身体が水底に引き寄せられるように落下している。
 蒼子は姿が見えなくなるまで舞優を睨み付けていた。
 
 あの男……紅玉を傷付けただけに留まらす、桂月のことも蹴り飛ばしたな。
 許せん。
 しかも子供を井戸に落とすなんて鬼畜以外の何でもない。
 
 
 舞優の姿が目視出来なくなり、天井の方から蒼子の名を叫ぶ悲愴な詠貴の声が井戸の中に反響し、音が消えけた頃に蒼子は水の中へと落ちた。
 落ちるというよりも水が蒼子を引き込み、包まれるような心地に蒼子は安堵する。
 纏う衣に冷たく心地良い水の気が沁み込み、蒼子を包んだ。
 
 清いな。
 
 水がより深く、人が触れられることのなかった清水の層まで導く。
 
 心地良い。
 

 蒼子は双眸を伏せて、頭のてっぺんから爪先まで勢いよく気が巡るのを感じる。
 髪や肌からも水の気が浸透していく。

『おい。起きろ!』

 水に導かれた水底で清水に包まれながら浮遊感と気が巡る心地良さを堪能していると誰かの声が頭の中に響きて聞こえた。
 蒼子はゆっくりと目を開くとそこには夢の中で出会った竜神の姿があった。
 あの時よりも身体は小さくなり、神秘的な輝きも弱っている。
 
 存在が消えかけているな。

『詠貴が泣いている!』
 
 何とかしろと憤りを蒼子に向ける。
 蒼子ははっと我に返った。
 
 清水が心地良さに微睡んでいる場合ではなかった。
 桂月が酷い怪我をしていた。
 手当が必要だし、詠貴も凜抄や舞優に暴力を受ける可能性がある。
 早く上に戻らなければ。

 しかし、蒼子の気掛かりはそれだけではない。

『琳鳳様がお見えになりました』

 使用人が凜抄に言った言葉が脳裏によぎる。
 鳳が来ているらしい。
 凜抄に呼ばれて?
 
 夜であるというのに彼女はやけに派手にめかし込んで、淫靡な雰囲気を醸し出していた。
 毒蛾が鳳の側を飛び回る様子を想像し、言葉に表し難い不快感が胸の中に広がった。

『聞いているのか!』

 聞いている。
 竜神の言葉に蒼子は頷く。
 金色のつぶらな瞳が蒼子を見つめて揺れている。
 
 このままではこの竜神も消滅してしまうな。
 
 それは誰も望んでいない上に、この地が本当に枯れてしまう。
 それに蒼子はあの夢でこの小さな神から預かった言葉を詠貴にまだ伝えていない。
 伝言のためにも、今の現状をひっくり返すためにも詠貴とこの小さな水神が不可欠だ。

 戻らなくては。
 
 蒼子の周りに水流が起こり、淡く発光して身体を取り巻く。
 すると衣服が瞬く間に縮み、帯は解けて、きつくなった靴は自然に脱げた。 
 
 腰より長く伸びた髪を顔から払い、窮屈な衣類を脱ぎ捨てて、桂月の上着だけを羽織った。
 男物の衣から覗く手足は女性らしくてしなやかで、黒く艶やかな髪は水中でたおやかに揺れ、白い額には紺藍色の水晶が光る。
 
 力は満ちた。
 
 長い睫毛で縁取られた美しい瞳に、幼さは残っていなかった。