「ええ!? イレーネ様が、ですか?」

 王太子妃が自ら料理をするなど、前代未聞だ。だがイレーネは、まんざら冗談でもなさそうな様子である。

「こういう美味しいものが、どうやって生み出されるのか、興味があるのよ……。特にこのクレープ、絶品よ。ゴドフレード様が絶賛されていただけのことはあるわね」

 言いながらイレーネが、クレープを食べ終えたその時だった。ドタバタという足音と共に、焦り気味なノックの音がした。姿を現したのは、何とゴドフレードとステファノであった。

「梨のクレープを作ってもらったと聞いたぞ?」
「あああ、完食してしまったのかっ」

 空になった皿を見て、二人の男は呆然としている。そのために駆け付けたのか、とビアンカは呆れた。一方のイレーネは、澄ましている。

「ええ、大変美味しゅうございましたわ」
「そなた、夫のために残そうという配慮はないのかっ」

 ゴドフレードが目をつり上げる。

「ゴドフレード様は、すでに晩餐を済ませられたのでしょう? こちらは、ビアンカさんが私だけのために(・・・・・・・)作ってくださった、特別なメニューですのよ? 私が、ぜーんぶいただきましたわ」

「くそ……、これなら晩餐を共にするのだった。大体そなた、つわりはもう終わったのであろう? 同席できるであろうが」

「あの」

 ビアンカは、恐る恐る口を挟んだ。

「つわりが終わられたとはいえ、イレーネ様は胃腸も弱っておられます。それに妊娠中ということを考慮すると、やはり特別メニューがおよろしいかと」

「ほうら、見なさい」

 鬼の首でも取ったように、イレーネがへへんと笑う。『パルテナンド一の猫かぶり』というのも、まんざら間違っていないかもしれない、とビアンカは密かに思った。

「あ、それからステファノ殿下の分は、別にお作りしてございます。クレープを作る際は、呼んでほしいとのことでしたので」

「そうか! ありがたい」

 ステファノは、一転喜色満面になったが、ゴドフレードはこの世の終わりみたいな顔をした。

「では、私の分だけがないということか?」
「兄上は、食べずともよろしいではございませんか。前回、召し上がったでしょう。それも、他の者の分まで!」

 兄弟は、子供のようにいつまでも言い争っている。『食べ物の恨みは怖い』という言葉を実感したビアンカであった。