「どうだった? 私の迫真の演技は」

「……まるで夢を見ていたかのようだった」

 凜抄が去り、残された二人は大きく息をついた。

 嵐が去ったような静けさが室内に漂っている。

「強烈なのを相手にしてるな」
「好き好んで相手をしている訳じゃない」

 鳳は手拭いで蒼子の髪を優しく拭きながら答えた。

 髪を傷めないように丁寧に水気を取り除いていく。

 蒼子は鳳が凜抄と話している間に風呂場へ行き、服を脱いで残り湯を頭から被った。

 ろくに身体を拭かずに服を着て二人の前に出て、あたかも二人で風呂に入ろうとしていたかのような状況を作り出した。

 そうすればすぐに出て来れなかったと良い訳も出来るし、子供の面倒を見ると言えば良識のある大抵の人間は引き下がると思ったのだ。

 まさかの予想外だった。

 普通の客であればお引き取り頂けただろうが彼女は蒼子の想像を遥かに超えていた。

 おそらく鳳は寝室にいた時から店の外で叫んでいる人物が彼女だと分かっていたのだろう。

 だから頑なに応答を拒んだんだな。
 彼女は相当鳳にご執心のようだ。

 いくら想い人の気を引きたいからと言ってもやり方が力技過ぎる。

 弱みに付け込むようなやり口は許し難い。
 えげつないやり方は父譲りと言ったところか。

 地主である父親についても詳しく調べる必要がある。

「適当で良いよ」

 さっきから蒼子の髪を拭いている鳳に言う。
 意外にも丁寧に拭いてくれている。

「髪が傷むだろう」

 とんとんと叩きながら髪から水分だけを取り除く。

 丁寧過ぎていつ終わるのか先が見えない。

 まぁ、良いか。

 不快ではないのでされるがままになっているとカタンっと裏口から物音が聞えた。

「ただいま戻りました~」
「戻ったぞ」

 柊と椋が居間に入って来る。

「今度こそ帰って来たな」
「おかえりなさい」

 鳳が安堵の表情を浮かべる。
 今度こそ柊と椋だ。
 二人は不思議そうに首を傾げる。

「何かありましたね?」
「あった」

 柊の問いに陰鬱な声で鳳が答えた。

「誰か来たのか?」
「来た」

 いつもの如く鳳の膝上に座り三人の会話を聞いていたのだが、次第に会話が遠くなる。

 瞼が急速に重くなり、目を擦る。

「眠いなら少し休め」

 椋が蒼子の脇に手を差し込みそのまま抱き上げた。

 とんとんと子供をあやすように背中を優しく叩かれる。

「眠い……」

 蒼子が欠伸をすると椋は小さく笑む。

「寝て良いぞ」

 椋の優しい声が耳に響く。
 その声を最後に蒼子の意識は闇に溶けた。

  

 蒼子が眠りに着いた事を確認し、三人は居間で顔を突き合わせていた。

「まさか家まで押し掛けて来るとは思いませんでした。あの女にとって蒼子さんは思わぬ伏兵だったようですし」

「蒼子に怪我がなくて良かった」

「えぇ、本当に」

「私の怪我はどうでも良いのか」

 この二人もかなり蒼子に執心だ。

 凜抄が現れた事を話すと真っ先に蒼子の心配をする。

「どうせ大した事ないだろう」
「もうどちらの頬を叩かれたのか分かりませんから大丈夫ですよ」

 確かに女の平手打ちなど大して痛くはない。

 不意打ちで凜抄の前に立ち、蒼子を庇った為、驚いた凜抄が振り上げた手は威力をほとんど失っていた。

 実際、掠った程度でほとんど痛くない。

「女の子の顔に傷でも付いたら大変です」

「嫁の貰い手に関わる。いや、傷があるからいらないと言うような奴にやる気はないがないに越した事はないからな」

 父兄の目線で二人は述べる。

 確かにその通りだが主人の傷にも関心を持てと言いたい。

「お前達の方はどうだ?」

 鳳はこの話に終止符を打ち話の方向性を変えた。

「色んな所から探りを入れていますが、蒼子さんの身元を割るのには時間が掛かりそうです。もう少し待って下さい」

 ここから王都までは距離もある上に使える人脈は限られている為、調査は難航しそうだと柊の言葉に鳳は頷く。

「こちらは一報。この町の井戸を調べていたところ、何か所か作為的に使用出来なくなった形跡があります」

「確かなのか?」

 訝しむ鳳に椋は頷く。

「井戸の枯渇や海水浸食のほとんどは付近の住民による報告ですが、作為的に使えなくなったと考えられる井戸は全て地主側からの告知です。そしてそれらの井戸には全て見張りが付けられ人が近寄れないようになっていました」

 井戸が使えなくなれば水を買わざるを得なくなる。高まる需要に合わせて値段を吊り上げれば必ず儲けが出る。

 生活する為に水は必要不可欠なものだ。
 高くても需要は充分にある。

「水の値段をいいように吊り上げて荒稼ぎしているようです」

「それでいて他の税金まで上げようっていうんだから欲が深い」

 親子揃ってやり方が悪質だ。
 鳳の肩がどっと重くなる。

目の前に柊の淹れたお茶が置かれ、手に取るとお茶の良い香りが鼻孔をくすぐった。

香りの良いお茶にささやかな癒しを感じながら思考は地主や凜抄、蒼子の問題で休む暇がない。

「そう言えば、お風呂沸かしてくれたんですか?」

 唐突に無関係な質問をする柊に鳳は首を振った。

「おかしいですね……」
「風呂がどうかしたのか?」

 鳳より先に椋が柊に問い掛けた。
 口元に手を当てて何やら考え込んでいる。

 考え込むと腕を組む椋とは対称的に繊細さを感じる。似ているが対象的な面も多い。

 そんな二人を鳳は好ましく思っていた。

「来て下さい」

 そう言って三人は風呂場へと移動する。

 室内には微かに湯気がこもり、湿気と温かさを帯びている。

 柊が袖をまくり、浴槽の淵に捕まって湯船に腕を差し入れると不可解そうに眉を顰めた。

 柊に続いて椋と鳳も腕を突っ込みお湯の温度を確かめる。

「不自然だな」
「そうだな」

 ここまですれば言いたい事は理解出来る。
 三人は顔を突き合わせて困惑した表情を晒す。

「昨日のお湯にしては温か過ぎる」
「真夏でないのにこの温度はおかしい」
「その上、湯気がある。そう言えば……」

 風呂の残り湯を被って凜抄の前に現れた蒼子からも微かに湯気が立っていたような気がする。風呂上りのように顔もほんのりと紅潮していた。

 その時の様子を口にすると双子は同じ顔で違う仕草で考え込んだ。

「一つの可能性としてだが」

 鳳が口を開くと二人の視線が注がれる。

「蒼子はもしかしたら……」

 その言葉に二人の表情に大きな変化はなかった。二人とも同じ事を考えていたようだ。

 そして事の深刻さに三人は渋い顔を突き合わせる事となった。