幸せな離婚

健太郎から死角になる部分にいた私は、バレるのを承知で壁からわずかに顔を出して健太郎のいる方向を見やった。
あの人がどんな顔をしているのかどうしても見たかったのだ。
見なければいけないと思った。
きっと酷い顔をしているであろう健太郎を見て、わずかに残っている健太郎への想いを断ち切るんだ。
「……うん、俺も好きだよ」
私に見られているなど知る由もない健太郎は腰に手を当て口元を緩ませてニヤニヤと笑っていた。
何か言いたげに口をもごもごさせて少しだけ恥ずかしそうに顔を赤らめながらも嬉しそうな健太郎。
ゾッとして背筋が冷たくなる。あまりにも気持ちの悪いその笑みに全てが崩れた。
必死になって積み上げてきたものが一瞬で崩れ去る。それほどの衝撃だった。
疑いようの余地もない。健太郎は不倫をしている。
うるさいほどの蝉の声が遠のいていく。
目の前が真っ白になりかけたけれど、私は冷静だった。
この場面を不倫の証拠として残しておかなければいけないと思った。
何かの時、証拠は多い方が良い。
ポケットからスマホを取り出そうとしたときに、気付いた。
動揺していないと思っていたのに、指先が小刻みに震えていた。
もしかしたら、とは思っていた。
でも、現実を目の当たりにするとやっぱりショックが大きかった。
「――うん、じゃあ出たら連絡するね」
電話が終わる気配に気付いて私は再び足音を立てないように部屋に戻り、先ほどと同じ体勢でベッドに横になった。
それとほぼ同時に部屋の扉が開き、健太郎が入ってきた。
「優花、具合大丈夫か?」
戻ってきた健太郎は先程とは別人みたいに機嫌が良い。
「うん……。少し疲れただけだと思う」
「そっか。実は、隣町の花火大会に誘われてさ」
だから、浴衣がどうとら言っていたのか。
私は体を起こすと、平静を装って健太郎に視線を向けた。
「誰に誘われたの?」
「康弘。さっきまでアイツんちにいたんだよ。こんなことなら帰ってこないでアイツんちにいればよかったよ」

「康弘さんのうちの赤ちゃん、大きくなってた?確か女の子だったよね?」
「あー……、そうそう!抱っこさせてもらったんだけどさ、ぷくぷくしてて可愛かったよ」
嘘つき。康弘さんちの赤ちゃんは男の子だよ。
そうやってあなたはいつも笑顔で私を欺いていたのね。
「……そっか。でも、赤ちゃん生まれたばっかりの康弘さんがどうして健太郎を誘うの?」
「だからこそ、だって。育児でストレス溜まってるし、たまには男同士で息抜きしたいんだってさ」
「息抜きか。それなら、私も一緒に行ってもいい?花火大会なんてもう何年も言ってないし」
「え」
私の言葉に健太郎が固まった。