この上なく辛く悲しい思いをしていても、自分のことなどおかまいなしに世の中が普通に動いていることに、苛立ちを覚えた。
 けれども、自分も当たり前に働かなければ、食べてはいけない。


 気付けば、三度目の冬を迎えていた。
 美容室の大きな鏡の前。白いカットクロスに包まれた麗子は、静かに椅子に座っていた。腰まで伸びた黒髪を梳かしながら、美容師がためらいがちに尋ねる。

「本当に切っちゃっていいんですか?」
「はい、お願いします」

 自分の中の何かを断ち切るように、麗子はきっぱりと答えた。はさみの刃が、肩のあたりで髪を断ち切る音が静かに響いた。

『麗子の髪すげぇ綺麗だよな』

 仁の手が、自分の髪を優しく撫でていた感覚がふいに蘇る。
 仁の優しい目が好きで、髪を撫でる大きな手が好きで、スポーツで鍛え上げられた大きな体で覆い被さるように抱き締められると、底知れぬ安心感を覚えた。
 しかし、三年という月日が、麗子からその感覚を少しずつ消し去ろうとしていた。

 美容室を出ると、ちらちらと雪が舞っていた。
 麗子は空を見上げて思う。

 ――積もるかなぁ。