◯夜、赤坂の飲み屋。単価も高い店。落ち着いた雰囲気。
朝陽は茉里と舞の事を篠田に打ち明ける。
運ばれたグラスビールにはお互いに一口も口を付けず、すっかり泡が消えてしまった。
朝陽の話を聞き終えた篠田が深く息を吐いて、背もたれに寄りかかった。
篠田「それで。これからどうするつもりなの」
朝陽「……どうしたらいいのか、分からない」
篠田が顔を顰める。
朝陽自身も、こんな時まで優柔不断な自分を情けなく思っていた。
朝陽「どっちも、捨てたくない……」
苦しげに、誰にも言えなかった本心を吐露する。
篠田「それは、かなり自分勝手な事言ってるって、自覚ある?」
朝陽(もちろん、ある)
穂花を誰よりも愛している。穂花と別れるつもりはないし、これからもずっと一緒にいたいと思っている。
自分の気持ちははっきりしているはずなのに、舞を出されると、どうしても割り切れない。自分の血を分けた子供の存在の大きさは、想像以上に大きかった。
小さくて柔らかい手を握ると、泣きたくなるような、何とも言い難い気持ちが込み上げてくる。
胸が締め付けられて、ぎゅっと抱きしめたい思いにかられる。
穂花に感じる気持ちとは別の所で、舞を愛しく思っていた。
朝陽「……のんちゃんと、舞を育てたい」
篠田が硬いメニュー表の角で朝陽の頭をバシッと叩く。
容赦なく力を込めて叩かれて、朝陽はテーブルに突っ伏した。
篠田「それ、間違っても塩澤の前で口にするなよ」
朝陽「分かってるよ。お前の前だから吐いた。二度と言わないよ」
だけど、紛れもない本心だった。女性として愛している穂花。穂花との子供じゃなくても、自分の血を引く我が子。本心を言えば、両方、捨てたくない。
穂花と舞と暮らせたら、どんなに幸せだろうと夢みたいな事を考える。
はぁ、と目の前で篠田がまた息を吐き出した。
友人の物言わぬ、重たいため息に心を抉られる。
朝陽(呆れられているだろうな)
朝陽から見た篠田は、何をさせても完璧で、非の打ち所がない男だ。
離婚はしたけれど、それすらマイナスイメージにはなっていない。
朝陽とは正反対に、男らしくて、仕事も出来て、頼もしい。
一緒にいると嫌でも朝陽の情けなさが際立つ。
篠田「子供が可愛いのは分かるけど、母親に対してはどうなの。子供と別には出来ないだろ」
理由があったとはいえ、茉里が過去に朝陽を裏切っているのを、篠田も知っている。
朝陽「茉里のことは、完全に舞の母親としか感じない。そういった意味で、浮気とかはないし……」
篠田「塩澤にしてみたら、同じだよ。身体の関係があろうとなかろうと」
朝陽「うん……」
身体の関係だけが浮気ではない。
朝陽が茉里を愛していなくても、舞を選べば穂花にとっては茉里を選んだも同然だろう。
篠田「どっちもは無理だよ」
篠田は自分の事のように、辛そうな顔をしている。
篠田「お前の子供であっても、塩澤の子供ではないし、彼女が母親になるわけじゃないんだから、お前の気持ちを分かって貰おうとするのは狡いよ」
篠田が静かに諭す。
朝陽「……分かってる」
どっちも欲しいなんて、子供の言い分だ。
篠田「……塩澤と、子供を持つって選択はないの?」
朝陽「それも、考えてるけど……」
もしも穂花との子供を授かったとして、その子と舞は別の人間だ。穂花との子供を愛しても、舞を忘れられるわけではないだろう。
篠田「子供を、選ぶのもありだと思うよ」
予想外の言葉に、朝陽は目を見開く。
篠田は、絶対に穂花を裏切るなと言うのだと思っていた。
篠田「塩澤を優先しろって言おうと思ってたけど。
でも、この先、事あるごとに子供に心を持っていかれるお前といたら、塩澤だって辛いと思う。お前の性格からいっても、子供の存在を知った以上、母親に対しても完全に事務的に接するのは難しいだろ」
ここ最近の穂花の顔を思い浮かべて、朝陽は泣きそうな顔になる。
強いと思われがちだけど、穂花が本当はそれほど強くないのを、誰よりも知っているのは朝陽だ。
篠田「何よりも、子供にとって、お前は唯一の血が繋がった父親なんだ。子供を選ぶ権利も、子供に対する責任も、義務もあるのは事実。妻に対する責任と、同じくらい重い責任だよ」
朝陽「……お前なら、どっちを選んだ?」
篠田「そういうの、お前のダメなとこだよ。重大な選択を人に委ねるな」
朝陽「参考だって……」
篠田「言わない。椎名は人の意見に左右されやすいから」
篠田はすっかり泡がなくなったビールを一気に飲み干して、席を立った。
◯店の前。
タクシーに乗り込もうとしていた篠田は、動きを止めて振り返る。
篠田「椎名」
篠田「間違いも正確も、今は誰にも分からないよ。一生懸けても分からないかもしれない。どっちを選んでも、絶対に後悔は残る。だから、自分がじゃなくて、自分が大切にしたい相手にとって、どうしたら一番いいのかを考えてみたら。俺だったらそうする」
答えは言わないなんて言いつつ、突き放したりせずちゃんとアドバイスはくれるのが篠田らしい。
篠田「塩澤を選ぶなら、子供に何があっても……たとえその子が死に直面している瞬間であっても、絶対に、塩澤を優先しろ。できないなら、いっそ離れた方が塩澤のためにもいいと俺は思う」
朝陽の返事を待たずに篠田は、タクシーに乗り込んだ。
タクシーが見えなくなってからも、暫く朝陽はその場から動けず立ち尽くしていた。
