見た目は十歳前後といったところだろう。
 落ち着いた声に子供らしさはないが、間違いなく少年のものだ。

「何だ⁉ どっから現れた⁉」
「女や怪我人に刃を振るうような輩に、答える必要はない」

 そう言って少年が錫杖が強い光を放ち、舞優を跳ね飛ばした。

「うわあぁぁっ!」

 叫び声だけを残し、森の方向に物凄い勢いで舞優の身体が吹き飛んで行く。
瞬き間に舞優の姿が見えなくなり、叫び声も夜の闇に溶けてしまった。

 呆気に取られていると、少年は立ち上がった砂埃を払い、詠貴に向かい合う。
 子供ではあるが目鼻立ちのはっきりした顔、黒く艶のある髪、その瞳には知性や品格を称えており、涼し気な目元は誰かを彷彿とさせた。
 自分より背の高い錫杖を持ち、佇む姿は凛としている。

 少年が詠貴の頬に優しく触れる。
 先ほど凜抄の爪が食い込んだ場所だ。
 淡い光が起こり、じんわりと温かく、くすぐったさを覚える。

「娘が顔に傷など作るものではない」

 少年の手が離れ、その部分に触れると、傷が塞がっており、痛みも消えていた。

「貴方は一体……」

 詠貴が茫然としていると少年は桂月に視線を向けた。

「この男、外傷よりも毒の周りが酷いな」
「ど、毒ですか?」

 少年は頷く。

 拾い上げた簪を掲げて詠貴に見せた。

「銀製の簪が変色している。毒の種類は分からないが、強い毒性があることは確かだ」
「そんな……どうすれば……」

 目の前の不思議な少年よりも、今は桂月の手当を急がねば。

「動かすな。毒の周りが早まるだけだ」

 少年の言葉に詠貴は躊躇いがちに訊ねた。

「一体、どうすればいいのですか……?」

 先ほど舞優を吹き飛ばした不思議な力を少年は見せてくれた。
 そして詠貴の頬の傷を癒してくれた。
きっと桂月の毒も治せるのでは?

「どうか、この人を助けて下さい」

 詠貴は深々と頭を下げる。
 詠貴や旋夏に頭を垂れることは酷く屈辱だった。しかし、彼らとは違い、この少年には何の躊躇いもない。

「顔を上げなさい。とりあえず、傷を塞ごう」

 そう言って錫杖を振るうと淡い光が桂月を包む。
 滴るような出血が止まり、詠貴は一先ず安堵する。

「毒は私では無理だ」
「どうにかなりませんか? 大事な人なんです! どうか!」

 止まった涙が再び溢れる。

「こ、こら、泣くな。私はこの手の術は不得手だ。他に適任がいる」

 涙する詠貴を慌てて宥める少年は井戸に向かって小走りで移動する。

「あ、その井戸は……」

 蒼子が落下した時のことを思い出すと再び心が震え出す。

 落ちてから随分と経った。
 溺れてしまっただろう。

 この時期の水はまだまだ冷たくて、暗くて寒い場所でひとりっきりで……。
 ごめんなさい! ごめんなさい!
 詠貴は舞優と凜抄を止めることが出来なかった自分を責める。

 少年は錫杖で地面を叩く。

 上部に付いた飾り石と金属が擦れ合い、しゃんっと音を立てる。

「蒼子、そこにいるのだろう」
「え?」

 少年の言葉に詠貴は耳を疑う。

「起きなさい」

 少年は幼い子供に言い聞かせるように井戸に向かって話し掛けた。

 ゴオォォォっと強い水流のような音が聞こえてくる。
 まるで嵐の時に起こる荒い波のような、強い川の流れのような音だ。
 その音は段々と詠貴達に迫って来る。

 バシャバシャアアァンと井戸から高い水飛沫が上がる。

 井戸から高々と登った水の柱は音と共に飛沫をまき散らす。
 そして水の柱は次第に細くなり、水は再び井戸へと落ちていく。
 パシャ、ピチャっと水の滴る音がする。

 水の柱が消える頃、中から現れたのは美しい女性だった。

 薄暗い月夜でもはっきりと分かる。
 黒く艶のある髪は腰よりも長く、玉のように白い肌に、しなやかな体躯、涼し気な瞳は長い睫毛で縁取られ、額に輝く紺藍色の水晶。

 不機嫌そうに引き結んだ口元は人を近づけさせない怜悧な印象を与える。月の女神も恥じらうほどの美貌を持つ女性がそこに現れた。

 月光を背に輝く女性は色っぽく首を傾げる。

「紅玉かと思ったら、随分と久しい人がいらっしゃる」

 女性は井戸の縁から飛び降り、少年を見下ろす。

「お前、何て格好をしているんだ」

 女性は男物の上着を一枚素肌の上から羽織っただけの格好だった。
 しかもずぶ濡れだ。破廉恥である。

「仕方ないでしょ。子供の服はこの姿では無理」

 女性が腕を軽く振り上げると滴る水が弾かれ、纏う水の全てが払われた。
 つかつかと詠貴に向かって女性は歩み寄り、膝を着いた。

「詠貴殿、怪我は? 桂月さんの容態は? それにあの女と私を突き落とした男はどこへ?」

 心配そうな表情で詠貴に問う。

 自分と桂月を知っていて、何が起こったのか知っているような口振りを不思議に思う。

 あれ? 今、突き落とされたと言わなかったか?

「まさか、貴女……」

 いや、そんなはずはない。彼女はまだ幼い子供だ。
 こんな急に成長するはずがないではないか。
 自分に言い聞かせるがそうとしか思えない自分もいた。