朱花(しゅか)。輿の準備ができたかどうか、様子を見てきてくれる? 私も少し一人で、この梅華殿に最後の別れをしたいの」
「かしこまりました。また後程お迎えに参ります」

 侍女の朱花を行かせたあと、琳伽(りんか)は雨の降る内院に出た。
 木の幹に手を当て、緋色の梅を見上げる。

 二十歳の頃に皇帝から見初められ寵愛を受けたが、琳伽(りんか)は子を産まなかった。子がいる妃は、後宮から出ることは叶わない。

(私にもし前皇帝陛下の子がいれば、このまま後宮に残されて逞峻(ていしゅん)様の近くに居られたのだろうか)

 雨に濡れた梅の花にそっと触れながら、琳伽(りんか)逞峻(ていしゅん)の顔を思い浮かべた。琳伽(りんか)が二十六になったということは、逞峻(ていしゅん)は二十歳。
 この場所で梅の花を愛でた頃の逞峻(ていしゅん)は、琳伽(りんか)に梅の簪を贈った逞峻(ていしゅん)は、もういない。

「張徳妃様、準備が整いました」

 戻ってきた朱花が、琳伽(りんか)に向かって礼をする。琳伽(りんか)はもう一度梅を見上げ、それから朱花に向き直って笑顔を作った。

「朱花、ありがとう。参りましょう」

 琳伽(りんか)が一歩踏み出したその時、ふとそれまで降っていた雨が止まった。驚いた琳伽(りんか)は、そのまま空を見上げる。

 琳伽(りんか)の目に入ったのは空や雲ではなく、傘だった。