手は繋がれたままだった。
マンションまで私を送ってくれた潮くんは、「これじゃ上がれないから、俺もいったん帰るな」と、名残惜しそうに手を離した。

私のせいで、ずぶ濡れになった足元。

腕のことを心配すると、腕の怪我も流した方がいいから風呂入ってくると、躊躇っている私を説得した。


部屋に戻ればお母さんがいて、「どうだった?潮くんは?」と質問をしてきた。


どうと言われても。
潮くんが川に……と、言うことしかできなく。


「彼は、……1度家に帰ると……」

「そうなの」


優しく笑ったお母さんは、疲れたと思うからゆっくりしなさいと私に休むように言ってきた。

私はリビングに置いたままの汚れたファイルを取り、〝なぎのへや〟に戻った。
読める部分をひたすら読んだ。
読めば読むほど、潮くんの名前が出てきた。
でもどんな内容か分からない。

かろうじて分かる部分を、分かりやすくするためにボールペンでなぞってみた。


知らなくちゃいけない、彼のことを。

泣いていた潮くんを思い出す。


『──……忘れないでくれよ……──』


思い出さなくちゃいけない、彼のことを。



私はポケットから、さっき潮くんが拾ってくれた紙を広げた。


〝令和2年7月14日
ウシオくんが泣いていた
私が傷つけた
7月15日の私へ
どうかウシオくんを─────〟


私はどうやら、何度も潮くんを泣かせているらしかった。


お昼すぎ、お母さんに「お昼ご飯食べましょう」と呼ばれた。そのとき、お母さんに今日の日にちを聞いた。今日は7月21日と言っていた。


食べている最中も、気になるのは潮くんの事だった。腕の怪我はどうなったのだろうか。潮くんは手当をしたのかな。

潮くんの家はどこなんだろう。
日記を見れば分かるだろうか?
でも、読める部分には、潮くんの住んでいるところなんて書いていなかった。


「あの……潮くんはどこに住んでいるのですか?」


お母さんは知っているだろうか?
潮くんとは知り合いみたいだから。


「3棟よ」

「さんとう?」

「ここが、マンションの2棟で、潮くんは3棟に住んでるの。ここから5分もないかな」


じゃあ、家は近いってことで…。


「潮くんが気になるの?」


そう言ったお母さんは、嬉しそうだった。


「はい…」

「そう、だったら、電話してみれば?」

「電話?」

「凪の部屋にスマホがあったでしょ?そこに潮くんの名前が登録されているはずだから」




────潮くんの名前は、確かにあった。スマホなんて使ったことがないのに、使い方が自然に分かってしまう。それを不思議に思いながら、アドレス帳にある〝さくらぎうしお〟という名前をずっと眺めていた。


ちなみに、アドレス帳には、
〝おかあさん〟
〝さくらぎうしお〟
〝けいさつ〟
〝きゅうきゅうしゃ〟
の4つしか登録されていなかった。


潮くんに電話をかけてみた。3コールほど音が鳴ってから、電話は繋がった。


『どうした?』


そんな優しい声のトーンとともに。
蘇るのは、小さい頃の酷い記憶。
見下しながら笑っていた小学生の頃の潮くん。


「……腕の、調子はどうですか?」


私は朝、この人に対して、凄く凄く泣いたのに。


『…ああ、大丈夫。もう全く痛くない』


穏やかな声のせいか、私も喋りやすく。


「手当はしましたか…」

『うん』

「私のせいで、ごめんなさい…」

『俺が勝手におりたのに』


クスクスと、笑った潮くんは『凪から電話くれたの、めちゃくちゃ嬉しい』と本当に幸せそうに呟いた。


「潮くん、」

『うん?』

「わたし、思い出します、ぜったい。今日の事も……、絶対に覚えます……」

『……』

「だからもう、泣かないでください」


電話越しだから潮くんがどんな顔をしているか分からない、けど、悲しんでなければいいなと思う。


『……なぎ』

「はい…」

『今から、会いに行っていい?』


一昨日の私は、何も返事をしなかった。
けど、昨日は肯定の返事をした。
今日は──……。


「あの、」

『いやならいい、電話だけで十分だから』

「ずっと一緒にいてくれますか?」

『………ずっと?』

「私が、思い出すまで、ずっと傍にいてくれませんか?」