「エステル、僕が君とずっと一緒にいたいとワガママを言ったから、家族と離れ離れにさせてしまった。本当にごめんね」
「フェリクス様、何を仰るのですか! 私はダンシェルドを出て両親とは遠く離れてしまいましたが、フェリクス様が私の家族なので、全く寂しくありませんよ」


 エステルは先ほどまで頬張(ほおば)っていたサンドイッチを食べるのを忘れてしまうくらい真剣な表情で、僕に向かって返事をする。
 力の入った両手につぶされそうになっているサンドイッチを僕が笑いながら指差すと、エステルは驚いた顔をして、もう一度サンドイッチを口にした。

 エステルはいつもこんな感じで、僕のために一生懸命になってくれる。僕もそんなエステルの気持ちに応えたい。絶対にエステルを幸せにするんだ。


 食事のあと、僕たちは広大な菜の花畑でかくれんぼをして遊んだ。

 腰くらいの高さまで伸びて、今を盛りと咲き誇る菜の花に隠れてしまったのか、ふと気付くとエステルの姿が見えなくなっていた。
 春のそよ風に吹かれる菜の花畑の中をかき分けながら、僕は必死にエステルの栗色の髪を探す。
 目の前に広がるのはいつもと何ら変わらない光景なのに、なぜだか僕の心の中には不安の波が押し寄せていた。

 そしてこの後、その不安が的中することになる。



 しばらくエステルを探したが、一向に見つからない。
 太陽の光の眩しさに目を細めて遠くの方を見ると、僕たちが乗ってきた馬をつないである方向で、騒いでいる従者たちが目に入った。


(なんだろう……みんな血相(けっそう)を変えて大騒ぎして……)


 彼らが何を話しているのか遠くて聞き取れなかったのだが、何らかの事件が起こったのだろうということは分かった。


(……エステルは大丈夫かな? 早く探さないと心配だ)


 不安な気持ちを抱えたまま、もう一度菜の花畑に視線を戻す。
 すると随分と遠くの方で、菜の花の間からひょこっとエステルが顔を出したのが見えた。

 エステルの無事な姿を確認してホッとしたのも束の間。
 エステルと共にダンシェルド王国からセイデリアに来ていた護衛騎士のイルバートが、突然エステルを横抱きにして僕たちとは反対側に向かって走り始める。


「イルバートどうした! どこへ行くんだ!」


 イルバートはとても焦った様子でエステルを近くの馬に乗せ、そのまま同じ馬にまたがった。突然のことに訳が分からないと言った表情のエステルが僕の方を見るが、イルバートはそんなことには構わずに馬を森の方向に走らせ始めた。


「……エステル!!!」


 僕の渾身(こんしん)の叫びも空しく、エステルをのせたイルバートの馬は、あっと言う間に森の奥深くに向かって消えて行ってしまった。



 後から聞いた話だが、どうやら僕たちが花畑で遊んでいる時、セイデリアとダンシェルドの国境付近で両国の兵士の小競(こぜ)り合いが起こったらしい。ダンシェルドの兵がちょっとしたケンカからセイデリアの兵に剣を向けてしまい、そこから両国の戦闘に発展。


『エステルをセイデリアの人質に取られる前にダンシェルドに連れ戻せ』

 そんな指示がイルバートの元に届いたと、イルバートの近くにいた従者が教えてくれた。

 この時まだ十四歳だった僕は、この突然の出来事に手も足も出なかった。

 いや、手も足もでなかったのは僕だけじゃない。
 平和ボケしたセイデリアの人たちは慌てふためくばかりで、目の前でエステルが連れ去られるのを指をくわえて見ていたんだ。

 僕はこうして、大切に想っていた婚約者のエステルをほんの一瞬の間に奪われてしまったのだった。