馬車に揺られながら、ビアンカは、遠ざかっていくカブリーニ家を見つめていた。

(今日から、新しい人生が始まるのね……)

 自分で決めたことだ、悔いはない。それでも脳裏に浮かんで仕方ないのは、ステファノの姿だった。彼の姿を見ることができたのは、社交界デビューしたからこそだ。デビューせず、王都へ行かないとなったら、もう彼には会えないと思っていいだろう。それだけが、唯一残念だった。

(あの素敵なお姿を思い出に、私は仕事を頑張ろう)

 デビュタントボールでのステファノの笑顔を思い浮かべて、ビアンカはそう心に決めたのだった。

 隣のボネッリ伯爵領には、あっという間に到着した。父・カブリーニ子爵の領地は、猫の額ほどの狭さなのだ。もっとも、このお隣も似たり寄ったりの狭さだった。連れて行かれたボネッリ伯爵の屋敷も、質素さがにじみ出ている。類は友を呼ぶといったところか、とビアンカは密かに思った。

 ボネッリ伯爵は、ビアンカ父娘をにこやかに出迎えてくれた。早速、伯爵自ら騎士団寮へ案内してくれるという。

「ビアンカ嬢にお願いしたいのは、料理番のお仕事です。料理は、お得意だそうですね?」

「はい! カブリーニの家では、昔から毎日作っておりましたから!」

 堂々と答えると、父は隣でやや焦った顔をした。一方伯爵は、満足そうに頷いている。

「それは助かります。実は、寮にはすでに寮母がいるのですよ。ただ、大分高齢でね。最近は腰痛がひどくて、買い出しが辛いと言い出していたのです。それで、食材の買い出し係を探していたのですが、料理も併せてやっていただけるなら、これほどありがたいことはない」

 掃除や洗濯などは、引き続きその寮母が行う、とボネッリ伯爵は説明した。

「エルマというのですが、穏やかな女性です。どうぞ、祖母のように甘えてあげてください」

 からからと笑うボネッリ伯爵につられて、ビアンカも微笑した。もう家へ戻ると言う父とは別れて、ビアンカは伯爵に連れられて、騎士団寮へと向かった。『穏やかな祖母のような存在』という言葉に、すっかり安堵しながら。