後にし、面倒臭そうに港へと続く階段を降りるカルヴァドスの姿にフランチェスカがつむじを曲げた。

(・・・・・・・・何よ、あの態度! しばらくご無沙汰だった後は、いつも豪華なプレゼントを持って、店で大盤振る舞いして私の面子を保ってくれたのに、何よあの態度!・・・・・・・・)

 フランチェスカは悔しそうに唇を噛み締めた。

(・・・・・・・・しばらくぶりだから、今回は最低でもドレスとアクセサリーはプレゼントして貰おうと思っていたのに! 何よ、まさか他の女にたらし込まれたの? 冗談じゃないわ、私の大切な金づるなんだから・・・・・・・・)

 しかし、フランチェスカもプロだ。カルヴァドスが階段を降り終わる前には極上の笑みを浮かべて優雅に手を振って見せた。
 そんなフランチェスカの、ほんのりと赤みを帯びたブロンドをカルヴァドスは眉をひそめて見つめた。

(・・・・・・・・やっぱ、ブロンドだなフランチェスカのは。あれでも、前はストロベリーっぽく見えたんだけどな。安酒のせいか? いや、やっぱり、本物を見た後じゃ偽物は偽物ってことだな。フランチェスカも、蓮っ葉なところと、高飛車で高慢ちきなところがなければ、それなりに可愛いんだけどな・・・・・・・・)

 考えながらカルヴァドスは、呆れたように笑みをもらした。
 言葉は悪いが、所詮、安酒場に群れる女性たちは長い航海で女性断ちしていた船乗りたちにとっては、溜まりに溜まった欲求をはらすための受け皿のような存在だ。
 酒に酔って愛を囁くことはあっても、どちらも本気であることは殆どない。それでも、自分の好きな女性の面影を求めたり、妻ではかなえられない欲望を満たすために港に寄れば女性と一夜を過ごすのは男の悲しい性と言うべきだろう。
 かく言うカルヴァドスでさえ、遠くからしか見つめることのできない姫巫女を想い、その面影を求めて、この港に寄るとフランチェスカを指名していたのだ。
 しかし、今となっては、フランチェスカのどこが気に入って毎度ねだられるままに貢いで居たのか、全く思い出せない自分がいた。

(・・・・・・・・ベッドの中でも大袈裟で、明らかに演技だったからなぁ。まあ、欲求不満は解消できたわけだし、そこそこは楽しめたわけだが、今から思えば払った金の分楽しめたかって言うと、そうでもない気がするな・・・・・・・・)

 長い航海の間、男ばかりの生活をして陸に上がると、欲求は抑えがたくなり皆向かう先は同じ。それぞれの懐具合に合った店に散らばっていく。余程の者でない限り、陸に上がった晩は馴染みか、初めてかは別にして、女性と夜を共にする事はおきまりで、目覚めるのは午後になってから、酒と女をタップリ楽しんで、疲れ果て、目覚めるまで寝続ける。
 この間までは、カルヴァドスもご多分に漏れず、その一人だった。しかし、アイリーンの想いを知ってしまった今、欲しいのはアイリーンだけだ。何を犠牲にしても、どんなリスクを犯したとしても、絶対に手に入れたいと思わずには居られなかった。
 手を振るフランチェスカの姿が、お金を沢山落としていけという、店主の願いを込めて店に飾られている『千客万来』とか言う猫の置物の『金を出せ』と言わんばかりのポーズに見えた。

