帰宅すると、玄関の隅に春音の白いスニーカーがきれいに揃えて置いてあった。やっぱりもう帰っていたのか。

しかし、家の中は真っ暗だ。春音は気を遣ってか、自分のいる場所以外の電気を点けない。リビングぐらい点けておいてもいいと思うんだが。

「春音、ただいま」

トントンとノックしてから春音の部屋のドアを開けた。
ここも真っ暗だ。

風呂か?

バスルームの前まで行くが真っ暗だ。
靴があるから家にはいるはずなんだがな……。

とりあえず寝室に行って、スーツを脱いだ。ワイシャツとスラックスだけの姿になると、再び春音を探した。

リビングからバルコニーを覗くと椅子に腰かけた小さな背中が見えた。
こんな所にいたのか。電気も点けないで。

疲れていそうだな。猫背になっているし。

レジ袋を持ってバルコニーに出ると、スパイシーな香辛料の匂いと、甘ったるいココナッツミルクの匂いを感じた。ビルの2階にカレー屋が入っているから、そこから出ているのだろう。

どこか異国情緒を思わせる匂いで嫌いじゃない。
頬に感じる生温い風も東南アジアのリゾート地にいる気にさせる。

気持ちのいい夜だ。

「もう、いやだ」

春音の独り言が聞こえた。

「何が嫌なんだ?」

声をかけると、春音が驚いたようにこっちを向いた。

「お、かえりなさい」
「ただいま」

バルコニーの電気をつけるとオレンジ色の灯りに照らされた春音のくたびれた顔が見えた。

今日の引っ越しで何かトラブルでもあったんだろうか。