ステファノにクレープを提供し、今度作るとゴドフレードをなだめると、ビアンカは再び厨房にこもった。後片付け兼、明日の仕込みをするためである。するとそこへ、遠慮がちな男の声がした。

「ビアンカ嬢。今、よろしいですか?」

 振り返って、ビアンカは驚いた。王立騎士団の料理長・ジャンだったのだ。

「あなたに、お詫びを申し上げたくて参りました。先日は、大変申し訳ないことをいたしました。ずっと、謝りたいと思っておりまして……」

 ジャンは、平身低頭といった様子だ。いいのです、とビアンカは答えた。

「あなたは、カルロッタ夫人に脅されていたと聞きました。あなたが責任を感じることはありません。それよりも、お体はもう大丈夫なのですか?」

「そんな風に、言っていただけるなんて」

 ジャンは、感動したようだった。

「ですが正直、調子は良くありません。飲まされた毒の、後遺症のようなのです。ゴドフレード殿下は、寛大にも続投せよと仰いましたが、早めに引退しようかと考えているところです」

 まあ、とビアンカは眉をひそめた。もったいないと思うが、ジャンの意志は固そうだった。

「それでですね。私も引退までの間に、できる限りのことを王立騎士団の皆様にしてあげたいと考えています。現在、あなたのレシピを正確に実践しているところ、団員の方々からの評判はとても良い。ついては、ビアンカ嬢がここにおられる間に、さらなるご助言をいただけないでしょうか? 厚かましい願いとは、承知していますが……」

「あら、もちろんです!」

 ビアンカは、二つ返事で了承していた。元々提供したレシピは、騎士団寮で実践していたものだ。王立騎士団向けにアレンジすることは、いくらでも可能だろう。

「それは、ありがたい」

 ジャンは、ほっとしたように顔をほころばせた。

「では、早速明日から、ご相談に乗っていただいてもいいでしょうか?」
「もちろんです。一緒に、頑張りましょう!」

 頷きながら、ビアンカはどこかほっとするのを感じていた。ステファノは今回、共に過ごす時間を増やしたいと言っている。求婚の答は急がないとのことだが、一緒にいれば、やはりその話は気になってしまうだろう。別のことで忙しくしていれば、ステファノと過ごす機会は減らせる。無意識に、そんな計算が働いたのだ。逃げだということは、よくわかっていたけれど。