 カルヴァドスが降りてくると、若いクルーはチャンスとばかりに走って逃げ去っていった。
「よお、フランチェスカ。こんな朝早くからどうした?」
 カルヴァドスは何事もなかったかのように問いかけたが、フランチェスカにしてみれば『昨夜は客を捕まえ損ねたのか?』と言われたのも同じだった。
「どういうこと! 今度はゆっくりするって約束したじゃない」
 フランチェスカは当然の要求とばかりにカルヴァドスに迫りよった。
 カルヴァドスはトラウザーのポケットに指をひっかけたまま、フランチェスカを抱きしめるでもなく、フランチェスカが胸に飛び込む隙を作らないように、慎重に肘で船名の上に掲げられた御用達の印を示した。
「見たら分かるだろ。うちの船はクーリエ扱ってんだ。急いでエクソシアに届けないといけない郵便物を預かったら、乗組員の都合なんてお構いなしだ。分かるだろ?」
「でも、顔くらい見せてくれたって良いじゃない!」
 普通なら、まだ客が居座っていてもおかしくない時間だし、客からお金を貰ったら必ず元締めに取り分を支払いに行くのが港の決まりだ。それをしなければ、お金を持ち逃げしたと疑われ、見せしめとばかりに、殴るけるの暴行を受ける可能性もある。そんな時間だから、フランチェスカがめかし込んで港まで乗り込んでくるとは、流石にカルヴァドスも考えていなかったし、そこまで必死になる理由は、多分、デロスに侵攻しているパレマキリアを六ヶ国同盟船籍の船が回避しているからだった。

「こんな早くから、客は大丈夫なのか?」
 カルヴァドスは不躾だと分かっていたが問いかけた。
「客なんて、とんとこないわよ! 王太子がデロスの姫にメロメロで、戦争なんかおっぱじめるから、どこの船も素通りか補給だけよ! あんな粗野な姫のどこが良いんだか。狼と犬と暮らしてる変人だって噂じゃない」
 フランチェスカは忌々しげに言い捨てた。
「何だと?」
 思わずカルヴァドスの声に怒りが籠もった。
「あんな、ちっこい島、タラタラしないでとっとと占領しちまえばいいのに。それを延々と! 戦争始める度に、こっちは商売上がったりなのよ!」
 本当なら、何とかカルヴァドスを口説き落として一泊させようと思っていたフランチェスカも、クーリエ便だと言われてしまうと、カルヴァドスの一存で滞在時間が変わるはずがないとあきらめるしかなく、そうなれば、閑古鳥が鳴いている港の酒場の鬱憤を晴らすために元凶ともいえるデロスとアイリーンを扱き下ろすことしか思いつかなかった。

「ねぇ。今度は、今度は、ゆっくり立ち寄ってくれるんでしょ?」
 再びフランチェスカが営業モードに戻ったが、既にカルヴァドスの怒りは頂点に達していた。
「フランチェスカ、来てくれてちょうど良かった。お前とは終わりだ!」
 カルヴァドスの言葉の意味が分からず、フランチェスカは言葉を飲み込んだ。
「今まで、つき合わせて悪かったな」
 なぜカルヴァドスの怒りを買ったのか分からないフランチェスカは、慌ててカルヴァドスにすがりつこうとしたが、カルヴァドスはポケットから金貨を取り出すと追いすがるフランチェスカの足を止めるため、足元に金貨をバラバラとまき散らした。
「えっ? 待って、カルヴァドス!」
 明らかに戸惑ったフランチェスカの声が響いた。
「手切れ金だ。そんだけありゃ、ドレスも買えるし、当分困りはしないだろ?」
 カルヴァドスは言うとフランチェスカに背を向けた。
「えっ? 待ってよ。どういうこと?」
 乗客を逃したくないフランチェスカは、聞こえないふりをして追いすがろうとした。
「聞こえなかったのか? お前とは終わりだ。この港に寄ることがあっても、お前とは二度と飲まない」
「まって、ねえ。ダーリン!」
 地面に跪き金貨を拾いながら呼び掛けるフランチェスカを無視して、カルヴァドスは船の階段を上り始めた。

(・・・・・・・・何なのよ! でも、金貨七枚だなんて、ずいぶん気前が良いじゃない。どうせ、長旅の後には、また女が恋しくなって顔を出すに決まってるんだから。そうしたら、今日恥をかかされた分まで、たんまり貢がせてやるわ・・・・・・・・)

 フランチェスカはハンドバッグに金貨をしまうと、カルヴァドスを追いかけることなく、船に背を向けて港を立ち去っていった。


 階段を上りきったカルヴァドスは、早足に立ち去るフランチェスカの背を一瞥すると、補給作業の進捗を確認してから自室に戻った。