朝陽は茉里と舞の事を篠田に打ち明ける。
運ばれたグラスビールにはお互いに一口も口を付けず、すっかり泡が消えてしまった。
朝陽の話を聞き終えた篠田が深く息を吐いて、背もたれに寄りかかった。
篠田「それで。これからどうするつもりなの」
朝陽「……どうしたらいいのか、分からない」
篠田が顔を顰める。
朝陽自身も、こんな時まで優柔不断な自分を情けなく思っていた。
朝陽「どっちも、捨てたくない……」
苦しげに、誰にも言えなかった本心を吐露する。
篠田「それは、かなり自分勝手な事言ってるって、自覚ある?」
朝陽(もちろん、ある)
穂花を誰よりも愛している。穂花と別れるつもりはないし、これからもずっと一緒にいたいと思っている。
自分の気持ちははっきりしているはずなのに、舞を出されると、どうしても割り切れない。自分の血を分けた子供の存在の大きさは、想像以上に大きかった。
小さくて柔らかい手を握ると、泣きたくなるような、何とも言い難い気持ちが込み上げてくる。
胸が締め付けられて、ぎゅっと抱きしめたい思いにかられる。
穂花に感じる気持ちとは別の所で、舞を愛しく思っていた。
朝陽「……のんちゃんと、舞を育てたい」
篠田が硬いメニュー表の角で朝陽の頭をバシッと叩く。
容赦なく力を込めて叩かれて、朝陽はテーブルに突っ伏した。
篠田「それ、間違っても塩澤の前で口にするなよ」
朝陽「分かってるよ。お前の前だから吐いた。二度と言わないよ」
だけど、紛れもない本心だった。女性として愛している穂花。穂花との子供じゃなくても、自分の血を引く我が子。本心を言えば、両方、捨てたくない。
穂花と舞と暮らせたら、どんなに幸せだろうと夢みたいな事を考える。
はぁ、と目の前で篠田がまた息を吐き出した。
友人の物言わぬ、重たいため息に心を抉られる。
朝陽(呆れられているだろうな)
朝陽から見た篠田は、何をさせても完璧で、非の打ち所がない男だ。
離婚はしたけれど、それすらマイナスイメージにはなっていない。
朝陽とは正反対に、男らしくて、仕事も出来て、頼もしい。
一緒にいると嫌でも朝陽の情けなさが際立つ。
篠田「子供が可愛いのは分かるけど、母親に対してはどうなの。子供と別には出来ないだろ」
理由があったとはいえ、茉里が過去に朝陽を裏切っているのを、篠田も知っている。
朝陽「茉里のことは、完全に舞の母親としか感じない。そういった意味で、浮気とかはないし……」
篠田「塩澤にしてみたら、同じだよ。身体の関係があろうとなかろうと」
朝陽「うん……」
身体の関係だけが浮気ではない。
朝陽が茉里を愛していなくても、舞を選べば穂花にとっては茉里を選んだも同然だろう。
篠田「どっちもは無理だよ」
篠田は自分の事のように、辛そうな顔をしている。
篠田「お前の子供であっても、塩澤の子供ではないし、彼女が母親になるわけじゃないんだから、お前の気持ちを分かって貰おうとするのは狡いよ」
篠田が静かに諭す。
朝陽「……分かってる」
どっちも欲しいなんて、子供の言い分だ。
篠田「……塩澤と、子供を持つって選択はないの?」
朝陽「それも、考えてるけど……」
もしも穂花との子供を授かったとして、その子と舞は別の人間だ。穂花との子供を愛しても、舞を忘れられるわけではないだろう。
篠田「子供を、選ぶのもありだと思うよ」
予想外の言葉に、朝陽は目を見開く。
篠田は、絶対に穂花を裏切るなと言うのだと思っていた。
篠田「塩澤を優先しろって言おうと思ってたけど。
でも、この先、事あるごとに子供に心を持っていかれるお前といたら、塩澤だって辛いと思う。お前の性格からいっても、子供の存在を知った以上、母親に対しても完全に事務的に接するのは難しいだろ」
ここ最近の穂花の顔を思い浮かべて、朝陽は泣きそうな顔になる。
強いと思われがちだけど、穂花が本当はそれほど強くないのを、誰よりも知っているのは朝陽だ。
篠田「何よりも、子供にとって、お前は唯一の血が繋がった父親なんだ。子供を選ぶ権利も、子供に対する責任も、義務もあるのは事実。妻に対する責任と、同じくらい重い責任だよ」
朝陽「……お前なら、どっちを選んだ?」
篠田「そういうの、お前のダメなとこだよ。重大な選択を人に委ねるな」
朝陽「参考だって……」
篠田「言わない。椎名は人の意見に左右されやすいから」
篠田はすっかり泡がなくなったビールを一気に飲み干して、席を立った。
◯店の前。
タクシーに乗り込もうとしていた篠田は、動きを止めて振り返る。
篠田「椎名」
篠田「間違いも正確も、今は誰にも分からないよ。一生懸けても分からないかもしれない。どっちを選んでも、絶対に後悔は残る。だから、自分がじゃなくて、自分が大切にしたい相手にとって、どうしたら一番いいのかを考えてみたら。俺だったらそうする」
答えは言わないなんて言いつつ、突き放したりせずちゃんとアドバイスはくれるのが篠田らしい。
篠田「塩澤を選ぶなら、子供に何があっても……たとえその子が死に直面している瞬間であっても、絶対に、塩澤を優先しろ。できないなら、いっそ離れた方が塩澤のためにもいいと俺は思う」
朝陽の返事を待たずに篠田は、タクシーに乗り込んだ。
タクシーが見えなくなってからも、暫く朝陽はその場から動けず立ち尽くしていた。